あなたの顔ははっきり覚えてる
でも
あなたの声
今のわたしにききわけられるかしら?
最近、DVDでマスター & コマンダー という映画を見ました。
重厚で、美しい映像。
難しかったけれど、2度目を見たら、泣けるくらいよかった。
という、映画の話がしたいわけではなくて、「声」なのです。
この映画の吹替版の声に、知り合いが出てました。
舞台の俳優さんで、ときどきラジオ劇やテレビのナレーションとかで活躍しています。
最後に会ったのはもう12年も前。
テレビで声を聞いたのも、最新が7年くらい前。
聞き分けられるかなあ。
不安を抱きつつ、見(聞き)ました。
ほっ。ちゃんとわかりました。
役者さんだから、声を鍛えて、使いこなしていて、役として作りこんでいるし、判別は難しいほうだったと思います。
でも、やっぱり確実にわかるものなんだな、声って。
顔とか視覚的なものだと、頭の中で具体的に組み立てて覚えている気がします。
再会するときの不安は、忘れたかどうかよりも、彼が変わってしまったかどうか。
髪型や、服の趣味が変わってたら・・・
それに対して、耳できいたものって、どうしてこんなに感覚的なのでしょうか。
理論的なことは、全く知りません。
説明はできないけれど、でも確かにわたしの記憶のどこかに「あの人」の声は残っていて、再びきいたときに、確かに「あの人」だと思える何かがあります。
でも、それが何かはわからなくて、確かに聞いて「あの人」だと確認できるまでが、不安なのです。
その不安の分だけ、声をきいただけで泣きたくなるような懐かしさに包まれたり、いきなり心の奥に響いてしまったり。
忘れていた記憶が呼び覚まされるのも、声。
なんて思うのは、わたしだけでしょうか?
毎日なにげなく耳にしている、身近な人たちの声。
次はいつ会えるかわからない、今日出会った人の声。
いつまでも覚えていたいよ。