月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

300.「祭」という言葉が意味するもの(月刊「祭」2020.9月2号)

2020-09-14 23:36:00 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-

●タイコは動かへんけど、神事はする
 今年は新型コロナの流行をうけて、今年の祭は「神事は行う、屋台(タイコ、太鼓台)や地車の運行は中止」というところが多くある、というかほとんどのようです。
 神事が行われることを以て、「祭が中止になったのではなく、屋台、地車の運行が中止になっただけだ」という声がSNS上などで見られるようになりました。
 そこで、月刊「祭」300号記念号として、「祭」という言葉が意味するものを考えてみたいと思います。
 
●研究者による分類
神事と神賑(かみにぎわい)
 管理人が尊敬する篠笛奏者であり地車などの祭研究者でもある森田玲氏は、この名著で祭を「神事」と「神賑行事」の二局面に分けています。森田氏の講演によると、氏が見る限りでは「神賑」という漢字で「神賑(かみにぎわい)」と読んだのは、折口信夫という民俗学者が最初ではないかということでした。そして、森田氏は下のように神事と神賑を分類し、本来的には祭=神事と捉えて差し支えないとしています。  
  一方で一定以上人が参加する祭では神事だけでは理解が不十分だとしています。
 
  「神事」カミをまつる行為(カミ迎え、    
       カミ祀り、カミ送り)
祭〈
  「神賑(かみにぎわい)」神事に伴った
   (盛り込まれた)した集団的放楽行事
 
祭りと祭礼
 恥を忍んで言うと、管理人はこの区別をつい去年まで間逆の意味で理解していました😭
 編集・発行 香川県立ミュージアム『祭礼百態 -香川・瀬戸内の「風流」』令和元年で紹介されていた柳田国男の分類は下のようなものでした。
 柳田国男はカミ迎え、祭り、神人共食して、神を送る夜間を中心に行われた行事・「祭り」、昼間を中心に行われた「見物人」を喜ばせる趣向「風流」が出される「祭礼」に移行したとのことです。
 ざっくり言うと、森田氏の指摘した神事はここでは祭にあたり、神賑は祭礼にあたると言えるでしょう。
 
神事・祭と神賑・祭礼の区別
 多くの研究者は、「神事・祭」とそれに伴うお楽しみの部分「神賑・祭礼」を分けて考えています。もちろんそれは、研究者が好き勝手にこじつけたものではなくて、実際の祭やそれに携わる人の意識に触れて見出したものです。
 今回のコロナ禍においては、「神事・祭」のみ実施し、「神賑・祭礼」を中止したことで、その区別を実感した祭関係者の方も多いことでしょう。とはいえ、管理人自身も普段の生活では神事・祭と神賑・祭礼を区別して話したり、意思疎通したりしているわけではないと実感することも度々あります。
 
●神事と区別されずに語られる祭
 今回のコロナ禍において、屋台や地車が動かないことを以て、「今年の祭は中止や」とか、「今年は祭がでけへん」と言う人は多くいますし、管理人もその一人となる時もあります。学術的には間違えた言葉の使い方だろうし、仏教やら神道やらの考え方に照らし合わせても、必ずしも正しいとは言えない言葉の使い方かもしれません。
 しかし、子どもたちを含む多くの人にとっては、祭・神事と祭礼・神賑をひっくるめて祭と言っているのが実情とも言えます。例えば、普段の会話の中で、
Aさんが屋台を出さないことを指して、「今年まつり中止やから、」と言った時に
Bさんが「いや、違うで、神さんごとが行われるから、祭は中止ちゃうんやで」と指摘すると、話の腰をおったかたちになってしまいます。
Aさんは、「今年はひまやわー」とか「来年にむけてなんかすることないかなー」とかの本題に入ることができなくなってしまいます。
 スムーズなコミュニケーションをするためには、これらの分類を知っててもいちいち指摘しなかったり、分けて話さなかったりすることも多いなあると感じる今日この頃です。
 そこで、管理人が今までの経験から「祭」が意味する範囲を考えていきたいと思います。
 
●神社・仏閣を介さない祭
 管理人が三木以外の他地域の大学に通いだすと、神社・仏閣を介した祭になじみのない人と知り合うことになりました。自分が祭が好きだと話すと、屋台や地車の話ではなく、花火、夜店の話になることが多かったです。これは、いわゆる祭礼・神賑の範疇、あるいはさらに外側の域の話と言えるかもしれません。それどころか。から●●市民祭のような文化祭、◯◯タウンヨサコイ祭といったような神社仏閣を介さない祭を同列に話す人もいて違和感を覚えたこともありました。
 
 祭になじみのない人にとっての祭は、◯◯祭とつけば神仏なくとも即祭、露店即祭となる人が、多そうです。
 
●どこの神社・仏閣の祭が「祭」か
 高校の頃、古典の授業で、「祭とだけ書いてあれば、即、京都の葵祭を指す」と習いました。おそらく正確にいうと、平安期以降からの一定期間の都近辺の文献に限られるのでしょう。
 閑話休題、当時の管理人にとって「祭」とは間違いなく三木市大宮八幡宮秋季例大祭をさすものでした。これを強く感じたのが、京都祇園祭関係者の方が、祇園祭のことを「祭」といっていたことです。当たり前のことですが、それぞれ「祭」とだけ言われて思い浮かべるものは違うんやなということを感じました。
 祭の一文字で思い浮かべるのは、その人が最も深く関わっている祭だということに気づきました。
 
↑多くの観光客にとっては祇園祭、当事者にとっては祇園祭こそが「祭」
 
 
●一生の中での「祭」が意味するものの変化
屋台の近くにいることが祭
 管理人の子どもの頃のことを考えると祭・神事と祭礼・神賑の区別がついていない傾向はより顕著だったように思います。小学五年生の頃は昭和天皇が危篤だったことにより、屋台の運行はとりやめとなりました。そのことをもって、「今年は祭がでけへんかったー」とお互いに言い合ったものです。
 また、次の年はオミコッサン(御神輿)を担ぐ年齢だったので、屋台から離れてオミコッサンを担ぐ祭を過ごしました。当時の管理人にとって「祭」とは明石町の屋台について、ハタキを振りながらアヨイヤサーと叫ぶことでした。なので、オミコッサンをかついでそれがほとんどできなかった年は、「今年は祭がほとんどでけへんかった」と言った気がします。
 その真偽はさておき、当事の管理人にとっては屋台の近くにいること、屋台が出ることこそが即ち祭であったことに間違いはありません。また、周りの友達も似たような感覚だったと思います。
 つまり、祭の主役であるオミコッサンをかついでいるにもかかわらず、娯楽的要素が大きいとはいえないので、「祭がでけへんかった」という不満を当時の管理人や、おそらく周りの友達も持っていました。
 しかし、同時に「オミコッサンドイ、チョーサンドイ」のところを「オミコッサンドイ、オッサンナンドイ」と言ってふざけて怒られた思い出は祭の風景として残りました。
 
オミコッサンへの敬意
 管理人が青年団員の頃は、据えた屋台の中で太鼓を打っていると、神輿が通る時には強く太鼓を打って神さんを喜ばせろと先輩に言われてそうしたことがあります。
 また、おそらく青年団を引退して間も無くのことですが、オミコッサンの近くを屋台が通った時は屋台をオミコッサンの前で差し上げて神さんに見せるようになりました。この中で、オミコッサンが主役という感覚が、管理人や周りの仲間たちの共通認識として育ったように思います。
 
こんな祭もありやな
 そして、三年前の祭では、管理人は黒い背広を着てオミコッサンの前を歩く役になりました。となると、屋台から離れて過ごす祭となります。その時は青年団の同期、先輩、後輩、その父親たちと共に歩きました。夜の闇に控えめに光るオミコッサン、御旅所近くで迎えてくれた台車運行の高木屋台のゆっくりとした太鼓の風景は忘れられません。その時に一緒に歩いたみんなから出た言葉が「こんな祭もありやな」でした。
 小学生の時、オミコッサンを担ぐことによって屋台につきたくてもつけなかった残念な思いは、この時に100倍ほどの利子をつけて幸せな時間として帰ってきました。
 

↑オミコッサン(御神輿)を先導する高木屋台
 

↑高木屋台の後を行くオミコッサン(御神輿)
 
実は前日に祭が終わっている??
 祭に向けて、様々な準備や太鼓の練習を経て当日を迎えます。でも、何回もそれを繰り返していると楽しい日はあっという間に終わってしまうことも身に染みて経験していきます。そうなると、祭の前日にはこんな話をします。
 「もう今年の祭も終わりやな」
 


 
 
 
まとめ
それぞれの立場の人にとっての祭はおおよそこんな感じになりそうです。
①民俗学の分類での祭
神事
②祭に関心がない人の祭
◯◯祭とつくイベント、神事、屋台地車 (神賑)、露店のあるイベント
③屋台地車などが好きな子どもの祭
-屋台地車の近くにいること、運行に参加すること
④屋台地車などの関係者の祭(大人)
 ・自分が関わる祭の行事の全て
 ・祭の前日くらいまで、(始まってしまったら終わってる)
 
③④の共通点
 自らが熱い思いで参加する祭が「祭」。
 それ以外の祭りは「◯◯祭」、あるいは、「××の祭」
 


 


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