
これは何でしょうか?
パネルの説明書きによると、この塔は日本殖民時代の変電所だそうです。
高さが約7メートルあります。
1930年代の建設です。
当時のハルビンの街中には、このような変電塔がたくさん建っていたそうです。
送電設備の建設には日本の技術を導入したのでしょうか。
今は最新型の箱形変電設備によって処理が行われていますので、変電塔は役目を終え、ほとんどが撤去されたようです。
ハルビンの近代の歴史的遺構ということでこの1本を残しているようです。

避暑山荘は、河北省承徳市にある清朝の皇帝たちが夏を過ごした離宮です。
周囲の城壁は10キロメートル、総面積5460平方キロメートルと広大な敷地を有しています。
現存する皇室庭園としては、世界最大だそうです。
1703年に康熙帝(第4代皇帝)が造成を開始し、1792年、乾隆帝(第6代清)の時代に完成したのだとか。
内午門に掲げられた「避暑山荘」の扁額。金箔で書かれています
清王朝を象徴する竜のレリーフが随所に見られます。
承徳は高原で季候がよく、自然が豊かで景観も優れ、温泉もあったので、この地が選ばれたそうです。
歴代皇帝たちは、夏場になると涼しいこの地で政務を執りました。つまり当時、承徳は清の第二の都だったわけです。
山荘は、宮殿エリアに苑景エリアに大分されます。
宮殿エリアです。
荘厳な佇まいを今に伝えます。
庭園エリアは風光明媚な景色が広がります。
蘇州や杭州など江南地方の庭園を参考に造営されたそうです。たしかに江南らしい景観が広がります。
いかにも江南の庭園様式です。
杭州の西湖を思わせます。
ちょっと懐かしい気分になります。
これも江南風です。
訪問したのは6月です。蓮の花が咲く直前でした。
敷地のほとんどは苑景エリアです。
それにしても、当時の中国の建築や造園の技術には舌を巻きます。
樹木と水面と雨粒の調和が静かに美しさを演出します。
有名な熱河泉です。今も滾々と泉が湧き出ています。
この地方の旧称「熱河省」は、この熱河泉から採られました。
300年も前に、よくぞこれだけ大規模で優美な離宮を作り上げたものだと思います。
相当な資金と労力が投入されたことは想像に難くなく、清王朝の力がどれほどのものだったのかが偲ばれます。
万里の長城を見た時に湧き上がってくるのと同じ感想です。
避暑山荘は、1994年、世界文化遺産に登録されています。
人工池の中に建造物。なんとも優美です。
礎石が残っています。ここには何が建っていたのでしょうか。
昨日の続きです。
大叔父が眠る承徳へのお参り旅の記録です。
6月のとある週末の18時、大連駅北口のバスターミナルから承徳行きの夜行バスに乗り込んで出発しました。まだ明るい時間です。
満席のバスは、遼東半島から渤海を回り込むように西に向かいます。
途中で数回の休憩を挟み、翌朝8時に承徳バスターミナルに到着しました。
実に14時間のロングドライブでした。季節柄、乗客の体臭が充満する車内はなかなか苦痛でした。
しかし、かつて大叔父が体験した苦労に比べれば、こんなものはまったく苦労とは言えないでしょう。
バスを降りて、大きく息を吸い込みます。大連とは違う湿った感じのする空気です。
到着した承徳は雨模様でした。バスターミナルの売店で傘を購入します。
承徳は燕山山脈の中腹に当たる高原地帯です。
周囲を山に囲まれ、武烈川の流れを湛え、緑豊かな美しい景色が広がります。高原なので、この季節でも幾分肌寒さを感じます。
市の中心を流れる武烈河です。
長距離バスターミナルから市の中心部に向かう路線バスに乗り換えました。
バスの車内から周囲をうかがうと、松らしき木は見当たりません。市内ではなく山間部には自生しているのでしょうか。
市内に入りバスを降りました。傘を差しながら雨の承徳市街地をそぞろ歩きます。
大叔父は、この地で何を思い、どのような生活を送ったのでしょうか。
故郷九州のなだらかで丸みを帯びた山並みに比べると、燕山の山々はいくぶん鋭角的でゴツゴツした印象を受けます。
大叔父に、この山並みはどのように映ったでしょうか。
承徳駅です。大叔父も鉄道を利用したのでしょうか。
1930年代の承徳の街並みです。
当時の市内の街角でははこんな光景があったようです。
歩いているうち、承徳を代表する名勝である避暑山荘の入口が見えてきたので、入場してみました。
清の時代の皇帝たちが夏場を過ごした離宮です。世界遺産です。
避暑山荘の広大な敷地内には、松の大木をたくさん見かけました。
この立派な松は樹齢300年を越えていると思われます。
やはり、承徳に古い松がたくさんありました。
そう考えると、大叔父が眠る松の木も、まだ残っているのかもしれません。
とはいえ、これだけ広い承徳市内でその1本を探し当てるのは不可能です。なにしろ、特定に至る手掛かりは「承徳の大きな松の木の根っこ」しかないのです。
通りすがらに見かけた大きめの1本を、それに見立てることにしました。
松の木の下に屈み込み、頭を垂れ、手を合わせて目を瞑ります。
終戦から71年越しの初参りです。
「おいちゃん、待たせたね・・・。僕はあなたが手紙を書いたH姉さんの孫だよ。知らんと思うけど。さぞ苦しかっただろうね・・・。どうかどうか、安らかにね」
しばし、静かに祈りを捧げます。
空からは冷たい雨が降り続いています。
祈りを終えると、松の木の下にあった小さめの石ころを4つ選んで、ポケットに入れました。
時計を見ると、昼を過ぎていました。腹が減ってきました。
適当な食堂に入って簡単に食事を済ませると、バスターミナルに戻り、北京行きの長距離バスに乗り込みました。
承徳での滞在時間は約6時間でした。
ポケットにしたためた石ころを確認して、承徳の街を離れました。再びバスに揺られます。
今度は、帰国してこの石ころを九州の大叔父の墓に供えようと思います。
続きは明日の日記でご報告します。