Sweet*Studio

あなたと過ごす、この瞬間は忘れない。

寒いです

2005-10-09 | 日々のこと
毎日夢見る乙女、かなこです♪

あ、あ、帰らないでぇ~
でも、すみません、また夢のはなしです。



空を見上げると、氷をはった水面を水の中から見上げているみたい。
きれい~と、目を開いてじっと見つめていると、目に雪がはいりました。
冷たいっ。
顔を下ろして地面を見ると、あたり一面、真っ白な雪景色。
ああ、雪が降ってたんだ。どおりで寒いと思った。
家の中に入ると、この家がまた何かの記念館のようで、やけに広くて、冷たい風が吹いている。
さむい・・・



ふとん蹴って、タオルケットにまるまってました。
ダンナのかけぶとんを二度ほど奪いに行ったのですが、強硬な抵抗にあい、断念。
それで、どうやらカゼひいたみたいです。
あ、悪いのは、ふとんくれなかったダンナのせいじゃなくて、寝相が悪い自分なんですけどね。
微熱っぽいです。
コメントレス、2-3日くださいね。

急に寒くなってきています。
みなさんも、こんなばかなことにならないよう、お気をつけくださいませ。
では、早いですけど、おやすみなさぁい。



追記
さすがに8時台などという良い子の時間には眠れなかったんですが、それでもたっぷり寝たら回復しました。ご安心を。

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我が家に○○が!

2005-10-08 | 日々のこと
おっきいにしきへびが、我が家の中にいたらしいんですよ。
ダンナがそれをビニールに入れて、どこかに置いたらしいのですが、
「あ、あのへびの袋、どこにやったか忘れた」
なんて言うもんだから、さあ大変。



  いやだあ。そんなおっきいへび、なんでそこらに置いたりするかなあ。
  どうしてもっとちゃんとしてくれないの?
  自由にうちの中歩かれても困るじゃない!
  ちょっとお、どうにかしてよお!



と文句を言ってみたのに、へびに次いで、ダンナもどこかに行ってしまいました。
最近、うちじゅう窓も玄関も開け放してたけど、やっぱりまずかったかなぁ。
今は、閉めるべきか、開けておくべきか...。
開けておいたら、へびさん出ていってくれるかしら?

家の中、へびがいるかもしれない、という恐怖におののきながら、
なぜか普通に夕飯のしたくをしている、ワタシ。







という夢をみました。
最近流行のへび出没事件みたいです。
寝る前に、きっとニュースでも見たんですよね。
それに、この夢をみる前の日には、我が家の玄関先にこんなの(←虫苦手な方は見ちゃダメ)がいました。
わたしの見る夢って、いつもこんな風に原因がはっきりしています。
夢診断向きじゃないですねえ。願望とか心情とかが投影されているものじゃないし。
つくづく単純なやつですねえ。
でも、ああ、夢でよかった。
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ノロケ好き

2005-10-08 | 今日の思い
ひとつ前の記事のコメントで、
自分の幸せで視野が塞がれているかんじ。と書きました。
うーんと、超がつくくらいのおノロケブログの方とお友だちなので、ちょっとフォロー。

わたし、ひとの幸せな話をきくの、好きです。
痛い話(暴力とかのね)とか、心がギスギスしている話は、だんだん心が冷えてくる気がするので、それよりも暖まりたいのです。

ただ、すてきなノロケって難しいなと思います。
周囲への配慮があるノロケは、ほんと、楽しいんです。
ノロケ、惚気・・・それは自慢とも近いものですよね。
それを読者に嫌味なく伝えるって、難しい気がします。
でも、すなおに「いいね」って思えるブログ、そんなのが好き...です。

面白おかしく自分の幸せを表現する。
そんなことができるひとがすてきだと思っています。

自分の幸せって、自分の内側にあるもの。
それだけに浸るのではなくて、外側にも目を向けるというか...。
ああ、うまく言えなくなってきたので、突然ですがこのへんで終わります。
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秋の風のように心を通り過ぎていったものの話

2005-10-07 | 今日の思い
突然、笑顔でつきつけられた、心ないひとこと。
ニコニコとごまかして、そのヒトの前から逃げるようにしてきた。

ここは街。いろんな人が目の前を通り過ぎて行く。
やわらかな日射しの中、ショーウィンドウを覗いたりしてみる。
心をフラットにしたつもりだけれど、なぜか涙が涌いてくる。
そうだ。
やはりわたしは傷付いたんだ。
気づかないふりして、やりすごそうと思ったのに、傷は深く、心の底に届いていた。

忘れるように、心の奥底にしまいこんでおいた、わたしの一番痛いところ。
なぜ、そこに簡単に触れて、こんな簡単に傷つけることができるのだろう。


そんなわたしを、友だちが黙って見ている。
もしかしたら、今のわたしの状態には気づいていないのかもしれない。
けれど、そうっと見てくれている。
その存在が、とても暖かく、ゆっくり、ゆっくり、傷をふさいでくれる、そんな気がした。
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かおりのもとへ

2005-10-05 | 日々のこと
アア、コノカホリハ、アノトキノ…。




今日は、うちとお隣の庭のお話です。

良い気候になりました。
考えてみると、窓を開けて気持ちよく過ごせる時期ってほんのわずかなんですよね。
あと少したつと、ぐんと天気は不安定になって、冬の雷が鳴って、アラレが降ってきたりします。
今だけの、この空気を楽しまなくちゃ...です。

ここ数日、家の中でも、記憶を呼び覚ますような香りが漂ってきます。

そう、これ。
キンモクセイです。



お隣さんのお庭。
お隣さんは、町内でも一番の庭木育て上手。
本当に一日中お庭にいて、あれこれお手入れしてました。
(事情があって過去形なんですけれども)暑い日も、寒い日も。
そうすると、やはりとてもきれいに花が咲くんですね。
そんな風に育ててもらっている木は幸せだなぁと毎日眺めさせてもらっています。
いえ、お留守をちゃんと見守っていますからね。

花の香りって、先日書いた「声」と同じ、何か記憶に直結しているようです。
わたしの場合、キンモクセイの香りは、
8歳の頃に連れていってもらった「こどものくに」を思い出します。
子象とポニーに乗せてもらって、無邪気に倒れるまではしゃいでいた頃。
初めて会った子とあっという間に仲良しになって、一緒に遊んでた頃。


さて、その隣のわが庭はひどいもので、そろそろ手を入れないと大変なことになりそうです。



夏の終わり頃に咲いた、高砂百合。
ああ、これが噂の「たね」ですよ。
土の中で冬眠するのに、種も飛ばしてしまう繁殖力を持っているという...。
蕾と似てます。
蕾ができて、花が咲いて、また膨らんで種になる。そしてまた開いて...。


土いじりも気分の良い季節になりましたので、
(虫さんも巨大なのはいなくなりましたし)
またしばらく庭で過ごす時間もできそうです。




なんとなく緑色の絵が描きたい。

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育成中です

2005-10-04 | 日々のこと
教育テレビを見ていたら、春菊をプランターで育てる説明をしてました。
それはきれいで、簡単そうで、美味しそうだったんですよ。
だもんで、すぐに一通りの材料を買い込んできて、種まきしました。

久しぶりで、ほとんど初めての土いじりは楽しい。
土はほんのり暖かくて、ふんわりやわらか。
あ、でも、ちょっと種たくさんまきすぎたかも。意外と細かい手つきが難しい…。

3日め、かわいい芽が出てきました。



毎日、やさしく霧状で水をやって。
2週間でまびきをしましょう、というので、頑張ってまびきました。
すくすく育っているものを抜いてしまうのって、一番苦手な作業です。

だから、抜いたものも、余っている植木鉢に植えてしまいました。
やはり、ちょっと小さめなかんじ。大事にするから、頑張ってね。



まびいた日。


今日、それから3日たちました。
3日前より、ほんのわずかだけどちゃんと大きくなっているみたい。
ちっちゃいけど、しっかり春菊のはっぱになってきました。
ちょっと弱々しくて、雨粒が重たそうなので、プランターを動かして雨宿りしています。
うまく育ってくれるといいなぁ…。

次は2週間後にまたまびきます。
それは食べられるそうだから、もうちょっと心は痛まないはずだけれど、
そもそもそこまで無事育ってくれるかが心配です。
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あなたの声がききたくて

2005-10-02 | 今日の思い
何年もたった今でも
あなたの顔ははっきり覚えてる
でも
あなたの声
今のわたしにききわけられるかしら?




最近、DVDでマスター & コマンダー という映画を見ました。
重厚で、美しい映像。
難しかったけれど、2度目を見たら、泣けるくらいよかった。



という、映画の話がしたいわけではなくて、「声」なのです。
この映画の吹替版の声に、知り合いが出てました。
舞台の俳優さんで、ときどきラジオ劇やテレビのナレーションとかで活躍しています。
最後に会ったのはもう12年も前。
テレビで声を聞いたのも、最新が7年くらい前。
聞き分けられるかなあ。

不安を抱きつつ、見(聞き)ました。
ほっ。ちゃんとわかりました。
役者さんだから、声を鍛えて、使いこなしていて、役として作りこんでいるし、判別は難しいほうだったと思います。
でも、やっぱり確実にわかるものなんだな、声って。

顔とか視覚的なものだと、頭の中で具体的に組み立てて覚えている気がします。
再会するときの不安は、忘れたかどうかよりも、彼が変わってしまったかどうか。
髪型や、服の趣味が変わってたら・・・

それに対して、耳できいたものって、どうしてこんなに感覚的なのでしょうか。
理論的なことは、全く知りません。
説明はできないけれど、でも確かにわたしの記憶のどこかに「あの人」の声は残っていて、再びきいたときに、確かに「あの人」だと思える何かがあります。
でも、それが何かはわからなくて、確かに聞いて「あの人」だと確認できるまでが、不安なのです。
その不安の分だけ、声をきいただけで泣きたくなるような懐かしさに包まれたり、いきなり心の奥に響いてしまったり。
忘れていた記憶が呼び覚まされるのも、声。
なんて思うのは、わたしだけでしょうか?



毎日なにげなく耳にしている、身近な人たちの声。
次はいつ会えるかわからない、今日出会った人の声。
いつまでも覚えていたいよ。

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