サバイバー日記

炎症性乳がんと告知されて6年間。多発転移しつつ、生きたサバイバーな日々の記録と家族の日記です。

サバイバー日記[15](メール配信)

2008年05月17日 | サバイバー日記(メール配信済み)
【サバイバー日記】15  「血は水より濃し・・・」:2002/10/23配信

この月曜日から、術前最後の抗ガン剤投与だった。
今回も吐き気などの副作用はほとんどなくて済んでいるものの、やはり食欲がない。
で、薬も思うように飲めない・・・

昨日は娘が「ご飯を食べないとママ、退院できないんだよ!!」と言って、針が刺さったままで右手が使えない私に食べさせてはくれるのだが、受け付けなかった。
でも、この子はいつの間にこんな事を言えるようになったんだろう。
娘には「ママがいなくても、ちゃんとお野菜もご飯も食べようね」と言っているのだからまったく情けない母である。

「ご飯食べられましたか?~」と看護士(婦)さんがいつも聞きに来るので、あまり食べられなくても「え~、半分くらいは・・・」と嘘をつく私。
(だって、そう言わないと退院できないんだも~ん)
「(体調に)変わりありませんか?」とI医師が一日に三回くらいくるのだが、
「すっごく、変わってます・・・」と言ったらどうゆう反応をするんだろうか?
I医師は、あまりに真面目なので、ついからかいたくなるキャラである。

しかし、抗ガン剤を投与したらすぐに腫瘍が小さくなるものでもないし、このところはあまり劇的にも小さくならないような気がする。たぶん抗ガン剤の耐性が出てきたように思える。今、腫瘍の部分が約10㎝ぐらいなので、手術痕が大きくなるのでやはり皮膚移植をしなければならないそうだ。でも、こうしてる間にもガン細胞が私の身体を蝕んでいるかと思うと、早く切ってすっきりしたい気分になる。でも反面、違う抗ガン剤を使ってもう少し小さくしてから切った方がいいのではないか?と思う気持ちも有って、それとなくI医師に聞いてみた。「長引かせても、全身に転移してから(手術)では遅いですし・・・」と言われ、そりゃそうだと思いとどまった。
一晩で胸が小さく変わってたらどんなにいいだろうと思いながら胸を見る。

やはり今日も「は~い、お変わりありません。」と元気に答える。

手術は、I医師の都合もあって、約三週間後私の体調を診てから11/18頃くらいに考えているようだ。もしくは早くして11/11頃か?それぞれのドクターの(学会)予定もあるので、まだはっきりはわからないそうだ。どちらにしても、10/30に新横浜に行き、11/1に福井のS病院に行くので、体調には充分注意しなければならない。
それに、実母の人工関節の手術後の経過が思わしくない。私の体調を診て、2週間くらい入院加療が必要なようだ。母も手術後にもかかわらず私の病気のせいで無理をしたんだと思う。でも、「痛いのなら、うちの家事をしないで座っていて」と、何度止めても「私は(娘のためにも)やらなきゃならない」と意固地になる母を見ると、
「血は水より濃し・・・」と思うのだった。

サバイバー日記[14](メール配信)

2008年05月17日 | サバイバー日記(メール配信済み)
【サバイバー日記】14:2002/10/15配信

今日で3回目の抗ガン剤投与からちょうど2週間たった。
今回は一回目のように吐き気もなく食欲もあり、食欲の秋を満喫できて嬉しい。

カニ夫の父母から採ってきてもらった杉茸を早速「キノコすき焼き」をしたり、鯖が安いので「鯖すき焼き」をしたり、さつまいも掘りに行って芋蔓を採ってきて、蕗のように焚いたり秋の収穫を美味しく堪能してる。
でも、 サティで秋冬物の買い物をしたり、おにぎりを持って手取川の河原で食べたり、手取フィッシュランドに行ったりしてたら、さすがに疲れて昨日は使い物にならなかった。

先週は娘の就学時検診もあって、病気になってからなかなか会えなかったママ友達と久し振りにランチしたり、お茶をしたりで
「私達より元気よね~」と言われるくらい・・・で家族も不思議顔だったのに
家事も普段通りにしたのもつかの間でした。(笑)

今日はまた、娘を眼科に連れて行き、母を歯医者に迎えに行って、私は外科でホルモン治療と血液検査でと、3つの病院をまわったあと、近畿日本ツーリストでチケット(※10/30には活性自己リンパ球療法という免疫治療を受けに行くための家族相談で新横浜に行きます)を受け取り、厄よけで有名な神明さんのあぶり餅を買い、今、これから耳鼻科に行き、娘を保育園からピックアップしてバレエへと行かねばならない。白血球も安定したので、今日からは毎日病院に注射しに行かなくても良いそうだが・・・。
でも、ドクターに「まあ、この調子で来週また(抗ガン剤)投与ねっ!!」
と言われると、「あ~~~、またか・・・・」とドヨ~ンとしてしまうのであった。
フゥ~、病院通いも結構疲れるものなのだ。

※10/30(水)は9:30羽田着20:00羽田発の日帰り予定です。そのまま、リムジンバスで新横浜の駅に行こうと思っています。診察は15:30~の予定なので新横浜の近くでランチしようかと思っていますが、お勧めのところありませんか~?


-- では、また~!!   \(^。^)/

サバイバー日記[13](メール配信)

2008年05月17日 | サバイバー日記(メール配信済み)
【サバイバー日記】13 --------「冷静と情熱のあいだ」:2002/10/02配信

この間、TVで自律神経を刺激すると自然と痩せるという方法が紹介されていた。
痩せていた自分を(痩せている事がなかった人は痩せている自分を出来るだけ具体的に)想像すると鏡に写っている自分も痩せているように見えるようになり、脳を騙して自己暗示にかけ、痩せている(痩せていた時の)自分の行動をするのだそうだ。
もちろん、キムチとコーヒーのような刺激物を食べるなど、自律神経を鍛え、一番大事なのは、「痩せたい」と思わないのがコツらしい。
痩せたいと思う事は脳にストレスが絶えずかかり、一時は我慢しても、脳がストレスに耐えられず、リバウンドするのだそうだ。

私の一番痩せていた時というと、小学校の高学年くらいか?でもあまりに記憶が遠すぎて今の自分からは想像できないので、大学一年のテニスの合宿直後としよう。
それでも(そんなに痩せてはいなかったくせに)、
今の体重ー15㎏だ!!
(うへ~、うっそ~とひっくりかえらないでね、病気になってから3㎏痩せたのに)
それで、 ピン!!ときた。
病気と闘う時もこれに似て、病気である今の自分は本当の自分ではなく一番痩せていて健康で幸せでだった頃を自分だと思うようにすればどうだろうか?と思った。
痩せていて健康とくれば、やはり、大学時代の自分か?
おぅ、もう20年もたってるぅ~(皺も増えたし、このたるんだ身体はどうだ!!)その頃からは二倍は生きていると思うと果てしなく遠く感じられるのだが、最近の私はなぜか大学の頃を思い出してしまう。昨日の事にも思えるのだが・・・

先週、「冷静と情熱のあいだ」をDVDで観た。
昨日、同じタイトルの江國香織と辻仁成の2冊の小説も読んだ。
ミラノ、コモ、ルガーノ、フィレンツェの街並みや臭い、日本とは明らかに違う空の青さを思い出す。特に2度目のフィレンツェの時は飽きるくらい名画をみてクラクラするほどだった。(あまりに歩いたために2週間で7㎏の減量したくらいだ)

日本画を描きながらもデザイナーの立場でイタリアのいろんな装飾を観て、感動したものだった。感動??最近、感動したものがなかったな~とふいに思う。
それなりに子供の運動会や、バレエなどを観て感激することはあっても、自分のエナジーを動かすものには出会っていない。
「なぜ?絵を描くのか?」はこのところ一番、私の頭を悩ませている。
冷静に絵を描く事は私には出来そうもない、いや、今まで冷静に描く事もなかった。
だからこそ、今描こうという気持ちはあるのだが、描けないでいる。
「こんな、ものでいいのか?」
今までは、自分の情熱に届かず、ただ、絵筆をぶつけていた。

主演の竹ノ内豊が好きで観た映画だったけど、絵画修復士という主人公順生のストイックなまでの情熱や、「行くべきところ」を探すあおい(ケリー・チャン)に大学の頃の自分を思い出すからなのだろうか?
修復不可能とも思えるこの私の身体に奇跡が起こる事を願うのであった。

                                   つづく

サバイバー日記[12](メール配信)

2008年05月17日 | サバイバー日記(メール配信済み)
【サバイバー日記】12 --------「芸術の秋」:2002/09/30配信

このところの私は、尼のように精進料理の日々・・・
というのも、癌になってから三度三度の食事が一番大事というので塩抜き、肉抜き、油抜き(動物性)・・・など以前とはうってかわる健康オタク。
狂ったように「肉が食べた~い!!」と思う事もないのは不思議ですねぇ~。

でも、好きな甘味は止められないので「りんごピザを食べにいこう!!」と誘われればホイホイと付いていきます、どこまでも・・・
獅子吼高原の「もく遊りん」のピザが好きなサバイバー家は昨日もいそいそとピザを食べに行きました。
「めちゃ、美味しい・・・♥♥♥」
と娘は私の分も横取りして食べるくらいのピザ好きになり、美味しいもの好きの我が娘を少々心配になる私・・・(少々まずいものは、まず食べない)

それから、お召かしして、娘のバレエ教室が競演する「クルミ割り人形」をオーケストラアンサンブル金沢(「利家とまつ」でも演奏している)の演奏で観てきました。
初めての音楽堂ホールで生音でのバレエ公演で、否が応でも興奮は高まるというのにちょうどお腹がふくれた娘は昼寝タイムに突入して・・・・
眠たいので機嫌も悪く、前の人の座席を蹴るは、知ってる曲の鼻歌を歌うはとまわりの方にはお構いなしになり、
「コラァ~!!!!!!!!」と怒ころうにも声も出せず、私と旦那は同時に両側から足を押さえ込み、口を塞ぎ、(これじゃ~児童虐待だ!!)
「めっ!!」と睨むのでした。

こうしてサバイバー家の芸術の秋はすぎていく~。

明日から風邪で延期になっていた抗ガン剤投与のための3回目の入院です。
先週は単調な入院のために冬に見過ごしていた「冷静と情熱のあいだ」と「アメリ」のDVDを借りて観ましたが、今日もまた何か借りて来ようと思ってます。
お勧めはないですか?

-- では、また~!!   \(^。^)/

日記の配信とカニ夫の気持ち

2008年05月15日 | サバイバーとカニ夫
サバイバーがメールにて配信した内容をブログ上に公開することはカニ夫が決めたことですが、最近、複雑な思いがあります。

あのときの判断・決断は良かったのか。

サバイバーが元気な時は考える余地もなかったことですが、読み直すと辛く感じることがあります。

カニ夫がその時に思っていた感情と違う感情が読み取れます。
今だから思うと言われればそうですが・・・。

治療の開始時は、サバイバーと良く話をしました。話というと聞こえはいいですが内容は「論争」でした。

医師の治療に対する考え方は、12年間病院に勤務していた医療職としては理解できます。でも、患者となって、それも5年生存率が絶望に近い数値だったサバイバーにとっては理解しがたい面が数多くありました。

その考え方の違いについて夫婦という立場でお互いを理解する必要があったのです。

サバイバーにとってカニ夫は夫と言うよりも医師の代弁者と思えたので腹の立つことも多かったのではないでしょうか。

「カニ夫」という名前もサバイバーにとって支え合う夫婦というよりも、治療を円滑に効率よく進めて少しでも長く生きて欲しいという思いが強かったため、「サバ夫」というよりも相応しいだろうと思い決めたものです。

でも、サバイバーはもっと夫としての愛情を直に感じたかったのだと思います。

これからも、サバイバーの思いを反復して懺悔の気持ちを忘れないように、サバイバーが作りたかった家庭が実現できるようにがんばります。

ただ、サバイバーの映っているビデオはまだ見ることは出来ません。
今も生きているという思いが強いので・・・。


サバイバー日記[11](メール配信)

2008年05月14日 | サバイバー日記(メール配信済み)
【サバイバー日記】11 --------「信頼のおける医者とは・・・」:2002/09/28配信

私は昨日、予約なしで福井のS病院のK医師のところまで行ってまいりました。

というのは、同じ炎症性乳ガンで術後4年経過し、現在再発して治療中の田原節子さん(田原総一郎さんの妻でエッセイスト)から手術前なら聖路加病院のN医師の指導を受けた方が良いと連絡があったからでした。その方は日本での炎症性乳ガンの権威らしいです。お互いに乳腺の専門医なので面識もあるようですし、K医師に連絡して、N医師にコンタクトをとってもらい、情報交換をしてもらったほうが良いと・・・。
手術は後戻りも出来ないし、失敗はしてもらいたくないですからね。
(それは少しでもベストな治療を知った上で執刀してもらいたいと思ったからです)
今日は診察日だったので馬鹿な私はそうゆうことはK医師に相談しても良いのだろうか?と主治医であるN病院のI医師に聞いてみました。まあ、当然、I医師にも知っていてもらいたいという気持ちで聞いたのですが・・・

私の今までの経緯の中で
             「手術は何処でするか?」
             「誰に執刀してもらうか?」

この2点が曖昧なまま、点滴(抗ガン剤)での治療は何処でも出来るからとK医師の指導で主人の勤め先で治療していました。我が儘な事を言えば、執刀はS病院のK医師で手術には主治医のI医師にも立ち会ってもらいたいとI医師には相談していました。
理由は主治医のI医師は乳腺の専門医ではないけど信頼のおける方なので術後の(精神的な)ケアをしてもらい、手術は乳腺の専門医のK医師にしてもらいたいと思っていたからでした。(外科のドクターにはそれぞれの専門や得意分野があるそうです)
でもこれは病院と病院との話しもありハードルが高いと医師から聞いていましたし、それでもなんとかなるだろうと主人から聞いてはいましたが、やはり曖昧なままでした。

でも今日の相談の内容(S病院のK医師に聖路加病院のN先生にコンタクトをとってもらいたい)には賛成できないと言われてしまい、(K医師の治療を信頼出来ない)だったら聖路加病院に行ったらと言われてしまい・・・・(突き放さないで~)
頭がフリーズしそうでした。

手術だけを聖路加病院でどうにかしてもその後のケアはどうなるのか?など私にはあまりにも無理なことで、現在の診療に対して患者が口を挟む事は「信用していないのか」と医師のプライドが傷つく事なのだと認識しました。
(でもね~自分の身体の事だから、そんな了見の狭い事は言わないで~)
炎症性乳ガンの権威といっても、私の治療には必ずしも適しているのかと言えば疑問符がつくこともわかっていましたが、もしかして治療のコツや新しい情報があればやはり主治医や執刀医に知っていてもらいたいと思ったのが浅はかだったようです。

結局、頭がフリーズしながらも主治医との信頼関係も保ちたいので、自分の不安な気持ちを消し去るために、
「K医師に私の手術の執刀してもらう事をお願いしてきます!!」
とI医師に言い残して主人と一緒に福井のK医師のところに再診察してきました。

その後、「何が私を不安にさせるのか?」とI医師は考えてくれたようです。

S病院の診察室に入るとK医師は、私を心配したI医師(「聖路加の事は相談出来ない」と言っていたのにもかかわらず)からの電話で話しの内容をすべて知っていて、
「聖路加病院のN先生は知ってるよ~ん」って感じで拍子抜けしました。
「うん、うん、確かに炎症性乳ガンの新たな情報が(N先生には)あるかもしれない」と言ってはくれましたが、連絡してくれるかどうかはわかりません。
K医師にはあえて私の方からは「N先生に連絡してほしい」とお願いもしていませんし・・・

例えて言うなら同じ家を建てるとしてもそれぞれ大工が違うので建て方だけを話し合っても違う家が建ってしまう・・・という事かしら
もしくはクライアントが同じように依頼したイラストでもイラストレーターによって全然違うイラストになってしまう・・・という事かしら?

N医師からの何らかのサデッションがあってもN医師の思うようにはいかないということだけはわかりました。東京に居れば、聖路加病院のように最先端の治療を受けようと思えば受けれるのだし、意義があるものと思います。

田原さんも、N医師も私を心配して好意で言ってくださってくれていることではありますが、今の私の現状(東京ですべての治療は出来ない)ではこれから先も執刀医と主治医を信用するしかないのです。
なにか他の治療があるとしても選択できない事情がこちらにある以上、望んではいけないのかもしれません。

私は、腹をくくって執刀医と主治医の二人の医師にまかせる事にしました。
あとは、執刀医と主治医が考えてくれる事でしょう。
いろんな情報でいささか疲れました。
あれこれと考えるより言われるがまま「おまかせ」したほうが安らかにすごせるのかもしれませんね。
結局、私の場合、曖昧だった「手術はN病院で11月中旬にK医師とI医師に」と決まりました。
まっ、それはそれで(最初の希望どうりで)いいか!!って感じです。

医者との関係は難しいです。

その後、昨日のうちにI医師はN病院の理事長に手術の事を話し、K医師が執刀することなどを了承してもらったそうです。旦那には昨日の私のI医師に対する非礼を詫びてもらい、「消しゴムで消しといて下さい」と伝えてもらったのはゆうまでもありません。

あ~、疲れた・・・

-- では、また~!!   \(^。^)/

サバイバー日記[10](メール配信)

2008年05月14日 | サバイバー日記(メール配信済み)
【サバイバー日記】10 -------「待ってた、待ってた、運動会!!」:2002/09/23配信

土曜日は待ってた、待ってた、運動会でした。
朝、保育園に行くともうすでにレジャーシートの嵐・・・
前日Hさんに「場所とっといてあげるよ」と言われていたので悠長に何処かな~?と探してもそれらしきものもなくて・・・
結局場所取りは朝5時から始まったそう・・・
「保育園の園庭の鍵もかけているのに~」と保母さんもびっくり!!
みんな子供のためにこそ泥のように朝早く起きて、園庭の鍵を外したんだなと思うと笑えました。

そんなこんなで運動会が無事始まって、いよいよ本番です。
「よ~い、どん!!」と走る、走る、かけっこは3位!!
春には跳び箱も跳べず、縄跳びも満足に出来なくって、ましてやのぼり棒なるものにいたっては親も出来な~いと思うのに我が娘にこんなもの出来るのか?と不安だったのに・・・障害物競走も3位!!
「出来な~い」(T_T)と泣いていた娘はそこにはいなくって勇敢に走っていました。
大嫌いだった組み体操も一生懸命に踏ん張っていましたし、パラバルーンも間違わずにちゃんと上がりました。最後のリレーでは3位でバトンを受け取って、私の目の前で1人を抜いて2位でバトンを渡せました。
運動神経がイマイチだと思っていましたが、我が娘にしちゃ~なかなかやるもんです。

そうそう、騎馬戦はパパが右足を骨折!!したので結局私が騎馬になるはめになって、娘の兜は逃げ回り作戦で取られませんでした。
(私のカツラも一緒に取られやしないかとヒヤヒヤもんです・・・フゥ~)
運動会の2日前に職場で、あわてて階段を下りて剥離骨折してしまったパパは、まったく肝心な時に役立たずです。ε=┏( ・ε・)┛
リレーは一度も1位にならなかったけど、娘はみんなの目の前でいいところを見せられたので満足してました。

でも子供達は2.3日前から腹痛や爪かみなどプレッシャーを感じていて、
「○○わぁ~、ストレスでおなかいたくなってん」といっちょ前に言ってくれました。
でも、それはストレスではなく私のひいていた風邪が元だったことは翌日熱を出したことで明らかになりましたが・・・

私も明日からまた入院です。
今回は3回目なのですが、前回は悪心が出て、
妊娠でつわりのなかった私は「つわりってこんなものなのか」と新たな経験でしたが、
今回も出るのではないかと心配です。
乳ガンの患者会のホームページの掲示板で同じ炎症乳ガンの方がいる事を知りました。
みんな治療方法が確立していないこの病気の情報に飢えています。
TVでおなじみの田原総一郎さんの奥さんも同じ病気だそうです。
私は入院だというのに子供は風邪で熱を出すし、旦那はびっこをひいてるし、
も~う!!まったく~!!の日々です。

-- では、また~!!   \(^。^)/

サバイバー日記[9](メール配信)

2008年05月13日 | サバイバー日記(メール配信済み)
【サバイバー日記】9 -----カツラが来た!!病院の反応の巻:2002/09/17配信

急に寒くなってきましたね。長袖をあわてて出して、衣替えを急いでいる私です。
土曜日は、オニューのカツラをつけてマスクをつけ帽子をかぶると、
はて?何処のお方?
脂肪ぶくれの身体だけが私の印・・・さて、何を言われるやら・・・

「サバイバーさ~ん♪♪♪」と外科の看護婦さんに声をかけられていそいそと行くと
私を見るなり、カツラなぞ見ずにひたすら腕をつかみ、熱~いタオルを両腕にかけられ、「う~ん?今日も(血管)出ない?」と困り顔・・・・
主任、婦長、ベテラン看護婦4人が変わるがわるしても
10cc取るのもなかなか難しい
(痛いぞ~!!痛いぞ~!!痛いぞ~!!早くなんとか血を取ってくれ~!!)
結局、合計5箇所も注射針を刺されてようやく10cc取れたのですが、胃カメラをとる静脈のルートは取れずじまい・・・・「ごめん、サバイバーさ~ん、針入らんし、麻酔なしで胃カメラ駄目け?注射針、何回も刺されるより痛くなと思うし・・・」
と騙され、さんざん痛い思いをしたのに麻酔なしで胃カメラをしたのでした。
ふぅ~(-_-;)
で、カツラのことなどまったく気がつかない外科外来ナース達で・・・・
う~ん、もぅ!

今日は連休明けで病院に行ったら、
3階病棟ナースに「おはようございま~す♪」と言った私を
「?????????」の顔で見るので
マスクをとると「いや~ん、帽子(カツラ)被ってるから全然わからんかった~」
と言われ、変装?!に大成功でした。★★★
入院中はめんどくさいのでカツラをつけず、
スカーフやバンダナで過ごしていたので余計にそう思うのでしょうかね。

さて、ここで問題です。私の新しい髪型は次のうちどれでしょう?

❶高島礼子風
❷田中美佐子風
❸藤原紀香風
❹ゲゲゲの鬼太郎風

髪型は❶~❹はほとんど差がないんだけど中身が違うのでかなり違った印象になります。前髪は目にかかるくらいのやや長目でサイドと後ろは肩よりちょっと長目でシャギーが入っています。私はカツラだけ見てると❶に見えますが私がかぶると生え際はごまかしをうまくしないと❹になっちゃいいます。
前髪がポイントなんですよね。ハ・ハ・ハ・ハ(^_^;)
でもカツラを脱ぐと鬼太郎の親父に早変わり・・・・「オイ!鬼太郎!!」


でも、このカツラのお陰で連休は立山の温泉にも入ってこれました。
そう思うと、私のように癌で髪の毛を無くした他の患者さん達はどうしているのか?
と心配になりました。きっとジロジロ見られながら温泉に入るか、人目をはばかっているのか・・・・?
この病気で苦しむ人は以外と精神的なダメージが大きいんですよ。
病気の病状よりもまわりの環境の変化、身体的な変化によるストレスはものすごいスピードでやってくるんです。

私は今後あと2回の抗ガン剤投与後リンパ節も含めて左胸を切除する予定です。
9/24~3回目、10/15~4回目、11/5頃に手術かな?
手術後は年内には退院してお正月には自宅で迎えられるようにスケジュールを組んでくれるそうです。
でも急に寒くなってきて免疫が落ちている私は風邪をひいてしまいました。
ト・ホ・ホ
風邪には気をつけてね~!!
-- では、また~!!   \(^。^)/

サバイバー日記[8](メール配信)

2008年05月13日 | サバイバー日記(メール配信済み)
【サバイバー日記】8 ------「カツラが来た!!」の巻:2002/09/14配信

2週間前に注文していたカツラがようやく出来上がりました。
前日に電話で「もう出来上がってます」と電話をいただいていたので、
病院の帰りにいそいそと行くと、
「我ながら、なかなか良いのに出来てますよ~♥」と担当者は自画自賛の声。
一抹の不安を抱きながら個室に入るとそのカツラちゃんが鎮座しており・・・・

「?・・・・」

今まで私の髪質は「堅い!太い!しかも縮れてる!」の三重苦のためサラサラなナチュラルヘアなぞ望もうものならストレートパーマをかけても毛先が広がってまるでヘルメットをかぶっているかのようなボリュームに
「カミサマ・ゴメンナサイ・・・ニドトシマセン」
と結局ゴムで結んでしまい、何のために大金かけてストレートパーマをかけたのかわかんなくなっちゃうのは皆さんご承知の通り・・・。

(いや~ん!!なんともこっ恥ずかしいナチュラルヘア・・・・だぁ~
でも、こんなものかしら~?カツラってすごいわ~
そうよね~犯人が変装して逃げる時もカツラなんかをかぶるのよね・・・)
とほくそ笑みながら試着してみました。

今なら、逃げ通せるわ!!と思うくらいにイメージチェンジです。

自宅に帰ると母が気遣って「あら~若かなったわ~!!」と言い、
保育園に迎えに行くと「ママ~、変~!!」
お母さん方には「あれ?また?髪切ったの?」と
さすがの違和感の感想ありがとぅ~!!なのでした。

ホ・ホ・ホ・ホ・・今日はまた病院でビックリさせてやるぞぉ~と意気込む私でした。

-- では、また会うときに笑ってやって~!!   \(^。^)/


サバイバー日記[7](メール配信)

2008年05月12日 | サバイバー日記(メール配信済み)
【サバイバー日記】7:2002/09/10配信

すっかり秋になってしまいました。
土曜日は楽しみにしていた安宅祭りにも行って、たぶんこの夏最期の花火を見ました。
遠くから聞こえる獅子太鼓の音や夜店のあかりにつられて実家だったところにも行きました。そこは、私達の知らない人が住み、明かりが部屋からもれていており・・・・
30数年住んだ懐かしい風景がありました。

今日は運動不足を解消するため、旦那と二人で朝の散歩に出かけました。
朝早くの空気は本当に気持ち良く、萩が川面にそよいでいました。

おとついも、近くに住んでいる悪性リンパ腫を克服したk先生(日展会員・彫刻家)のところに寄って病気の治癒話を聞いたり、子宮癌を克服した同じ保育園のお母さんとお話していると誰もみんな口には出せない悩みを持っていたんだと思います。
話せない分悩みは深く、深刻であったりはしますが、
「最近、(病院で)顔見んけど、死んだんかね~」と患者同士で話す事など
非常にドライな部分もあって、さすがに生き残った強さを感じます。
「でも、病人は病人らしくしとった方がいいよ~」と言われ、無理して絵を描いて、同じ病気で逝ってしまった画家の話をしてくださり、私に頑張らないようにと言ってくれました。


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☞「心を平静に保ち、
  人生を振り返ってみなさい。
  人生をつらぬいている
  明確なパターンと計画が見えてきます。

  何事も偶然ではありません。」-----アイリーン・キャディ
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ほんと、生きる事と死ぬ事は隣り合わせだと思います。
いろんな人に出会って、今まで何げに話しをしていたことが、こんな病気になってからこそ近くに感じる事が多い今日この頃です。
-- では、また~!!   \(^。^)/

サバイバー日記[6](メール配信)

2008年05月12日 | サバイバー日記(メール配信済み)
【サバイバー日記】6:2002/09/08配信

2回目の抗ガン剤投与も無事終わり、金曜日の夕方退院してきました。
抗ガン剤の臭いに病院の臭いが自分の身体にまとわりついて気分が悪くなって食欲も出ないんですもの・・・・(健康な人が病院に入院すると絶対病気になると思います)ということで★スタコラサッサと病院から逃げてきました。

食欲もさすがに落ちてきたので梨やリンゴの果物類やにゅうめんなどの喉越しの良いものやもずく酢などの酢の物を中心に食べてます。

あと「ためしてガッテン!!」(NHK)でやっていたんだけど、
疲労をためない食事は朝にカリウム(果物)と糖分(さとうや蜂蜜)昼はスタミナ中心のご飯を食べる。
食後ビタミンcを食べ水分補給は汗が塩っぱい時(外回りや買い物)にはナトリウム入りのスポーツドリンクで普通に汗をかいて塩っぱくない時はお茶や水を充分とる。夕食には軽めで高タンパクな豆腐や納豆などの植物タンパクをとると良いそうです。それとお風呂は夕食の前に、睡眠は8時間とるようにすると成長ホルモンが活発に働いてくれて疲れを翌日にもちこさないし、免疫も上がるそうですよ。

これは夏バテ解消法らしいのでこの時期、参考にしてくださいね。
季節の移り変わりの時は身体も基礎代謝も変わってくるので、身体が疲れやすいんですって・・・・食養生している尼僧!?がお伝えしました(笑)m(__)m


-- では、また~!!   \(^。^)/

体調管理の大切さ

2008年05月12日 | カニ夫の生活
5月7日の業務終了後、熱感が有り体調が思わしくなく早退。
翌日は朝から下痢がひどく仕事を休む。

5月9日は朝から銀行役所周りをしてサバイバーの書類整理をして午後は老人保健施設へ出向。

5月10日は朝から、金沢21世紀美術館へ行き、サバイバーの絵と対面。感情が高ぶり何故か涙があふれそうになる。体調が徐々に悪化し体力がなくなる中でこれだけの絵を仕上げたことに改めて感動してしまう。そういえば、時々絵を描いている様子を見にアトリエに行っていたが、昨年に描いた絵やこの絵の時は全く手伝った記憶がない。たぶん昼間の体調の良いときに描いていたのと、カニ夫は忙しくてサバイバーの事を気にしなかったのだろう。色々なことが思い出される。

その日の夕方滋賀県出身のHさんが出張途中に金沢を訪れてくださる。娘と共に3人で香林坊にて夕食。民宿「田中」へ移動し、サバイバーの思い出や今の状況についての雑談に花が咲く。
翌日、娘の用意してくれた3人分の朝食を食べ、Hさんを金沢21世紀美術館へ送り、車の修理の為に小松へ。今日は結婚記念日だったので、サバイバーの好きな中華料理屋さんで娘と2人でランチ。帰りに母の日のカーネーションと先日用意した水槽に入れるために、出目金とメダカとヤマトヌマエビを購入し帰宅。

カニ夫は相変わらず下痢で魚さん達を水槽に移したあとはベッドに入って休憩。いつの間にか寝てしまう。
娘は、カニ夫のために卵雑炊をつくって起こしに来てくれた。
何とか雑炊を完食し、就寝。

毎日の事は何とかこなしているが、体調が優れず、ストレスが溜まる。
元々、自己管理が苦手なのですが、そんなことも言っていられない状況なので、暖かい服装で無理をせずに体調の回復を待ちたいと思います。

何も刺激がないと「ぼーっ」としてしまい、食事をするのも忘れてしまう状況です。
しなければならないことを考えると、あまりの多さに思考が停止して、また「ぼーっ」としてしまう。

堂々巡りの毎日ですが、少しずつ前進していきます。

本日は、五七日の法要を午後六時から自宅で行います。また、来週火曜日の午後六時から六七日の法要を同じく自宅で行います。

七七日(四十九日)の法要は5月25日(日)勝光寺にて午前10時から行います。また、その後で法要に参加していただいた人と、サバイバーの好きだった近所の中華料理屋さんで好きなものをたのんでいただいて食事をする予定です。一般的な法要の段取りと異なりますが、カニ夫とサバイバーらしくていいかなと思っています。

四十九日が終わると来年までは法要もなく、日常の生活が続くようです。

寂しい生活をしているとサバイバーに怒られそうなので、出来るだけ活動的な予定を入れて、前向きに頑張ります。

サバイバー日記[5](メール配信)

2008年05月06日 | サバイバー日記(メール配信済み)
【サバイバー日記】5:2002/09/05配信

今日も暑いね~9月に入ったって~のに地球はどうなってるんだろ・・・

今日で私が癌だとわかってちょうど一ヶ月たちました。
怒濤のような一ヶ月・・・
産婦人科の医者から外科に行くようにと紹介状を持ち不安に思いながら診察しました。私の胸を見るなり、とても不愉快な顔になり、
「なんで早くこなかった!!」と言われ、「なんで?まさか癌?」と聞くと
「その疑いは強い・・・」との事だったんだ。
そんな事がずいぶん昔のような、、、
でもそれから凄い勢いで荒波にもまれていました。

昨日、左胸の写真を撮ったところ、一回目の抗ガン剤投与の時と比較したら、
赤みも薄くなって、範囲もやや小さくなって「う~ん、効いているね~」
「この調子でどんどんいこう!!」と主治医が喜んでいました。
私自身も痛みも弱くなってきたのと、腫瘍のまわりが柔らかくなってきて
左にも寝返り出来るようになってきて楽になりました。

昨日の夜は前日の寝不足も手伝って爆睡しました。
吐き気も無くなってきたので喜んでいます。
私の場合、抗ガン剤を大量にドカン!と使っているので吐いて苦しんでいないのが
不思議だと言います。
吐き気をおさめるために、抗ガン剤を入れる前に大量のステロイド剤を使っているそうです。
ステロイドと聞くと「え~、大丈夫なの?」と心配になりますが、
確かにひどい吐き気は治療能力を落とすと思います。
主治医の薦めで福井の病院の乳ガンのオピニオンリーダーと言われている先生に会って、治療レシピをfaxで送ってもらっています。
たぶん、手術ともなれば、その先生と主治医が協力してやっつけてくれると信じています。ただ、病院の診療を休んで手術ともなれば、病院と病院とで手術のお礼金として支払うべきお金が派生したり、「なんで他の病院から医者を連れてくるんだ!!」と言う医師のプライド的な感情の部分もあってハードルは高いんですが、ここの理事長はHちゃんのお母さんの友達という事もあってたぶん大丈夫だと確信してます。
これもまた医療費外に派生するお金なので、日展の絵を病院に寄付する事になりそうですが・・・・(笑)

入院中は、本に載っている免疫をあげる呼吸法をしたり、
指もみが良いらしいので指先をもみもみしたり、筋肉が落ちてきているので、(っていうか体脂肪が増えているので・・・)旦那がいるリハビリ室で自転車こぎしたり、
日展のための小下絵を描いたりしてます。
まあ、疲れやすいので、疲れたらすぐ横になっていますが・・・。
そうそう、寝不足は免疫を低下させるんだって・・・
考えてみたら、今まで身体に悪い事ばかりしていました。

それに、ホルモンのバランスを崩すのは閉経前にも関わらず高年齢出産したひとや未婚者、子供がいない人に多いらしいですよ。それに太った人・・・
まさに私・・・だ!!
私も娘の出産直前の体重を超えていたので元に戻さなくては・・・・


そうそう、今、髪の方は「生まれたてのひよこちゃん」状態または「マルコメ君!!」のような感じです(笑)
でも、この坊主姿を鏡で見ると父や祖父にそっくりで自分でもビックリ!!します。

ホント、遺伝子は怖い・・・(笑)

-- では、また~!!   \(^。^)/


サバイバー日記[4](メール配信)

2008年05月05日 | サバイバー日記(メール配信済み)
【サバイバー日記】4:2002/09/04配信

2回目の入院2日目です。
今回は2回目ということもあってさすがに吐き気がありました。
しかも、昨日は熱帯夜・・・・病院は9時以降はクーラーも消えるので暑いのと
金沢特有の湿気がジト~と抗ガン剤の入った私を襲うのでした。
ひたすら、自己免疫を上げるため、涼しいところを瞑想するのですが、
睡眠も浅く、3時間も寝たでしょうか?

この間は生検のオペをしたので麻酔やら傷口(約5針)が痛み閉口しましたが、
抗ガン剤の影響は比較的軽く、吐き気止めの注射も一回もしませんでした。
でも私の場合吐き気が軽くて、むかむかする程度なので喜んでいます。
しかも食欲は落ちない・・・・ちょっとは落ちて痩せればいいのにね。
主治医は食欲が落ちない事に驚いています。
私の癌は治癒が難しいとされているのに主治医も指導医も全然諦めていません。
私が治れば、症例を学会発表できるくらい珍しいことなんですって・・・。
まったくたのもしい2才年上の主治医の先生です。
この病気でこそ出会ういろんな方にもご縁を感じる今日この頃です。
もちろん、この私もなんとか治ると信じています。

また、外科治療以外にいろんな選択肢があることも知っていますが、なにしろ健康食品で医療費ではないというところがなんとも痛いよね。

しかし、この病気お金がかかります。
幸い、保険に三大疾病特約をつけていたので、さしあったては大丈夫ですが、充分な医療をするためにはまだまだ足りません。高度医療や保険適用外の医療も多く、厚労省は何をしているんだ!!と憤りさえ感じます。特に横浜で受けようとしていた活性化リンパ球療法のための輸血製剤の本来の用途とは違うということで日赤から輸血製剤を供給しないと通知され、患者である私達は治療するにも血液がないのでリンパ球が出来ないので困っています。病院からの依頼で患者からの嘆願書を先週出しましたが、どうなるんでしょう?でもこれも保険適用外で一本20万で2週間ごとに6クールで120万かかります。このワンセットで終わる人は少なく、2セット目、3セット目とそれこそお金が続く限り免疫との戦いらしい・・・まさにサバイバーでしょ!!
昔は、生前給付などいらないと馬鹿にしていましたが、癌という病気は必要です。
私はお小遣いが減ったぐらいで家計にはそう関係ないけど一家の大黒柱が病気になったらそんなわけにはいかないもん・・・

実のところ、自分の保険に特約をつけていることをこの間まで知らなかった・・・
馬鹿な私は経済的な負担を真剣に心配していたのでした。

ほんと、保険は大切です。

-- では、また~!!   \(^。^)/

休日の休日

2008年05月05日 | カニ夫一家
昨日は,サバイバーの母の希望で温泉へ出かけた.

色々としなければならないのに・・・.

でも,昨日はサバイバーの母の誕生日であった.

いつもと違う温泉へ向かうと車の列

予定変更でいつも行く「白山里」へ.やはり,空いていた.

温泉に入った後,娘の希望で60cmの水槽と水草,カニ夫の車用品のお買い物.

帰宅後,水槽のセッティングをして,予約しておいた誕生日ケーキを受け取りに外出.
サバイバーの母と共に夕食後,サプライズでケーキを取り出しパーティーに.
楽しいひとときを過ごしました.

しかし,写真を撮っていない.カメラマンはサバイバーだったので誰も気がつかない.ちなみに,このブログに写真をアップする方法をまだ理解していない.

今日は昨日の分もがんばって片付けるぞー.