60回目の終戦記念日がまもなくだ。私は戦争体験者の一人として戦争の悲惨さを知らせることが必要と思い書くことにした。その頃群馬県前橋市の中心部から約10km離れた農村に住んでいて、当時小学2年生でした。その1年ぐらい前から空襲が始まった。初めは夜だけでしたが、2年生になってからは昼間も空襲があり、登校してまもなく空襲警報のサイレンがなって勉強は中断し、すぐ下校が頻繁になった。空襲が多くなると、5分ぐらい歩いて防空壕に逃げ込んだのが近くの桑畑になり、ついには平地の自分の庭に穴を掘って防空壕にした。前橋への空襲は頻繁にあり、そのたびに警報がなった。6月頃から学校の登校に代わって近くの公民館での授業になったが、勉強はほとんどできなかった。前橋はほぼ焼け野が原になったが、うちのむ羅は焼夷弾がかなり落ちたが大きな被害はなかった。今でもサイレンを聞くと空襲警報で逃げて不安になったことを思い出す。
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