昨日の続きです。
大叔父が眠る承徳へのお参り旅の記録です。
6月のとある週末の18時、大連駅北口のバスターミナルから承徳行きの夜行バスに乗り込んで出発しました。まだ明るい時間です。
満席のバスは、遼東半島から渤海を回り込むように西に向かいます。
途中で数回の休憩を挟み、翌朝8時に承徳バスターミナルに到着しました。
実に14時間のロングドライブでした。季節柄、乗客の体臭が充満する車内はなかなか苦痛でした。
しかし、かつて大叔父が体験した苦労に比べれば、こんなものはまったく苦労とは言えないでしょう。
バスを降りて、大きく息を吸い込みます。大連とは違う湿った感じのする空気です。
到着した承徳は雨模様でした。バスターミナルの売店で傘を購入します。
承徳は燕山山脈の中腹に当たる高原地帯です。
周囲を山に囲まれ、武烈川の流れを湛え、緑豊かな美しい景色が広がります。高原なので、この季節でも幾分肌寒さを感じます。
市の中心を流れる武烈河です。
長距離バスターミナルから市の中心部に向かう路線バスに乗り換えました。
バスの車内から周囲をうかがうと、松らしき木は見当たりません。市内ではなく山間部には自生しているのでしょうか。
市内に入りバスを降りました。傘を差しながら雨の承徳市街地をそぞろ歩きます。
大叔父は、この地で何を思い、どのような生活を送ったのでしょうか。
故郷九州のなだらかで丸みを帯びた山並みに比べると、燕山の山々はいくぶん鋭角的でゴツゴツした印象を受けます。
大叔父に、この山並みはどのように映ったでしょうか。
承徳駅です。大叔父も鉄道を利用したのでしょうか。
1930年代の承徳の街並みです。
当時の市内の街角でははこんな光景があったようです。
歩いているうち、承徳を代表する名勝である避暑山荘の入口が見えてきたので、入場してみました。
清の時代の皇帝たちが夏場を過ごした離宮です。世界遺産です。
避暑山荘の広大な敷地内には、松の大木をたくさん見かけました。
この立派な松は樹齢300年を越えていると思われます。
やはり、承徳に古い松がたくさんありました。
そう考えると、大叔父が眠る松の木も、まだ残っているのかもしれません。
とはいえ、これだけ広い承徳市内でその1本を探し当てるのは不可能です。なにしろ、特定に至る手掛かりは「承徳の大きな松の木の根っこ」しかないのです。
通りすがらに見かけた大きめの1本を、それに見立てることにしました。
松の木の下に屈み込み、頭を垂れ、手を合わせて目を瞑ります。
終戦から71年越しの初参りです。
「おいちゃん、待たせたね・・・。僕はあなたが手紙を書いたH姉さんの孫だよ。知らんと思うけど。さぞ苦しかっただろうね・・・。どうかどうか、安らかにね」
しばし、静かに祈りを捧げます。
空からは冷たい雨が降り続いています。
祈りを終えると、松の木の下にあった小さめの石ころを4つ選んで、ポケットに入れました。
時計を見ると、昼を過ぎていました。腹が減ってきました。
適当な食堂に入って簡単に食事を済ませると、バスターミナルに戻り、北京行きの長距離バスに乗り込みました。
承徳での滞在時間は約6時間でした。
ポケットにしたためた石ころを確認して、承徳の街を離れました。再びバスに揺られます。
今度は、帰国してこの石ころを九州の大叔父の墓に供えようと思います。
続きは明日の日記でご報告します。
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