昨晩も1時間ほど、空を見上げていたのだが、
如何せん、雲が多くて見えなかった。
今日は、雲が殆ど無く、流星、見ることが出来た。
ラッキーさん。
先程、20分ぐらいで3個。
この後、増えるのかな。
若い頃は、こういった世の流行事に対しては、
いつも”けっ!”って感じで背を向けていたけど、
最近、そうでもない。
それにしても、夜空を見上げていると首が痛くなるし、寒くなる。
ちょっと、室内で温まったら、また、外に出てみよう。
米沢は20年ぶり。学生時代に学会発表で。恩師が米沢出身だったのです。当時、JRを乗り継いで8時間。僕の中では、とても遠い場所、2度と来る事の無い場所という感じでした。午前中で発表を終え、帰りのJRまで3時間以上あり、時間を持て余し、一人ブラブラ散歩していて偶然に訪れたのが米沢城址・上杉神社。平日の昼過ぎ。大袈裟な表現じゃなくて、境内には俺一人。上杉といえば、謙信。謙信と言えば新潟のイメージが強くて、
”ん?何で、上杉が米沢?”って。
それでも、質素ながら気持ちが良い公園というか、独り占めというか、得した気分だったのを覚えています。
さて、10月18日。いつも通り6時前に目覚め、熱いシャワーを浴びる。ホテルの朝食は地味ながら、お米が美味い。親子揃って、ご飯お代わり。
8時に、米沢城・上杉神社に到着。あまりの変わり様にびっくり。側に【伝国の杜】なるものが建ち、すっかりご立派な観光地と化している。至る所に、天地人の幟、愛、直江兼続の旗。俺、こういうの好き。戦(いくさ)は派手にやらねば。
まずは、上杉神社。晴天に恵まれ、人も疎らで、凄く空気が良い。
今回も、”受け入れていただいた”という感じ。
(因みに、2時間後に本殿お隣の稽照殿へ”愛の兜”の本物を見る為に再び来た時は、団体の観光客が一杯で歩くのも大変。もう、あ~なってしまうと、どんな場所であれ”義”も”愛”も全く感じ取ることはできない。)良い場所は、団体さんが居ない早朝を狙うべし。
次は、上杉博物館の【天地人博】。
俺、軽いから、妻夫木くんや長澤まさみの着た衣装とか見ただけでうれしい。国宝・洛中洛外図(狩野永徳筆)も見れた。正味、美術的な価値など、現物を見ても全く解らないのだが、織田信長が上杉謙信に贈った一品を見たという事実だけで、うれしい歴史ヲタ。何だかんだで1時間以上、楽しんだ。
米沢で感じたことは、ともかく町を上げて【天地人】しているなって。勿論、今年は最高の稼ぎ年ではあろうけども、元々、ご当地の方々は、上杉米沢藩ということに誇りを持ち、直江兼続に対する思いも強いではなかろうか。
質素ながらも誇り高い上杉の家風は今も米沢の地に根付いている様に感じた。
北陸から長野辺りまでの”にわか天地人観光地”とは明らかに違っていると思う。学生の頃は、頑固で要領を噛ます事が下手な恩師に対して”世渡り下手だよな~。”って思っていたのだが、今は素直に尊敬できる。あの人も、米沢人だな~って。歳とって、いろんな経験をしてみないと解らないことっていっぱいあるよ。
最後は、林泉寺。直江兼続のお墓を、お参りに。兼続公のお墓に手を合わせた瞬間、涙が出そうになった。秀吉の評価が高かったとか、家康に喧嘩を売ったとか、妻夫木くん演じる格好いい兼続じゃなくて、減俸になって米沢に来て、それでも誇りをもって民と一緒に土を舐め、がんばる兼続。なんか、そういうのがバーっと込み上げてきて、ちょっと、アレだった。(まっ、数分後には、自宅で待つ嫁さんやご近所さんへのお土産の事を考えていたりするんだけど。)天下をとったわけでもないし、かと言って負けたり滅んだりしたわけでもない。愛の兜は、戦の神:愛宕権現にあやかったというのが本当のところでしょう。それでも、あの時代に”愛”の兜だもんな。物凄くセンスが良い人だったんだろうな。調べれば調べるほど魅かれる。米沢へは、絶対に、また行く。
今回の旅は、一言で言えば”良かった!”
二言で言えば、”とても、良かった!”