一橋MBAブログ 「くにたち」な日々

HMBA有志による非公式リレーブログ

当事者意識

2006-11-24 17:20:26 | 人事組織のハナシ(学級委員長)
そういえば、先々週でこのブログも1周年を迎えていたんですね。細々とではありますが、1年間情報発信を続けたことはすごいことではないかと思います。一橋MBAは入学前に情報を得にくいのが難点だとは、恐らく多くの人が感じているのではないでしょうか。でも、実際に入学してどれほどの人が外に向かって情報発信しているかを考えると、それは極めて微妙な数だと思われます。入ってしまえば関係ない。それも確かにそうなんですけどね…。いい意味での情報発信は、質の高い学びの「場」を作っていくためには重要な気もしています。

「当事者意識」。ワークショップの仲間がこんなテーマに触れていました。企業のトップは従業員に当事者意識を持たせようとするけれども、そもそも当事者意識って何なんだろうか?。本当に当事者意識を持って働いている人なんているんだろうか?。経営側からすれば、当事者意識を持って主体的に働いてもらえればそれは嬉しいでしょうし、働く側としても当事者意識を持って主体的に仕事をする方が受身でやるよりは面白いはずです。でも現実は…。

皆が当事者意識なんて持っていたら、逆に組織が成り立たないという話もあります。じゃぁ、せめて一部のリーダーだけでも…。リーダーだから当事者意識を持つのか、当事者意識を持っているからリーダーになるのかは微妙ですが、自ら主体的に組織に関わるリーダーの存在は極めて重要だと思います。

さて、MBAがビジネスリーダー予備軍だとしましょう。だとすれば、MBAとして主体的に組織に関わるスタンスは、知識やスキル以上に重要な要素のように思えます。こればかりは学校で教えてはくれません。自分で学び、実践するのみ。その意味では、企業以外のどんな組織であっても、普段から当事者意識を持って参加するスタンスはあっても良いのではないかと思います。

冒頭の情報発信の話題に戻りましょう。もし我々がMBAという組織に主体的に関わるスタンスを持っているなら、情報発信というのも当事者意識の1つの表れではないかと思います。自分達の組織をより良くするために、自ら主体的に関わること。個人で勉強するのも良いですが、そんなことをもう少し考えてみても良いのではないかと感じています。

冷静なときと熱くなるとき

2006-11-22 23:04:00 | メンバー紹介
こんにちは。P&Nです。

会社の中では、冷静=合理的、に対し、感情を顕わにすることはあまりよくないことだとされていると思います。「あの人は感情的だ」といわれて嬉しい人はあまりいないでしょう。しかし人の集団の中では、時として熱くなることも必要かもしれません。

組織論の授業で、人の集団がどのように動くかの例として「12人の怒れる男」という映画を取り上げました。授業の狙いとは方向違いですが、この映画から次のような印象を持ちました。

話は、父親を殺したという容疑で裁判にかけられた少年が有罪か無罪か、陪審員が議論するという設定です。有罪なら少年は死刑です。
主人公を除く陪審員はみな法廷での検察側の立証を聞いて「これは有罪だよね」と思っており、早々に全員一致で「有罪」の結論を出そうとします。しかし主人公は唯一「人間ひとりの命を決めるのだから、少し話し合おう」と主張します。

話し合いが始まりますが、「どう考えても有罪」と思っている人は真面目に対応しません。時間の無駄で迷惑なことだ、という態度で話し合いにまともに加わろうとせず、机の上で○×ゲームを始めます。それまで冷静に話をしていた主人公はそれを見て、一瞬、色をなして○×ゲームの紙をわしづかみにして破り捨て、「真面目に議論しよう」と訴えます。それに対し○×ゲームをしていた陪審員は怒りだし、場の雰囲気は一瞬にして険悪なものとなります。

主人公の態度によって、12人の陪審員からなる「組織」の雰囲気は悪化したとも言えます。しかし、主人公が示した「大義に対する本気」をきっかけに、真面目に議論する陪審員が増えていきます。

同じような例は、三枝匡「V字回復の経営」(日本経済新聞社 2001)にも出てきます。組織改革案を作り、その説明会を行っている主人公は、斜に構えた態度で改革案を批判する管理職を一喝します。我々は会社を立て直すために懸命に考えているのに、その態度は何だ! というわけです。

別の例では、古いですが黒澤明の映画「七人の侍」でも次のようなシーンがあります。野武士から村を守るために農民が侍を雇うという話ですが、村を要塞化して防衛するためには、村から少し離れたところにある自分の家を放棄しなければならないと知った農民が、バカらしい、と離脱しようとします。それに対し侍のリーダーが、村の安全なくして、お前らは生き残れない。自分のことだけを考えるものは、全体をも危うくし、結局は自分も滅びる! と農民たちの目前で刀を抜いて大喝します。

「12人」の主人公も、三枝匡の主人公も、侍のリーダーも、普段は冷静でおだやかな人です。しかしそんな人がある一瞬、本気で怒ります。それをきっかけに、集団が「引き締まり」ます。

3つの例のいずれでも、主人公の主張が本当に正しいとは限りません。「12人」でも議論を始めてみたとしても、やっぱり最初考えられていたとおり「有罪」で決着するかもしれません。でもともかく真面目に議論を始めないと、納得できる結論は出てきません。同様に三枝の主人公の改革案も侍の防衛策も、その作戦が絶対に正しいとは言い切れません。もっといい改革案や防衛策もあるかもしれません。でもそう言い出したら、いつまでたっても作戦会議で、どんな手も実行に移せません。だからあるタイミングでは、「怒る」ことによってでも、批判を封じ、議論を終わらせ、組織を一つの方向にまとめあげなければいけないこともあるのかもしれません。

そのときに必要なのは合理的な納得性よりも、リーダーの「本気」ではないかと思います。自分は命がけで大義を信じているのだ、この案に命を懸けているのだ、とリーダーが本気で思っているからこそ、組織の人たちはそこに何かを感じ取り、リーダーが訴える方向に沿って活動を始めるのではないでしょうか。

企業は経済や競争の中で経済合理性で動きます。しかしその中で働く人間は情と理の生き物でもあるのだと思います。

睡眠不足というリスク

2006-11-18 00:52:27 | 人事組織のハナシ(学級委員長)
「睡眠不足は企業リスクである」。ハーバードビジネスの最新号(12月号)の記事になります。別のブログで別の記事を取り上げたので、こちらでは睡眠不足気味の私に直接関連するこの話題を取り上げたいと思います。

「睡眠時間が平均4時間という日が4、5日間続くと、認知能力は24時間起き続けているのと同じくらい低くなります」「これは、酒に酔っていると法的に判断されるのと同じレベルになります」、だそうです。だから自分は日常でもテンション高いんですかね…。なんて感心している場合じゃない!。

私の場合、前職の時は平日の睡眠時間が3時間平均になることも結構ありました。電車で寝られても計4時間が精一杯だったので、これはある意味で酩酊状態で仕事をしていたことになります。眠気はあってもそんな自覚はないですから、危険ですね。さらに前々職では、深夜勤務を含む平均睡眠時間4時間の時期が2ヶ月以上続いた時期がありましたから、今思うと、こちらもかなり深刻な状態でしたね。ちなみに、MBAでも1週間平均1時間半睡眠の時期もありましたから、結局ずーっとこんな状態が続いているとも言えます。さすがに最近は良く寝るようにしていますが、早死にしないようにだけはしたいと思います。

で、そんな冗談が冗談ではないというのが今回の記事です。猛烈社員が評価される傾向にある今日の成果主義の下では、多くの人が睡眠不足であろうことは想像に難くありません。そうでなくても人員削減の影響で山のような仕事を抱えていたりするわけですから…。でも、この研究によると、こうした無理の積み重ねによる生産性の低下はかなり重大な状況になっていると思われます。そして、睡眠不足や過労が原因で事故や事件が起これば、それは個人の問題に留まらず、企業にとっても大きなリスクだというわけです。

でも、そんなことを真剣に心配している企業なんてほとんど無いのも現実でして…。睡眠不足の測定器とか開発されませんかね。それで測定して8時間寝ていないとボーナス減るとか…。でも、そういうことになると測定器を誤魔化すための薬が開発されたりして、結局悪循環になり…。

こんな記事書いている暇があったら寝た方が良さそうですね。

知識を整理する指針

2006-11-16 23:50:13 | 戦略ってなに?(P&N)
こんにちは。P&Nです。 

先週読んだ『野中郁次郎・竹内弘高1996「知識創造企業」東洋経済新報社』の後半に「ハイパーテキスト型組織」という部分があります。この部分を読んでいて、なるほど、と思ったことがありました。

まず、本の中で言われていることは、私が理解したところでは、次の内容であるようです。普段働くときに社員はいろいろな経験をします。まず、①普段所属する部門で働くときに知識を実践、蓄積します。②また特別なプロジェクトなどに参加し、他の部門の人と接したりして新しい知識を獲得します。③そしてこの知識は、企業のビジョンや組織文化の文脈に沿って再分類、再構成されます。この①、②、③を行ったり来たりすることで組織はより効率的に知識を創造できる、ということのようです。

今回私が、なるほど、と思ったのは③の部分です。

普段自分の部署で普通に仕事するときは、自分が持っている経験や知識を使って働いています。そしてちょっと特殊な仕事を割り当てられて新しい経験をすることで、また一つ知恵がつきます。ここまでは別に新鮮さはありませんでした。

しかし、自分が得た知識を再分類・再構成するために何らかの指針が必要だということは、今まで明確に意識していませんでした。確かに、仕事で知識が増えたといっても、そのままでは頭の中で、ただの知識の羅列、知識のごった煮状態です。何かの方法でそれを自分の中で整理し、心の倉庫のどこかに位置づけておかないと、別の機会に、うまくその知識を思い出せず、利用できないかもしれません。

例えば、急にあるプロジェクトに狩り出され、そこで今まで知らなかったエクセルの使い方を教わったとします。その結果仕事が効率的に処理できました。その経験はそのままでは、あ~よかった、あの時は苦労しなくて済んだ、という思い出になるだけです。しかし、その経験を「仕事の効率化の例」として頭の中に一度整理しておけば、所属部署に戻ってエクセルで表を作るときに、「何とか効率的にできないか」→「効率化といえば、そういえば、あのとき教わったあの手を使えば楽になる」と思い出すことができます。もちろん、この程度は普段無意識にやってしまっているのですが、効率化という心の倉庫の中に入っているからこそ、思い出せるのだと思います。

心の倉庫に整理しておく意義は、もうひとつあると思います。それは心の倉庫の中にある別の知識と結びつけて、さらに一歩先を考えられるようになる、という点です。仕事を効率的にやりたいと思ったときに、心の倉庫を探してみたら、別の成功例が保管されてありました。「そうだ、効率化といえば、別のときには別の方法でも効率化できた。ではその両方を使えばもっと楽に処理できるのではないか」ということで、複数の効率化例を組み合わせることで、相乗効果が出てくるように思います。

こうなるためには、社員の心に「効率化」という棚が作ってあることが大前提です。そして、それは社員の心がけでもありますが、組織の雰囲気がそう促すかどうかも重要でしょう。思うにトヨタ自動車では、組織文化の働きかけによって、社員の皆さんが自分の心にいろいろなテーマの整理棚を作っているのではないでしょうか。コストダウン例、部品点数をどうやったら減らせるか、どうやれば短時間で作業できるか、不具合を減らすには、材料の無駄遣いをしないためには、・・・。そして普段の仕事から得た知識をどんどんその整理棚に蓄積していき、必要であれば自由に取り出し、組み合わせ、活用しているのではないかと思います。

一橋MBA同窓会

2006-11-10 14:36:26 | 人事組織のハナシ(学級委員長)
この間の3連休の最終日に、同窓会をやりました。何の同窓会かと言いますと、もちろん「MBAの同窓会」です。年に一度の総会。120名近い会員が集まって相互に交流を図りました。

我らがMBAの同窓会は設立3年目です。コース自体はMBAの前身も含めると11年目。まだまだほやほや感のある同窓会ですが、MBAとしての蓄積は溜まりつつあるので、それを何とか組織化して活かしていこうと必死なわけです。

さて、今回の同窓会で大変だったのは、自分達現役2年生が幹事だったこと。昨年はわけも分からず参加するだけでしたが、今年は企画運営を主体的に行わなければいけません。ワークショップの論文作成準備で忙しいこの時期に、結構重たい企画だったんですが、それでも何とか無事におわれてほっとしています。良き伝統は受け継ぎ、発展させていかなければいけませんしね。そのための苦労なら、多少はやむを得ないと思っています。

そんな苦労とは裏腹に、参加者が思った以上に増えなかったのが残念ではあります。3連休の最後という日程が悪かったのか、それともそもそも別の問題があるのか。この辺りは知る由もありません。ただ、卒業生が増えるにしたがって、微妙に参加者が増えてくれるとよいなとは思うんですけど…。

同窓会に何を期待するか。現状ですと、「懐かしい」「久しぶり」といったノスタルジーな感覚ぐらいしか期待できないのかもしれません。だから目玉講師の講演会企画を組んでいるんですけどね。有効なインセンティブにはなっていないということのなのかもしれません。難しいですね。

同窓会に何を期待するか。恐らくこの「問い」自体が間違っているのかもしれません。同窓会に何を「還元」するか。望むらくはこうでしょうね。何かを得る前に、何かを還元すべきではないか。それが金銭的貢献なのか、知的貢献なのかは人によりますけれど。MBAでの2年間を糧に、ビジネスで活躍して得た経験や資産を元に、同窓会に還元する姿勢こそが、同窓会の発展に繋がり、同窓会への期待を実現することになるんだと思います。

そんなわけで同窓会をよろしくお願いします。

知識とは?

2006-11-09 22:03:22 | 戦略ってなに?(P&N)
こんにちは。P&Nです。 

今、『野中郁次郎・竹内弘高1996「知識創造企業」東洋経済新報社』を読んでいます。基本的なメッセージは、「組織の中で働く中で、暗黙知が見つけ出され、共有され、そしてその知識が組織の人の身体に染み付いていくというサイクルが知識創造である。このサイクルを生むにはどうすればいいのか。」という話です。

面白いです。といっても実は、今はまだ第二章を読んでいる段階で、第三章から始まる知識創造の本論には入っていません。ではどの点が面白いかと言うと、第二章に書かれている「さまざまな経営学の理論は、知識をどう扱っていたか」という点です。

生産ラインでの最適な動作を追及したテイラーについては、「労働者の経験や判断を新しい知識の源泉として見ることに失敗した」と評価します。要は、何も考えず決められた動作で組み立てろ、ということでしょう。そしてホーソンは労働者の士気や集団への帰属意識が生産性を高めることを示しましたが、知識については明示的に取り上げませんでした。サイモンは、人間の認知限界を克服されるための情報処理システムとして組織を理解しましたが、暗黙知的な知識はノイズでしかない、と理解しました。そしてボストン・コンサルティング・グループによる「ポートフォリオマネジメント」やM.ポーターの「5つの力モデル」では、「そもそも知識やビジョンの創造の可能性は最初からその理論に入り込む余地はない」そうです。

経営学者以外にも、ハイエク、シュンペーターなどの経済学者が登場し、さらにはプラトン、アリストテレス、デカルト、カント、西田幾太郎、も登場させ、彼らが「知識」をどのように捉えていたかを論じます。この辺になると、難しくて理解できませんが。

経営における知識をどう理解し、どこに位置づけ、描写するか、学者の考え方によって切り口がさまざまだということですね。ちょうど、人間を描写するときに、どの角度から見るか、という感じかもしれません。人間を後ろ姿で論じると鼻は見えません。横顔で論じると鼻の側面しか見えません。レントゲン写真を取れば、鼻は軟骨なのでうっすらとしかレントゲン写真に写らないでしょう。では顔の真正面から写真をとると、鼻の高さが分りません。私の理解では、この程度です。

いろいろな意見、議論を多角的に見て理解を深めるということなのでしょう。

リストラの向こうに

2006-11-03 23:38:08 | 人事組織のハナシ(学級委員長)
「雇用調整」「首切り」の代名詞になって幾久しい「リストラ」。本来の「リストラクチャリング」、すなわち「事業構造の再構築」という意味はかなり薄れてしまったのではないでしょうか。でも、実際は大胆かつ迅速にリストラを敢行して、企業を立て直す必要も時にはあります。そんな時、本来の意味を離れて、単なる「人件費削減」としての「リストラ」を行うとどうなるか。

『企業戦略白書Ⅲ』(伊丹敬之・一橋MBA戦略ワークショップ/東洋経済新報社)の中で触れられている内容の1つが冒頭のお話です。「良いリストラ、悪いリストラ」。最近、この白書に関連して過去のシリーズを読み返していまして、面白かったんでここで取り上げてみます。詳しい内容は本書をお読み下さい。

本文中の事例では「良いリストラ」として松下電器が、「悪いリストラ」として日立と東芝が取り上げられています。どちらの事例でも、いわゆる「人員削減」は行われています。ですが、その後急速にV字回復を遂げた松下と、その後も低迷を続ける日立や東芝との間には、やっぱり何か明確な差があったのではないか。そんな視点で分析がなされています。

さて、何が明暗を分けたのでしょうか。複雑に絡まった要因を極々簡単に表現すれば多分こういうことでしょう。「リストラの向こうに何が見えたか(何を見せたか)」。業績が悪化してリストラとなると、企業内では様々な変化が起こります。戦略も変わる、組織体制も変わる、人事制度も変わる。人員が減って、賃金も下がる。こうした内向きのネガティブなパワーをどこかで外向きのポジティブなパワーに変えないと、リストラに伴う負のスパイラルに巻き込まれて抜け出せなくなります。そこで、「リストラの向こう側」が大切になってくるわけです。

といっても、いつまでたっても向こう側にいけないと、やっぱり負のスパイラルが襲ってきます。ですから、極めて慎重かつ大胆なリストラが必要なんですが…。事例の内容はやっぱり本を読んでみてください。我々も先輩方の偉業に貢献しないといけませんしね。歯切れが悪いですが、今日はこの辺で。

わかりやすいストーリー

2006-11-01 21:41:53 | 戦略ってなに?(P&N)
こんにちは。P&Nです。

先週に続き、プロ野球の日本シリーズの話題にします。

残念ながらドラゴンズに奇跡はおこらず、日本ハムが押し切って日本一となりました。個々のプレーも勝因敗因なのでしょうが、中日には「ストーリー」という逆風が吹いてしまったような気がします。

まずは「新庄の引退の花道を飾らせてやりたい」というストーリーです。さらに、ビジネスや経済の関心が強い人には「景気が悪い北海道を何となく応援したい」という気持ちもあったのではないでしょうか。

「北海道に来て3年目、球場を満員にして、優勝をして、自分の野球人生の花道を飾る」というベタベタのストーリーは少しできすぎだよね、というちょっと皮肉な心の声と、達成しちゃったらそれはやっぱり感動モノだよね、という心の声とが私の心の中に両方あったように思います。さすがに古巣タイガースを破って思い出の甲子園で日本一、とまではいきませんでしたが。

今日授業で、ある企業の社長さんの講演がありました。創業約30年の企業で、ものづくりの特殊技術に絞り込んでいるために会社規模は大きくないですが、その技術を持つ会社は日本で唯一、そして世界では4社だけという企業です。

社長さんが言うには「自分が信じる主張を10年間訴え続ければ、それが他人からはどんな風変わりな主張に見えても、”騙されて”支援者になってくれる人が出てくる」ということでした。 ”騙されて”という大変謙虚な言い方をされたのですが、そのエネルギッシュな話し振りを見て、こういう人に何度も同じ話をされたら、確かにそのうち、「わかったわかった」と言ってしまうだろうと納得しました。

新庄が日本ハムに入団したときの会見をうっすらと覚えています。確かに球場を満員にする、優勝したい、といったようなことを言っていました。「相変わらず言ってる言ってる。元気そうで何より。」と思っていましたが、まさか本当に実現してしまうとは・・・。恐れ入りました。

あるストーリーが単純で分りやすくて語り手が本気で信じていると、人を巻き込み流れができて本当に実現してしまう、という例なのでしょうね。