こんにちは。P&Nです。
学級委員長のテーマ「新卒MBAに思う」についてです。HMBAの卒業生からのコメントも来ているようです。
まず直感的には、私も学級委員長の「もったいない」に同意します。理由は、実務の中での失敗経験などがあったほうが、授業で学ぶことの感度が高まると思うからです。
「グッ、このコメントは身にしみる」「アイタタタッ!いやなこと思い出した。」「あ~、あの時の問題はそういうことだったんだ。」 結構ありました。
また、理論や論理には、多くの場合例外やウラがあります。
「xxxです。しかしそうじゃないこともありますけどね。ま、それはさておいて、ともかく、xxxと言われているわけです。そこで・・・」といった何か思わせぶりなささいな一言や、先生のシニカルな笑顔がどういう事態を意味するのか推測できるかどうかも、経験の有無がモノを言うと思います。
というように、一回の授業の中からいくつの項目が自分の胸にひっかかるかは、こういった経験にもとづく感度に大きく影響されると思います。
しかし、人それぞれでもある、とも思います。
個人の感受性もさまざまだからです。
高校時代、60歳くらいの先生がある小説について語っていました。「ある小説が僕くらいの年寄りの感情や悲しさを良く表現している、と感心したら、その小説は作者の20代の作品だったので驚いた」のだそうです。
「ある時期、自分の限界だと思えたレベルがいつか超えられるときがくる。必要なのはその時を待つことだ。」(山際淳司「そして今夜もエースが笑う」角川文庫1988)
ある人があることを学びとるのには、それにふさわしい「時」があるのでしょう。その「時」は経験を積んだあとに訪れるのか、若くして訪れるのか、人それぞれです。また、今こそがその時だと思ったら、実は早すぎたり、もう遅すぎたり、結局のところはわからないのかもしれません。
ただ、新卒の人で、どうも自信がもてなくて迷っているのなら、長年積み重ねられた「経験を積んだ後の方が望ましい」という世間知に従うのが無難な手法でしょうね。多くの実例をみて、こう言われているのでしょうから。
仕方がないので、
「行きたいと思ったときが、最適な時だと思いこもう! 失敗したとわかったら、自分の責任。寝て忘れよう」
という玉虫色の結論で、失礼します。
学級委員長のテーマ「新卒MBAに思う」についてです。HMBAの卒業生からのコメントも来ているようです。
まず直感的には、私も学級委員長の「もったいない」に同意します。理由は、実務の中での失敗経験などがあったほうが、授業で学ぶことの感度が高まると思うからです。
「グッ、このコメントは身にしみる」「アイタタタッ!いやなこと思い出した。」「あ~、あの時の問題はそういうことだったんだ。」 結構ありました。
また、理論や論理には、多くの場合例外やウラがあります。
「xxxです。しかしそうじゃないこともありますけどね。ま、それはさておいて、ともかく、xxxと言われているわけです。そこで・・・」といった何か思わせぶりなささいな一言や、先生のシニカルな笑顔がどういう事態を意味するのか推測できるかどうかも、経験の有無がモノを言うと思います。
というように、一回の授業の中からいくつの項目が自分の胸にひっかかるかは、こういった経験にもとづく感度に大きく影響されると思います。
しかし、人それぞれでもある、とも思います。
個人の感受性もさまざまだからです。
高校時代、60歳くらいの先生がある小説について語っていました。「ある小説が僕くらいの年寄りの感情や悲しさを良く表現している、と感心したら、その小説は作者の20代の作品だったので驚いた」のだそうです。
「ある時期、自分の限界だと思えたレベルがいつか超えられるときがくる。必要なのはその時を待つことだ。」(山際淳司「そして今夜もエースが笑う」角川文庫1988)
ある人があることを学びとるのには、それにふさわしい「時」があるのでしょう。その「時」は経験を積んだあとに訪れるのか、若くして訪れるのか、人それぞれです。また、今こそがその時だと思ったら、実は早すぎたり、もう遅すぎたり、結局のところはわからないのかもしれません。
ただ、新卒の人で、どうも自信がもてなくて迷っているのなら、長年積み重ねられた「経験を積んだ後の方が望ましい」という世間知に従うのが無難な手法でしょうね。多くの実例をみて、こう言われているのでしょうから。
仕方がないので、
「行きたいと思ったときが、最適な時だと思いこもう! 失敗したとわかったら、自分の責任。寝て忘れよう」
という玉虫色の結論で、失礼します。