ジュリエット登場のシーンで、いきなり予想外の号泣をしてしまった。
居眠りをしている乳母のいる部屋にドタドタ走りで入ってきたオーシポワが、本当に元気いっぱいのお転婆な娘だったからだ。
ボリショイからのゲスト、ナターリヤ・オーシポワのジュリエットは、誰よりも表情豊かで、少年っぽい。宮崎アニメのヒロインみたいなのだ。
アルプスの少女みたいなジュリエットが、自分の婚約お披露目舞踏会でロミオと出会うシーンには、ヒロインの声にならない声が聞こえた。
「今まで見たこともないような綺麗なあなたは一体誰ですか?」
相手役は、長身・金髪の典型的な王子のルックスのデイヴィッド・ホールバーグだから、これは最初ジュリエットの一方的な一目ぼれに見えた。
ここが面白いところで、ロミジュリはキャストによって全く違う物語になってしまう。
ロミオを見つける前、婚約者のパリスとジュリエットの踊りがある。パリス役はサッシャ・ラデツキー。
ジュリエットとパリスは同じ黒髪で背格好のバランスもよく、お似合いのカップルだった。
このままロミオが登場しなければ、「いい夫婦」になって子だくさんな大家族になりそうな雰囲気なのだ。
だが、ロミオに一目ぼれしてしまった。相手は絵に描いたような美男子で、どこか宇宙人ぽい。
最も遠い遺伝子と結びつきたい、と思ったとき、恋愛は恋愛以上の爆発的な何かになる。
ロミオの美しさ(この場合ホールバーグの美しさ)は、とても不吉だ。
恐らく、ホールバーグはパリスの役としても理想なのだ。婚約者パリスの存在はジュリエットにとって不吉だからだ。
しかし、この場合はロミオが不吉なのである。ホールバーグの美貌は、大災害の前夜の満月のようだ。
一幕であんなに泣けたロミジュリは初めてだったが、この先の悲劇をこんなにも濃厚に感じさせるキャスティングは稀だったからだろう。
ダンサーとして、ああいう完璧な外見を持って生まれるというのは、幸運であると同時に災難だ。
ホールバーグは情熱的に踊っても、端正すぎる容姿ゆえに、演技が「薄く」見える。
だから、ロミオはジュリエットに一目ぼれしたというより、目の前にいるジュリエットの中で爆発してしまった「愛」の虜になっているように見えた。
先にちょっかいを出していたロザラインは成熟した女性で、「女一族」に特有の勿体ぶった態度をとる。
(本当にロミオが嫌いで眼中にない、という演技をするロザラインもいるが、この日のロザラインは明らかに気があるクセにロミオを弄んでいる感じ)
だから、ロミオにとっては、惜しみなく燃え上がるジュリエットの自分への愛が、とても特殊で例外的なものに思えたはず。
ジュリエットはまだ女ですらないのだ。一気に火がついて「愛」そのものになってしまった。
ロミオを見つけたジュリエットは、そこからどんどん生き生きと大きく燃え上がっていく。
その炎に魅了され、愛に感染し、どんどん彼女への愛情が大きくなっていくロミオなのだ。
というようなことを、舞台を観て初めて思った。
この組み合わせ、最高すぎるでしょう。最後は「薄い」ホールバーグも顔を真っ赤にして熱演していたし。
しかも、最期の墓場のシーンもユニークだった。ジュリエットの死を嘆いているパリスを、ゴメスのロミオは見つけるなり反射的に刺殺したが、
ホールバーグはパリスの逆上を受け止めて、差し違えるという演技だった。
薬からめざめた後、最初にパリスの死体をみつけて、憐れむような表情をするジュリエットも初めて見た(ここも隠れた号泣ポイントでした)
オーシポワのジュリエット、マクミランが見たら何と言っただろう……見せたかった。
古臭いことを言えば、シェイクスピアはオリジナルがお芝居なのだから、ジュリエットは女優として最高でなければいけない。
オーシポワのジュリエットからは、はっきりとした「台詞」が彼女自身の声で聞こえてきた。
アレッサンドラ・フェリのときもそういうことがあったし、これが二度目である。
同じ組み合わせでこのロミジュリ、また観たくて仕方ないのです。
居眠りをしている乳母のいる部屋にドタドタ走りで入ってきたオーシポワが、本当に元気いっぱいのお転婆な娘だったからだ。
ボリショイからのゲスト、ナターリヤ・オーシポワのジュリエットは、誰よりも表情豊かで、少年っぽい。宮崎アニメのヒロインみたいなのだ。
アルプスの少女みたいなジュリエットが、自分の婚約お披露目舞踏会でロミオと出会うシーンには、ヒロインの声にならない声が聞こえた。
「今まで見たこともないような綺麗なあなたは一体誰ですか?」
相手役は、長身・金髪の典型的な王子のルックスのデイヴィッド・ホールバーグだから、これは最初ジュリエットの一方的な一目ぼれに見えた。
ここが面白いところで、ロミジュリはキャストによって全く違う物語になってしまう。
ロミオを見つける前、婚約者のパリスとジュリエットの踊りがある。パリス役はサッシャ・ラデツキー。
ジュリエットとパリスは同じ黒髪で背格好のバランスもよく、お似合いのカップルだった。
このままロミオが登場しなければ、「いい夫婦」になって子だくさんな大家族になりそうな雰囲気なのだ。
だが、ロミオに一目ぼれしてしまった。相手は絵に描いたような美男子で、どこか宇宙人ぽい。
最も遠い遺伝子と結びつきたい、と思ったとき、恋愛は恋愛以上の爆発的な何かになる。
ロミオの美しさ(この場合ホールバーグの美しさ)は、とても不吉だ。
恐らく、ホールバーグはパリスの役としても理想なのだ。婚約者パリスの存在はジュリエットにとって不吉だからだ。
しかし、この場合はロミオが不吉なのである。ホールバーグの美貌は、大災害の前夜の満月のようだ。
一幕であんなに泣けたロミジュリは初めてだったが、この先の悲劇をこんなにも濃厚に感じさせるキャスティングは稀だったからだろう。
ダンサーとして、ああいう完璧な外見を持って生まれるというのは、幸運であると同時に災難だ。
ホールバーグは情熱的に踊っても、端正すぎる容姿ゆえに、演技が「薄く」見える。
だから、ロミオはジュリエットに一目ぼれしたというより、目の前にいるジュリエットの中で爆発してしまった「愛」の虜になっているように見えた。
先にちょっかいを出していたロザラインは成熟した女性で、「女一族」に特有の勿体ぶった態度をとる。
(本当にロミオが嫌いで眼中にない、という演技をするロザラインもいるが、この日のロザラインは明らかに気があるクセにロミオを弄んでいる感じ)
だから、ロミオにとっては、惜しみなく燃え上がるジュリエットの自分への愛が、とても特殊で例外的なものに思えたはず。
ジュリエットはまだ女ですらないのだ。一気に火がついて「愛」そのものになってしまった。
ロミオを見つけたジュリエットは、そこからどんどん生き生きと大きく燃え上がっていく。
その炎に魅了され、愛に感染し、どんどん彼女への愛情が大きくなっていくロミオなのだ。
というようなことを、舞台を観て初めて思った。
この組み合わせ、最高すぎるでしょう。最後は「薄い」ホールバーグも顔を真っ赤にして熱演していたし。
しかも、最期の墓場のシーンもユニークだった。ジュリエットの死を嘆いているパリスを、ゴメスのロミオは見つけるなり反射的に刺殺したが、
ホールバーグはパリスの逆上を受け止めて、差し違えるという演技だった。
薬からめざめた後、最初にパリスの死体をみつけて、憐れむような表情をするジュリエットも初めて見た(ここも隠れた号泣ポイントでした)
オーシポワのジュリエット、マクミランが見たら何と言っただろう……見せたかった。
古臭いことを言えば、シェイクスピアはオリジナルがお芝居なのだから、ジュリエットは女優として最高でなければいけない。
オーシポワのジュリエットからは、はっきりとした「台詞」が彼女自身の声で聞こえてきた。
アレッサンドラ・フェリのときもそういうことがあったし、これが二度目である。
同じ組み合わせでこのロミジュリ、また観たくて仕方ないのです。