西の空は晴れている

絶望の向こうに希望がある............、はず!

久し振りに腹いっぱい運転した

2015-09-21 16:36:05 | 神社 古代

仕事がキツイというか煮詰まった感になってくると、それとは全然関係の無いことでヘトヘトになるまでやりたくなる時があります。若い頃は、サンドバッグを蹴るとか、ウェート・トレーニングをするとかで発散できたのですが、42、3歳を過ぎた辺りから、それだと気持が満足する前に体がきつくなってしまう様になり、なんつ~か気分的な”残尿感”。その代わりなっているのが長距離ドライブ。と言っても、ドライブテクニックも無く、普通の人達が興味を持つ観光地やイベントには白けた思いしか持てない自分。ここ数年は、歴史に関わるちょっとマイナーな場所を目的地として、妄想いっぱいでの長距離ドライブが自分にとっての最高の贅沢になっています。

今回、最初に向かったのが福知山の元伊勢神宮。日本人なら誰でも知ってる伊勢神宮。なのですが、天照大神は現在の伊勢に鎮座するまでに全国23箇所(だったかな?)を転々と移り変わっております。これらの場所は元伊勢と言われているのですが、その中でも福知山の「元伊勢内宮 皇大神宮」は知る人ぞ知る所なのであります。

お伊勢さんでもそうなのですが、内宮を詣でる前に、まずは外宮。

「元伊勢外宮 豊受大神社」。豊受大神が御祭神です。こういう昔風の神社が好きなんです。詣でる人達が数人しか居ないのもうれしい。

 

 黒木の鳥居と呼ばれており、皮付きの杉を使っています。全国でもほとんど無いらしく、太古の原風景っぽくて良いです。

神明造です。

続いて、「元伊勢内宮 皇大神宮」。

こちらは、密かに有名なのか参拝者がコンスタントにいらしてました。しかも、お子さんを連れた家族連れが多かった。こういった場所では、少し前まではスピヲタみたいな人が意味不明な呪文?を唱えているのをしばしば目にしたものですが、今回の様に家族連れが多いと健全な感じがします。我が家では、息子が小さい頃から旅と言えば神社仏閣なので、今回も何の違和感も無く息子は一緒。私は右でも左でもありませんし、特定の宗教団体にも入っていません。ただ、ある程度の年齢になったら自分なりの宗教観を持つことは必要だと思っています。

ここも神明造です。お伊勢さんで見えない所も、こんな感じなのでしょうか。さて、この元伊勢神宮は、「外宮 豊受大神社」、「内宮 皇大神宮」と「天岩戸神社」の三社で一体ということで、次に「天岩戸神社」へ向かって山道を歩きます。山道を歩いていくと、突然、視界が開けてピラミッド型の日室山が見える場所があり、ここを「日室ヶ嶽の遥拝所」という。

私が行った時は、それまで曇っていた空に丁度日光が差し始めた瞬間だったので、余計に神気を感じました。一願成就ということで、ここでお願い事をすると叶うとか。そこに山があるから拝むというアミニズム的な感覚は解るような気がします。

川が流れている所へ急な坂道を降りていきます。

川の側について見上げると、すごい所に「天岩戸神社」がある。一人づつ、鎖に捕まって登って行くしかない。上の拝殿前も一人分しか立つ場所が無い。雨の日は滑って危険。昔、ここは「獄門島」という映画のロケで使われたとか。

周辺は、水、緑、空気、別世界のように澄み切っている。僕らの他には2組の老夫婦が居ましたが、皆、山とか海とかの観光地を訪れている風な感じでした。ただメジャーなそういう所は、物売りがいっぱいで人が大勢で煩くて臭くて、行って来たという満足感だけで終わってしまうのでは。ここ、元伊勢神宮は世俗感が薄くて三社とも良かった。そこにある自然そのものが神という感じがして。そうそう、この近くには大江山があり、鬼の里で有名です。源頼光の鬼退治とか、酒天童子とかの逸話がある場所で、道沿いには鬼ネタの像や表示が多々ありました。

さてさて元伊勢と来れば、やっぱ元伊勢籠神社でしょ。つうことで、次は天橋立側の「元伊勢籠神社」へ。

ここも、前から行ってみたかった場所。2000年以上前からの海部一族家系図(国宝)なんかも残っており、竜宮伝説(浦島太郎)や、ちょっとカルトなところで徐福渡来説なんかあります。かなり期待していったのですが、すっかり観光地でちょっと興醒め。天橋立が見れるケーブル乗り場のすぐ隣なので、人がいっぱい。黒ちくわ(鯛のすり身で出来た大きなちくわ)をかじりながら拝殿前をうろつく輩もおり、全く乗れない気分。

さざれ石。たぶん、観光に冒されていなければ良い場所なんだろうけど。いやいや、ここの本番は、奥宮「真名井神社」です。「元伊勢籠神社」から、1kmほど登ると土産屋も無く、鬱蒼とした森の中に奥宮「真名井神社」があります。

どなたかのブログでも拝見したのですが、その場に立つと昼中でもとても暗く感じるのですが、写真を撮ると何故か明るく映る?普通の神社は狛犬なんですが、ここは狛龍。奥へ行くと古代祭祀跡とかあって、癒されるというよりも、全体的い怖い感じがする場所。(撮影禁止なんです。ブログとかにアップしている人は、そういうの無視してんのかな?)ここは禁足地が奥にあり、いろいろありそうな気がしました。

この日は、舞鶴で一泊。

赤レンガ倉庫群。「男たちの大和」の撮影で使われたそうです。

舞鶴といえば、海上自衛隊。護衛艦がいっぱいで、安保で揺れている時にこんなことを言うと”頭わるっ”って感じですが、実際に見ると単純に”かっこいい”と思ってしまいます。

唐突ながら、嫁の祖先は小浜出なんです(現在の実家は別の場所なんですがね)。昨年、彼女の祖母が亡くなられたこともあり、この機会にご両親や伯母さんとも待ち合わせて、小浜のお寺さんへお墓参りに行きました。別にそんだけなんですが、そのお寺さんから10数キロ行くと、名田庄なんです。名田庄!名田庄と言えば、安倍晴明でしょ。安倍晴明の子孫は、その後、土御門家を名乗るのですが、応仁の乱の頃、戦火を逃れて名田庄村に移り住みます。まあ、室町期から明治期まで、いろいろあるのですが、知りたい人は勝手に調べてください(笑)。要は、”安倍清明と言えば名田庄”というのは、我々(どういう我々?)にとっては常識なんですよ。現代の暦を作成しているのも、この神社本庁だったと思う。なんで、名田庄では暦会館とか建てて、村起こしをやっているみたいなのですが、当の神社本庁さんは、そういう商売っ気は全く無さそう。

カーナビで正確にその位置に着いたのですが、最初、全く解らなかった。安倍清明をネタに商売する気は全く無さそうです。

天壇。四方に青龍、朱雀、白虎、玄武の鳥居を築いて陰陽道の儀式を行う場所。昔、「帝都物語」で見たかも。正味、寂れています。でも、それでいいかなとも思います。本物は、そうそう衆人に晒されるものでは無いし、人気商売でもない。人知れず延々と伝わって行く方が浪漫がある。

最後に、小浜ということで、「空印寺」。十津川警部でも出てたな。全国に残る八百比丘尼話の元となるお寺です。悲しい話なんですわ。

今回は、丹後、小浜地区で、行きたかった所をほぼ回れました。良い感じでクタクタです。毎度、オヤジの妄想ドライブに付き合ってくれる家族にも感謝です。旅先のいろいろな場所で出会った人達、俺と同じ眼をしてたわ(笑)。世間的な流行とはあまり関係ない場所で、自分の感性だけで満足できるみたいな。さあ、また、何処かへ妄想ドライブへ行こう。


6人(主催者発表)

2015-09-11 23:37:13 | 日記

3週間程前に、僕が20代の頃の上司がうちの課に転勤になってこられた。正味なところ、特に世話になったという感も無いのだけど、僕の披露宴に出席いただいているし、祖母の葬儀にも来てもらっており、まあ、義理人情でもないけど、あの変人ばかりの職場では、歓迎会を言い出す者もいないだろうし、私が幹事となり、歓迎会つうか飲み会を催すことにした。毎度、歓送迎会は、技術、品証、生産技術合同で行っているので、今回も3部署に歓迎会のお知らせを回したのですが・・・・・、

出席者は、主賓を含めて11人ですわ!

(あえて、全員で何人いるとは言わないが。)

未だ曾てない少なさ!

これも、幹事の人徳の無さゆえのこと。

でも、正直なところ、職場の歓送迎会では、

”あんたら、何しにきたん?”的に主賓との会話すらないままに、

勝手に飲んで騒いでいるグダグダな雰囲気に毎度、違和感を感じている。

いや、そんなことよりも、僕は多人数の飲み会があまり好きじゃない。

なので、11人ぐらいが丁度良いと思っていたのですが、

5人がドタキャンで、最終的には6人ですわ。

本人を入れて、6人ですわ。

6人!

ドタキャンは、ホント、勘弁してほしいわ。

あと、女の子というかおばちゃんの、

”○○さんが行かないから私も”的な連れション感覚もやめてよと言う感じ。

人数が少ないことによる負の連鎖を防ぐ為、

今日、全員BCCで、明日の予定をメールしといたわ。

これ以上、逃げんなよ!

まっ、おっさん5人+20代後半の若造1人なんで、楽ちゃ~ラクなんだけど。


2015-09-06 11:33:27 | 日記

刻と書いて”とき”と読みます。数日前にコンビニで雑誌類を物色していると懐かしい文字が。「修羅の刻」の連載が、数年ぶりに(いや、最後の”雷電編”から10年?)再開したようですな。今度は、”昭和編”だとか。

家に帰って、「修羅の刻」をネットで検索しているうちにアニメ動画を発見。”宮本武蔵編”、”寛永御前試合編”、”幕末編”と全て観た。原作自体は、”武蔵編”ぐらいしか読んだことが無かったので、アニメはどれも新鮮に感じたし、心があつ~うなってしまったわ。

”おそい、おそいぜ、龍さんは、刀が抜けなかったんじゃない・・・、抜かなかったんだ!”

”佐助はオレが背負う、佐助はオレの養父(ちち)じゃもの。”

もう、おっちゃん、泣き泣きですわ。歳とったら、涙もろくなってしまって。

まあ、それで原作が読みたくなり、アニメを見終わると、即、全15巻をネットで注文。先程、読み終わりました。え~わ、「修羅の刻」。グッド・ジョブですよ。”源義経編”なんて、涙なくしては読めませんぞ。

今更ながら格闘技好きの歴ヲタな自分、嵌って当たり前というか、何故に連載当時にこのマンガに興味が無かったのか?

ネット社会になる以前は、坂本龍馬はグラバーの傀儡だっとか、メイソンだったとか、或いは義経は偽者だったとか(ジンキス・ハン説は大昔からありましたが)、佐々木小次郎は巌流島当時50歳を越えていたとか、そういう陰な情報ってあまり入ってこなくて、ヒーローはあくまでもヒーローだった。「修羅の刻」が不定期に連載され出した頃は、歴史の陰な情報が真実であれ嘘であれ、丁度、入って来出した時分だったのかもしれない。僕は、そういう裏歴史みたいなものに興味深々の時期で、「修羅の刻」なんかは、”こんな造り話・・・”みたな気分で乗れなかったのかも。ただ、最近は、そういう裏歴史から陰謀説まで一通り知った上で、”英雄は英雄のままでいいじゃん”って思ってます。パラレルワールドじゃないけど、全ては真実だったかもしれないし。そんな気分で、この歳になって「修羅の刻」を見ると、ただただ、ワクワク、うるうるですよ。

それにしても、”昭和編”かあ~。あんまり、興味わかんなー(笑)。ホントは知らなければいけないとは思うけど、この時代って、天智天皇、天武天皇の時代よりもワクワク感が持てないもの。それこそ、陰謀論じゃないけど、学校教育って昭和初期の歴史に対しては、興味持たない様に、持てない様に誘導していない?戦前戦中の日本人にだって立派な人は沢山いただろうに、ヒーローがいない感を刷り込まれているような・・・。