ハルビンを歩いているときに見かけた歴史建築です。
ハルビンの老建築といえば多くがロシア風ですが、これは違うようです。
ロシアを感じさせません。
(こんな説明書きがありました)
玄関近くに掲げられたパネルによると、「満洲土木建築業協会ハルビン支部」とあります。
1936年の建築だそうです。
つまり、これは満州国時代に日本人が手掛けた建築物と思われます。
満洲土木建築業協会とはどんな組織だったのでしょうか?
1920年代から終戦にかけて存在した旧満州国における日系土木建築業者の業界団体だったと推測されます。
本部は新京(長春)にあったようです。
1936年の新聞には、
「満洲土建協会と日満土建協会は会員の重複を避け、冗費をはぶく意味をもって合併され、満洲土木建築業協会となり、真に満洲における統一団体として、第二次建設期に入った満洲経済界の躍進に対応して立った」
と紹介されています。
別の文献では、榊谷仙次郎という人物が1928年からこの協会の理事長を務めたとも紹介されています。
建設ラッシュに沸いたと思われる当時は様々な業界団体が存在し、利害があったことが窺われます。
ハルビンの老建築といえば多くがロシア風ですが、これは違うようです。
ロシアを感じさせません。
(こんな説明書きがありました)
玄関近くに掲げられたパネルによると、「満洲土木建築業協会ハルビン支部」とあります。
1936年の建築だそうです。
つまり、これは満州国時代に日本人が手掛けた建築物と思われます。
満洲土木建築業協会とはどんな組織だったのでしょうか?
1920年代から終戦にかけて存在した旧満州国における日系土木建築業者の業界団体だったと推測されます。
本部は新京(長春)にあったようです。
1936年の新聞には、
「満洲土建協会と日満土建協会は会員の重複を避け、冗費をはぶく意味をもって合併され、満洲土木建築業協会となり、真に満洲における統一団体として、第二次建設期に入った満洲経済界の躍進に対応して立った」
と紹介されています。
別の文献では、榊谷仙次郎という人物が1928年からこの協会の理事長を務めたとも紹介されています。
建設ラッシュに沸いたと思われる当時は様々な業界団体が存在し、利害があったことが窺われます。
ただいま日露戦争の戦地にて撮影された遺影の背景写真を探しています。2014年5月30日付記事トップの背景が壁の写真を是非ともデータでお貸しいただけないかご相談したいのですがよろしいでしょうか。
よろしければ下記のアドレスまでご連絡いただけませんか。
july_kocorono@yahoo.co.jp
お忙しい中すみませんが宜しくお願い致します。