いやいや、ちゃんと種を明かしましょう。
実際にこれを書いているのは、折りしも雨の季節、それに相応しく本州全般に渡って梅雨末期の大雨に見舞われています。
雨、花札11月・柳の異称。雨も柳も、稲光も燕も、小野道風も蛙も11月のイメージではない、何度も繰り返してきました。
今日はそうですねえ? 投稿日11/3に因んだ話でもしましょう。
文化の日 昭和は遠く なりにけり
そうです。11/3、文化の日。
おっと、旧称は明治節ですね。
「明治は遠くなりにけり」、本当に偉い人たちが揃ってました。
鹿鳴館の話は前にしましたでしょう? 進取の精神の元、どんどんと新しい文明を創っていきましたよね。
ただ鵜呑み猿真似をするのではない、ちゃんと日本の文化として取り入れていく、
室町江戸の人たちが、トランプから花札を創っていた、あの気風が残っていました。
それから、もう一つ、学問もそうでした。
例えばですよ。「経済」という言葉は江戸時代にはありませんでした。
仏教の「経世済民」から、これを造語したのは福沢諭吉です。
これからの世の「経世済民」はこれしかない! とひらめいたからですね。
明治の人は偉かった。
外来語の概念をちゃんと咀嚼して、日本語を作ろうとした。
それに引き換え、平成の世のIT関連のおえらいさんたちは…
とまあ、こんな嘆きをよそに小学校英語必修の話が。
英語かぶれの僕が言うのも意外かもしれませんけど、これには大反対です。
でもね、世の反対理由と僕のとはちょっとニュアンスが違うと思うんですよ。
ほら、今出てる反対理由の大半は「国語力が落ちる」ってやつでしょう。
なんて言ったらいいんだろう? 「英語力」と「国語力」とは別物、へたすりゃ相対立するものって前提で考えている、って言えば言いのでしょうか?
僕は両者は同じものだと思うんですよねえ。「言語力」って意味の「国語力」ってことで。
ならば、少なくても初等教育の段階では母国語を使って鍛えたほうが効率いいに決まってます。
幸いなことに我が日本には、これだけ美しい古典があるのです。
万年英検落第生の僕が言うのも説得力がないのですが、でも言う。
国語が出来れば、英語だってヘブライ語だって出来るようになります。
逆に国語が出来ないのなら、英語もスワヒリ語も出来やしませんよ。
と、この言い回し、
↓
50歳にならないと19歳を演じられないとな?
これも長篇歌謡浪曲の世界
のもうせんとは違う部分を丸写ししました。
それに。
どっかで同じような演説をしたような気…が…
………
………
わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!
いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!
(;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!