メール配信のサバイバー日記を見直しながら投稿していると、その時の状況がリアルに蘇ってくる。
サバイバーの話している顔、話し方、仕草。昨日のように感じる。
この日記の投稿が終わったら淋しくなるだろうなと思う。
でも、その時にはだいぶ前進していて大丈夫かも知れないとも思う。
今日、地域理学療法学の講義で終末期リハビリテーションの説明をした。
最後まで「尊厳」のある生活を・・・と教科書には書いてある。
たぶん、学生には理解できないだろうと思う。
出来るだけ想像して欲しい。自分のことが自分で出来ず、思いが伝えられず、周りの人にすべてを決められる状態を。
尊厳を上手く説明できないが、私が終末期を迎えたら「思いをわかって、気を遣って欲しい」と思う。
私もサバイバーと同じように、特別なことを望むつもりは無いと思う。
笑いながら一生懸命に生きてその時を迎えたい。
何故かそんな気持ちに成ってくるのである。
サバイバーの話している顔、話し方、仕草。昨日のように感じる。
この日記の投稿が終わったら淋しくなるだろうなと思う。
でも、その時にはだいぶ前進していて大丈夫かも知れないとも思う。
今日、地域理学療法学の講義で終末期リハビリテーションの説明をした。
最後まで「尊厳」のある生活を・・・と教科書には書いてある。
たぶん、学生には理解できないだろうと思う。
出来るだけ想像して欲しい。自分のことが自分で出来ず、思いが伝えられず、周りの人にすべてを決められる状態を。
尊厳を上手く説明できないが、私が終末期を迎えたら「思いをわかって、気を遣って欲しい」と思う。
私もサバイバーと同じように、特別なことを望むつもりは無いと思う。
笑いながら一生懸命に生きてその時を迎えたい。
何故かそんな気持ちに成ってくるのである。