高齢者のひとりごと

 日常の出来事に自分の思いをつづっていくつもり

夏草も恋をするんだなぁ

2012-08-31 15:30:22 | Weblog

           (近所で見つけた名も知らぬ草)       

8月31日  今日も暑かったね。 暦では夏も今日で終わりなんだけど、暑さは当分続きそうだな。

 ところで、写真の花じゃない名も知らない草の葉だけど、草の幹の下の葉は青いけど、

上の葉はご覧のとうりさ。 どうして葉がこんな色をいているかは勿論知らないけど、私の推理では

 「 草夏が 死をかけ、葉に出す 恋の色 」 私にはそんな感じがするんだけどね。

 何故だって? この色の葉では光合成ができないから長生きはできないし、この葉の色を見ていると、

相当ストレスがたまっていると思うし、その原因は仕事か恋かだね。 草だから恋だと思うね。

 人だったら色狂いなんて言われかねないよ。 誰に恋しているかだって? 当然あなただと思うね。 


各野党党首にも問責?

2012-08-30 15:31:30 | Weblog

 8月30日  今日も蒸し暑いね。 一人暮らしになって初めての夏だけど、省エネを兼ねて毎日

老人センターに行くようになっちゃたよ。 それでセンターの風呂に入るから自宅の風呂釜が

さび付かないか心配になって来たよ。

 ところで、参議院で総理大臣の問責決議が可決されたけど、私は何か腑に落ちないよ。

 民主党党首としての総理大臣の問責もさることながら、各野党党首として自党が政権を担っていたら

日ごろ発生する各種の課題に対し我が党ならこのような政策をすると発表すべきだと思うだけどね。 

 選挙のときだけ泥縄式のマニフェストを作るから政権を与えられたら、現状に合わないものになって

しまうと思うね。 「 問責は 各野党党首 にも必要 」 少数政党といえども政権を担うのが目的の

集団なのだから、日ごろから国民に各課題に自党の対策を発表していたとは到底思えないよ。  


暑さに負けずブログを書きます

2012-08-29 15:08:58 | Weblog

 8月29日  今日も蒸し暑いね。 この暑さがこう毎日では体がだるくなって、食欲も落ちるし、

一人暮らしの高齢者には大変厳しく、これをいかに乗り切るかという試験を受けている感じがするよ。

 だからといって、行政や住民に援助を求めることはできないから、自助努力をしなければね。

 まずは暑さに耐える体力を作ること。 私は毎日1時間くらい散歩とストレッチをしているし、食事も

自己流だけど、毎食自分で栄養に気をつけながら作っているよ。 最近私のブログを見てくれる人が

多くなっているので中断するわけにはいかないから、病気をしないように気を使っています。

 「 酷暑でも 熱き心で 書くブログ  やはり読者が増えるのはうれしいことなので今後も

一生懸命考えてブログを書きたいと思っていますので今後もよろしくお願いします。 


酷暑に木も参っているよ

2012-08-28 15:23:42 | Weblog

 8月28日  今日も暑い。 ここ毎日、避暑がてらに老人センターに行っているよ。 今日も昼過ぎに

行って3時にセンターを出たよ。 一番暑いときに出なければならないのさ。 何のためだって?

 無論ブログを書くためさ。 家の菜園の野菜は葉がぐったりしていて、中には枯れたのもあったね。

 木の葉は比較的しっかりしているけど、内心では暑さに参っていると思うね。

 「 暑い陽に そよ風不満で ごねる枝 」 時折、そよ風が吹くけど、なんか、枝はもっ強い風を

望んでいて、それを扇風機代わりにしようと思っているようだ。 弱い風では涼しくならないから

枝を少し振っていやいやをしているんだな、と思ったよ。 木にもそれなりの望みを持っているのが分かったよ。 


空蝉(うつせみ)橋とは粋だね

2012-08-27 16:54:52 | Weblog

 8月27日  今日も暑いよ。 本当に残暑はどこかに蹴飛ばされたようだなぁ。

 1週間ほど前になるけど、昼下がりに公園に行ったところ蝉の声がまったく聞こえなかったよ。

 母親と子供が遊んでいて子供の声が良く聞こえたね。 蝉、とくにアブラ蝉は何処へ行っちゃったのかな。

 「 空蝉の 公園、子供の 声響き 」 空蝉の意味は蝉の抜け殻だけど、ここでは居るべき

蝉がいないという意味で使ってみたんだけどうかな。

 ところで、都内の豊島区の大塚駅の近くの線路をまたぐ橋の名が空蝉橋というのがあって、

これを知ったときは随分文学的でおしゃれで粋な名前だと思ったよ。 

近くにそんな地名などなかったと思うな。 こんなしゃれた地名などを付けるのは大歓迎だね。


今年の残暑は厳しい暑さだ

2012-08-26 15:08:35 | Weblog

 8月26日  今日も暑いね。 当地はここずーと高温注意報だ出ているよ。 

 こう暑くては、一人り暮らしは1日中家にいると気が滅入ちゃうよ。 だから午後から図書館に行って

2時間ほど避暑で過ごしたよ。 この暑さは当分続くようだね。 やはり異常気象かなぁ。 家の風鈴も

風に揺られて鳴ってはいるけど、あまり涼しく感じられないなー。

 「 風鈴も 疲れて悲しい 音(ね)の残暑 」 暑い日が長く続いては、風鈴だって音を上げるよ。

 今夜も熱帯夜だと思うと憂鬱な気分だな。 朝、晩だけでも涼しくなってくれることを祈るしかないようだね。 

  


私の戦争追悼記(20)    

2012-08-25 15:32:05 | Weblog

 8月25日  今日も暑いね。 こう毎日暑い日が続くと近い将来当地でもバナナが取れるようになるかな。

 さて、終戦直後で忘れられない災害があったよ。 昭和22年9月15日に関東地方をを襲ったカスリーン

台風だよ。 この日は朝から雨で、午後から雨足が強くなり、学校の授業は午後は休止になり、

生徒は自宅に帰された。 午後5時過ぎで少し暗くなり始めた頃、土石流が発生し、村の東約 1/3 が

巻き込まれた。 自宅は被害はなかった。 翌日学校に行ったら誰も来ていなかった。 水害があったことは

聞いていたのでその為だろうと思い、自宅に帰ってきた。 大人から自宅から1Kmぐらい坂を下ったところに

多くの死体があると聞いたので、行ってみたら、その途中でリャーカーに乗せられた死体を3体ぐらい見たら

気持ち悪くなったので帰ってきた。 死体のいずれも全裸でお腹が大きく膨らんでいたよ。

 村だけでも100人ぐらいなくなったと思うよ。 同級生も2人なくなったからね。 

 2ヶ月位して、県から立て看板が立てられ、この水害は山の木を切りすぎた結果との説明だった。

 戦争中は軍事用、住民用にかなり切ったと聞いていたからね。

  人心も 自然も荒れる 戦後跡 」 戦争は誰でもしたくないと思っていると思うけど、シリアなどを

見ると、地球上からなくなることはかなり困難なような気がするね。

 戦争の話はひとまずこれで終了します。 ご覧いただきありがとうございました。 明日からも頑張って

書くつもりですのでよろしくお願いします。

 

  


私の戦争追悼記(19)

2012-08-24 15:26:01 | Weblog

 8月24日  今日も暑いね。 残暑は何処かへ行っちゃたようだね。 毎日本番並の暑さだからさ。

 また終戦直後の話だけど、敗戦で沈滞ムードのとき、希望を持たせてくれる歌があったね。

 その代表的なのが「りんごの歌」だったよ。 毎日のようラジオから聞こえたね。 歌いやすく明るい

感じがして大ヒットしたね。 でも、私の一番、気になった歌は 「星の流れに」という題の歌で、当時の

若い女性が戦争で不本意な人生を送らねばならなかったことを表したものだけどね。

 仕事がなく、結婚もできず(適齢期の男の多くが戦死し、男1人に女はトラックに1台と揶揄されていたよ)

公認の売春宿(赤線区域と呼ばれていた)で働く女性もいたけど、この歌の女性は夜、自ら街頭に立って、

体を売っていたようだ。 最後の歌詞がすっごく印象的で、国や世間に抗議している姿が見えるようだ。

 その言葉が「こんな女に誰がした」 この歌を聴くと、もし私が女に生まれていたら同様な人生を

送っていたかもしれないと思うと他人事とは思えないよ。

 「 戦争で 人生漂流 夏の雲 」 戦争で生き残っていても夏の天気の積乱雲のように急変し、

大雨や雷が発生するように、人生の希望などが持てなくなり、流転するよ。

 だから戦争はしないことが勿論、いいんだけど最近は領土問題などその素地はあるね。  


私の戦争追悼記(18)

2012-08-23 15:17:59 | Weblog

 8月23日  今日も暑いね。 道路からの照り返しがすっごく暑く感じたよ。

 今日も終戦後の話だけど、戦後強くなったのは「靴下と女」とよく言われたね。 靴下はそれまで木綿製だった

から2~3日履くと、足の裏の部分に穴があいてね。 戦後はナイロン製になったから格段に強くなったよ。

 女性も戦前は男尊女卑で男の従属物のような扱いを受けていたからね。 当時の男尊女卑は私は男が

戦争に行って命をかけている代償のようなものと思っていたけどね。 当時、女性は4~5年前、大臣が

女性は子供を生む機械」といって大臣を辞めた議員がいたけど、そんな感じだったよ。

 産めよ増やせよの国の意向で子供10人以上産むと表彰されたそうだよ。 ちなみに私の兄弟姉妹は

9人だからね。 今は何人か故人になっているけどね。 

  産め、増やせ なけりゃ私は 永久(とわ)に海 」 平時なら兄弟姉妹の下っ端の私はこの世に生まれ

ていなく、永久に海の底だかに漂っているかなと思うと複雑な気分だよ。


私の戦争追悼記(17)

2012-08-22 15:09:59 | Weblog

 8月22日  今日も昨日と同様暑いが、風があったので少し涼しかったね。 でも、もうすぐ秋だね。

 さて、終戦直後から困ったことがあったね。 それが電気だった。 戦時中は電灯は制限されていたが、

それが解除されたのが大きいと思うけど、停電は予告なしで、頻繁にあり、通電中でも突然電圧が下がり、

電灯がローソクの火より暗くなるんだからね。 だからランプは必需品だった。 夕食時しか使わないけど、

ランプのガラスがすぐ曇ちゃんだよ。 その掃除は私の役目だった。 そんなことで早寝するしかなかったね。

 「 宿題は 気まぐれ停電 せいにする 」 でも、宿題は頻繁に出たわけではないけどね。

 ただ、電気料金はメーターがなかったから、従灯制と言われる電灯をいくつ付けているかで決まるので、

電灯の数は少なく、夜は通電中でも家族がいるから、落ち着いて宿題はできなかったよ。