始源と終末のオペラ 黛敏郎「古事記」

2011-11-25 09:51:18 | 日記
はじまりの物語に魅了される。
「まだ何もなかったころ」のお話には「すでにすべてが終わった後のこと」が書き込まれているからだ。
ハイドンの「天地創造」では、夫婦となったアダムとエヴァに、大天使ウリエルが「知りうること以上のことを知ろうとしないように」と警句を与える。
それはまるで、地上と地中にウランやプルトニウムを蔓延させてしまったどこかの国の強欲と過失を予言しているかのようだ。
過失は予想され予言され、はじまりと終わりは輪のようにつながっている。
それではオペラ「古事記」はどうか。8世紀に記された日本最古の歴史書をもとに
日本創世の遥かなときを、黛敏郎氏が壮麗な歌劇にした。
オーストリアのリンツ州立劇場から委嘱を受け、1996年に初演。作曲家の遺作となった。(日本での舞台上演としては今回が初演)

はじまりの一声は、観世銕之丞による日本語の「語り」であった。
「ただときだけが流れゆく」(とこれだけ聞き取れた)
何もない、何もない、まったく何もない空間に、かすかなよじれが生じ
それが宇宙の生成となる。
気の遠くなるほど遥かな始原の状態を表す言葉だ。
風の悲鳴のような、アンドロメダ星雲のような、ダークマターかダークエネルギーを
感じさせる弦楽器の音がすごい。神聖なカオスの木霊。
背筋が凍るようだ。
そして
「始原のすべては空にして荒涼、命の萌芽はいずこに?」というコーラスとともに
ひとつ、ふたつと夜空に星がきらめき、それが瞬く間に満点の星空となる。
時間が飛び、意識が飛ぶ。もうこの演出で、古事記の世界に心奪われた。
星座の配列も見える星々の数も、古代と現代では大きく違っていることだろう。
あの舞台の暗闇に浮かぶ星空の、豊饒な夥しさは、気の遠くなるような眩暈を誘発した。

円形にくりぬかれた舞台中央の回る盤には、大勢の人々が乗っている。
そこから、最初の男神であるイザナギ、女神であるイザナミが立ち現われ
夫婦の作業として、日本の八つの島を創り出す歌を歌う。
イザナギはバリトンの甲斐栄次郎氏、イザナミはメゾの福原寿美枝氏。
なるほど。島と大地を生み出す神には、この声が似合う。
地面に沿ってグラウディングした、静かで熱い声の二人だ。
イザナミの神秘的な声はほとんどコントラルトを感じさせるふしもあり
聖なるものの顕現を音響化しているのだ。
ワーグナーのオペラに熱狂するヨーロッパ人も、これには魅了されたはず。
ドイツ語の響きが、日本の神々にはとても似合う。

古代の鈍色(にびいろ)が青銅器のひんやりとした質感を彷彿させる舞台を見ながら
「古事記」とは幾度でも編集されるのを待っているテキストなのだと思った。
怠け者の私、幾度も手に取ろうと思ったものの、訳注がついた上巻をようやく手に入れたのが、オペラを見るわずか二日前。
有名な次田真幸氏による解説は素晴らしいのだが
本気で読むなら、本居宣長がエディットしたものに触れるべきだし
さらに古事記を読んだ宣長を読んだ小林秀雄のテキストも読むべきだ。
なぜか、日本の始原にはとても強く魅かれる。
一年半前から、皇居に頭を向けて毎晩眠っているせいもある。
そして古事記は、読めばよむほど荒唐無稽で、豊かで、あっけらかんとた
清潔な書物なのだ。
この眩しいほどの清潔さは、聖書の「創世記」の比ではない。
古事記は旧約聖書よりも、オペラに相応しい素材だったと思う。

黛氏は「古事記」を、愛と寛大さの物語として編集した。
オーケストレーションは現代的で、有名な「天岩戸に隠れるアマテラス」
をおびき出すための、祭りのシークエンスなどは、ストラヴィンスキーの春の祭典を
彷彿させる。パーカッシヴで、呪術的で、祝祭的。
放逐されたスサノヲの独白の歌も無調で、抑制された色彩感がある。
しかし、現代的なものが、そのまま古代的でもあるのだ。
調性というものを発見する前の、音楽以前の人の呼吸、血脈の鼓動、祈り、
それらが託されたハーモニーには、「やまと的なるもの」の疼きが感ぜられた。
何といったらよいか。厳しくもあり、凛としていながら、とても寛容な精神が
根底にこんこんと流れているのだ。
無調なのに冷たくない。温かさを感じる音楽である。

ヤマタノオロチを退治し、出雲の国に辿り着いたスサノヲが、
回心してアシナヅチの娘クシナダと夫婦になる三幕、
姉アマテラスが、スサノヲの過去の狼藉を許し、平和を願って
皇孫ニギノミコトを彼の国の支配者として降ろす最終幕のシーンは、とても明るく美しい。
惜しむならば、三幕四幕あわせて30分という尺は、あっさりしすぎているようにも
感じられる。黛先生の絶筆でもあり、大変な中で完成したことはうかがえる。
ワーグナーの、ふてぶてしいまでの長尺に慣れた耳には
「まだまだ、まだまだ古事記を聴きたいのだ」とおかわりをしたい想いもあった。

最後、再び語り部が登場し、
「こうしてわれらの国は始まった…」と述べる。
次いで、この国と宇宙においては「愛」がすべてなのだと、
語り部は述べていた。
そこでまた、はたと色々な想いが脳裏をめぐる。
この宇宙論的なオペラには、ただひとつの大きなエネルギーが流れていたことに
包まれるような安らぎと驚きを感じた。

この古事記の世界観は、実は維新以降も日本の民間では信仰されていた。
ラフカディオ・ハーンの日本を巡る回想録や、「蝶々夫人」を見るとわかるはず。
(お手伝いさんのスズキはいつも猿田彦神を拝んでいる)
近代化と都市文明によって切り離された神話的な世界観は
つい100年前まで、我々とともに親しく生きられていたものなのだ。

神話と古事記を忘れた2011年の日本にとって、このオペラは非常に黙示録的でもあった。
黄泉の国に連れ去られた女神イザナミの無念が、地面を不安定にしているのかも知れない。
かつて荒くれ者として追放されたスサノヲは、水神として海を狂わせていた。
神話の中に半分隠された不可視の動力が、大きく車輪を回している。

(11/23 東京文化会館 指揮・大友直人 東京都交響楽団 演出・岩田達宗)

ウォール・オブ・ヴォイス 国立モスクワ合唱団 

2011-11-19 08:09:01 | 日記
最初に歌われたのは、スヴィリードフ(1915-1998)作曲の、合唱のためのコンチェルト「哀歌」。
これに驚愕した。頭が真っ白になった、まるで、ジェリコーの壁を陥落させる声の津波だ。
幅も高さも圧倒的な、物質的なマッスを感じる。
2011年3月の震災犠牲者の霊に捧げる曲として演奏された。この現代的で古代的でもあるアカペラの、
剥き出しの「叫び」のような音塊の前では、エルガーもアルビノーニも色を失う。
もちろんそれらの作曲家の曲を演奏していってくれた慈悲深い演奏者をおとしめる意味ではない。
この肉声の壁は、全く次元の違うものなのだ。
音で聴く津波そのもので、無情さと悲哀の間にある、宇宙の真実が感じられる。
ロシアから来た人々の、すごい歌声。ロシアでなければ、この声は出ないのだ。
革命を逃れるため、凍ったバイカル湖を徒歩で渡ろうとした20万人もの故人が沈んでいるというあの地、
残酷で美しいあの大地に住む人々たちの、魂そのものだ。

続くラフマニノフの無伴奏合唱による「晩祷」作品37もすごい。
確かにラフマニノフの曲なのだが、シンフォニーやコンチェルトとは違って
和声感が無調に近づいているように聴こえる。
実際は、バスの倍音が、アボリジニーの民族楽器ディジリドゥのように響くために
そう聞こえるのだ。この合唱団、声の重心がすごく低い。ソプラノも出るのだが
タールのような漆黒のバス~バリトンの存在感、曇り空のようなコントラルトの存在感が
全体を埋め尽くしていた。それが、とんでもない声量で重唱となる。
空気の振動がオペラシティをあんなふうに揺らしたのは、なかったことのように思えた。

カンチェリの「無意味な戦争」では、サクソフォンの四重奏が加わる。
管楽器はオルガンのような聖なる悲しみを表し、穏やかで甘さもある不思議な旋律が流れる。
2005年に作られた曲だ。ソプラノのオリガ・ビャトニッツキフの声が美しい。

こんなふうにもったいぶって感動していたら、その夜の電話で、母親が
「何言ってるの!昔からお母さん知ってるわよ。若いときに盛岡の体育館で聴いたもの」
などと言う。大昔は、田舎の体育館にも来てくれていたらしい。
芸術監督で指揮者のウラディーミル・ミーニンさんは1929年生まれ。
なるほど、今でもしっかりとした足取りだが、若き日もあったのだろう。
「それで、『赤いサラファン』や『アムール河の波』は聞けたの?」と母。
もちろん、後半にたくさんロシア民謡を歌ってくれた。
衣裳も変えて、クリスマス・キャロルも歌って、実に見事だったのだ。

後半、ソリストの歌手の立ち姿を観察してみた。
バスの方たちが、やはりすごい。足が完全に床に吸い付いていて、
絶対に抜けない大根みたいに根を張っている。
いわゆる「グラウディング」が完璧な状態。腰から下は大地の、地殻の部分まで沈み
頭上は太陽まで引き寄せられている。だからとても声のスケールが大きい。
ほとんどホーミーのような倍音が聞こえてきて、びっくりしてしまうのだ。
このバスは、物語る声であると同時に、闇のようにすべてを覆う「無」の声でもある。
そしてソプラノは、うずまき状の大きな対流を舞台から天井にかけて、つくる。
そうか。ネトレプコの声があんななのは、突然出てきたものではなかったのだ。
「ロシアでは歌って、昔からこんなふう」なのだ。

去年初めて訪れたモスクワは、市街地に高級外車が並び、ブランドショップが連なる
とても華やかなモダン都市だった。若者たちが華やかに着飾り、いっぽうで老婆たちの物乞いには
誰一人として近づこうとしない。私は連日オフの時間に赤の広場に生き、
ミネラルウォーターとお金を握らせたがただの変な女だと思われただろう。
モスクワは、華やかで冷たかった。
合唱団の団員も、ふだんは現代的な都市生活者なのだ。
それでも、芸術の世界では絶対に「ロシアの根っこ」を譲らない。
彼らの音楽はやすやすと「グローバル」にはならない。
だから延々と豊かなのだ。
枯渇しない油田のような、ふつふつと湧き出る黒いオイルのような歌声。
洗練されたロシアの現代曲も「黒い瞳」も、彼らはとても濃厚に料理する。
まったく、なんていう生命力なんだろう。

アンコールではいきなり「ソーラン節」を日本語で歌い出した。それもフルコーラスである。
そういえば、なんだかちょっと似てるなあ。大地の根っこは、つながっているのかも。
最後までとっておいた(?)「カリンカ」も出た。
本当に、みんな楽しそう。一人一人が選び抜かれたエリート歌手だが
合唱には不思議なばらつきがあり、それが歌声を大きなものにしている。
色々、秘密がありそうだ。

東京では11/23にも、公演が行われる。私の故郷・盛岡では25日。
母の世代は、どんなふうに聴くのだろう。不思議な絆を感じてしまった。







リスト 酩酊と祈り バラージュ・フュレイ ピアノリサイタル

2011-11-17 05:13:16 | 日記
秋も深まり、底冷えを感じる11月のこんな夜には、リストをじっくり聴きたいと思う。
どこまでもきらびやかに転がって優美に拡散していく音符と、
その隙間からパラレルに浮き上がる寂寥、祈り、無常観。
そんなものが、冬の寒さにかじかむ心を、さらに落ち着かなくさせてくれる。
ポエジーの赴くまま、リストの魂にかき乱され、心を危険に遊ばせたいと思う。

今年はリストの総集編的なタイトルが大量にリリースされたが、
私が一番に感じるリストの魅力とは、その精神の「寄る辺なさ」だ。
狂騒的な楽想も、宗教的な調べも、現世の煩わしさを振り切って無になろうとしている
リストの居場所のなさを感じさせる。
花形ピアニストであり、愛人たちにも愛され、この世の栄華を若くして手に入れた男。
そして、死んだときの持ち物は、着ていた僧服と、七枚のハンカチだけだった。
リストは死ぬまで、現世にあらざる場所に辿り着きたいと渇望していた人だった。

ショパンのポーランドのような、望郷の念ではない。
リストにとってのハンガリーは、彼のしるしがしっかりと刻まれた、
実在する肉体のような故郷だ。ブダペストの洪水の折には多額の寄付をし
リスト音楽院も彼の財産によって創設された。
民族的な主題への情熱から書かれた数々の楽曲。
リストの魂は、しょっちゅうこの国に停泊していた。

だから、ハンガリー人の若きピアニスト、バラージュ・フュレイのピアノには
確実にリストの魂が息づいている。
バルトーク音楽院を卒業し、リスト音楽院でも研鑚を積んだ27歳の彼は、
同学院の博士課程で、コチシュに師事しているという。
なるほど。だからなのか。
ピアノの歌い出しが、奇跡のようだ。コチシュのショパンなどは
小さなワルツであっても、CDで聴いてもうっとりするほどの始まり方をする。
空中の炭素を集めて一瞬でダイヤモンドにしてしまうような、
そんな一音から、すべてが始まる。
いい指導を受けているのだろう。
このリサイタルでも、音楽の立ち上がりの美しさは、息を呑むようだったのだ。

バラージュ・フュレイは黒髪で長身、陶器のような色白の青年で
とてもおっとりとしたお辞儀をして、大きな手をゆっくり宙に浮かべてから降ろし
「ハンガリー狂詩曲 第六番」を弾き始めた。
メカニックの素晴らしさは言うまでもなく、外見とはかけ離れた悪魔的な響きも
聴かせてくれる。前半のプログラムはものすごく徹底していた。
三つのハンガリー狂詩曲(第6,15,2番)の間に、「2つのチャルダーシュ」と
「死のチャルダーシュ」が挟み込まれている。
ラプソディの間で、サンドイッチのハムとチーズみたいになったチャルダーシュ。
ご存知のように、チャルダーシュとは「酒場風」の音楽のことで、
あの素敵に悪魔的な「メフィスト・ワルツ」も「村の酒場での踊り」だ。
ここには、ハンガリーの土俗性、庶民的なもの、あらあらしい熱狂が波打っている。
人懐こい農民たちの、酔っぱらいダンスだ。

リストはそれを、壮麗に、スワロフスキーのシャンデリアのように飾り付けた。
酩酊のあいだに「自分とは何か」という問いを忘れさせるがごとく。
そして、その超絶技巧は、当時のオーディエンスである貴族女性たちを気絶させた
そうなのだ。ここには「魅惑の瞬間」がいっぱい詰まっている。
あらゆるところに色っぽい駆け引きがあり、意外さがあり、エロティックな興奮がある。
清楚な顔をした黒髪の青年は、そんな「伊達男の誘惑」もたっぷりと見せつけた。
前半の三つのハンガリー狂詩曲の中では、第15番「ラコーツィ行進曲」が一番気に入った。
大変なボリュームの第一部を弾き終えて、またお行儀よくお辞儀し、インターミッション。

第二部は、「二つの伝説」から始まった。
有名な第一曲「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」と
第二曲「波の上を渡るパオラの聖フランチェスコ」。この二曲目のほうで、泣いてしまった。
リストの聖性への憧れと渇望、メッシナ海峡を素足で渡ったという聖フランチェスコの
寓話への愛が、さざ波のようなピアノで、壮麗に壮大に描かれた名曲だ。
パノラマスコープ画面の下半分に紺碧の海が見え、海面には聖人が乗っている奇跡が見えた。
幻惑されると同時に、敬虔な気持ちにもなる。
バラージュ・フュレイの左手の見事さ、右手の柔軟さ、ペダルの繊細さは
リストの「果てしなきものへの渇望」を見事に音響化していた。
そうか、リストはこんなものに、心を奪われていたんだ。
(嗚咽するほど共振してしまうのは、私自身の過去生が修道女であったせいかも知れない)

前半と後半で、ピアニストはリストの二面性を表現し、
同時に統合されたひとりの人間の精神をも描き出していたと思う。
「狂騒と酩酊」によって、悪魔のもとで自分を見失いたいと思っていたリストと
「祈りと諦観」によって、聖なるものへと埋没したかったリスト。
しかし、最後まで居場所は見つからない。「わたしはいったい誰なのだろう?」
ゴージャスで幻惑的なピアノ曲のすべては
「なぜか?」という問いのようにも聞こえたのだ。

最後は大曲「ロ短調ソナタ」だ。少し疲れ気味ではあったが、素晴らしかった。
友情に厚い男で会ったリストは、この名曲をシューマンに捧げた。
(以前献呈された「幻想曲」のお礼)
忍耐強い主題の展開は、一人の人間の凝縮された人生のようでもある。
後半、この曲だけでもよかったのに、最初の「二つ伝説」を加えてくれたピアニストに
心から感謝したかった。

ヒロイズム全開でリストを弾く若者だっている。
一曲弾くごとに魂から生気を抜き取るほどの難曲は
なるほどプライドや気概を高めもするだろう。
しかし、黒髪のハンガリー人青年は、ものすごく謙虚で優しく
綺麗な心の持ち主だった。
リストがそうであったように、彼の中にも、個を越えた大いなるものへの
尊敬と渇望があるのが、音楽から伝わってきてよかった。

アンコールには「セイレーン」と「森のささやき」を弾き
ホールはエメラルド色に染まった。
リストの天上と地上、光と闇、人間と天使を描きだし、
おとぎ話の絵本がぱたんと閉じられるように、演奏会は幕を閉じたのだ。






キーシンの恋 シドニー交響楽団

2011-11-13 22:35:37 | 日記
「書かれた曲」への愛を表現する。時代や国籍やフォーマットを問わず、その曲が生まれた瞬間に意識をさかのぼらせて、作者のひたすらな情熱に共鳴する。
恐らく、ピアノのために書かれた曲ならば「弾けない」ものなど何もないキーシンが
アシュケナージ指揮のシドニー交響楽団との共演で演奏したのは、
グリーグの有名なイ短調のコンチェルト。
あまりにポピュラーすぎて、逆に最近では演奏会で聴く機会の少ない名曲でもある。
グリーグがこれを書いたのは25歳のときで、青春時代の憧れと期待に溢れた楽想は
一種の「若書き」ともいえるような、真っ直ぐな熱に満たされている。
リストは、この曲を高く評価していた。グリーグに手渡された譜面をぱらぱらめくり
初見で弾いてみせた。「いいね、とても北欧風だ!」
グリーグ自身もこの最初の協奏曲を愛しすぎて、結局構想し続けた第二番を完成させることが出来なかった。

キーシンの冒頭のカデンツァを聴いて、瞬間的に思った。
「あ、これはリストだ」
北欧風でもなければ、ロシア風でもない。国民楽派的というのでもない。
とてもロマン派な響き。
たとえばノルウェーのセレブ・ピアニスト、アンスネス(キーシンと同年代だ)は、プライドをもってこの曲を弾く。
グリーグのDNAを引き継ぐアンスネスのピアノには「解釈」を越えた勝利の感覚がある。
この曲を弾くのに一番ふさわしい、現存するピアニストだという誇りだ。
あの曲を弾いているときのアンスネスは一番若々しく、少年みたいになるのだ。

いっぽうでこれはシューマンのイ短調コンチェルトとよく比較もされる曲で
グリーグ自身も、シューマンの曲をとてもよく分析していた。同じイ短調であり
主題の音程がちょうど真逆になっているという説もある。
キーシンは、リスト、シューマンの潮流にある音楽のひとつとして
グリーグのコンチェルトをとらえていたのかもしれない。
そしてリスト、シューマン、グリーグの共通点は、とてもよい歌曲を書いたこと。
ピアノ曲にも、その「歌心」が転写される。
誰か愛する人に語りかけるような、優しい言葉を感じる。
美しいメロディとは、美しい女性の比喩なのだ。

キーシンの「歌」はとてもデリケートで、透明で、ミステリアス。
魅力的な異性を目の前にしていると、相手がこの世のものではないような気がして
あとから、何色の瞳をしていたのか思い出せないことがある。
そんなふうに、キーシンの音のひとつひとつを正確に「思い出す」ことはできない。
ただ魅惑され陶酔したという記憶が残っているだけだ。

シドニー交響楽団は、真摯で清潔感のある音を出すオーケストラで、
前半のブラームスの交響曲一番でも、とてもよく燃焼していた。
後半のコンチェルトも、とてもロマンティック。
これはシューマン的であると同時に、モーツァルトのコンチェルトにも似ている。
フルートとピアノとのダイアローグが、とても可憐で
19世紀的なピアノ協奏曲にありがちなソリストのヒロイズムを、あまり感じさせないのだ。
チェロとピアノの絡みも、とても室内楽的だ。
アンサンブルの精神が重要なのである。

途中から、キーシンの弾き振りに感じられた。
オケを駆り立てているのは、指揮者よりもソリストだった。
あのステージの上で、一番深い呼吸をしていたのがキーシンで、
彼の内側に秘められたものの貴重さが、あらゆるパートを触発していた。
「そんなふうになることは、逆に嬉しいことなんだ」と
アシュケナージも言っているようだった。
ひとつひとつの音、トリル、カデンツァ、オクターブのユニゾンが
生まれたばかりの命のように、次々と転がり輝く。
まったく、こんなことがキーシンに出来てしまうなんて、毎度のことながら呆れてしまうのだ。
キーシンは「個」を感じさせない。
エゴイスティックで専制的なものは何ひとつない音楽だ。
世界の偏ったエネルギーや富や想念を、すべて均質化していく公平さを感じる。
その平和な采配の意志にこそ、最も大きな憧れを抱いてしまうのだ。

古い皮を一枚めくりとられ、ぴかぴかの果実のように差し出されたグリーグの協奏曲。
アンコールもグリーグだった。
『詩人の恋』のピアノ編曲版が、あまりにも甘いときめきに溢れていたので
ひょっとしてあなた、恋をしているの? と
思わずキーシンに問い詰めたくなった。

悪魔と契約しなかった男 マレイ・ペライア・ピアノリサイタル

2011-11-06 14:21:49 | 日記
マレイ・ペライアのサントリーホールでのピアノ・リサイタル。
古風ともいえるモーニング姿で現れたピアニストを見て、あらためてプログラムを開いた。
前半がバッハ、ベートーヴェン、ブラームスで、後半がシューマン、ショパン。
なんとも絵に描いたような「正統派」の並びである(何も前半を「3大B」でそろえなくっても…)。
伝統的なものに自分を従わせて、ありきたりな自由奔放を禁じているような意図さえ感じる。
ある種の「謹厳さ」にあふれたステージ。

音楽は風のように爽やかに優しくはじまった。
バッハのフランス組曲第五番のアルマンドに聴衆はうっとりしていた。
これは朝のようなはじまりの音楽で、すがすがしい空気と小鳥の声を思わせる曲なのだ。
ペライアのバッハはこのように崇高で軽やかだが、その一方で、裏側に苦痛や苦悩を隠し持っている音にも聞こえる。
もはやライフワークともなった壮大なバッハ研究と、コンチェルトを含むバッハの網羅的な録音、
それだけでも何やら「現代」という時間とは別の粘り強い尺度を感じるのだが
テクニックを極限まで練磨するための努力は、指の故障というダメージとなって、ペライアを襲った。
故障で思うように弾けない間に、またバッハについての書籍を読む。研究を続ける。
どこまでも真面目な、生真面目な男なのだ。

ペライアは1947年生まれで、同い年にアファナシェフがいるが、見事に正反対のピアニストだ。
この世代のピアニストには、独特の生きづらさがあったようにも思う。
上の世代には、燦然と輝くカリスマたちがいた。
リヒテル、ミケランジェリ、ホロヴィッツ、ギレリス、そしてグレン・グールド。
それらの巨匠たちのセンセーショナルな演奏を、アナログ盤で聴いていたであろう少年時代のペライア。
先人たちの「きわどい毒」に、多感な青年が影響されなかったはずはない。
同年生まれのヴァレリー・アファナシェフが、ロシアから西に亡命をはかり、
三カ国語だか四カ国語だかを操りながら、おもしろそうな詩人を演じ、
「個性的な」演奏を繰り広げていたのとは、まさに逆の生き方をペライアは選んだ。

ペライアが73年に録音したショパンのピアノソナタ第二番「葬送」を聴いてみる。
若さとか青さがそのまま出た、正直なところ、それほど面白みのない演奏で、
ジャケット写真の、マッシュルームカットとタートルネックのセーターを着た、
おせじにもハンサムとは言えない青年の、葛藤に満ちた「修行時代」に思いを馳せた。
前年72年にはリーズ国際コンクールに優勝しているが、まだ何色にも染まっていない無色透明の演奏。
それがひどく凡庸に感じられる。譜面を正確に追ってはいるが、悪魔的なものが何もない。
その三年後、76年にリリースされたショパンの「24の前奏曲」は、よくできたレコードだが
やはり、弾き手の真面目さ、真っ直ぐさばかりが目立つ音楽なのだ。

それが、2002年にリリースされたショパンの「12のエチュードOp10,Op25」になると
その「真っ直ぐさ」が、黄金のピアニズムとなって開花する。
ペライアのこの21世紀のエチュードは、名盤と言われる70年代のポリーニを
越えた完成度だと思う。op10-1の圧倒的なスケールを聞いた瞬間、言葉を失った。
バッハとショパンをつなぐ、強靭な架け橋があらゆるところでつながれている。
自信に満ちた「勝者の音楽」だ。
しかし、70年代の青年期から、ペライアの精神性は変わっていない。
ただひたすら、忍耐強く「イノセントで誠実であること」を掘り下げて、
このような巨匠の演奏に辿り着いたのだ、と思う。

みずからの資質というもの。性格や習慣もふくめて、「自分」をつくりあげているすべてのもの。
アーティストは早い時期に、嫌でもこれと向き合わねばならない。
ペライアは、このどうにもならない資質を引き受けて、
ただひたすらに真っ直ぐな道を歩いてきた。
64歳の彼の演奏には、その遥かなる軌跡が聴いてとれた。
書かれた譜面に対するマゾヒスティックな敬愛の念は、まるで他人の書いた曲を自分の曲のように弾く
フランソワやグールドとは対極の意志ともいえる。
ナイフの上で遊んでいるような彼らの生き方を、ペライアはどう思っていたのか。
しかし、強靭なただひとつの想いが、彼の王国を築き上げた。

後半のシューマン「子供の情景」は、とても自然な音楽で、多彩な音色がホールを包み込んだ。
細かいパッセージのひとひとつに妥協がなく、毎日過酷なエチュードを自らに課している
ペライアの「祈り」にも近い克己の日々が想像できる。
それと同時に、この勲章だらけの名ピアニストが、少年のように繊細で傷つきやすい心をもっていることに
あらためて気づき、驚いた。
生きてきた年数なんて、関係ない。
ペライアは、いまだにとても脆い足場の上に立っていて、その不安を埋めるために、過酷ともいえる
努力をしている人なのだ。日本の聴衆の熱狂的な喝采を浴びながら
どこか居心地が悪そうにしていた彼の「センシティヴ」を、好ましく思う。

マレイ・ペライアは、酩酊や陶酔を音楽にもたらすデーモンとは
無関係の生を選んだ。
そうするしかなかった不器用さに、深い愛情を感じてしまう。
ツィメルマンも同じ種族だが、彼のほうは何者にも傷ついていない。
ペライアは、ツィメルマンのような幸福の王子ではない。
悪魔の存在を知り、魅了もされ、誘惑もされたはずの男で
その心の傷が、音楽の輝きとなって復讐をはたしている。

アナログ時代に録音を行っているアーティスト特有の、オーガニックでプライベートな「温かみ」も
ペライアの魅力だ。
アンコールの「別れの曲」やシューベルトの即興曲op.90-2も素敵だった。
ペライアがまだ青春時代を生きていて、これからどんどん変化し、成長していくような気配さえ感じた夜なのでした。