一橋MBAブログ 「くにたち」な日々

HMBA有志による非公式リレーブログ

エネルギーの源泉

2006-08-31 23:48:19 | Border Dwellerのつぶやき
3泊4日の韓国旅行。濃密な時間を過ごしました。
中でも印象に残ったのが、街や人々にあふれる力強いエネルギーです。

訪問企業でお世話になった皆さん、特別講義を行ってくださった先生や生徒の皆さんは、自らが韓国経済のけん引役である自覚と誇りを持ち自信に満ち溢れていました。自信に満ちているといっても決しておごり高ぶっているわけではありません。「韓国企業を過信しないように」と明言されるところに、客観的な分析と今後の脅威をかえって強く意識させられました。公式訪問先の企業や大学で交流することができた皆さんは、韓国の中のエリート層であり、こうした皆さんの印象で韓国を論じるのはちょっと乱暴だとは思います。しかし、わずかな自由時間の中で韓国の町を歩くなかで、街中や街行く人々にも、えもいわれぬエネルギーが満ち溢れている気がしました。

街中にあふれるハングルが、ここがまぎれもなく“韓国”であることを主張しており、日本と比較して人と人の距離感が近いのか、旅行者としてつかず離れずというよりは、自分自身が日本人であることをいやがうえにも確認させられるような雰囲気がありました。なんだか、単に町に中を歩いているだけなのに、な~んとなく街の雰囲気がちくちく刺激してくるような気分です。また、道端のわずかなスペースに商品を並べて商売したり、日本人と認めるや否や流暢な日本で韓国海苔の説明をはじめたり、何とか気を引こうとしたりする露天商には舌を巻きます。日本の観光地も似たり寄ったりなのかもしれませんが、ここまでの売り込みはないような気がします。(単に言葉や環境に慣れているのでそれほど気にならないだけかもしれませんが…。)

何より圧巻なのは、東大門市場の活気です。夜中にもかかわらず、道路に露店がせり出し、煌煌と輝く照明の下、不思議商品が所狭しと並べられています。店をひやかす人々の間を車やバイクが走り抜ける、その横には夜店で夜食をかきこむ人の姿が…。なんだかクラクラしてしまいました。

韓国に満ち溢れるエネルギーの源泉は何なのでしょうか。また、そのエネルギーはどこに向かっているのでしょうか。同時に、ちょとまえの日本にもあったはずのエネルギーはいったいどこに行ってしまったのでしょうか。なぜ、日本はこんなにも安穏としているのか。韓国と日本、とても近くてとても遠いような気がしました。
(Border Dweller)

韓国訪問

2006-08-30 16:44:12 | 戦略ってなに?(P&N)
こんにちは。P&Nです。

先週はブログの筆者の何人かが、韓国某社訪問ツアーに行っていたため、久しぶりの更新となりました。そこで今回はこのツアーで受けた印象についてです。

まず、韓国の人は語学力が高いように思います。英語であれ日本語であれ、日本人で他国語をあれだけ流暢に話せる人たちは少ないのではないかと思います。一部の音は苦手なようなのですが、「こんにちは、xxと申します。」と挨拶された段階だと、日本人が話す日本語と区別がつきません。ハングル語と日本語が文法的に近いので比較的学びやすい、らしいのですが、それにしても皆、流暢であることにいつも驚かされます。

次に、文字がハングル文字なので、私の場合、街を歩いていると、どうも感覚がおかしくなってきます。ハングル文字を読めないので何の店なのかまったく読み取れない、という以上に、見慣れないハングル文字が並んでいると、何か不思議の国に来たような妙な感覚になります。

というのは、中国であれば一応日本語の漢字の親戚(というか本家)が表示されています。また非英語圏でもアルファベットを使っていれば、目に飛び込んでくるのは一応見慣れたアルファベットなので、不思議の国、とまではいきません。ところがハングル文字の場合は、どうも、言葉に出来ないのですが、妙な感覚を受けます。個々の文字を言語として頭が認識できないようです。アラビア語圏に行ったらどんな感じをうけるのでしょうか。

最後に焼肉が美味しい!ブルコギも美味しい! なぜだろう?不思議です。カルビのあの弾力がいいですね。いい店の肉は韓国産らしいのですが、育て方、餌の与え方が和牛と違うのでしょうか? 

発見と再発見のくりかえし

2006-08-18 17:22:17 | Border Dwellerのつぶやき
今週は私がお題を設定する週だと思うのですが、最近の投稿状況を見るとあまり盛り上がりそうにないですね。すでに投稿が1日遅れですし。気の利いたお題で活性化を図りたいところですが、お題で問題解決できるくらいなら、苦労はありません。

なんだかよくわかりませんが、夏休みですし気分転換も必要だ(気分転換ばっかりじゃないか!というお叱りの言葉も聞こえますが…)ということで、先日でかけた“プライスコレクション 「若冲と江戸絵画」展”の雑感など。
コレクションの数々がいかにすばらしいか、どのような美術的な価値があるかなどに関しては専門家の皆さんが評論していらっしゃいますし、お時間がある方はぜひ自分の目で確認していただきたいのですが、この展示を見ていて思ったことは、身近なもののすばらしさってなかなか気づきにくいものなのだな、という気づきの大切さについて改めて考えさせられました。落款の中に「米斗翁」というものがあったことから、掛け軸一本を米1斗と交換して推測されるのですが、当時はそれなりの流行作家的なポジションは得ていたのでしょう。しかし、流行としての評価なのか、流行を超えた評価なのか、それを見極めるにはそれなりの時間が必要です。そして時間の流れの中には次々と新しい流行が生まれ、事件が起き、人の心はどんどん移ろっていく。何しろ“新しいもの”は刺激的ですから。でも、身近にあるものの中にも、見方さえ変えれば“新しい”ものがあるんですよね。確かに古いだけものもあるでしょうけど、そこから何を学ぶかとか、見つけるかというのは見る人の力にも依るのです。
その一方、コレクターのプライス氏は、「私は日本語が読めないので、作者が誰だとか、歴史的価値がどうとかいうことはわかりません。ただ、絵と向き合い、自然が自然として描かれているかを見ています。」と述べています。ここには目の前にあるそのものを“ただ見る”という当たり前の行為の貴重さを教えられる思いがします。

当たり前のことを当たり見たり受け止めたりしつつ、既成の概念や流行に流されずに自分なりの物差しを持つことは、一見矛盾するようですが、本質は同じなのかもしれません。自分なりのものの見方や考え方を身につけたいものです。
(Border Dweller)

補足を2点

2006-08-18 17:06:04 | 人事組織のハナシ(学級委員長)
(来週は学校の企画で韓国に行くのでお休みです。)

さて、お題討論ではなかったのですが、先週の話題が引っ張られているようなので、補足を。

まず、コメントをいただいたことに心より感謝します。それも当校新卒OBの方だったことは嬉しい限りです。ありがとうございました。

で、付け加えたい点は2つ。まず1点目は、「こういう議論を避けずにすることが大切ではないかと言うこと」です。私自身、新卒がダメで社会人なら良いとは全く思っていません。大切なのは「何のために進学するのか」をどこまで真剣に考えているかということ。ですから、様々な見方があるということを事前に知ってもらい、それを良く考えて選択してもらうことが必要なのではないか。そういうことです。

こういう問題は意見はあっても正解はありません。ですから、最後は自分で考えるしかないのです。その際に、異なる側面からの意見をちゃんと聞いて、自分の頭で判断して欲しいと思うわけです。ですから、新卒OBの方からコメントをいただけたことは何より感謝しなければいけません。

もう1点。それは、自分自身が何よりも「もったいない」と感じていることです。もちろん、自分自身の進学についてです。あと2年働いて、ほんの少しでもマネジメントの仕事に関わっておけばよかった。これが本音です。そういう意味ではかなり早まった感があります。まぁ、結婚とかのタイミングを考えるとやむをえない部分もあったのですが…。

タイミングも大切なんで一概にどうこうは言えません。そして、一度決断したからには現状でベストを尽くすしかありません。この「もったいなさ」はどれだけ努力しても埋められないとは思いますが、それでもやるしかないわけです(やりすぎ!?とか言われますが…)。そんな自分からすれば、新卒の段階で進学を選択する皆さんに一歩踏み止まって考えて欲しい気持ちがあります。本当にそれがベストなのかと。

よく考えた上で「GO!」なら、あとは突っ走るのみです。そして、最後は自分との戦い。自分に負けないように、「なぜMBAなのか」「なぜ今なのか」を良く考えてから決断をしてみてください。受験大変かと思いますが、成功を祈ります。

「新卒MBAに思う」 つづき

2006-08-16 23:56:52 | 戦略ってなに?(P&N)
こんにちは。P&Nです。

学級委員長のテーマ「新卒MBAに思う」についてです。HMBAの卒業生からのコメントも来ているようです。

まず直感的には、私も学級委員長の「もったいない」に同意します。理由は、実務の中での失敗経験などがあったほうが、授業で学ぶことの感度が高まると思うからです。

「グッ、このコメントは身にしみる」「アイタタタッ!いやなこと思い出した。」「あ~、あの時の問題はそういうことだったんだ。」 結構ありました。

また、理論や論理には、多くの場合例外やウラがあります。
「xxxです。しかしそうじゃないこともありますけどね。ま、それはさておいて、ともかく、xxxと言われているわけです。そこで・・・」といった何か思わせぶりなささいな一言や、先生のシニカルな笑顔がどういう事態を意味するのか推測できるかどうかも、経験の有無がモノを言うと思います。

というように、一回の授業の中からいくつの項目が自分の胸にひっかかるかは、こういった経験にもとづく感度に大きく影響されると思います。

しかし、人それぞれでもある、とも思います。
個人の感受性もさまざまだからです。

高校時代、60歳くらいの先生がある小説について語っていました。「ある小説が僕くらいの年寄りの感情や悲しさを良く表現している、と感心したら、その小説は作者の20代の作品だったので驚いた」のだそうです。

「ある時期、自分の限界だと思えたレベルがいつか超えられるときがくる。必要なのはその時を待つことだ。」(山際淳司「そして今夜もエースが笑う」角川文庫1988)

ある人があることを学びとるのには、それにふさわしい「時」があるのでしょう。その「時」は経験を積んだあとに訪れるのか、若くして訪れるのか、人それぞれです。また、今こそがその時だと思ったら、実は早すぎたり、もう遅すぎたり、結局のところはわからないのかもしれません。
ただ、新卒の人で、どうも自信がもてなくて迷っているのなら、長年積み重ねられた「経験を積んだ後の方が望ましい」という世間知に従うのが無難な手法でしょうね。多くの実例をみて、こう言われているのでしょうから。

仕方がないので、
「行きたいと思ったときが、最適な時だと思いこもう! 失敗したとわかったら、自分の責任。寝て忘れよう」
という玉虫色の結論で、失礼します。

新卒MBAに思う

2006-08-12 00:38:21 | 人事組織のハナシ(学級委員長)
(今週はお題なのかな!?。良く分からないので、自由記事にしておきましょう。)

MBAの受験シーズンが迫ってきています。確かHMBAは日程的には早い方ですよね。本命の方も、腕試しの方も、どうか頑張って欲しいと思います。

さて、そんな受験生に水を差すわけではありませんが、また現役生の間で物議を醸したいわけでもありませんが、MBA受験シーズン前にあえて1つ大きな問題に触れておきたいとと思います。

それは「新卒MBA」についてです。

HMBAは国内でも新卒MBAを受け入れる希少なMBAコースの1つです。ですから自ずと新卒の方でMBAを考えられている方たちは当コースに多く集まることになります。ついでに学費も安いので、負担の面でも検討対象としてはもってこいです。だから受験の倍率が厳しい面もあるのですが…。社会人の皆さん、怯まずに頑張ってください。

で、何が問題かといいますと。「もったいない」こと。何が「もったいない」かと言えば、新卒でMBAに来てしまうこと。意味が無いとは言いません(言いたい気持ちもあるが…)。でも限りなく「もったいない」。出来れば就職してくれと心から言いたい。でも、結構な数の人が進学してしまうんです…。「もったいない」。

もう一度言います。意味が無いとは言いません。経営の知識を体系的に詰め込んでから社会に出れば役に立つこともたくさんあるでしょう。でも、それだけの話です。自らの経験から学ぶ機会も少なければ、本当に仕事で問題意識が深まったとき、MBAに進学するというオプションも失ってしまうわけです。これは「もったいない」。

新卒MBAの皆さんは基本的に優秀です。だったら3年でも5年でも働けば、すごい経験と洞察が得られるわけです。それを糧にMBAにくれば、新卒時の100倍ぐらい学ぶ質が高まります。でも、その機会は既に使ってしまっているわけです。やっぱり「もったいない」。

でも、一番「もったいない」のは受身に終始してしまいがちなこと。出せるものが無いからと言って、単に聞くだけじゃ大したものは得られないわけです。授業の満足度が低いのも多くはこうした受身の方々ですし…。

よく考えてください。特に新卒でMBA受験を考えている皆さん。HMBA的に言えば「何が大切かを自分の頭で考える、考え抜く」。どれだけの「もったいなさ」を背負って受験しようとしているのか考え抜いて、悔いの残らない選択をしていただきたいと思います。


考えても考えても・・・

2006-08-11 00:06:43 | 戦略ってなに?(P&N)
こんにちは。P&Nです。  

たった今、あるレポートをメールで提出したところです。このようなレポートを書くときいつも疑問に思うのは、「深く考える」とはどういうことなのか、ということです。

レポートの準備として、まず課題の内容をまとめ、頭の中を整理します。そしてそこから、設問に対する答えは何か、ということを考えはじめます。しかしそこで「考える」ということはどういうことなのでしょうか。いまだによくわかりません。

入学後、レポートを書くようになってまず思った感想は、「短時間で結論を出そうと思えば、出せないこともない。」ということでした。社会人として時間に限りがある中で資料や報告書を作っていた身としては、「3時間限定」などと設定すれば、結構文字は埋まります。ただ、そうやって出てきた結論を読んでみると、どうも、「我ながら、深みもなく、面白みもなく、大したことなさそうだ」という印象を持ちました。

そこで、もう少し深く考えてみよう、ということで、ひたすら「内容のまとめ」を睨みつけることから始めてみました。しかし、まとめを睨んでいても、どうやったらアイディアが出てくるのか、どこまで深く考えるのか、どれだけいろいろ想像を広げて考えるのか、未だによくわかりません。

深く考えるといっても、「うーん」と唸ったまま、頭の中が真っ白になったまま、ということも多いです。しょうがないので、何とか時間ギリギリにいつも無理やりアイディアをひねり出すのですが、そのアイディアがどうやって頭の中から出てくるのか、どうやって出てきたアイディアがいいアイディアなのか、我ながらわかりません。

結果としての先生からの評価も、良かったり悪かったり、さまざまです。睨んだ時間に比例するわけでも、「これは行ける!」という自分の確信の強さに比例するわけでもありません。

何がいいのか悪いのか? 未だに分りません。まったく、困っています。

あ~夏休み♪

2006-08-09 01:40:39 | ウクライナ通信(sheva)
こんにちは、shevaです。
暑い日が続いていましたが、今日は雨も降って少し涼やかになりましたね。でも明日は台風が関東地方に接近するそうで・・・。お出かけのかたはご注意ください。私は家にひきこもることにします(笑)。

社会人なら台風だろうと雪だろうとどうにかして出社しなければなりませんが、われわれ学生はちょうど夏休み。天気が悪ければ家で高校野球でも見て(中止かな?)のんびりできます。学生の特権♪

というのは普通の学生の話かもしれません。MBAでも人によっては優雅な夏休みを送ることができますが、たいていは何かしらの活動をしています。課題のレポートだったり、グループワークだったり、インターンだったり。僕たちM2はワークショップの研究も進めなければなりません。

しかし、個人的に今年の夏休みは非常に忙しくなってしまいました。8月中旬提出のレポートが2つ、再来週からは韓国へサムスン見学ツアー、ワークショップの研究もすすめないといけないし。おまけに夏の特別講義として開講される「続・古典購読」も来週からはじまるし・・・。なんだか学期中よりも盛りだくさんになってしまいました(汗)。

まぁでも、外に出なくてもいいっていうのは感謝しなければいけませんね^^;。

お題討論「HMBA過去1年半で面白かった授業」のまとめです

2006-08-06 10:13:07 | 戦略ってなに?(P&N)
こんにちは。P&Nです。うっかり投稿が4日も遅れてしまいました。申し訳ないです。

遅まきながら、お題討論「HMBA過去1年半で面白かった授業」のまとめです。
shevaさんの分類を私なりに表題を変えて、面白かった授業の意義、何が面白く役に立ちそうと感じたのか、を、3つのタイプにまとめてみたいと思います。

1)今までもやもやしていた頭の中が整理される授業

まずは、いままでばらばらだった知識を整理することができる授業です。

私もまったく同感です。社会人時代にもそれなりには本を読んでいたつもりなのですが、なぜでしょうか、頭の中が圧倒的にキチンと整理されたような感じがします。そりゃ、仕事をせずにそれだけやっているのだから当然といえば当然ですが、短期集中で一気呵成に頭の中を再構成する強み、だったような気がします。

2)現場での判断力を強化する授業

これが学生がMBAに一番求めることではないでしょうか。頭の中の整理は基礎として、ある意味当然です。その上で「判断のための思考枠組」を体得し、将来実戦に生かす道筋をつける必要があります。

この種の授業の中では、スポーツなどで必須の、反復練習による訓練、もかなりMBAの授業の大きな要素なのではないかと思いました。「思考枠組」を身体(頭)になじませるための(机上ではありますが)訓練をかなりこなしました。

例えば「経営戦略」の授業ではレポートを書くを通じて、その枠組みを使うことを(いい意味で)強いられました。また「戦略分析」の授業では対象企業の次の一手を考える過程で、5forces分析などを何度も使いました。実際に何度も使って見ることで、だいぶ自然に理解でき、使えるようになったような気がします。

3)予想外の思わぬ収穫がある授業

これは、結構ウレシイです。買い物に行ったら買う予定でなかった品物が安く買えたときのような「おトク」感があります。投稿者の皆さんが指摘した古典講読、企業と産業の経済学、伊丹先生の各授業は私にとっても非常に面白く、新しい発見がありました。

もう一つ私が付け加えるとすると「ベンチャーファイナンス」ですね。実際は「ファイナンス」ではなく「技術戦略」なのですが、基礎と応用、科学と技術、の違いなど、「そんなこと考えたことない」ことまで考える世界があることを教わり、世の中奥が深い、と感じました。

この部分は、卒業後徐々に効いてくる様な気がします。というのは、意外な収穫である分、ある意味頭の中が混乱するからです。私の場合「ベンチャーファイナンス」や「経営哲学」、そして何より「古典講読」はまだ未消化です。言いたいことは何となくわかるのですが、どうもまだ、よく理解できていません。ですが、何か面白いものがここに埋まっている、という確信はあり、これから、それが何なのか、自分の中で時間をかけて形成されていくような気がしています。

このブログをどうするのか!?

2006-08-04 10:28:05 | 人事組織のハナシ(学級委員長)
おっと。お題がまとまらないままに金曜日になってしまいました。ということで、次に進めさせていただきます。

このブログは昨年の11月11日にオープンしてもうすぐ9ヶ月が経過しようとしています。その間の更新記事数が220ほど。単純に計算すれば平均して週5本以上は記事を更新してきたことになります。読者は1日あたり50人前後。ここ数ヶ月は増えもせず、減りもせず、落ち着いている状況です。

さて、こんなブログですが、実は現在、今後の存続で揺れています。忙しいのに書き続けることの負担はもちろん、「そもそも何のために書いているブログなのか」といった意義の問題まで、執筆者間で意見が交わされています。これはなかなかもって難しい問題です。

当初はHMBAからの情報発信の1つという位置づけで、何でもよいから学校とかMBAに関連しそうな記事を書いていこうというものでした。我らがMBAコースに関して言えば、あまりに学校側から発信される情報量が少ないという問題もありましたので、たとえこんなブログでも役には立つんじゃないか。そんな思惑もありました。個人的な文章の練習や学びの整理のような使い方もあるにはありますし。

でもやっぱり難しい。HMBAにも100名ぐらいの学生はいますから、そこから日々の出来事や様々な考え方が随時書き込まれるようなら理想です。でも、課題に追われる忙しい日々の中で、そこまで皆がコミットするわけが無い。だから放っておくと誰も更新しなくなる。そこで、曜日割り当て制で各曜日を個人で更新する方式にしたんですが…。これはこれでまた負担なんですよね。

今後どうなるのか。この後、誰も更新しなければ自然消滅も可能性としてはあります。コンセプトを再定義してメンバー新たに再出発もあるかもしれません。本当に続けるなら1年生も巻き込まねばなりませんし。

ブログ。気軽に書けるメリットと、気軽だからこそ誰も書かなくなるデメリット。執筆人数が増えれば負担は減りますが、責任も分散されるというジレンマ。そして、これだけの労力を投入して何が得られるのかというそもそもの疑問。

読者の皆さまももし何かご意見がありましたらコメントでもいただけると幸いです。よろしくお願いします。