ドラマーhiro中川のブログ

セッションドラマーのhiro中川によるコラム、インフォメーション

半生を振り返って ~迷走の30代~④

2020年10月18日 23時06分27秒 | その他
ドラムを始めた原点というものを考えたことにより、「自分はいったい何がやりたいのか」ということを改めて自問自答しました

自己啓発の本もかなり読みました そして自問自答した結果

■人と一緒に演奏することが好き

■一緒に演奏するミュージシャンと音楽を作り上げていくことが好き

つまりアンサンブルが好きなんです そしてそれを大事にしているドラマーが好きなんです

今思えばドラムというアンサンブル楽器を選んだことが運命だったんだとも思いました

自分の気持ちに正直でいる為に自分の必要なものだけを残し、必要と思えないものは切り捨てていきました パーカッションを演奏することも辞めました ツインペダルも辞めました 

それで仕事が減ってしまっても構わないと思いました

そう決めてからというもの、自分に必要なものだけを突き詰めていった結果、逆に仕事が徐々に増えていったのです

最初は不思議にも思いましたが、振り返ってみれば「自分は何が売りなのか」ってことでした 何が得意なのか、何が人と違うのか

自分が得意なことを突き詰めていった方がお仕事になる確率が高くなるんです それが好きな事なら最高です!

たとえ得意なことがそんなに好きでなかったとしてもそれほど苦ではないはずです 人から必要とされているのに嫌な気持ちにはならないでしょう

そして何かアイデアが湧いたら実行してみること もし失敗したら失敗した原因を明らかにし、改善する

その繰り返しで今があります

ホントに手にしたいものがあれば待っているのではなく、どうやって手に出来るか考えて考えて、試してみて良ければ残し、ダメだったら捨てる、ということを繰り返すことです

これからどうなっていくかわかりませんが、自分の好奇心で楽しいとおもうことを追求する、それはこれからも変わらずやっていこうと思います


長々とご愛読くださり誠にありがとうございました♪



半生を振り返って ~迷走の30代~③

2020年10月12日 23時49分32秒 | その他
ドラムならまだしもパーカッションでの依頼

技量はパーカッショニストの方が当然上 というジレンマに陥り、疲弊してしまいました

というのも、本職のパーカッショニストの演奏を目の当たりにすると恥ずかしくなるのです

出来なければ練習すればいいのですが、元々ドラムがやりたいのにパーカッションをやらないといけない・・

そしてどんどん音楽が嫌になっていき、辞めようと本気で思いました そんなある日、テレビで沖縄ポップスに出会うのです

丁度その頃は沖縄のバンドやユニットが凄い人気があったころ 「しばらく旅行らしい旅行もしてないなぁ」と思い興味本位で那覇へ行き、色々なライブハウスへ行きました

当時あったタワレコも地元のバンドのCDを応援しているような感じ 沖縄出身のメジャーバンドは地元の英雄として盛り上がってましたが、インディーズで活動しているミュージシャンも皆素晴らしかったです 

彼らに話をしてみると特にメジャーになりたいと思っている人は意外なほど少なかったです

殆どの歌い手の方は古来からある沖縄民謡を聴いて育っており、現在でも沖縄民謡は盛んで沖縄は音楽が生活の一部になっています

本来音楽というのは生活に根差しているものなんだよなぁと 僕がドラムを始めたころ、ただ楽しいからやっていたわけであって、それが一番大事な事なのに見失ってしまっていた・・

その気持ちを絶対忘れてはいけないと心に誓い、恩返しのつもりで毎年のように沖縄へ行き、ライブやセッションにも参加してたくさんの沖縄在住ミュージシャン知り合いました 

意外だったのは県外から移住したミュージシャンがかなり多かったことです 理由は様々でしたが、皆しっかりと沖縄に溶け込んでいました

そして僕の気持ちはどんどん楽になっていったのです

続く


半生を振り返って ~迷走の30代~ ②

2020年10月12日 09時39分03秒 | その他
「ipod」の誕生です

2001年に初代ipodが発売され、現在ではiPhoneの一部と化していますが、音楽をCDで買わなくてもいい時代の到来です

それが一般的に広まったのがiTunesが音楽をダウンロード販売した2003年ごろ CDを購入する人がどんどん減っていったのです

元々ライブやライブツアーはCDの販促を目的としたイベントであり、ライブのチケット収益だけではプラスにならないのが実情 それをCD販売で補うのですがそのCDが売れないということでライブの数、規模がどんどん縮小していきました

インストアライブ、アコースティックライブが爆発的に増えていきます その理由はライブ自体の経費を少なくするためです そしてCDの手売り、店頭販売をするようになっていきました

そこでパーカッションでの依頼が来るようになりました でもパーカッションをやったことない僕はどうしていいか迷い、ジャンベを手にするようになります

ジャンベの教則ビデオを買い、自己流でやるようになりました ジャンベでドラムのパターン的なものを演奏するわけです 高域をスネア、低域をバスドラム代わりにしました カホンも一般的になってきたのもこの頃からで、アコースティックでドラムセット的な音が欲しがられました

だいたいのドラマーがジャンベ、カホン、コンガなどを演奏し始めるようになりました そうしないとお仕事がないからです 

パーカッショニストを呼べばいいのに、と思ってましたが、クライアントはパーカッショニストの本格的なものではなく、ドラマーが叩くパーカッションを欲しがっていたのです その方が楽曲にマッチするからなんですね

トイレの神様をヒットさせた植村花菜さんのサポートしたのもこの頃でジャンベでの参加でした

続く

半生を振り返って ~迷走の30代~ ①

2020年10月12日 08時39分39秒 | その他
ドラムの日が先日10日にありました

今年はフルオーダーのドラムセットを手に入れたということもあり、これまでの自分の半生を見返してみました

今回はプロになりたいと思い会社員から転向し、お仕事を頂けるようになったところまでを某SNSに書きましたが、そうなってから10年くらい経ったころ、「もう辞めようかな」と思った時期がありました。今回はその内容を書いてみようと振り返ってみることに致しました

仕事も少しずつ入ってきて何とか家賃も払えるようになりましたが、その時は自分の理想とは結構ズレてました

まず首の皮一枚で繋がった音楽教室の仕事

稼働日数が増え、並行してた仕事との両立が難しくなってきました そこで並行してた仕事を辞め、音楽を専業にすることに そして実家を離れることにいたしました

何とか家賃は賄えると思ったのですが、当時の月謝の収入システムに欠点があり、見込んでいた金額が入ってこないのです 実演奏の方はそんなにはなかったんですが、見込んでたものが予定を過ぎても入ってこない(事務所が消えた)等の連続でした

で、切羽詰まって自分でスクールを立ち上げたのが2000年、自宅にローランドTD10の店頭品を購入してのスタートでした 当時はネットもまだ途上段階だったのでドラマガの文字広告、リハスタにチラシを貼り、電話かハガキで問い合わせを受けていました

幸い貯金があったので赤字部分は切り崩して補填する日々でしたが、このお陰で少しづつ生徒が集まり、10人ほどになった時には何とか赤字は免れるようになりました

が、自分の理想は演奏のみで食べていくこと でも仕事はレッスンの方が多い このジレンマにかなり悩まされました

悩みつつも練習やたまに入るギグ、レコーディング、メインのレッスンに明け暮れましたが、2005年くらいから音楽業界の転機が訪れます

続く

近況いろいろ

2020年08月10日 17時09分38秒 | その他
先月のSouthpaw Snipers liveをプロの映像技術者により編集して頂きました 音も良し さすがです!是非見てみてください!!




サムスンシンバル届きました!

エンドース契約してから発注して待つこと約一年! ついに手元に!!

自分の持ってなかったサウンドでめちゃ面白いです もっと色々と鳴らし方を研究して付き合っていきたいと思います



#samsuncymbal