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Hiroyasu-kingの体験記  裏読み思考で社会を暴く、真理不尽の違法許さず! 遊び心で一刀両断 是非に及ばず

ヒロヤスキングの穴馬指南奮戦記から、社会の真相に迫る裏読み体験談 
官僚国家の罠 国民は家畜じゃないよ!主権在民だよ!

縁は異なもの不思議なもの情けは人のためならず。銃撃音は語る

2018年12月14日 09時35分13秒 | 義理.人情.恩返し.体験談.回顧録.仲間

縁は異なもの不思議なもの情けは人のためならず。銃撃音は語る カツ丼の恩返し1

過去に書いたものだけどね  再度掲載するよ  人情ものだよ  偶然でも不思議な縁を感じたからね


人の縁なんて不思議なものだね。どこでどんな縁が働いて、何処で誰に助けられるか分からないよ。
計算してできるものではない。シナリオどおりに物事が起きる訳でもないよ。

俺も青春時代に不思議な縁に出会ったよ。腐れ縁のおかげで助けられた。そんな不思議な気持ちを感じずにはいられなかった。
ある出来事で、人の縁とはこんな形で繋がるものなんだなとつくづく感じさせられたよ。

人情とは相手に見返りを期待して施すものではないよ。人として、困っている人が居れば人として情けをかける。リスクはあってもメリットはない、それを覚悟の人情だろ。
面倒な事には見て見ぬふりをしたくなるものだよ。でも、人に人情を与えるということは人としての美学でもあった。
恐いこともあれば痛い思いをすることもある。勇気のいる行動でもあったね。人間の美学として感じていたよ。
でも、なかなか実行できるものではない。君子危うきに近寄らずの名訓もあるからね。
面倒くさいことには関わらないってことが現代の風潮だろう。殺伐とした人間関係の現われだね。
いざとなれば誰も助けてはくれない、人に情けをかけても何も返ってはこない、損をするばかりだよ。
自分は自分で守る、人の助けは期待できないと思ってしまうね。したがって、人情なんて捨てたほうが良い、割り切って、ドライに、クールに生きたほうが良いってことになるだろう。
自己中心主義の現れは、自己責任で生きるということでもあるけどね。
昔の人にはよく言われたよ「人は一人では生きてはいかれないよ、どこで人様の世話になるか分からないよ、だから、自分にできることがあったら、人情をもって人に接することが必要だよ。明日はわが身だよ」って言われたもんだよ。
子供心にしつこく言われても「ふーん」って感じでピンとはこなかったけどね。「人の縁なんてどこでどう繋がってるか分からないよ」って言われたもんだよ。

そんな不思議な縁を感じさせられることが俺にはあったよ。そのとき初めて実感したよ。不思議な縁をね。

俺が23歳の頃の出来事だよ。友達とスナックで飲んでいたときのことだった。俺がトイレに行って帰ってくると、仲間が言うんだよ。「お前、あの連中を知っているのか」とそっと指を指して聞くんだ。
うっすらと暗闇でよくは見えないけどね、風体の悪い連中で、もろヤクザって感じのグループだった。
「知らないよ」って言ったら、さっきお前のことを聞きにきたぞ、お前の名前を確認して「やっぱり○○か、俺の知り合いだよ」って言われたよ。
そのうちに、グループの一人が俺たちのテーブルの方に寄ってきた。「おい、俺だよ ○○だよ。覚えているか、○○だろ」って俺の名前を呼ぶんだよ。
風体はレスラーのような体格をして金バッチを付けている。もろヤクザだよ。
よく分からない、じっと見ていると昔の面影が見えてきた。中学生のときの同級生だった。なるべくしてなったヤクザの姿だった。

そいつは不運な男で、俺は中学の頃に同情して、励ましたり、相談相手になったりしたことがあった。奴は転校生だった。
俺の中学校は市内でも有名な番長グループができていて、中学校の名前を出すだけでも、誰も手を出さない程の有名校だった。
他校に行っては喧嘩をして制圧していく番長がいた。
そんな環境に来た転校生で、チョットとっぽい感じの男だから、度々、番長グループに呼び出されては、殴られたりしていたらしい。

放課後、偶然に、校庭のトイレでそいつと一緒になった。
泣き顔で様子が変なので「どうした、何かあったのか」と聞いたら、番長グループの一部に脅されて、殴られたと言っていた。
俺は見るに見かねて「頑張れ、負けるんじゃないぞ、いざとなったら、俺が先生に話してやる。そんなことは続けさせないから、我慢できなくなったら俺に言え」と言って励ましたんだ。
誰もが恐れる番長グループに文句を言うなんて危ない話だけどね。
俺は進学組みで不良グループではない。一年生の頃は柔道部にいて番長とは同期だったからいがみ合う関係ではなかった。
柔道部は進学のため一年で止めてしまったけど、話せば分かるとの自信もあったからね。

それと、番長が他校の不良と揉めて、50人くらいの不良グループが殴りこみに来たことがあった。俺は帰宅途中でその群れに偶然出っくわしてしまった、番長が他校の50人くらいの群れに対して一人で対峙しているんだ。
当校の不良連中は誰もいない。「どうした」と声を掛けたら「これから決闘をする」と言うんだよ。「一人でか」と言うと「そうだ」と言うので、俺はそこから離れられなくなった。
元柔道部の仲間意識が働いて、知らん振りはできなくなった。決闘場の小学校のグラウンドまでお供することになった。
2対50数名では勝ち目はない、ボコボコにやられる覚悟で付き合ってしまった。ところが、うちの番長は肝が据わっていたよ。
遠巻きに囲まれても相手が手を出せない。タイマン勝負を要求したら相手がビビッタよ。
誤解もあったようで話し合いが上手くいって、乱闘にもならずにその場を治めたよ。
俺はそのまま巻き込まれずに「良かった」とほっとしたけどね。見てみぬふりはできなかったけど、振り返れば自爆行為だった。
おそらく、番長はそのときの事を覚えていたんだろう。頼りない俺でも側にいたことが嬉しかったんだろう。
俺は不良グループともめることはあまり無かったからね。そんな自信が俺にはあったのかもしれない。
いざとなれば表ざたにしてでもクラスメイトを助けてやるとの思いがあった。
「男は逃げるな、決して背中は見せるな!」が親の教訓だったからね。

虐められていたクラスメイトをそのまま帰すのも可哀相だから、飯でも食いに行こう、俺が驕るよと言って誘ったよ。
知り合いの寿司屋に行って、カツ丼を食べた。そこのカツ丼は美味くて、よく食べていたんだけどね、そいつも美味いと言って喜んでいた。
俺に声を掛けられたのが嬉しかったらしく、恩義を感じたらしい。元気を取り戻して帰ったよ。

その後、そいつは俺に相談することもなく、自分で事態の解決を図っていたようだ。俺に迷惑は掛けられないとでも思っていたようだ。
不良グループに虐められながらも、一人で不良としての道を歩き続けていたよ。
やがて、中学校も卒業となった。別々の高校に進学したけどね。
あいつは、高校で恐喝をして一年生で退学になった。その後の消息は分からない。
悪さをして少年院に入ったとの噂を聞いた程度だった。

成人してから数年が経ち、偶然にも、スナックでの再会となったわけで、奴は、嬉しそうに、懐かしそうに、俺に話しかけてきた。
堰を切ったように話し出し、お前には世話になった等の言葉を繰り返しては、中学校の頃の悔しさを語り、少年院を出てから、ヤクザになり、中学校時代の虐めたグループに仕返しをした話をした。

元番長の足をナイフで刺して、どぶ川に投げ込んでやったと話していた。
殺しはしないけど「2度と俺の目に入るんじゃねえ!と脅したよ。もう地元にはいないよ、東京に逃げたよ」と言っていた。
今や金バッチを付けてヤクザ社会では出世したらしい。
なるべくしてなった極道の道だけど、新陳代謝の激しい世界だからね。お前も人生を大事にしろよと言って別れた。

懐かしい思い出にふけった夜だったよ。気持ちは何故か爽やかだった。仕返しをした話はリアルで、そこまでやったのかって感じで抵抗感があったけどね。
こいつはこいつで自分の悔しさを晴らしたんだな、自分の力で果たしたんだな、いつか仕返ししてやるとの思いで生きてきたんだなと感じたよ。
ヤクザの世界ではろくな人生は送れないなと思ったけどね、あのときの悔しさを晴らすために生きてきたんだな、それが奴の人生の証なんだなと思ったよ。
その後、あいつとは会ったことはない。たった一度の偶然の再会だった。

あいつに出会ってから数ヶ月経った頃、俺は交通事故を起こしてしまった。
小学生を車でぶっつけて怪我をさせてしまったんだ。
信号を右折して、アクセルを踏み込んだ瞬間に、右側車線に停止中の車の車列の間から子供が飛び出してきた。
一瞬の出来事だった。ハット!感じた瞬間に、車のボンネットの上にはいきなり子供の顔が見えた。
ブレーキを踏む間も無い、ハンドルも切れない、正に一瞬の出来事だった。
慌ててブレーキを踏んだよ。車が止まるまでの時間が異様に長かった。走馬灯のようにシーンが見える。
ボンネットの上の子供の顔がすべり落ちていく、このままでは車で轢いてしまう。
車はスリップしたまま止まらない、子供はボンネットからすり落ちて姿が見えなくなった。
車はしばらくして止まったが、子供を引いてしまったと思い込み激しいショックを受けた。
絶望感がみなぎっていたが、慌てて車を降りて子供を確認しにいった。
奇跡が起きていた、信じられない偶然が重なっていた、子供は無事だった。
昔の車には左前部バンバーに車幅灯が付いていた、子供は車幅灯に挟まって地面に落ちてはいなかった。
左前輪で轢かずに済んだのである。しかも車とガードレールの隙間は50センチ程度開いていた。
ハンドルを切る間もなかったことが良い結果になった。車は真っ直ぐにスリップしてガードレールに接触しなかった。
もしもガードレールにぶつかっていたら、子供の頭は潰れていたと思う。間違いなく殺してしまうところだった。
信じられないほどの幸運が重なっていたよ。車のボンネットはベコリと凹んで生々しい傷跡が残っていた。
頭を強く打ったかもしれないと心配したけどね、幸いにも意識は明瞭で軽傷だった。

一言で言えば運が良かったと言うことかもしれない。一瞬の間に数々の運の良さが連動した結果だった。
子供は打撲程度の怪我にはなったけど、翌日は元気に部屋の中を走り回っている程度だった。
被害者に丁寧にお詫びをして、幸いにも許してもらえたが、事故の責任は重大な問題を抱えていた。

若気の至りで俺の人身事故は二度目だった。過去に3重衝突による事故を起こし、重軽傷者20数名の大事故を起こした加害者だった。
過失による事故で悪質なものではないが、運悪く大事故になってしまった前暦があった。
禁固刑を受けたが、運良く罰金で済んだとはいえ、2度と事故は起こせない窮地に立っていた。
この事故で交通刑務所入りは避けられないと覚悟した。

事故の当日、被害者を救急車に乗せ、病院へ搬送した。
現場検証では、事故の内容は子供の飛び出しであったとしても、俺は無免許運転だった。
免許証を取り消されて、一年の謹慎期間中の事故だったのである。全面的に俺が悪かった。
子供が軽傷だったことだけが唯一の幸運だった。

慎ましくまじめに謹慎していたのは事実だが、期間満了が近づき、もう少しで免許を取り直せると思いきや、魔が差したのである。
用事を手っ取り早く終らせるためにも、昼間ならチョットぐらい大丈夫だろうと思い車を乗り出してしまったのである。
しかし、たった一度の甘い考えでも、天は俺を許さなかった。
この事故は正に天罰が下ったと思っている。一瞬の迷いを許しては貰えなかった。

車の運転には自信がある、事故さえ起こさなければ問題は無いと勝手に判断した。
気をつけて運転していたにもかかわらず、人身事故を起こしてしまった。
災いは天から降ってくる、正に子供は降ってきた、走って飛び込んできたのである。
コントロール不能状態でなす術が無かった。これが事故なんだ、防ぎたくても防げない事故がある。
車は急に止まれない、この意味が身に沁みたよ。

悪いことをしたから天罰が下った。災いは俺を目掛けて降り注いできた。これでも懲りないのかと執拗に覆いかぶさってきた。
それでも、運が良かったから、子供の命が救われた、そして、俺の人生が救われた。
この事故は、俺の人生を左右する重大な事故になった。
幸いにも子供は軽傷で、被害者の理解も得られたため、交通刑務所に入ることもなく済んだ。今では許されない事だろう。
数年は謹慎して車の運転はしなかったが、生活上不便でもあり、免許は取り直したけどね。
物事を慎重に考えるようになったよ。

そんな状況下での人身事故だった。事故の当日、俺は逮捕された。パトカーに載せられて警察署に向かっていた。
警察官には「今夜は帰せないぞ、身内に連絡をして来てもらえ、しばらく拘置所にお泊りだな」と言われていたところだった。

走りだして数分が経った時だった。

突然、パン、パン、パーンと無線から音が飛び出してきた。警察官が無線で緊急のやり取りをしている。
何が起きたのか良くわからない。警察官が俺に向かって言った。
「運が良いな、お前はここで降りろ、明日連絡するから、そのとき出頭しろ」と言った。
「ヤクザの抗争で乱射事件が起きた、緊急出動になった」と言うことで、俺をここで降ろすということになったらしい。
俺はその場で解放された。家に帰りニュースを見れば、乱射事件が報道されていた。
翌日、新聞で犯人の名前を見て驚いたよ。撃ち込んだ鉄砲弾の犯人は中学校時代の俺の同級生だった。
スナックで再会した金バッチの男だった。
まさか、あのときのパン、パン、パーンがあいつの撃った銃声だったとはね、俺は驚いたよ。
偶然の重なりとは言え、俺はあの銃声で解放された。ジャストタイミングだった。
後、5分遅ければ警察署に到着していた距離だった。おそらく拘留されていたと思う。

おかげで俺は拘置所に入らずに済んだ。幸いにも交通刑務所にも入らずに済んだ。
あの時、拘留されていたら俺の人生は変わっていたかもしれない。
どん底に落ちる一歩手前で救われたような気がした。偶然とはいえ不思議な感覚で受け止めたよ。
あいつの銃弾が俺を救った。あいつは何も知らない、俺も新聞を見て初めて知った。
運命の悪戯か、これが縁というものなのか、人情というものが縁を結び、こんな形で繋がるなんて、不思議なもんだろ。
これを俺は「カツ丼の恩返し」と思ったんだよ。あいつがこんな形で俺に恩を返したんだなとね。
「刑務所は俺の行く所だよ、お前が行く所じゃないよ」と言われたような気持ちになったよ。

「縁は異なもの不思議なもの」「情けは人のためならず」だろ。単なる偶然かもしれないけどね。
義理人情を感じる世代では、偶然でも偶然とは思えない縁を感じるってことだね。
恩を返してくれと思うのはあさましい事だと思うけどね。恩は感じないとね。
人としての生き様は見失いたくないね。これが俺の体験談だよ。俺にとってはカツ丼の恩返しだよ。

災いが山ほど降り注いできた時代はこの事故で終了したよ。以後、運の悪さを感じたことも、悲観したことも無い。運命を真正面から受け止める人生観が生まれたよ。


またしても仲間が突然逝ってしまったよ 小学生の頃に体験した悲しい仲間の死が蘇ってくるような別れの辛さ、悲しさが身に沁みたね

2018年12月03日 22時55分10秒 | 義理.人情.恩返し.体験談.回顧録.仲間

今年も残り僅かな12月になったね 身近な悲しい別れが年明けと共に始まって今年は辛い思いをしたけどね 恩師の死ではしのぶ会をやって同窓生の交流を深めたよ

幹事だった仲間はまめな奴でね 真面目で気配りの利く奴だから皆からも信頼されていたよ 俺も恩師の死を聞いたときは一番に連絡して後の連絡は代わって貰ったよ

健康そうで酒も飲むし、何らの問題も無い男と思っていたからね 本人が不調を口にも出さないので体調の悪さは感じられなかった 本人も自覚はあまりなかったようだね

そんな仲間が突然死んでしまったよ 前期高齢者でも60代の若さだよ 連絡を受けたときは信じられなかったよ お通夜で対面はできたけどね またしても仲間が突然逝ってしまったよ

夏ごろから体調不良になり病院に行ったらしい 検査の結果は最悪で、このまま直ぐにでも入院すべき状態で余命は数か月と言われたらしい 入院すれば退院できないとも言われたようだ 手遅れの末期がんだったそうだ

本人は自宅療養を望んで入院はしなかったそうだ ただただ死を待つ自宅療養を続けて余命尽きたってことらしい 「誰にも知らせるな!」って本人の希望で一人静かに逝ったようだ

家族との別れの時間は過ごせたようだけどね どの様な心境で死を迎えたのか 察するに思いあまる苦しさに襲われるよ あまりにも義弟の死にも似た終焉であり驚いているよ

そこまで気が付かないものなのかとも驚きを感じるけどね まめに病院の検査でも受けなければ、分からないものなのかと驚かされてもいるよ 同世代の身近な死はしみじみと寿命を感じさせられるね

恩師の墓参りをして、来年の一年忌をしのぶ会にする予定を立てていた仲間が、一番に恩師の後を追ってしまったよ 狐に抓まれたようなあっけない別れとなってしまったよ

「人の命は儚くて」だね 小学生の頃に体験した仲間の死を共に悲しみ、苦しみに耐える仲間を共に見守り、絆を深めてきた仲間が忽然と一人逝ってしまったよ 蘇ってくる別れの悲しさが身に沁みたね

皆で顔を見合わせては「お互いにしっかり見ておかないと二度と逢えないってこともあるね」なんて認識する年になったってことだね 長生きする奴もいれば突然消える奴もいるってことだよ

さすがに女性陣は丈夫だけどね 今の処、男はバタバタと消えて逝くよ 偶然なのか、生まれ育った環境に起因するのか分からないけどね 我々の世代は100才なんて長寿は夢かもね

血管に溜ができたと言ってはカテーテル治療や脳の手術をする知人が多々いるよ 現代医学は進んでいるからね あっという間に済ませて普段の生活に戻ってるからね 軽く捉えてしまうけどね

長生きできるって保証されているものでは無いからね 突然死の可能性は消えないよ IPS細胞の治療方法が確立されるのが楽しみだね スタップ細胞なら更に良いかもね 

「この世の未練を断ち切る」ってことが悟りでもあるかもね そして「生きてる限り何をかなさん」って意気込みを捨てないってことだね 個人的な幸せを甘受するも良し「社会の為に身を捧げるのも良し」ってことだね

 

 

いよいよ冬の到来と近づいてきたけどね 我が家に慣れ親しんだメジロのカップルは登場しないよ 新入りのカップルは姿を見せているけどね 慣れていないから落ち着かないよ みかんにも近づかないよ

今や雀がみかんを餌場にしているよ すっかりと縄張りを張っているらしく、メジロが恐れて近づかなくなってしまった 慣れてるメジロならみかんに真っ先に近づくけどね

今年の春までは通ってきたメジロのカップルは確認できないよ 今年で4~5年目位だろうからね 天寿を全うする年齢に近づいているかもね 命あるものの宿命だね

 

 


人の命は儚いものだよ また一人、面と向かって死を語ることもなく逝ってしまったよ 命を惜しむな この世に未練を残すな!だね

2018年03月09日 10時38分59秒 | 義理.人情.恩返し.体験談.回顧録.仲間

今年になって身近な人が次々と亡くなる不幸が続いているよ 50代と、60代のやっと還暦を過ぎた程度の年齢にもかかわらず、気が付いたときは末期がんと宣告されて旅立ってしまったよ

昨年の夏ごろに判明して、余命数ヶ月と引導を渡されてしまってね 半年程度は生き延びれたけど、今年になって2人共逝ってしまったよ 死を待つ人間の生き様は言葉では補えないね 掛ける言葉がなくなるよ

強気に病気と対峙して意気込みを口にする人もいるけどね 返す言葉を失ってしまうね 死を待つ治療を受けている当人も、周りで聞いている人間も、適切な言葉の掛け合いを失ってしまうね

死を告知する酷さを感じるよ 告知しない時代では、励ましの言葉も掛けられたけどね 余命数ヶ月と聞かされたら言葉を失うよ 退院をしても喜べないからね 治療は尽くしたって感じは、例えのない虚しさだね

だからと言って、死を待つ当人と、死を受け入れる覚悟の会話もできないからね 酷さを感じるけど、死を受け入れる会話ができるような別れであったら、沢山話すことができただろうなって寂しさも感じるね

侍時代は切腹があるからね 死を覚悟して受け入れた武士は、直前まで平常心を保ち、この世との別れを受け入れ、身辺整理や親交を深めて別れの言葉を交わしたんだろうけどね

死を待つ人間の立ち居振る舞いは、個々の感性でもあるけどね 難しい生き様の問題だね 自らが死を受け入れて、旅立つ前に言葉を残すってことができるかね 

死を告知する時代では、死を受け入れる覚悟の生き様が必要かもね 死ぬ直前までこの世を楽しむってことかな 特攻隊の死を目前にした最後の時間の過ごし方ができれば幸せかもしれないね 

来世への旅たちであり、別れの言葉が交わせたら、踏ん切りもつくかもね 如何にして悲壮感を無くし、死を待つ人間と接することができるかってテーマだね 

 

恩師の告別式を終えて帰宅したら、玄関に来客者の靴を目にしたよ 「4月には娘の披露宴をやるからそのうちに娘が挨拶に行きます」と仲間の言葉を聞いていたからね

赤ん坊の頃から可愛がっていた娘だから喜びもひとしおでね てっきりめでたい来客者だと思って着替えたよ 黒服姿を見せたくなかったからね 

居間に行ったら来客者は妹夫婦だった 義弟はしばらく足が遠のいていて久しぶりの再会だった 表情もにこやかでスッカリ温和な雰囲気で言葉を交わし、喜び合ったよ

妹家族は皆で温泉旅行に行って楽しんできた土産話をしに来たよ 姪っ子も結婚式を早めて4月にはする予定だと話してきた 内心は義弟の健康状態が悪化するのも時間の問題でもあり、花嫁姿を見せたいとの配慮だった

妹家族は和気あいあいと明るく、温泉旅行の楽しさを語っていたよ 義弟も楽しそうに言葉に表し話して聞かせたよ 思ったより健康状態を維持できているらしく、もう少し延命できることを心で願ったけどね

見た目の病状は重く、近々の死を感じさせるものでもあった 悲壮感を滲ますわけにもいかないけどね 義弟が明るく振舞って娘の結婚式を楽しみにしている姿に救われたよ 

義弟は昨年、体調を壊し病院に行ったところ、ステージ4の末期がんであることが判明した 突然の死の宣告の様なもので、当人も家族も親族も崖から突き落とされたような衝撃を受けたよ

みんなで言葉を失ったんだよ 手術をして安定をしたら病気見舞いにと思っていたら、お見舞いの当日に退院となってしまった 「それなら我が家に寄れるか?」って妹に聞いたらね 取り乱している様子だった

しばらく本人が落ち着くまでは会わずにおこうと決めてね お見舞いだけを妹に渡したよ 何度か入退院を繰り返すようになると聞いたからね お見舞いのタイミングを計っていたんだけどね

家族で治療に専念するとの方針らしく我が家に訪ねてくることはなかった 義弟は死の絶望の淵に立たされて、孤独な戦いを望んだんだね 「こんな姿を晒したくない!」って、友人との交流も絶ち、殻に閉じこもってしまったよ

死を目前にした人間の生き様は難しいね 死を覚悟して受け入れれば、この世の名残で友人との接触もできただろうけどね 面と向かい合って別れの言葉を交わすってこともできたかもね 命乞いをしない生き様ならね

最後に我が家を訪問して、旅行の土産話を聞かせて、結婚式の報告をして楽しそうな時間を振舞って帰ったよ そして2週間足らずで緊急入院して帰らぬ人となってしまった

人の命は儚いものだよ 面と向かって死を語ることもなく逝ってしまったよ 生きているうちに死を語るってのは慣れていないからね 接し方が身についていないね

末期癌で死んだクラス会の仲間が、焼き肉を食いながら「次は来れないかもしれない」って言った言葉が忘れられないね みんなで一様に言葉を失ったよ 「そんなこと言わずにまた来いよ」ってかわしたのを思い出すね

大杉漣さんのようにあっという間に逝ってしまう生き様もあるけどね 死を認識しないまま逝ってしまうってのも幸せかもね 

 

 浴びるほど酒を飲む男だったなー 花見酒を飲めなくて心残りだろうな 死に水は酒で送ろうかね

 

 

今年の桜も満開だと良いなー  あいつらは今頃、お花畑で一杯ってとこかな  何処に行っても花見酒には変わりねーか

 とうとう灰になって飛んでったよ 花咲か爺じーになっただろ  今年の桜は満開だな  見事な散り際も見せるだろ

 

30年3月  見事な桜が満開したよ  格別な花見日和になったよ 天国の義弟の贈り物だね

 

31年春

今年の梅の花は満開だったけどね サクラはこれからだね 暖かくなったから今年は早まるかもね メジロも花蜜で忙しいようで留守がちだよ

昨年見送った姪っ子の結婚式は無事に終わったよ 涙を見せまいと臨んだけどね グット堪えても目を瞑って我慢するのが精いっぱいだったね

滲み出る涙を拭いながらも動けじまいになってしまったよ 頃合いを見計らって来賓にお礼のお酌に行ったけどね 義弟の話が出たとたんに言葉が出なくなった

ろくなお礼の言葉も語れずにただただ頭を下げて終わりにしたよ 姪っ子の親族を代表するような振る舞いはできなかった 一番しっかりしていたのは姪っ子本人だったね

それでも理解力のある新郎にめぐり会って幸せを掴んだようだ 子供達も皆成人して独り立ちしたから、家族にとっても新たな船出となったって感じだね 

ようやく落ち着きを取り戻したようだよ 今年の桜も満開だと良いね メジロの勢力図も世代交代したようだよ 新たな時代に明るい未来を期待してね

 


「語れなかった仲間との死別」で書いた時代の恩師のことだけどね 来るべき時が来た別れとはいえね 心の教育を受けたことには感謝しているよ

2018年02月19日 20時15分04秒 | 義理.人情.恩返し.体験談.回顧録.仲間

「語れなかった仲間との死別」で書いた時代の恩師のことだけどね お世話になった担任の女の先生が旅立ってしまったよ 突然の訃報に俺はただただ言葉を失ってしまったよ

携帯に突然かかってきた相手は恩師の息子さんだった 携帯番号を知る由もない筈の電話に俺は驚かせられながらも、同時に不吉な予感が奔ったよ まさか!と思いながらも俺は冷静に応対をしたよ

息子さんが、ゆっくりと一言一言を慎重に語る言葉に、俺は呼応するかのように「まさか!まさか!」の言葉が脳裏を駆け巡った 最後の「亡くなりました!」の言葉だけが脳味噌に突き刺さったよ

「同窓生の皆さんに知らせてもらえませんか」と依頼されても、俺は言葉が返せない 応えようとしても声が発せられず、喋れない状況に陥ってパニック状態になってしまった 喉元の膠着状態から脱することができない

しばらくの絶句状態から、必死に絞り出した言葉が「わかりました 皆に連絡させていただきます」が精一杯の言葉だった 葬儀日程だけは書き残したもののそれ以外に聞いた話は全て聞き漏らしてしまった 

意外な俺自身の反応に驚きを感じてしまったよ ごく自然に汲み上げてくる激しい感情にタイムスリップをした 若かりし頃の激しい感情が蘇ってきた 泣きたくても涙も出ない高齢に達していた筈なのに不思議な感情に陥ったよ

冷静沈着な対応には自信のあった俺が動揺をした それも激しく体が反応した 何がこのような反応を呼び起こすのか分からなかった 恩師に対する思慕の情は確かにあると自覚はしているがその過敏ともいえる反応には驚きを感じたよ

恩師から学んだ、人としての情操教育の表れかもしれない 恩師に対する嫌な感情を抱いたことは一度もない ただただ明るくさっぱりした先生で、はっきりと物事を言う先生で、男の背中を押し出してくれるような先生だった

幼少期の深層心理に刻み込まれた、絶対的な信頼感が宿っていたのかもしれない 悲しい事故でもあった「語れなかった仲間との死別」が俺たちの心に焼き付いているのかもしれない

その時に学んだ心の教育が染みついている 明るく前向きに導いてくれた恩師に対する絶対的な信頼と、「人としての心」が深い絆となって根付いていたのかもしれない

通夜の晩に、人一倍悲しんで涙を滲ませ、堪えていた仲間は「悲惨な事故」の主役となった男だった そいつの発した言葉は「俺は本当にこの先生には助けられたんだ、今日があるのはこの先生のおかげだよ」と発したよ

俺にはそいつの言ってる深い意味がすぐに分かったよ 「語れなかった仲間との死別」から立ち直れたのは正に恩師のおかげだよ そして俺たちクラスメイトも多くのことを学んだんだよ 人としての心をね

小学校を卒業以来、クラス会は何十回にも及び続いてきた 恩師の高齢に伴い、頻繁に行うようになってもいた 珍しく恩師が欠席する事態が起きて、心配していた矢先だった

恩師は欠席の詫び状を手紙として幹事に持たせてきた 珍しく弱気な文面に驚かされもしたが、それほど深刻な事態とも誰一人思わなかった 回復した姿しかイメージできなかった

「弱弱しい姿を見せたくない!元気な姿で次回はお会いできるように楽しみにしています」と書かれていた それだけに突然の訃報には驚かされたってことも言えるけどね 

ただただ感謝の気持ちを抱きつつ「ご冥福をお祈りいたします!」としか言えないよ 教育の原点に触れた幼少期だったと心から感謝しているよ

それにしても当時の俺達は10~12才だからね 恩師は30~32才だよ この年齢の女教師がこれ程心の琴線に触れる教育ができるのかね 深層心理に刻み込まれた情操教育だね

どんな言葉を聞いて、どんな具体的指導を受けたのかは全く認識できていないよ 常に明るく前向きで、さっぱりした性格の良い先生だったとのイメージだけが残っている 男前だったよ

今日の日本の教育に欠けているものがあるとすればこんな感覚かね 言葉では言い表せないものだね この年になって30才の女教師の偉大さに頭が下がるよ 感謝感謝だよ 

 

桜のように華やかな先生だったね  卒業式は校庭の名物桜が満開だったよ 

 

 

これって 天国に続く糸かね 

 

 今頃 天使になってるね 

 

先に逝った仲間が何人も出迎えているからな  寂しくはないか

 

安らかにおやすみください!

 

語れなかった仲間との死別  2012年 6月 7日 記載

俺が小学校の5年生の頃のことだよ 時期は記憶が定かではないけどね 亡くなった恩師が担任だった時の出来事だった
仲良くしていた男友達が交通事故で死んだよ 凄いショックだったね 直前まで遊んでいた仲間だからね
そいつは運動能力が学年でも飛び抜けて凄かった 足が速いし運動神経が発達してたよ
甘いマスクで男前だよ 女子にも好かれていて「憧れの人」みたいな存在だったね 男友達も多くて誰からも好かれていたよ
小学校では運動会は花形行事だろ スターだよ 俺も脚は速かったけどね とても適わぬ相手だったよ
そんな奴が 突然、交通事故で死んでしまったよ 一緒に遊ぶ予定だったけど二度と会えなくなってしまった

俺たちは学校が終ると校庭で暗くなるまで良く遊んだんだよ その日も、俺は帰宅しないで校庭で遊んでいたよ
そいつは一度帰宅して、学校に遊びに戻ってくる途中だった、仲間の自転車に二人乗りで学校に向かってるときだったんだ
後ろから来たダンプに巻き込まれて事故になったようだ 狭い道路でダンプが来ると路肩がなくなるからね 危ない道路なんだ  
昔の道路は酷い状態だったからね アスファルト舗装にはなっていたんだけどね、工事用のダンプの通行が激しかったんだ
重い荷物を積んだダンプは道路を壊して、路面のアスファルトを波のように歪めてしまうんだよ
自転車に二人乗りをした仲間は左側通行で道路の歪みに振られたんだね その時にダンプが来たようだ
後ろに乗っていた仲間がダンプに巻き込まれた 後輪で轢かれて引きずられたよ 悲惨な事故になってしまった

自転車を運転した仲間は無傷で無事だったけど、死んだ仲間の姿は悲惨だったと思うよ 生き残った仲間は見てしまったんだね
生き残った仲間の心の底には入り込むことは出来ないよ 聞くこともその事を話題にすることも出来ないよ
自分だけが無傷で生き残ったんだからね ハンドルは自分が握っていたんだからね 自分が死なせてしまったとの思いが強かったと思う 

仲間の悲惨な姿を見たショックは言葉にならないだろうね 事故現場の壮絶な痕跡は惨たらしさを連想させるものだったよ
今でも仲良くしてる仲間だけどね この事件のことを聞いたことも話したこともないよ 心情は痛いほど分かるからね 周りもどの様に接すれば良いか分からなくなったよ 

事故が起きた時、俺は校庭で遊んでいたよ 救急車のサイレンが鳴り響いたよ 何かあったと気になったけどね
そのうちに仲間の一人が「たいへんだ!○○がダンプに轢かれた」と言って走ってきたよ
俺たちはビックリして現場に駆けつけたよ 現場にはもう誰もいなかった でも事故の痕は直ぐに分かったよ
血溜まりの中にはどろどろの朱色の血の塊があった 道路には血の帯が5m位付いていたよ 
轢きづられた跡だよ よく見ると肉が挽き肉状態になってこびり付いていた 
赤い血は年中見ているけどね 朱色のどろどろした血ははじめてみたよ 異常な血だったね 頭を潰したかもと思ったよ
背筋がぞっとしたよ 一瞬で助からないかもと感じたね 事故の痕跡はすさまじい状態だったよ
二人乗りだから二人ともやられたのかと思ったけどね、一人は無事だったと後で確認出来たから、ホット一安心はしたけどね 
もう一人は瀕死の危篤状態だったからね 無傷に危篤状態と明暗を分けた結果に複雑な思いがあった 事故の一瞬の怖さを感じたね
助かることを願っても、壮絶な事故の痕跡を見てるからね 絶望感が強かったけど、奇跡を信じるしかなかったね 
翌日、学校で事故の説明を受けたよ、助かっても両足切断になるかもしれないとの話もあった 一瞬、助かるかもと希望を持ったよ
「走れなくなるのか」それでも助かって欲しいと願ったけどね、夕方には帰らぬ人となってしまったよ 
お別れに行きたいとお願いしたけどね、遺体の損傷が激しいのか、会わせてもらえなかった 見ないほうが良いと説得されたよ

クラスでは生き残った仲間にどう接するかが話し合われたよ 当人はショックで何日か学校を休んだと思う 問題は生き残った仲間に掛ける言葉だね
クラスでは今までどおり、何もなかったように接することにしたと思う 事故の話をクラスで話題にしたことがないよ 
仲間の心の傷に触れたくなかったんだね 誰しもがタブーな事として触れなかったと記憶しているよ 自然に接することに徹したよ
下手な慰めは逆効果だよ 普通に誘って遊んで過ごしたよ 笑いを取り戻せるように普通に接したよ 本人に笑いを求めることもしなかった
仲間同士がじゃれ合ってふざけて笑っている中に放置していたよ 本人の心が打ち解けるまでじっと待ったよ 自然に笑顔が戻ってきたよ 
仲間が心底笑えるようになるにはかなりの時間がかかったように記憶してるよ 死んだ仲間は別のクラスだったのも良かったのかもね

死んだ仲間への思慕の情は皆が共有していたけどね、口には出さなかった 人気者の思い出話は山ほどあるけどね 悲しみはそれぞれの胸の内にしまい込んだよ 
悲惨で悲しい事故だった 残酷なことを目の当たりにしたよ ショックな出来事だったね 死んだ仲間を思っても、生き残った仲間を救う方法を優先したよ
担任の先生が勇気付ける言葉を与え続けたと思うよ 生き残った仲間は陽気で元の人気者に戻ったよ 陰のある表情はまったく見せなくなった 克服したんだね
責任感のある男だからね 心の葛藤は想像を絶するものだったと思うけどね 仲間の対応も良かったと思うよ 誰一人傷つけるような発言はしなかったよ

現代で同様の事故があったらどの様に対応するかね 興味本位に聞いたり話題にしたりしないかね
どんな対応が正しいかは分からないけどね 俺たちの仲間が取った対応は記載したとおりだよ 生き残った仲間の再起を優先したよ
人を思いやる情の世界だと思うね 先生の指導も良かったんだろうね 思いやりだよね
仲間が死んだことの後悔は、当事者の胸にグサリと突き刺さっていて痛ましいものだった 誰しも口にできずに沈黙を守ったよ
悲しい事故と受け止めて、苦しむ仲間の立ち直りをじっと待ったんだよ 笑いを取り戻すまでね 涙を抑えて仲間の再起を願ったよ

仲間の死に直面して「人は何時死ぬか分からないんだ」との認識はさせられたよ 
突然、仲間がいなくなってしまう悲しさや寂しさに、死ぬって事の意味が実感として伝わってきたよ
人の死を強く感じた出来事だったね いままで、死んだ仲間を思い出し語ることはできなかったよ 傷つく仲間がいるからね
このことを知ってる仲間同士では、語れなかった悲しい話だよ 今でも会話にできない悲しい出来事だね  

 

ある日突然ひとりぼっちになることもありそうだなー   あ〜る日突然ってやつだな

 

 ひとり暮らしじゃ誰も見送ってくれないぞ!  仲間を増やさないとなぁー

 

 少子高齢化だからな!子育てしないとな!


反社会的勢力排除条例はヤクザ社会を壊滅させるね 企業がヤクザ化するって事が怖いよ

2016年04月10日 17時40分46秒 | 義理.人情.恩返し.体験談.回顧録.仲間

昔、ヤクザの抗争に巻き込まれそうになった話を前文でしたけどね 俺はヤクザ社会とは無縁の人間だからね

勘違いされたら困るけどね 話としては、結構おもしろい話だよ 関わりあったヤクザが超大物だったから事態が大げさになったよ

俺の所有する貸家にお婆さんが住んでいたんだよ 20年位は独り暮らしでいたんだけどね 垢抜けした感じの良いお婆さんだった

高齢の一人暮らしだからね 病気や亡くなった時の事も心配だったけどね 何時も感謝の言葉を口にする礼儀正しい人だった

亡くなった場合のリスクもあるけどね 人情も働いて、最後までみとる覚悟で貸していたんだよ

ある日、もう一部屋他に貸してくれないかと相談に来たよ 理由を聞いたら「子供が重病だから、近くの病院で治療させたい」と言うことだった

重病と言っても普通の生活はできて、通院で治療しながら、悪化すれば入院させるって事だったけどね 年齢は50才代って感じだったよ

ペコペコと丁寧に頭を下げて頼むからね 別の部屋を貸すことにしたんだよ 本人にあったら、ニコニコして低姿勢だったよ

愛想は良いし、年老いた母親と一緒に話したからね とてもヤクザとは思えなかったね 

数か月経った頃から、ヤクザ然とした用心棒らしき男が、2人同乗している車で見かけるようになった。

病気治療にしては雰囲気がおかしいなと思っていたところで、本人が事務所にやってきた。

風体はヤクザ然としていて、金のネックレスに金の腕輪だよ 低姿勢に頼みごとに来たんだけどね

人を脅かすためのブルドックスタイルだよ 「ファックスを貸して貰えないか」との事だった

「良いよ」って貸したんだけどね ファックスに流れてきた書類は、債権の取り立ての証文が十数枚だった

発送元は広域暴力団の本部からのものだった 俺はその書類を見て驚いたよ これはまずいって直感したね

俺は書類を渡して「これは駄目だよ、2度とファックスは貸せないよ、ヤクザってことなら部屋を貸すこともできなくなるよ」って言ったんだ

本人はまずいと思ったらしく「ごめん ごめん もう迷惑はかけないから」って言ってペコペコと出ていったよ

俺は母親を呼んで話をしたよ 「息子さんはヤクザだね、話が違うだろ、病気治療ではなかったのか?」ってね

母親は、息子の生い立ちからヤクザになってしまった話を涙を流しながら語ったよ 「絶対に迷惑はかけないから勘弁してください」ってお願いされたよ

病気持ちである事は本当で、かなり悪いらしく治療の為に来たって事は本当のようだった 母親として出来る事はしてあげたいということだった 

俺は母親に「問題を起こせば出てってもらうよ、ヤクザだって居直られたらこのままにはできないよ」って引導を渡したよ

その後、近隣からヤクザがいるって苦情が来てね もめ事があったらしく「俺は○○組のやくざだ!」っと脅かされたって事だった

俺は本人に会いに行って「ヤクザだ!って名乗って脅したら、このまま貸しとく事はできないよ、契約解除だよ」って言ったんだ

本人は「もう脅かすような事はしないから、近所とはもめ事を起こさないから、もう少し部屋を貸しててくれ」って事になったよ。

昔はね、契約解除をしてヤクザを追いだすなんて危ないことだよ 体を張らなければ解決できないからね 厄介な問題になるよ

今は反社会的勢力排除条例があるからね ヤクザと分かれば貸すこともできないし、契約解除して追い出すとなれば警察が協力するからね 

ヤクザは人間扱いをされていないよ 生活権さえ無いって感じがするね 追いつめられた狂犬の恐さを感じるよ

言葉で脅せなくなれば、地下に潜って行動するって事になるからね ゲリラ化して凶暴になるね

これからは命がけの脅しって事になるんだろう 通り魔に似せた事件が増えるって事だね

 

この男は、車で送り迎えされてる様子や、周りの人物の風体からおかしいと思ってはいたけどね 

関東のヤクザ社会の水面下では、この男の存在が大騒ぎになっていたんだよ

広域暴力団が、関東のヤクザ組織の縄張り内に事務所を出したってことで、大騒ぎになったらしい。

追い出すためには、ドンパチの抗争になるってことで、地元のヤクザがいきり立っているって事らしい。

地元のヤクザは、若い頃からの顔見知りではあったけどね ヤクザとの交流は無いから事務所に行ったことは無いよ

事務所に出入りすると警察にも勘違いされるからね 生きてる世界が違うから一線を画さないと誤解を受けるからね

普段は電話をしてくることも無かったけどね 親分が必死に俺を探しまくって「逢って聞きたいことがある、大変な事だから必ず電話をくれ」って伝言があったよ

俺は電話をして話を聞き、異様な様子を感じ取って事務所に行ったよ 親分は緊迫して焦っていたよ

ヤクザの事務所で見せられたのは、巻物に書かれたヤクザの名簿だった この中に見覚えのある名前は無いかと聞かれたよ

目で追うと見覚えのある名前があった 名簿と同じ○○組のやくざと名乗っている、お婆さんの息子の名前と同じだった

名簿は広域暴力団のもので、肩書きは関東本部長と記載されていた。

この名前と同じヤクザはいますよって答えたら、「やっぱり本当か!間違いないんだな!」って確認されてね 真顔になっていたよ

「このままでは大変な事になる、貸家もお前の事務所も撃ち込まれるかもしれない、関東のヤクザが撃ち込むって騒いでいる」って事だった

俺は「そんな事になってしまうんなら、契約を解除して出ていってもらう、自分で解決する」って言ったよ

そうしたら、親分が「もう時間が無い、俺が直接会って看板を下げさせる、確認できただけで十分だ」と言ったよ

その後、双方で話し合いが上手く行ったのだろう 本人は病院に入院して部屋を留守にするようになった。

俺は、母親にトラブルの内容を話して「このままでは面倒見きれない、退院したら転居して貰うしかない」って言ったよ

この問題はその後、意外な展開で解決したけどね 面倒なことに巻き込まれて一大事になるところだったよ 危ない橋を渡ったよ

情けをかけて、甘い対応をしたしっぺ返しだよ 面接時に指を隠していても、小指が無いのは分かったけどね 若い頃の悪戯と受け入れたよ

病気の子供を呼び寄せて、治してあげたいとの母親の愛情を受け入れたよ まさか、危ない爆弾男のような者とは思えなかったからね

今のように反社会的勢力排除条例が無い時代は、ヤクザを相手にするのは大変だったからね 扱いは厄介だったよ

堅気なのに巻き込まれれば同様の目で見られることになるよ 末端で生きてる人間は避けて通れないこともあるよ

この時は銃撃事件になることも無く治まったけどね 運が良かったって事かな? お婆さんの感謝の気持ちは感じたよ

俺も当時は若かったからね 風体が悪いからって、悪人とは決めつけたくなかったからね 荒くれ職人を見て育っているからね

調子に乗って間違いを犯す奴もいるけど、心根は良い奴って人間も沢山いるからね 見てくれで決めつけたくはなかったよ

人情を大事にして、何か力になれる事があるならって感じで受け止めていたからね

火中の栗を拾って火傷をするところだったけどね 人情は伝わっているよ 

ヤクザたりとて、母親の世話になってる恩人に迷惑はかけられないって心情は働いたんだろうね 

俺は難を逃れたからね 義理人情が通じたって事かな お祖父さんの囚人を扱う心情が生きてるって事だろう