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HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

長春 旧神武殿

2016-03-15 | 東北を歩く
長春の吉林大学のキャンパス内に、「神武殿」と呼ばれた純日本風の建築物が残っています。


(緑に囲まれた静かな場所に、突如日本風の建造物が現れます)


(一見すると、寺のようにも見えます)

ここは、1940年に建設された武道館だったそうです。
内部には柔道場や剣道場、相撲の土俵などがあったとされています。

神武殿という名称は神武天皇に由来しているそうです。
竣工した1940年は神武天皇の即位から2600年だったため、これを記念して名付けられたとの記録があります。


(これも当時のままでしょうか)


(当時の写真です)

「地球の歩き方」によると満州竹中組の施工とされていますが、これは竹中工務店の関連会社だったのでしょうか?
調べてみると、竹中工務店は日本武道館(1964年)の建設も担ったようですから、何かご縁があるのかもしれません。

かつて武士道精神の修養の場として建設された旧神武殿は、今は吉林大学の講堂として利用されています。

長春市重点文物保護単位に指定されています。
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長春 旧満州国経済部

2016-03-09 | 東北を歩く
長春の旧満州国経済部です。


(1935年の建築です)

長春に残る旧満州国の行政機関の中では、比較的シンプルなデザインです。

経済部というと、日本でいう経済産業省のような役割をイメージしますが、ここは税務や金融、国債なども担ったそうですから、役割はかなり広かったようです。

今は吉林大学第三医院として利用されています。
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長春 旧満州電電支社

2016-02-22 | 東北を歩く
満州電電とは、戦前、満州国や関東州に存在した電気通信事業会社でした。

正確には、満州電信電話株式会社です。通称、MTTです。日本政府も株主でした。
本社は長春にありました。

長春には、当時の本社のほか支社が今も残っています。


(長春駅の近く。南広場にあります)


(今はチャイナユニコム(携帯電話の会社)が利用しているようです)


(玄関です)


(重厚なレンガ造りです)

大連には満州電電の建築物は残っていません。

ときどきマンホールの蓋を見かけるぐらいです。


(大連に残る満州電電のマンホール蓋です。1930年代のものと思われます)
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長春 旧満州国総合法衙

2016-01-29 | 東北を歩く
長春の南湖公園の一角に建つ、旧満州国総合法衙です。


(1936年の建築です)

「総合法衙」とは聞き慣れない言葉ですが、最高裁判所や最高検察庁などが入っていたようです。

しかし、これまた天井に配された中国風の帝冠が厳つい雰囲気を醸し出していますね。
これがなければ、洗練された西洋風のカッコいい建築物だと思うのですが・・・。


(当時の絵葉書です。屋根の色が今と違いますね)

今は人民解放軍の病院になっているようです。
それにしても新民大街に不思議なぐらい医療機関が集中している場所でした。
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ハルビン 聖ソフィア大聖堂

2016-01-17 | 東北を歩く
ハルビンの聖ソフィア大聖堂は、ハルビンを代表するロシア建築です。


(ロシア正教の教会です)


(ドーム屋根がかわいいタマネギ状になっています)

このような造りをビザンチン様式と呼ぶそうです。

この教会の前に建つと、自分が中国にいることを忘れそうです。

1907年から建設が始まり、増築されて1932年に現在の形になったそうです。
バルセロナのサグラダ・ファミリアが100年以上経っても完成していないように、教会というのは建設に時間が掛かったり、形が変わるものなのですね。

今は教会としてではなく、ハルビン建築芸術館として利用されています。


(レンガの色が歴史を語っているようです)
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ハルビン 旧南満州鉄道林業公司

2016-01-08 | 東北を歩く
ハルビンの市内を歩いていたときに見かけた老建築です。


(直線が強調されたアールデコ様式が目を引きます)


(正面から)

何の建物だったのでしょうか?
ハルビンでよく見かけるロシア風の老建築ではありません。

壁に歴史建築を示すプレートが掲示されていますので、読んでみました。


(おおっ・・・)

「日本南満鉄路林業公司」とあります。

どうやら日本企業だったようです。
1940年築ですから、100年越えがゴロゴロあるハルビンの歴史建築では新しい部類に入るでしょう。
満鉄は鉄道のみならず、様々な事業を手掛けたことで知られていますが、林業の会社もあったのですね。

ハルビンの歴史建築はほとんどがロシア関連のものです。
こうした日本関連の建築は貴重です。
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旧新京ヤマトホテル - 春誼賓館

2016-01-05 | 東北を歩く
旧新京ヤマトホテルは、長春駅前のロータリーに面しています。

今は春誼賓館と呼ばれるクラシックホテルです。


(開業は1910年です)


(正面から見てみます)

駅の真ん前と、抜群のロケーションです。
かつて東北各地に存在していた満鉄ヤマトホテルが、どの場所でも最高の場所を選ばれて建てられてきたことがわかります。

今の姿は竣工後に改修が施されたようで、建設当時とは内外とも多少姿が異なるようです。

それでもいいでしょう。残っているだけで十分価値があると思います。
セセッション式と呼ばれる幾何学的な装飾が施されています。
大連の老建築では見かけることがないので、興味を引きます。

中に入ってみると、エントランスは小ぶりながらも重厚な雰囲気を十分に湛えていました。


(階段踊り場のステンドグラスは開業当時のものだそうです)

当時のホテルの日本語パンフレットには、次のように紹介されています。

新京ヤマトホテル
新興満州国の国都新京の駅前広場に面しアカシアの並木に囲まれた落ち着いた感じのホテルで御座います。客室五十五室の御室料は三円以上、最近増築成りました大宴会場とグリルルームは新京の新名物の一に数へられて居ります。


当時、超ラグジュアリークラスのホテルだったことが窺えます。
築後100年以上を経過しながら、当時の建築デザインを伝える建造物が今も現役で活躍しています。

次回長春を訪問したら、ぜひ宿泊してみようと思います。


(ロビーには日本語の説明書きもありました)
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長春 旧満州国交通部

2015-12-30 | 東北を歩く
旧満州国交通部は、新民大街の一番南側に残る旧満州国時代の遺構です。


(1935年の竣工です)

中央部分が4階建て、両翼部分は3階建てです。

ここも和風と中国風が混ざり合ったデザインです。
屋根部分は瑠璃瓦でしょうか。緑色がアクセントになっています。


(アプローチに、こんな装飾がありました)

車輪のように見えます。
交通部は文字どおり交通を掌る行政機関だったので、このようなデザインを採用したのでしょうか。

ところで、長春の旧満州国代の遺構は1935年築とされているものが多いようです。
一気にこれだけたくさんの大型建築物を同時並行的に作るのというのは相当な大型プロジェクトだったと思われます。

予算の確保、資材の調達、建設現場の労働者の確保・・・、大変だったでしょうね。
80年前の建設ラッシュが目に浮かぶようです。


(全国重点文物保護単位です)
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ハルビン 旧東清鉄道本社

2015-12-16 | 東北を歩く
東清鉄道とは、19世紀末にロシアと清の合弁により設立された中国東北部の鉄道会社です。

路線はハルビンを起点に満洲里と綏芬河を結ぶ本線と、ハルビンから旅順へ向かう支線がありました。
つまり、満鉄の元になった鉄道ということになります。

満鉄は、日露戦争後に長春以南を譲渡されました。

東清鉄道の本社社屋はハルビンの東大直街に残っています。


(3階建て。かなり奥行きがあるようです)


(正面から)

現在はハルビン鉄路局として利用されています。
竣工年次は不明ですが、アールヌーボーの意匠が見られますので、1900年代一桁だと思われます。


(通りを挟んだ向かいには、同じ東清鉄道関連の施設だったハルビン鉄路文化宮(旧中東鉄路倶楽部:1906年竣工)が建っています)

近くには、当時の東清鉄道社員住宅も残っています。
この一帯は、当時東清鉄道関連施設が集まっていたようです。

大連でいえば、今の魯迅路のような感じだったのかもしれません。
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長春 旧満州国司法部

2015-12-14 | 東北を歩く
旧満州国司法部は、長春・新民大街の中央辺りに残る旧満州時代の遺構です。


(1935年の建築ですので、今年で80年ということになります)

和風のようでもあり中国風でもあり、摩訶不思議なフォルムです。

よく見ると、日本の城郭のようでもあります。

長春に残る旧満州国時代の行政機関の建築物はほとんどがこんな感じで、非常に特徴的です。

旧満州ではこの法務部が司法を掌ったわけですが、司法体系も建築デザイン同様、和漢折衷を目指したのでしょうか。

今は吉林大学白求恩医学部として利用されています。


(当時の絵葉書が残っています)


(もう一枚あります)
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ハルビン 旧松浦洋行

2015-11-22 | 東北を歩く
旧松浦洋行は、ハルビンの中央大街の真ん中辺りに建つかつての日系商社です。

1918年の竣工です。


(中央大街では目立つ5階建てです。赤いドームも目を引きます)

中央大街では唯一の旧日系ビルですが、設計はロシア人建築家です。
優美なバロック様式です。

この旧松浦洋行、NHKの「世界ふれあい街歩き」で紹介されたことがあります。
5年ぐらい前だったでしょうか。


(玄関正面の階段です)


(階段踊り場の装飾も気品があります)

今は観光案内所になっていて、入場は自由でした。
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ハルビン 旧カフェ・ミニアチュール

2015-11-18 | 東北を歩く
ハルビンの歴史建築である旧カフェ・ミニアチュールは、かつてのユダヤ人によるレストランです。


(ハルビンの中央大街に建っています)


(正面からみると、街路樹で装飾が見えにくくなります)

2階建ての小さな建物ですが、目を引くアールヌーヴォー建築がハルビン随一の繁華街を彩っています。
1921年築とされています。

ユダヤ人のレストランですから、かつてはユダヤ人で賑わっていたのでしょうか。
これ以外にも、ハルビンにはユダヤ人関連の施設が多く残っています。

旧カフェ・ミニアチュールには、今はユニクロやお土産物屋さんが入っていました。

ハルビンは風情あるいい街ですね。
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長春 旧満州国外交部 - 杉原千畝が働いた場所

2015-11-10 | 東北を歩く
長春市に残る旧満州国時代の外交部跡です。

つまり、満州国の外務省だった場所です。


(玄関部分です。1934年の建築とされています)


(当時の写真です)

見たところ、最近までレストランとして利用されていたようです。

玄関部分に派手目の改築が加えられている上、レンガの状態も古さを感じないので、一見すると老建築とは思えません。
旧満州国時代の政府系庁舎に多く見られる趣味の悪い独特の装飾もなく、洗練された印象を受けます。調べてみると、フランス人が設計を担当したようです。


(行政機関の庁舎のわりには、なかなか複雑で凝った造りに見えます)

ところで満州国外交部というと、かの外務省の訓令に反して大量の通過査証を発給し、多くのユダヤ人難民を救った「命のビザ」の逸話で知られる杉原千畝が在籍していました。
記録によると、杉原が満州国外交部の書記官として過ごしたのは1932年から35年までの3年間とされています。
つまり、この建物で勤務したのは完成後の34年から35年までの1年間だったということになります。

杉原は、この地でソ連との間で東清鉄道の譲渡交渉を担当したそうです。
その後満州国外交部を辞職し、日本の外交官として復職し、赴任先のリトアニアで「命のビザ」を発給しました。1940年のことです。

建物はだいぶ改造されているように見えますが、全国重点文物保護単位に指定されているようです。


(玄関の左側に石碑が建っています)
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ハルビン モデルンホテル

2015-11-09 | 東北を歩く
モデルンホテルは、ハルビンの老街である中央大街に建つ歴史建築です。


(3階建てです。ルネサンス風の風格ある造りです)

1913年築ですので、今年で102年ということになります。
これまで、様々な歴史上の著名人がここに宿泊してきたそうです。

李香蘭(山口淑子)が主演した映画「私の鶯」(1943年、満洲映画協会と東宝の共同製作)にも出てきます。

映画撮影中の宿舎にもなったそうです。

外壁は全面的にベージュ色に塗装されており、最近施されたような印象を受けます。
建築当時のままの風合いの方で良かったと思いますが、まあよくあることです。

黒龍江省重点保護単位に指定されています。

中に入ってみると、老舗ホテルらしい重厚感のあるフロントとレストランがありました。

ところで、モデルンホテルが建つ中央大街は、1900年に建設が始められたそうです。


(中央大街です)


(1924年に敷かれたとされる石畳の路面が欧州っぽい雰囲気を演出しています)

全長1,450メートルと、かなり長い歩行者天国です。
ウィキペディアによると、「アジア最大の石畳の目抜き通り」と紹介されています。
当時はロシア語でキタイスカヤと呼ばれていたそうです。

街歩きをしていると、ここが中国であることを忘れそうです。
行政が街並みを保護してきたのだと思いますが、洗練された欧州の雰囲気を楽しむことができます。
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長春 旧満州国軍事部

2015-11-06 | 東北を歩く
旧満州国軍事部は、長春・文化広場の南側に位置しています。
旧満州国国務院の向かい側です。


(正面から。迫力満点です)


(角度を変えて斜めから)

1935年に竣工されました。
旧満州国の軍務を掌った機関です。

しかし、なんちゅう威圧的なデザインでしょう・・・。

なんでこんな気品が感じられないモノモノしいデザインにしてしまったんでしょうか。
まあ、これが満州国建国当時の「雰囲気」というものだったのでしょう。

今は吉林大学白求恩医学部付属第一医院として利用されています。

僕が見学したときも、多くの患者さんが出入りしていました。
およそ病院に似つかわしくない外観ですが、内部は病院として利用しやすい構造になっていたのでしょうか。

国家級保護建築に指定されています。
見る者に無言の強いメッセージを訴えかけてくる建築物だと思います。


(エントランスの天井です。重厚感のある造りです)
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