三人ともドイツ生まれ。
ピアニストのマーティン・ヘルムヘンは1982年生、ヴァイオリンのヴェロニカ・エーベルレは1988年、最年長の石坂団十郎(チェロ)でさえ1979年生まれという若いトリオである。
キャラクターの立ったグッド・ルッキンな男女なので、ステージの上は「のだめ」状態というか、なんだか青春映画を観ているみたい。
マルティン・ヘルムヘンは数年前、同じトッパンホールでソロのリサイタルを聴いたが
厳格な中に明るい光のような柔らかさを感じる音色で、きっちりしているのにロマンティック。
ポートレイト写真も、王子様ふうの素敵な映りのものが多く(わたしも実はルックスから興味を持ったのです)30歳になっても「深窓のプリンス(!)」っぽい雰囲気が残っている。
石坂団十郎は、メンデルスゾーンのチェロ・ソナタを収録したソニーのCDを聴いて好きになった。彼にも、軽やかさや柔らかさといった要素を感じる。
意志の強さだけでまくしたてる音楽ではなく、何か大きくてゆったりしたものに身をあずけている感触がある。モダンな透明感もあり、温かみもあってオーガニックなのだ。
この人もチェロを弾く姿がとっても絵になる。
なので、紅一点のヴェロニカ・エーベルレのみ初めてだったのだが
彼女、曲に半端なく入り込むタイプで、スワロフスキーのヘアアクセサリーが何度も
吹っ飛んでいきそうだった。情熱的だが、力任せではない。底力のある集中力。
この夜のリサイタルは、彼女が推進力になっていたようだった。
リズム感が、とびきり若々しい。それに「お兄さん」のヘルムヘンと団十郎が刺激されていた。
曲目は、ハイドン ピアノ三重奏曲 ハ長調
ブラームス ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op.101
シューベルト ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 D898
ハイドンのハ長調は、新緑の発芽パワーを感じる活力に溢れた曲。
ピアノ・トリオの醍醐味って、演奏家が心から楽しんで、幸福感を感じながら演奏している
その至福の時間を共有することなんだ…と改めて思った。
既にヴェロニカは最大のグルーヴの渦中におり、
キラキラの髪ぱっちんはどこかへ飛んでいきそうだ。
ブラームスでは、ヘルムヘンのピアノの音がガラリと変わる。
重厚さと情念が一気に押し寄せ、色彩感もダークな深みを帯びてくる。
ヘルムヘン、見ていて指がつりそうになるほど、よく指が回る人である。
どんな緊張感も楽想のエモーショナルな高まりも、冷静に、わずかな破綻もなく弾き切った。
石坂団十郎は、とても上品で薫り高い響き。トリオにおおらかな調和をもたらす役目をはたしていた。天秤座か、双子座だろうか。
休憩をはさんで、最後はシューベルト晩年のピアノ三重奏曲。40分もある大曲だ。
死を間近にした暗鬱さはなく、シューベルト特有の、ひとつの楽想がファンタジーの領域で
無限に肥大していく運動が、全編を覆っている。
中心のない、不思議な音楽である。
シューベルトについて、しばしば言われる「長すぎる」という不満も浴びてきた曲だ。
ところが、この三人の妙なる調和は、あらゆる瞬間に楽しげな、作曲家の無意識のおしゃべりを翻訳しているようだった。
アンコールもシューベルト。「ノットゥルノ」のうっとりとした調べ。
それにしても、細胞が若い人たちの音楽って、聴いていてとても元気になる。
メロンやマンゴーを丸ごと食べると、汗までいい匂いになるように
全身の毛穴から、三人のオーラを吸い取ってきた私でした。
ピアニストのマーティン・ヘルムヘンは1982年生、ヴァイオリンのヴェロニカ・エーベルレは1988年、最年長の石坂団十郎(チェロ)でさえ1979年生まれという若いトリオである。
キャラクターの立ったグッド・ルッキンな男女なので、ステージの上は「のだめ」状態というか、なんだか青春映画を観ているみたい。
マルティン・ヘルムヘンは数年前、同じトッパンホールでソロのリサイタルを聴いたが
厳格な中に明るい光のような柔らかさを感じる音色で、きっちりしているのにロマンティック。
ポートレイト写真も、王子様ふうの素敵な映りのものが多く(わたしも実はルックスから興味を持ったのです)30歳になっても「深窓のプリンス(!)」っぽい雰囲気が残っている。
石坂団十郎は、メンデルスゾーンのチェロ・ソナタを収録したソニーのCDを聴いて好きになった。彼にも、軽やかさや柔らかさといった要素を感じる。
意志の強さだけでまくしたてる音楽ではなく、何か大きくてゆったりしたものに身をあずけている感触がある。モダンな透明感もあり、温かみもあってオーガニックなのだ。
この人もチェロを弾く姿がとっても絵になる。
なので、紅一点のヴェロニカ・エーベルレのみ初めてだったのだが
彼女、曲に半端なく入り込むタイプで、スワロフスキーのヘアアクセサリーが何度も
吹っ飛んでいきそうだった。情熱的だが、力任せではない。底力のある集中力。
この夜のリサイタルは、彼女が推進力になっていたようだった。
リズム感が、とびきり若々しい。それに「お兄さん」のヘルムヘンと団十郎が刺激されていた。
曲目は、ハイドン ピアノ三重奏曲 ハ長調
ブラームス ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op.101
シューベルト ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 D898
ハイドンのハ長調は、新緑の発芽パワーを感じる活力に溢れた曲。
ピアノ・トリオの醍醐味って、演奏家が心から楽しんで、幸福感を感じながら演奏している
その至福の時間を共有することなんだ…と改めて思った。
既にヴェロニカは最大のグルーヴの渦中におり、
キラキラの髪ぱっちんはどこかへ飛んでいきそうだ。
ブラームスでは、ヘルムヘンのピアノの音がガラリと変わる。
重厚さと情念が一気に押し寄せ、色彩感もダークな深みを帯びてくる。
ヘルムヘン、見ていて指がつりそうになるほど、よく指が回る人である。
どんな緊張感も楽想のエモーショナルな高まりも、冷静に、わずかな破綻もなく弾き切った。
石坂団十郎は、とても上品で薫り高い響き。トリオにおおらかな調和をもたらす役目をはたしていた。天秤座か、双子座だろうか。
休憩をはさんで、最後はシューベルト晩年のピアノ三重奏曲。40分もある大曲だ。
死を間近にした暗鬱さはなく、シューベルト特有の、ひとつの楽想がファンタジーの領域で
無限に肥大していく運動が、全編を覆っている。
中心のない、不思議な音楽である。
シューベルトについて、しばしば言われる「長すぎる」という不満も浴びてきた曲だ。
ところが、この三人の妙なる調和は、あらゆる瞬間に楽しげな、作曲家の無意識のおしゃべりを翻訳しているようだった。
アンコールもシューベルト。「ノットゥルノ」のうっとりとした調べ。
それにしても、細胞が若い人たちの音楽って、聴いていてとても元気になる。
メロンやマンゴーを丸ごと食べると、汗までいい匂いになるように
全身の毛穴から、三人のオーラを吸い取ってきた私でした。