去る6月15日に、東京芸術座の印南貞人さんが逝去されました。
印南さんは、わたしの大恩人。
栃木県那須塩原市にて20年以上続く「那須野の大地」の脚本に、わたしを指名してくれたのが、演出の印南さんでした。
電話がかかってきた日は、ちょうど34歳の誕生日。その仕事は天からの贈りもののように思えました。
脚本への駄目出しが厳しく、なかなかOKをもらえずに、けれど、印南さんの期待に応えようと、再演分も含めて、第6稿まで書き進めたことは、わたしの自信になっています。
また、栃木県のらくりん座さんで上演していただいた「島ひきおに」(わたしの脚色)でも演出を担当。子どもたちに喜んでもらいました。
直近の、これもらくりん座さんの芝居動画で、わたしの脚本の「疫病神のお札」も演出していただきました。たぶんこれが最後の演出作品じゃないかと思います。
そして何より、2年半前にご依頼いただいた原田マハ原作の「生きるぼくら」の脚色台本の執筆。
がん闘病の中、「これが自分の最後の大作の演出」と言われ、わたしをその脚本執筆に指名してくれたのでした。
このブログにも何度か作品名をあげずに、執筆過程を記してきましたが、こちらも目指す頂が高く、厳しい駄目出しの連続で、なかなかOKをいただけませんでした。
第4稿目でもOKが出ず、また、印南さんの肺摘出の手術もあり、公演の可能性自体がなくなってしまったかに思えました。
しかし、手術後、体調が回復されるに従い、公演への意欲を取り戻され、「医者が3年保証してくれた。広島も死ぬ気で書いてくれ」と叱咤激励され、わたしも気力を振り絞り、第5稿目に取りかかることに。
その5稿目が6月中に完成の目処が立っていたところに、突然、印南さんの訃報を知らされました。
わたしは、「最後の大作」の脚本執筆にわたしを選んでくれた、印南さんの期待に応えられず、残念、無念で号泣してしまいました。悔いばかりが残っています。
わたしは気持ちを奮い立たせ、霊前に捧げる思いで、なんとか脚本を仕上げました。そのホンを、印南さんの所属先である東京芸術座と、ご家族に送ることで、自分なりの区切りとさせてもらいました。
大きなチャンスを与えてくれたのに、ものにできなかった自分の実力のなさと、生前にその期待に応えられなかった悔いに、自分を省みる日々です。
印南さんへのご恩に報いるためにも、いい戯曲を書きたいと、心を新たにしています。
ご冥福をお祈りします。
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