花のアート写真工房

Ⅰ:透明水彩画集
Ⅱ:旅エッセイ(海外編)

【アートに対する情熱は、青春そのものです!】

ほんわか昭和ストーリー~その6「子供の頃の着物」

2009年12月29日 14時35分16秒 | ほんわか昭和ストーリー

        

 子供の成人式や大学の卒業式の準備で、久しぶりに着物を見る機会があった。着物の柄の配色や構図をながめていると、昔から受け継がれた日本人の美的感覚のすばらしさに感動した。

 この着物は、妻が子供も頃着ていたもので、タンスの奥にしまいこんであったものを引っ張りだしたものである。艶やかである。おそらく、はじめて袖をとおした本人も自分の背伸びした姿にうっとりしたことであろう。

 窓辺に吊るした着物は、木漏れ日のひかりの中では、表地の柄と裏地の柄が合い重なって、走馬灯のように絵が変形して美しかった。

 


ほんわか昭和ストーリー~その7「みりん徳利?」

2009年12月28日 13時58分31秒 | ほんわか昭和ストーリー



 徳利と言えば、てっきりお酒を入れておくものとばかり思っていた。
 映画やドラマで、酒におぼれた飲んだくれ親父に「おい、酒、買って来い!」と子供が徳利を持って使い走りされる場面が、私の脳裏に焼きついているためなのかもしれない。

 この徳利は、表面に味醂(みりん)と白化粧土で盛り上げて書いてあり、その反対には「中西」と屋号が記されている。約30年前にそれを購入した近くに中西酒店が存在しており、お客は容器を持参して買い求めたようだ。
 この間、名古屋市内を歩いていたら、「量り売りできます」という看板の酒店のあり、私は懐かしく思った。
 
 情報や物流が発達していない時代では、すぐに生産地がわかり、作り手の顔も見えてくる。農産物、生活雑貨、家具、家造りだって同じだ。
 使い捨ての時代とは、程遠い世界だ。


ほんわか昭和ストーリー~その8「井戸の水」

2009年12月27日 16時31分31秒 | ほんわか昭和ストーリー

            

 小さな島に暮らす人にとって、水は重要である。だから、道の曲がり角などに共同の井戸を持っていることが多い。しかし、今は、本土からパイプラインを引いて水道水を利用している。島には使用していない井戸のみが残っていた。

 私は、ひょんなところで汲み上げ式の手押しポンプが付いた井戸を見つけた。それは、寺に隣接した墓地の一画にあった。お墓にあげる水として現役で活躍していた。
 手押しポンプの柄を勢いよく上下運動すると、ポンプの上部からポコポコと泡を伴って水があふれ出てくる。蛇口からの水は、広い口から竜巻のごとく回転しながら計り知れない量が落ちてくる。まさしく生き物である。

 井戸の水は、夏冷たく、冬暖かい。すいかを冷やすのに適している。

 尾瀬に行ったとき、飲んだ湧き水のおいしかったことは忘れられない。世界中の食べ物が身近に手に入る時代に、湧き水がおいしいとは皮肉なものだ。


ほんわか昭和ストーリー~その9「乳母車(うばぐるま)」

2009年12月25日 15時22分44秒 | ほんわか昭和ストーリー

             

 私は、うばぐるまのことをおばぐるまと長い間勘違いしていた。広辞苑でおばぐるまという言葉を調べても載っていない。近くにいた妻が、「乳母車のことでしょ」とあきれ顔で言った。

 乳母車には、いろいろな用途がある。子育て、年寄りの杖代わりはもちろん。ちょっとした畑仕事や風呂焚きに使う廃材の運搬など、自動車のない時代では、一家に一台玄関先に置いてあった。今では、それをなつかしくて買い求めようとしても、なかなか製造者が見つからない。

 50年前の話になるのだが、子供が家の手伝いをするのが当たり前の時代での出来事である。私は、よく姉に子守をしてもらったようだ。ある時、乳母車に乗った私を線路上に置き忘れられ、子供の泣き叫ぶ声で母があわてて探した話を後から聞いた。