一橋MBAブログ 「くにたち」な日々

HMBA有志による非公式リレーブログ

言い方に気をつけましょう。

2006-05-31 12:52:10 | 戦略ってなに?(P&N)
こんにちは。P&Nです。

お題討論:「人間関係の中で、自分についてのことや、相手に対して思ったことをどのくらい口に出して表現していますか」についてです。

私の経験を一つ。

いろいろな問題を抱えている部署に入って、その状況を改善すべし、という仕事を割り当てられたことがあります。その部署に入ってみたところ、これはおかしいのでは?という問題がいろいろと目に付きました。これを私を派遣した上司に報告する必要があったのですが、どのように表現するか、ハタと困りました。

どの程度率直に伝えるのか。

私の報告は、回りまわって、その部署の人たちの耳に入る可能性もありました。多少キツ目にけなした方が、自分が「タフ」な人材であるという印象を与えることもできますが、その部署の人たちが抱えている、その部署なりの難しさも、見えてきていました。率直に表現し過ぎて、その部署の人たちの気持ちを損ねても、これから始まる改善作業にはプラスにならないと思いました。

その時、同じ問題解決のために、私と同じようにその部署に派遣されていた、ある先輩がいました。その人は、自分の上司はもちろん、問題のあるその部署のボスにも直接、そこまで言っていいのか、というところまで踏み込んで意見を言っていました。

そこで機会をみはからって、何を考えてそこまで率直に発言するのか、聞いてみました。すると、彼は、本などで勉強したらしいのですが『正直がベストだ』という考えを持っていました。何とかという英語の言葉を教わったのですが忘れてしまいました。ですが、ポイントは、あまり策を弄したりすることは逆効果だ、という内容でした。

「そうなのか」と思ってマネをしようかと思いました。ところがまさにその矢先、その人はその問題の担当を外れました。上司に聞いたところ、「あまりにはっきりモノを言いすぎるので、クレームがついた」ということでした。

正直は良いが、言い方に気をつけよう、というところでしょうか。(P&N)

思ったことは言いましょう!でもその前に・・・

2006-05-30 22:05:12 | ウクライナ通信(sheva)
こんにちは!shevaです。うーん、今回のお題はなんだか人間の本質というか、哲学にもかかわりそうな問いですね。うみていさんは何か悩みでもあるのかな?人によりいろいろ考え方はあると思いますが、誤解をおそれずに書きたいと思います。

・・・っと、答えようとすると意外と難しいですね(汗)。自分がふだん、どれだけ思ったことを口にしているか考えてみると、うーん、どうなんでしょう。状況によって、相手との関係によって、またそのときの僕の気分で変わっているような気はしますが、たぶん自分はこうしているんだろうな、と思うところを書きます。

結論からいうと、自分は、「言うべきか言わないべきか」の前に、「失礼のないようにしよう」としています。そのうえで、「思ったことはなるべく言うように」している、と思います(3の答え)。

基本的には、大人として、また社会人として生きていくためには、思ったことは言うべき、と思います。相手からすると、「ナニを考えているのかわからない」ような人のことは一生理解できないし、信頼しようとは思えません。社会で生きていくうえで、「自分はどう考えるか、どう思うか」を表現することは、人間関係を構築していく上では不可欠だと思います。

もちろん、考え方の合わない人もいるでしょう。しかし、だからといって意見を述べずにいれば、考え方の合う人たちとの関係もできません。また、最初は意見が合わなくても、話をしていくことでお互いに理解しあえるようになるかもしれません。どうしても考え方の合わない人はそれでもいるでしょうが、そういう人たちとはそれなりの距離をおいて接していくべきだと思います。

しかし、だからといって何でも口にするのは大人として賢いとはいえない。それを判断する基準のひとつは、「失礼かどうか」だと思います。人間関係を構築する際に、礼儀は最重要項目といっていい。失礼な言い方はすべきでないし、どんなに工夫しても言うこと自体が失礼にあたると判断されれば、それはやめたほうがよいと思います。礼儀のない人間は、どんなにすばらしい考えを持っていても、社会には適応できない。適応できなければ、他社に影響を与えることもできないし、大きな仕事もできないと思います。

だから、僕の場合は、先輩や上司に対しては気を遣って言わなかったことも多くあります。いま考えてみると、不満をあまり言わなかったことによって、職場での人間関係も「それなりに」うまくいって、同じ職場で働き続けられたから、それなりに経験を積めた。そういう意味ではよかったと思います(1の答え)。

はっきり言ったほうがよかった、という経験は思い出せないなあ。「あのときああしてれば」っていう反省というか、後ろ向きな考え方はあまりしないので(2の答え)。

まあでも、自分も失礼なことは数限りなくやってるとは思いますが・・・そうやって勉強して大人になっていくんだと思います。

今週のお題について

2006-05-29 21:11:58 | わたしには世界がどう見えているか
うみていです。投稿が遅れて申し訳ございません。今週のお題は、

「人間関係の中で、自分についてのことや、相手に対して思ったことをどのくらい口に出して表現していますか」についてです。

もう少し噛み砕いて表現してみましょう。質問は3つに分かれます。

1.自分についてのことや、相手に対して思ったことをそのまま言うと、相手に悪いだろうな、と思って口にしなかったことで、自分の中ではすごくうまくいったと思うこと。(エピソードも言える範囲で)

2.逆に、はっきり言った方が良かった、と思ったこと。(エピソードも言える範囲で)


3.これまでの経験の中で、強いて言うなら遠慮したほうがいいか、はっきりいったほうが言いか、どちらの方がいいと思っているか。

この3つです。答えにくいかもしれませんが、やってみてください。どういう総括になるか、お楽しみに。


ダイバーシティ

2006-05-26 20:31:14 | 人事組織のハナシ(学級委員長)
このところワークショップ(WS)で「多様な人材の活用」なんてところを取り上げているので、そこから今日は書いてみようと思います。

「ダイバーシティマネジメント」。人事の世界ではこういう風に言われることもあります。ダイバーシティ。すなわち、「多様性」です。高齢者や女性、外国人、障害者などなど。多様性といっても様々です。性別、年齢、国籍、人種…。こういった表面的に分かる多様性は表層的ダイバーシティと呼ばれます。、一方で、信条、価値観、知識、個性、経験など、表面では分からない多様性を深層的ダイバーシティと言います。まぁ、「多様性」にも色々あるということです。

さて、例えば「女性の活用」というのをここで考えて見ましょう。これもある意味でダイバーシティの1つです。ただ、本当の意味でのダイバーシティではない。その理由は、ダイバーシティの発展の歴史を振り返ると分かります。

初期のダイバーシティは「同化」のプロセスと言われます。簡単に言えば、「数合わせ」「機会均等」です。女性を男性と同じ数採用しようとか。男女の管理職試験の受験資格を合わせようとか。で、もう一段レベルが上がると、「分離」のプロセスに移行します。いわゆる「女性の活用」のイメージです。女性のみの専門チームを作ってプロジェクトをやるとか。女性が働きやすい施策を打つとか。

でも、本当の意味でのダイバーシティはもう一段レベルが上がります。それは、「統合」のプロセスとされます。つまり、男女関係なく「誰もが」活躍できる状態と言えるでしょう。このレベルでは、男女の違いは関係なくなります。働く個人は全員異なる。すなわち、全ての個人が多様なんだという認識を持つことになるわけです。

「ダイバーシティ」。理想はあっても、なかなか現実は変わらないですね。でも、いずれ人口が減ってくると、そうも言っていられない時代が来るわけです。先に取り組んだ企業ほど、いい人材が取れる。早い者勝ち。ですから、今のうちから研究しておくべきではないかと思います。

詳しいことは『Works75号』に特集があるのでお読み下さい。今回の記事も、その中の谷口先生の理論の紹介になります。

GOLDEN min.

2006-05-25 23:28:50 | Border Dwellerのつぶやき
今日、地下鉄の駅で『GOLDEN min.』なるフリーペーパーをゲットしました。50歳代をターゲットとした月刊誌です。

以前若頭さんが『metro min.』を紹介していましたが、その大人版(?) といった感じでしょうか。表紙も裏表紙も矢沢永吉で、50歳代の世代の象徴としてかなりインパクトがありました。

ところで、最近、フリーペーパー、それも、それなりに読み応えのあるものが登場しています。飲食店の割引券でできたフリーペーパーが登場したときには、購買刺激策として苦心がうかがえるなぁと思ったものです。いまだにそういった類のものもたくさんありますが、『metro min.』、『R25』、そして『GOLDEN min.』などは立派な情報誌然としています。どうしてフリーで成り立っているの?広告収入だけで成り立つの?とずいぶん疑問に思ったものです。
こうなるとお金を払って買う雑誌とフリーマガジンと、どこに差があると考えたらよいのでしょうか。そもそも雑誌の多くの収益はほとんどが広告収入で、女性誌の中には1冊も売れなくても黒字という雑誌もあると聞いたことがあります。つまり、有料のものでも、無料のものでも、雑誌としての収益構造は一緒ですから、ちょっと乱暴に考えると、有料だから、無料だからということで、内容に差が出るわけではないということにもなります。お金を払っても得たい情報なのか、Webやフリーペーパーから入手すればいい情報なのか、情報を選択する私たち自身に選択権があり、その選択眼が試されているともいえます。

ちなみに、『GOLDEN min.』の今号のテーマは「妻とのコミュニケーション」。50歳代の男性にとって最も重要なテーマが「妻との関係」なのだそうで、夫婦関係を充実させるための趣味、旅行、食事の提案などさまざまな提案(タイアップ広告)が満載です。夫婦で行動し購買活動を刺激しようという思惑たっぷりの記事と広告。フリーペーパーの記事がどのくらいの影響力があるかわかりませんが、誌面に登場しているご夫婦は一般的な生活者とは程遠く、ちょっと恣意的だなと思わざるを得ません。このあたりに有料と無料の分水嶺があるのかもしれません。そうはいうものの、ちょっと笑えるアンケートが掲載されていますので、時間の許す範囲でチェックしてみるのも一興です。
(Border Dweller)

ワークショップ

2006-05-24 13:45:36 | 戦略ってなに?(P&N)
こんにちは。P&Nです。
zenkeiさんがワークショップの話題を出したので、それに続きます。

実は私もzenkeiさんと同じワークショップです。私のテーマは「某社の海外事業がなぜ伸び悩んでいるのか」というテーマです。これまでに3回発表しました。

しかし、しかし、一歩も前進していません。

というのは、その内容について調べられない、ことではなく、テーマをどの切り口から掘り下げるのか、ことがどうもよくわからないからです。事実関係を調べて「こういう事実がわかりました」というだけではレポートに価しないので、某社の海外事業が伸び悩む背景として「このような筋書きが考えられると思います」といったことを見つけ出す必要があります、というか、あるようです。

が、どうも、実際やってみると、どうも難しい。どうやっても、「こういうことがわかりました」という事実発表だけになってしまいます。自分が何を困っているかを、ここで文章で説明しようと思うのですが、何をやっていいのかわからないので、説明のしようもありません。お恥ずかしい。

このような、テーマを掘り下げるやり方について、先生が話し始めれば、おそらく1分で終わってしまうのだと思います。ですが、それを学ぶのも重要な勉強なので、まずは自分の頭で悩んでみる、という段階なのでしょう。

とはいっても、あまりに迷走しているのを見かねたためか、先生から以下のようなヒントをご指導いただきました。

1.日本市場と海外市場との関係の視点
日本市場で某企業が売っている製品
→某社の製品に共通して見られる特徴(品質・価格・機能など)
→その特徴は海外で受け入れられるのか、

2.日本市場で競争することで得られる組織能力の視点
日本市場の特徴や顧客のニーズの傾向+日本市場での競争の特徴
→企業が蓄積する能力
→その能力から生まれる商品と海外市場との相性

3.海外で伸び悩んでいる某社と、海外で成功した某社との比較

次の発表までに、このヒントをカギに、何か見つけ出したいと思っていますが・・・。
困っています。

恐るべき連鎖反応

2006-05-23 23:03:26 | ウクライナ通信(sheva)
こんにちは!shevaです。久しぶりに晴れたと思ったら今日からまた天気が悪くなってしまいました。。。なんだかもう梅雨みたいですね・・・気分だけでも五月晴れでいきたいものです☆

最近、子供がらみの悲惨な事件が多いですね。今日も、仙台でマンションから小4の女児が転落して死亡してしまった、というニュースがありました。現時点ではまだ、事故なのか、事件なのか、(自殺というのはちょっと考えにくいですが)はっきりしませんが、小さいお子様をお持ちの方は気が気でない今日この頃だと思います。

しかし、最近はとくにこれがあちこちで連続しているような気がしませんか?

昨年度、私は心理学の授業を聴講していた関係で、ロバート・チャルディーニという心理学者の「影響力の武器」という本を読みました。その中でびっくりしたのは、「自殺が一面記事で広く報道されると、その直後に自殺率が劇的に増加する」という事実です。この研究をしたフィリップスという学者は、かつてゲーテが「若きウェルテルの悩み」を執筆した後に、ヨーロッパでウェルテルをまねた自殺が相次いだことから、「ウェルテル効果」と呼びました。

「ウェルテル効果」は、自分と似たような人がどのように行動したのかに基づいて、自分のとるべき行動を決定してしまう効果です。これは、日常的にもよくあることです。赤信号だけど、車がこないので周りの人はさっさと横断歩道を渡ってしまう・・・こんなとき、ひとり頑として信号が青になるのを待つのは意外と難しいですよね?

これは、子供を狙った犯罪がここまで連続することへの一つの答になると思います。つまり、一度子供を狙った犯罪が報道されると、似たような人々(理由はいろいろあれ、怒りや欲求を力のない子供に向けたくなってしまう人々)がそれに反応して、あちこちで事件を起こしてしまうのです。

そこで提案なのですが、この類の報道、一時的に報道側で自粛するようにしたらどうか?と思います。もちろん、犯罪報道というものは、世の中の一般の人々に対して犯罪への注意を喚起する、あるいは犯罪者に対する社会的制裁という意味で必要だとは思います。しかし、ここまで連続すると、注意喚起によるメリットよりも、ウェルテル効果による害のほうが大きくなってしまうのではないでしょうか?したがって、子供を狙った犯罪がある程度沈静化するまでは、一定期間報道を自粛するようにして、沈静化したところでまた自粛を解除するようにしてみてはどうか、と思います。

ワークショップのある日は落ち着かないのね

2006-05-22 12:10:51 | zenkeiは見た
普段は授業の直前に学校に着くのに、ワークショップの日は4時間前から学校に来ているzenkeiです。

ワークショップ(ゼミ)についての話題は4月にちょっとあっただけであんまり触れられていないので(触れたくないのか?)、今日はちょっとその話題を。

私が属するのは「くにたち」MBAの中では最大人数を擁するものの男ばっかりのワークショップです。人数が多くて90分の中ではとても全員分のテーマについて議論を深められないので、半分ずつに分けて2週に一回、自分のテーマについての研究進捗状況を発表して叩きあいます。

このワークショップでは研究的な論文を書くのが目的ではなく「自分の頭で深く考え、最終的に頭が良くなる」ことが目的なので、きちんと事実を押さえることは行ったうえで2週間の間にどれだけ悩んで自分なりに考えたかを披露することになります。

しかし、いくら悩んでも一人で悩んでいては当然漏れはあるし、思考回路が正しいとは限らないし、本当に事実を見つめられているか、進め方は正しいのかも分かりません。そんな不安をいつも抱えながらワークショップに臨むことになります。案の定その不安が見事に先生には見抜かれ、間違ったことは強力に正され、思いっきりバッサリ斬られてしまいます。斬られては悩み、斬られては悩みの繰り返しでテーマを前にしてウロウロする日々が続きます。そんな不安定な日々ではそりゃ当日は落ち着く訳がありません。

でも、だんだん斬られる日々に慣れてきて、他のワークショップの人から私たちは「ドM集団」と呼ばれ恐れられています(笑)。

1年生の皆さん、受験を検討されている皆さん、ゼミの選択の条件に「ドキドキが味わえる」ことを加えてみてはいかがでしょうか。(zenkei)

マネジメントとリーダーシップって違くないすか?ということについての臆見

2006-05-22 07:06:45 | わたしには世界がどう見えているか
うみていです。

先週、MBAに足りないものってなに、っている議論がなされていて、結局「熱き心を忘れていないか」っていう結論が出たことを受けての話なのですが。熱き心を持って、人々を導いていく、もう少し言えば、権限を与えられなくても、周りの人々を巻き込んでいくことって、どちらかといえばリーダーシップの範疇なのですよね。

かつてリーダーシップ論の大御所であるジョン・P・コッターは、「リーダーは教室では育てられない」などということを言い、また今の時代、真に求められているのは、リーダー人材だとして、マネジャー人材を教育するプログラムであるMBAに対して否定的であったといいますが、われわれのMBAも、たぶんにもれず、そういうことになってしまっているということなんでしょうかね。

でも僕は、リーダーシップは確かに、教室では育てられないかもしれないけれども、リーダーシップが何たるか、もしくはリーダーとフォロワーの関係や力学を学ぶことはできるのかもしれないと考えています。座学でもいいから、そういう関係性を理解して、職場にそれを見出してみる。職場での力学の働き方を理解できれば、ある程度それが操作可能になるのではないか、ということを思うのです。

操作可能ということは、マネジメントの対象になりうる、ということですよ。われわれがマネジメントとしての教育しか受けられていない、ということなのであれば、リーダーシップすらマネジメントしてしまえばいいのです。だって経営とは、自分は何もせずに、他人にいろいろやってもらう事だから。

自分がイニシアチブをとりたい、リーダーシップをとりたいと思う状況でも実は、マネジメントを利かすことが必要なのではないでしょうか。ビジョンだけ、気合だけのリーダーは、錦の御旗が色あせれば、歴史に名を残さないよう思えます。どうしても、手練手管、手配りを行って人々をまとめる必要がある。それはマネジメント以外ありえないのです。

リーダーシップの最も単純な理論であるとともに、意外にもロバストな理論にリーダーシップのHI-HIアプローチがあります。たとえば、PM理論の、パフォーマンスとメンテナンスをみてみると、結局、業績を上げろということも、よくやったと褒めることも、他人に対する働きかけであって、実はマネジメントじゃないかと思うのです。純粋にリーダーの仕事って何ですかね。たぶん何か絵を描くことくらい。それが難しいといえばそこまでですが、意外とマネジメントという助走の上に、リーダーシップという飛躍があるのでは、と思うわけです。(フォロワーという応援団も重要。)リーダーに必要な自信とは、アイデンティティとは、実はマネジメント経験にもとづくものでは、と思うのです。

リーダーとマネジメントは違うといいながらも、その接点を求めて考えてみることに、似て異なるこの2つのものの統合をはかる解決策があるように思われます。