浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
永代供養墓10万より受付中です。

法事はお寺でお勤めすることをおすすめします

2015-02-28 14:00:30 | お知らせ

よく、法事の会場で迷われている方から、ご相談をお受けします。

法事は、出来れば、本堂の阿弥陀如来様の前で、お勤めさせて頂くのが一番良いと思います。

本堂は、宗教的に素晴らしい環境であり、一番良い供養になります。

それは、故人様が救われているお浄土を感じられる造りになっているからです。

本堂での法事は、共々に読経を勤め、法話を聞いて頂いております。

霊園での礼拝堂や墓前でのご法事も、多くお受けしておりますが、

残念ながら、お浄土を感じることはできません。

法事は、数年に一度の大切な仏縁です。

お墓が、霊園にある場合、お墓参りに行くことはあっても、お寺にお参りする機会は少ないでしょう、

数年に一度の法事は、お寺に集まり、親族でお参りしてはいかがでしょうか。

本堂は、どなたにも開放しており、会場費もございません。

霊園の礼拝堂では、お浄土は感じられません。

今年、本堂のリニューアルをし、以前よりも、さらに、良くなっています。

法徳寺の永代合祀墓にご納骨されれば、本堂での法事の後、お墓参りも出来、

その後、客殿にて、お食事も出来ます、法徳寺ですべて済ませることが出来、大変、便利です。

現在、客殿の庭は、梅が満開で大変美しいです。私は、毎日、境内を散歩するのが楽しみです。

大広間からしだれ梅の花が見れます。


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3月の法話

2015-02-28 13:39:11 | 法話

大行とはすなわち無碍光如来の名を称するなり

前回と同じく、親鸞聖人の主著である「教行信証」に出てくる言葉です。

今回は少し専門的になりますがとても重要な御文である上記を解説したいと思います。

私たちが普段何気なく称えているお念仏ですが、もはや現代では一般的な言葉になり

すぎていて、称える意味など考えることはありません。

しかし浄土真宗門徒である私たちは正しく理解したいものです。     

まず「念仏をする」とは、私たちのご本尊である「南無阿弥陀仏」=「阿弥陀如来」

「無碍光如来」の名前を称えることです。

簡単に言うと「行」とは修行の行ですから、仏さまに向かってひたすら名前を称える「行い」です。

 

ところが浄土真宗の一番大事なことは信心です。阿弥陀如来を疑い無く信じる心さえ

あれば、もはや行=称名念仏は必要ないはずです。さらに仏さまにお任せする絶対他力

である浄土真宗では、自らの力を過信した「自力念仏」を称えることはありません。

では何故お坊さんはお念仏を称えるように奨めるのか?いくつか理由があります

 

・意味はわからなくても、お念仏が自然と口に出ることにより、後に身につけて欲しい信心につながります。

・お念仏は私が称えるのではなく、阿弥陀さまの「必ず救うぞ」との呼び声が今、私に至り届き、

 そして称えようと思い立つ心の起こるとき、すでに信心を頂いています。

・救ってくださいと思い自力の念仏を称えているようでも、もう既に阿弥陀さまのお慈悲に包まれ救われている私たちは、

 他力のお念仏を称えています。

・阿弥陀さまと共にいる、すでにお慈悲に包まれている、との安心をいただくと自然と感謝の思いからお念仏が出てきます。

 これを報恩感謝の念仏といいます。

・南無とは「お任せ、尊敬、信頼」などの意味でインドの挨拶「ナマステー」と同じ語源です。

 つまり阿弥陀さまに挨拶をして感謝、お礼、懺悔、尊敬、信頼を述べているのです。


冒頭の「行」に至るまでに、(仏法へのご縁)?(仏法を聞く)?(信心を頂く)?(感謝の思いから称名念仏)との流れが有り、

このように導いてくださるのは阿弥陀如来さまの大慈悲によるものです。

そして単に自分が称えた念仏ではなく、尊いご縁による行いだから冒頭の文では「大行」と記されているのです。

伊東知幸


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