前回は幕末に来日し、その生涯を愛する日本のために捧げ、日本の未来をも確かに変えたフランシス・ブリンクリーについて紹介しました。
前回分でも末尾に記しましたが、彼の生涯だけを見れば「美談」でしかありません。
しかし彼の子供、ジャック・ブリンクリーの生涯を通じて見ることにより、戦前の光と影を垣間見ることが出来ます。
ジャック・ロナルド・ブリンクリーは、フランシス・ブリンクリーと水戸藩士の娘との間に生まれた日英ハーフです。
彼は暁星中学卒業後に、ヨーロッパ各地の大学に留学。
父の興したジャパン・メイル社に務めた後、英国に帰り第一次大戦では陸軍将校として従軍。
第一次大戦後は再び日本に戻り、国連に出向したり、ロンドンで新聞記者などをしたりしていましたが、1929年に再来日し、成蹊高校で英語の教鞭をとることになります。
しかし第二次大戦の勃発が、日英の架け橋となろうとした彼の運命を一変させます。
当時の政府は、軍部は、日本にとってかけがえのない恩人であるフランシス・ブリンクリーの息子である彼を、しかも半分日本人の血を引いている彼を、事もあろうに「敵国人として」全財産、並びに父のフランシスに関する資料さえ廃棄させ、国外追放処分してしまうのです。
それでも彼は戦後、すぐ日本に戻ってきます。戻ってきてくれます。
当初はGHQの極東軍事裁判検事団の翻訳課長としてでしたが、その任を終えると英国政府に申し出て軍籍を離れ、再び日本の大学で英文学の教鞭を、ついで日英間の文化交流を図るための出版社を興します。
彼は古武士、高僧を偲ばせる風格を備えた白髪、長身のイギリス人紳士、という奇跡のようなバランスを備えた人物であったそうで、実際天台宗からは権僧正の位を頂いています。
そして父親と同様、この日本で生涯を終えた時、葬儀は仏式で行われ、天台宗からは遂に「僧正」の位まで与えられました。
その戒名は「三宝光院僧正正慈恩大和尚」。
まさに彼と彼の父親の生涯そのもののような名前を与えられたのでした。
現代の視点で過去を一方的に糾弾することが誤りであることは承知しています。
当時の日本が好き好んで戦争に突入したわけではないことも十分承知しています。
人種差別撤廃を国際機関で訴えたものの、欧米諸国からは完全に黙殺され、挙げ句、世界各国に移民した日本人達が差別されたことも重々承知しています。
それでも。
それでも
この国にとってのかけがえのない恩人の息子を、ただ「敵国人の血が半分流れている」という理由だけで全財産没収の上、国外追放するような当時の政府や軍部、そしてそれを更に煽り立てたマスコミ、その煽りに迎合して彼らを迫害した当時の民衆が「正しいことをした」などとは到底云えません。
今はブリンクリー家の例を挙げましたが、明治日本にとっての恩人ともいうべき人々の子孫が、第二次大戦時に国外追放もしくは厳重監視下におかれ、挙げ句、長崎のグラバー邸で有名なトーマス・グラバーの息子、倉場富三郎のように自殺してしまった例もあるのです。
勿論、公平を期すために付け加えるなら、同時期にアメリカやカナダにいた日本人、並びに日系人は強制収容所送りとなっていたことも歴史的事実です。
それでも、例外はありました。
勝海舟の三男、梅太郎と結婚し、六人の子供をもうけた後、アメリカに帰国したクララ・ホイットニーの子供たち、つまり勝海舟にとっての孫たちは、第二次大戦当時も日本人の血を引くにも関わらず、強制収容所に入れられていません。
これは長男のウォルターが第一次大戦時に志願兵として参戦し市民権を得ていたこと、そして地域の人々が彼らを「善良なアメリカ人」として受け入れ、守っていたからに他なりません。
こんなブログを運営しているから勘違いされるから知れませんが、
自分の元々の政治思想は極めてリベラルです。
・・・日本国内の「自称リベラル」なマスゴミ・バヨクどもがあまりにも酷いので、リベラルを自称できなくなっているだけで。
フランシス・ブリンクリーのようにたとえ血統的には一滴の日本人の血が入っていなくとも、日本の人を、日本の風土を愛して、日本を本当に大切に想ってくれるならばそれは紛れもなく「日本人」だし(元が在日韓国・朝鮮人でも在日中国人でもそれは同様)、一方、日本国籍を所持していてもこの国を愛してもいないし、この国の人間を貶めたくて貶めたくて仕方のない帰化人――蓮○だの――福○哲郎だの――白○勲だの――を絶対に日本人と認めないし、血統的に紛れもなく日本人であっても、過去の、そして現在の日本人を貶めなければ生きていけない狂ったバヨクなんぞも日本人を名乗らせたくありません。
さて、前振りが大変長くなりましたが。
現在マスコミが太平洋戦争を振り返る時の図式は「軍部・時の政権=悪、民衆=被害者」が専らです。
そしてマスコミは
「我々の努力及ばず、軍部に都合の良い記事を書くように強制された」と被害者面をします。
ごく一部、長野毎日新聞の桐生悠々がそれなりの規模の新聞社において正面切って軍部批判したから今日知られているのであって、彼以外の大新聞は唯々諾々として、いえ、むしろ積極的にといっていいほどに軍部の後押しをするような記事を載せ、民衆を煽り立てたのです。
かといって民衆が一方的な被害者かといえばさにあらず。
今も昔も変わらず
、マスコミというのは基本的に「読者が望むもの」を提供するのであって、逆は滅多にありません。
折悪しく到来していた世界的不況に苦しんでいた民衆は“景気のいい話”を、有り体に云えば“戦争での派手な勝利による優越感”を得ることを望んでいました。
そして
軍部による統制は確かにあったものの、マスコミは民衆の望む“都合の良い未来”を提示し、民衆はそれに乗りました。
第二次大戦開戦前夜、どれだけ多数の地方の民衆団体が政治家や軍人達の元を訪れ「鬼畜米英打倒!」を叫んだかは今日では殆どタブーとなってしまっています。
そんな過程で生まれた根拠のない優越心は“流れる血の半分が日本人のものではない”という理由だけで迫害される人々を作り出し、最終的には民衆自身にあの惨劇をもたらしました。
もっとも、追放された人々も日本国内にそのまま留まっていれば被害に遭っていた可能性が高いという意味では救われた格好になった、というのは歴史の皮肉ですけれど。
さて、総括ですが。
・・・9回に渡って書いてきたこの記事ですが、実は原型を書いたのは随分前。
民主党政権が誕生することになる直前の総選挙前に書いたものです(元は10回目が選挙前日のまとめ記事)。
マスコミが必死になって勝たせようとしている民主党の経済政策・社会保険政策・官公庁改革・教育政策があまりにも出鱈目が故に書いたもので、この記事とは別に「民主党のマニュフェスト(←既に死語)」が「何故実現不可能なのか」を具体的数値と共に約40回分くらいにわたり解説。
自分自身では一切拡散させてないけど、ネット各所にそれなりに拡散され、それなりに話題にはなった、とは思う。
・・・なんで自民支持者でもない自分がこんなに必死に。。。と自嘲しながらも、あまりにマスコミの報道が偏向していた怒りが故に書いたものです。
あれから随分経ちましたが、政権交代を経ても結局のところは日本のマスゴミの屑っぷりは相手変わらず。
アカヒと変態は相変わらず狂ってますが、最近は狂同通信と頭凶の狂いっぷりが最早基地外の領域に。
狂同通信の酷いところは「自分たちの書きたいこと」が前提としてあって、それを元に配信する記事を編集することであり(最近はソースさえ捏造している可能性もかなり濃厚に)、
頭凶に至っては政治的中立性も、法的妥当さも全部かなぐり捨てて、日本人の過去の行為=全て悪・中韓には永遠に土下座しろ、現政権の政策=全て悪・直ちに退陣しろ、しか書いてない。望月某という既に新聞記者ではなく、ただの反政権アジテーターの重用が頭凶の報道姿勢を如実に現しているでしょう。
といっても右は右で産経の記事もいい加減さは相変わらず。というか産経も願望をそのまま記事にするのはヤめろといいたい。何故客観的な数字を元にした分析が出来ないのだろうか、あの新聞は。
根本的な話、自分が本館ブログ
「日本の敵」速報で、半島の新聞の記事を紹介しているのは、皆さん知っている通り、
ヒトモドキどもの証言があっという間にコロコロ変わるため、ヤツラが以前何を云っていたかの証拠をとるためです。
日本の新聞もそうですが、半島の新聞も一部以外はしばらくすると過去記事を消すので、その際に過去記事を確認するための「魚拓」みたいなものだと思って頂ければ結構です。
ご存じのようにヒトモドキどもには「日本人=悪」以外の論理はありません。
日本絡みは当然ですが、日本に一切関係ない場合は、
法・論理ではなく、その場の感情でしか物事を判断しません。しかもその場の感情で行動するので、過去の言動と矛盾していても全く反省もしないし挙げ句「そんなことは云ってない」と開き直ります。
一番典型的で分かりやすいのは自衛隊哨戒機へのレーザー照射の一件で、うちの
本館ブログで当時の半島記事を読めば一目瞭然。
当初はレーザー照射を認める記事が載っているのに、僅か数日でそれはなかったことになり、今ではヒトモドキ国内ではあの事件は「自衛隊哨戒機の威圧的低空飛行」ということになっていて誰一人それを疑ってません。
というわけで皆さんにお願いしたいのは、ヒトモドキが出鱈目を述べた場合、それに反論するのに、ヤツラ自身が書いた記事をしっかり援用して反論することです。
もっともこれはヒトモドキ対策ではありません。未だに日本国内に大量に存在する、一方的なヒトモドキ支持勢力に対するものです。
ヒトモドキには当時の新聞記事を突きつけても全力で見なかったことにするか、それすら「捏造だ」と決めつけるので論理的追い詰めは一切無意味です。
例えば昨日ハンギョレや中央日報で取り上げていた「日帝の児童・女性強制動員記録物公開」という記事ですが、元記事を読むと援用しているのは「毎日新報」という半島の新聞の1941年の記事なのですが、この新聞紙面がほぼハングル。
ご存じのようにヒトモドキども並びに日本のバヨク共は「日帝はハングルを抹殺するため、半島でのハングルの使用を禁じた」という「設定」にしているのですが、1941年という時点でも新聞は普通にハングルを使っているのが確認できるわけですが、これに関してヒトモドキは一切見なかったことにします。
ヒトモドキ共がどういう論理でこれを見なかったことにするかというと「この記事は日帝の強制動員の証拠であって、当時ハングルの使用を禁じたこととは一切関係ない」ということになります。
大半の日本人には何を云っているか分からないと思いますが、ヒトモドキ内ではこれは「ごく普通の」論理回路です。
「今は日帝の暴虐の話をしているんだ! ハングルの使用禁止の話なんてしていない! 話を逸らすな!」ということになります。
・・・ね? アイツら、頭おかしいでしょ?
だけどこの基地外論理を日本人の中でも普通に受け入れる輩がいるのです。
それがアカヒ、変態、狂同、頭凶といった日本のバヨクメディアどもです。
皆さんにお願いしたいのは、とりあえず「日本国内にいる日本の敵」の掃討です。まずは最初は日本の屑マスゴミ共です。
ここで注意して頂きたいのは、罵詈雑言でそれを訴えると「レイシストだ!」と逆にレッテル貼りをされるということ。
あくまで冷静に、論理と証拠を持って日本の屑マスゴミ共とその支持者を切り崩すことから始めるべきだと、今日という終戦記念の日に主張するわけです、はい。
・・・えっ? そもそもヒトモドキって言葉が差別語では、と?
いや、あいつら「檀君神話」を政府も教科書も「歴史的事実」と主張しているわけで、だったら人間と熊との間の子孫が現在の半島人なわけだから、アイツらは純正の人類じゃなくてヒトモドキだよね?