多神社。正確には、多坐弥志理都比古神社(おおにますやしりつひこじんじゃ)。「古事記」の撰録者とされる太安麻呂は有力氏族・多氏だったとされ、その多氏ゆかりの神社。
その太安麻呂の存在を疑問視する見方も以前はありましたが、名前が刻まれた墓誌が見つかったことで、実在はほぼほぼ決定視されています。春頃に訪れた賣太神社に次いでの「古事記」ゆかりの神社と意気込んで行ったのですが、なんか”休み”の感じでした。”休み”という表現も失礼ですが、なんていうか、まあ、やっていませんでした(笑)。
拝殿の側に絵馬とかも結ばれていたので、やっている時もあるんでしょうけど。有名な四殿配置の社殿も何処にあるのか解らず。後で調べたら後ろの方にあったみたいですが、誰もいらっしゃらない境内をウロウロする厚かましさも無く、早々に。全国いろいろな神社を巡っていると、そういうこともあります。
ご縁が無かったのでしょう。