性格異常ってのは育った環境で影響受けるよね 欲しいものを手に入れる感情は善悪を見失うんだね
欲しいものは何が何でも欲しいと欲求すれば、我慢できない性格に育ってしまうってことがあるからね
寺内樺風のような犯罪者は、欲しい人形を手に入れるような感覚で女の子をさらってきて手に入れてしまうだろ
重大な犯罪行為だと認識する間もなく欲求を満たしてしまうんだろ 犯罪を認識していても強い欲求が上回ってしまうんだろ
普通の人は、善悪を学んで、無理な欲求は我慢することを学ぶんだろ この訓練が不足して我慢を学ばない者は性格異常者になるよね
善悪を無視して、自らの欲求のままに行動すれば被害者が出るよ 犯罪者の心理だからね
普通の人にしか見えなかった人間が、欲しいものを手に入れる為なら、平然と凶悪犯罪を犯すという異常性格になるんだろ
内面に抱える犯罪性だからね 普通の状態では感じることもできない犯罪心理だよ
現代病って感じがするね 自分勝手な我儘な性格を野放しにしてしまった結果だと感じるね
情操教育が欠如しているんだろうね 川崎中の事件でもカッターナイフで執拗に切り付け、いたぶって殺してしまうんだろ
ISのように、首を落としてみたかったなんて感情が働くんだろ 痛みをリアルに感じることができないんだろうね
殺したらどうなるかの想像もできないって事だろ 涙を流してドラマを見るなんてことも無いんだろうね
教育の敗北だね 育て方が悪いって事だよ
七人の侍のような時代なら、山賊は村を襲って食物や女を奪って当然と考える生き方もあったからね
山賊にとっては正しい生き方なんだろ 生きるためには人の物を強奪するのは手段だよ 育った環境で人格は変わるって事だね
朝鮮半島では犬を食うって習慣があるよね 日本人は、犬は可愛いペットであって死んだら家族で涙するのが普通だよ 食すなんて想像もできないよね
育った環境や風習が違えば、犬も食べるための家畜って事だろ 豚、羊、牛、馬等と同じ感覚の食肉だよ
マタギや猟師のように生き物を殺して食す感覚は、生きるための手段であり、正当な食物連鎖だと認識しているだろ
普通の人は生き物を殺して食べる感覚には抵抗があるよ 肉になってれば美味しい食べ物になるけどね
女の子をペット化して人格を奪い、私物化して己の欲求を満たすって感覚は、人間を獲物として捕らえる猟師的感覚だよね
相手の命を奪っても良い、恐怖に陥れても良い、獲物であって仕留めることが目的だからね 何らの情も感じないんだろうね
人間に対して、虐待や殺戮を平然と行える感覚が異常性格者だよ 人間としての情を失った欠陥人間だろ
子供の頃にショックな事に出くわしたよ 嫌な思い出だけど記憶から消えないよ
昭和の30年代の事だよ 戦争帰りの出稼ぎが沢山集まってきた時代でね 住宅が不足していたよ
俺の親父は小屋を改造して長屋を2棟ほど持っていてね 出稼ぎ家族に貸し付けていたんだけどね
生活は貧しい時代だからね 肉を食べるなんてことはほぼ無い時代だよ
ある日、山の中から「キャイーン、キャイーン」と犬の泣く声が鳴り響いてきたんだよ
犬の声は悲痛な叫びで、異常な泣き声は続いたよ 俺は異常な声が気になって山に見に行ったんだ
昔は家犬も放し飼いだったからね 我が家の犬かもと気にもなったんだよ 野良犬も集団でいたけどね
木々の隙間から、枝から逆さに宙吊りにされて、鳴き声を上げてる犬が見えたよ 側に立っている男が出刃庖丁で頭を叩いているよ
犬は我が家の犬ではなかった 毛色が違うから分かったよ 吊るされているのは赤毛の犬だった
犬は叩かれる度に悲痛な泣き声を上げて苦しみもがいていたよ 俺はショックのあまりに進めなくなった
出刃包丁で叩く男は、早く殺したいから叩き続けるよ 素人だから殺し方が悪いんだろうね
プロだったら、犬を苦しめずに殺すんだろうけどね 叩き続ける男には何の情も働いてはいないよ
犬を美味しい食物としか見ていないからね 俺は、しばらく動けずに、まともに見ることもできずに山から逃げ出したよ
家に帰って来てからは、異様な恐さが湧きあがてきて、犬が可愛そうで興奮状態だった 酷い光景を目にしてしまったよ
犬の鳴き声が消えてから、数時間して落ち着きを取り戻したら「あの犬はどうしたんだろう」って気になってね
犬を叩いていた長屋の住人の所に見に行ったんだよ 住人が沢山集まって人だかりになっていたよ
住人は皆で、和気あいあいと鍋を囲んで酒を飲んでいたよ 旨い美味いと鍋を突っついて食べていたよ
鍋の脇を見たたら地面に赤犬の毛皮が転がっていたよ 俺は見た瞬間にドキッとして動作が止まってしまったよ
鍋を囲んでいるおじさんが「僕も食べるか?美味いぞ!」って声をかけてきてね 俺は「いいです!」って断って家に逃げかえってきたよ
生きてた犬が、宙吊りにされ、出刃包丁で殴られ殺されて、鍋にされて食われてしまう それを美味しそうに喜び食べる大人たち
走馬灯のように場面が駆け巡って放心状態になっていた 泣き叫ぶ犬の声が耳から離れない、男が平然と出刃包丁で叩きつづける光景が目に焼き付いていたよ
こんな非情なことができるのかと驚いたね 出刃包丁で叩かれる犬の姿が、自分に写って身震いがしたよ
犬を殺して食べるのか、これが我が家の犬だったらと想像したら恐ろしくなったね
夕方になり暗くなってきた頃に、長屋の男が「おやじはいるか」って我が家にやってきたよ
出かけているよって答えたらね 新聞紙に包んだものを縁側に置いて「おやじにこれをやってくれ、美味いぞ!」って置いていったよ
俺は一瞬で分かったよ 新聞紙から足が出ていた おふくろに言って見せたら腰を抜かしそうになった
新聞紙を開けたら犬の片足だった 俺の心臓も飛び出しそうだったよ 付け根から外した後ろ足一本で爪までついてたからね
おふくろは俺に命じて「捨てて来い!」って言って、震えあがっていたよ 足を見たショックはただならぬものだったよ
おやじに見せなくて良いのかって聞いたけどね 「とんでもない、直ぐ捨てろ!」って命令するのがやっとだったよ
当時の俺は小学生の低学年だけどね おふくろは殺生が苦手で震えているから、男の俺が捨てることになった
俺は山の方に行って穴を掘って埋めたよ キャイーンと泣いていた犬の足だよ こうなってしまうのかってショックだったね
可愛そうな犬の末路の悲哀さと、喜んで美味しそうに食べる大人たちの姿に心の整理がつかなかった 善悪が分からなくなったよ
鶏を殺して食べるって事は見ていたけどね 苦しまないように首をひねって頸椎を骨折させて神経をマヒさせるんだ
そして、逆さに吊るして頸動脈を切って殺すと共に、血抜きをするんだけどね 鶏は苦しまずに絶命するよ
鶏は苦しむことも無く、暴れることも無く、死ぬことも分からずに処分されるよ これがプロの仕事だよ
手順を怠ると苦しんで暴れるからね 血が飛び散って大変なんだよ 殺生にも苦しませない思いやりがあるよ
親父に説明されて殺生は見ていたから、犬の足の処分もできたけどね 犬を殺している光景にはショックを受けたね
「犬を食べた人間は犬に吠えられる」ってその時学んだよ 犬は不思議と分かるらしいね
食物連鎖を非情と捉えるか、当然と捉えるかで感覚が違うんだよね 豚、牛、鳥肉を食べても罪悪感は感じないからね
育った環境で人間の感覚は変わるって事だね 人間を獲物と捉えたとき、異常人格が生まれるって感じるね
善悪を見分けるって事も育った環境で違うって事だよ 人間に対する絶対的な尊厳を身に付けなければ駄目だって事だね
我儘放題で育った人間なら、人間をペットにすることにも罪悪感が無いんだろうね
子供を育てる過程でしっかりと学ばせなければならない事だろ 豊かな正常な感情を身に付けさせるって事が重要だよ
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