1月三連休の最終日。
どう見ても古墳から発掘された石棺にしか見えませんが。
当時、中曽根さんの後継者指名を争ってギクシャクしていた安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の三氏を招いて党内融和を図った。
意味は各自でググられたし。
第45回は日の出町。
「ひのでちょう」ではなく、「ひのでまち」と読む。
昨年11月に101歳で逝去された中曽根康弘元総理が愛した日の出山荘があるので有名だ。
ここ↓
昭和58(1983)年、中曽根総理(当時)がレーガン米大統領夫妻を招いて、日米首脳会談をしたのがここだ。
「ロン・ヤス会談」と呼ばれた、あの日米首脳の蜜月関係はその後の空前の好景気、バブル時代へと繋がっている。
この日の出山荘、そういう歴史物語を抜きにしても、めちゃめちゃ風情があって、超お勧めスポットでございます。
今回は、写メもたっぷり。
まず、入口すぐ横。
中曽根元総理がいつも泳いでいたというプールが↓
どう見ても古墳から発掘された石棺にしか見えませんが。
その先左手に何やら由緒正しそうな鐘が。
韓国の全斗煥元大統領から贈られた半鐘である。
こういう贈り物くれるくらい仲良かった時代もあったんですなぁ。
そろそろ、「あの鐘、返せ」とか言われそうだな。
返すか。
その足元にはプリチーな石仏?が。
さらに進むと、「日の出山荘」の代名詞ともなった「青雲堂」が。
江戸時代末期に建てられた茅葺の古民家を中曽根さんが改築したものである。
この青雲堂の囲炉裏で中曽根元総理はレーガン大統領夫妻にお茶を点(た)て↓
当時、中曽根さんの後継者指名を争ってギクシャクしていた安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の三氏を招いて党内融和を図った。
今は皆さん、鬼籍に入られてしまったが、天国でまた集まって仲良くやっていらっしゃることだろう。
青雲堂の入口には何故か、木枯紋次郎の蓑笠が。中曽根さんの地元が上州(群馬)だったからかしらん。
「ロンヤス会談」の1年後に書かれた書。
中曽根さんは円満な日米関係を「太平洋波静」の五文字で表現してみせた。達筆だ。
別の部屋には「忠信を以って甲冑と為し、礼義を以って干櫓と為す・・・」
おそらく「孔子家語」の一節↓
意味は各自でググられたし。
青雲堂を出て更に先に行くと茶室「天心堂」の入口↓
ここでも「ロンヤス会談」が行われた。
敷地のいちばん奥に平成元年に建てられた「書院」↓
これ、中曽根元総理が退任後、政治の舞台で苦楽を共にした国内外の友人たちを招いた、要するに私設迎賓館である。
青雲堂と天心堂は中には入れないが、この書院は中に入って見学可能。
これが凄い。
なんたって、元総理の私設迎賓館ですぜ。
玄関入ると、いきなり、ドーンと↓
ガボン共和国から贈られた「アフリカ女性頭部」。
・・・なぜ、頭部???
中曽根元総理がしばしば吹いていた螺貝(ほらがい)まで(笑)↓
陽当たりのいい、居心地満点のリビング。
こっちはダイニング。
ずかずかと二階に上がってみる。
見晴らし、ばっちり。
中曽根元総理の書斎も残されてます。
自画像が、軽く、・・・下手です↓
いや、でも、こんだけ歴史的にも凄い施設見て、元総理の私設迎賓館の中まで上がり込めて、入館料は300円である。
しかも、日の出山荘の入場チケットを持っていくと、近くにある「つるつる温泉」の入湯料(施設利用料)が200円引きになるという。
ちょっとハゲたオヤジばかりがいそうで怖かったが、200円引きにつられて行ってみた。
ここがまた、good。
ムーミン谷に迷い込んだような建物だが↓
中は広くて超綺麗。
泉質はアルカリ性単純温泉で、お肌つるつるだ。
駐車場のパイロンまでつるつる↓
ただ、「生涯青春の湯」という、ジジババ感満載、30代以下の若者がドン引きしそうなキャッチコピーだけは何とかならんかのう。
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