旧満州国国務院は、長春・文化広場の南側に位置しています。
満州国時代の官庁街であった新民大街の入口です。

(高さ45メートル、約5万平米の広さです)
1936年竣工の大型建築です。
日本の国会議事堂がモデルとされています。
帽子の部分は和風と中国風を折衷したような屋根が配されているところが国会議事堂と大きく違います。
この屋根部分が独特の威圧感を醸し出しています。
手のひらなどでこの屋根部分を隠して見ると、たしかに国会議事堂のように見えます。

(当時の絵葉書です)
当時は満州国の政治の中心として機能しました。
日本人の幹部職員も数多く登用され、ここで勤務したそうです。

(正面には立派な4本のオーダーが配されています)
国家級重点保護建築に指定されています。
今は吉林大学基礎医学院として利用されています。
僕が訪問したときも、白衣を着た若い医者の卵が出入りしていました。
1937年、溥儀が満州国軍の閲兵を行った場所とされています。
「地球の歩き方」によると、溥儀が植樹した松の木があるとされています。「歩き方」で紹介されている写真を片手に敷地内を探してみましたが、よくわかりませんでした。

(樹形や背景から推測すると、この木でしょうか? ちょっと自信がありませんが・・・)

(これも当時の絵葉書です。この絵には松の木は描かれていません)
満州国時代の官庁街であった新民大街の入口です。

(高さ45メートル、約5万平米の広さです)
1936年竣工の大型建築です。
日本の国会議事堂がモデルとされています。
帽子の部分は和風と中国風を折衷したような屋根が配されているところが国会議事堂と大きく違います。
この屋根部分が独特の威圧感を醸し出しています。
手のひらなどでこの屋根部分を隠して見ると、たしかに国会議事堂のように見えます。

(当時の絵葉書です)
当時は満州国の政治の中心として機能しました。
日本人の幹部職員も数多く登用され、ここで勤務したそうです。

(正面には立派な4本のオーダーが配されています)
国家級重点保護建築に指定されています。
今は吉林大学基礎医学院として利用されています。
僕が訪問したときも、白衣を着た若い医者の卵が出入りしていました。
1937年、溥儀が満州国軍の閲兵を行った場所とされています。
「地球の歩き方」によると、溥儀が植樹した松の木があるとされています。「歩き方」で紹介されている写真を片手に敷地内を探してみましたが、よくわかりませんでした。

(樹形や背景から推測すると、この木でしょうか? ちょっと自信がありませんが・・・)

(これも当時の絵葉書です。この絵には松の木は描かれていません)