ヌルい

萌えても良いですか?
…萌えないとダメですか?


by 雛多

激震週末旅行!!

2007年03月25日 | お出掛け
能登半島沖で大きな地震がありましたね。石川県輪島沖、西南西40km、マグニチュード6.9、最大震度6強だとか。

私、ちょうどその時、なぜか
石川県輪島市 におりまして(w;;
いや、リフレッシュしに旅行とか。

9:00に旅館をチェックアウトしてその足で美術館へ。『その時』は輪島塗の漆器を観ておりました。(伝統工芸品好きなもので)
グラっときた時には震度2くらいの軽い地震だろうと思ったのですが、なかなか収まらないので「4くらいの大きいの来るかも」とか思ったら、更に超えてました。激しい横揺れだし、照明落ちて展示室内真っ暗だし、壁面は展示ガラス貼りだし、パニックでしたね。無我夢中でロビーに這い出しました、侮るなかれ四足でも歩けないのですよ揺れて力が入らなくて。その姿は『生まれたての小鹿が立ち上がる』宜しく、這ってる姿は『砂浜を進むウミガメ』宜しく。幸いにも入場者は私だけでした(※普通の観光客は『朝市』に行く)ので、無様さを人目に晒す事も無く(w
さて、私の目の前では「特別酷い」という損害はなかったので、「結構大きな地震だった」程度に思っていたのですけれど、収まって周りを見たら…受付のテーブルは大破してるしチラシ立ては粉々。更に外に出たら歩道にひび割れ。陥没もありました。
「実は結構、タダゴトじゃないんじゃん!?」
ってそこで初めて思って、一種に行ったツレに連絡を取ろうと…携帯が繋がらない。結構どころか、マジオオゴト。
どのみち合流しない事には身動きが取れないので、幹線道路沿いに街の方に戻って行ったのですけど。
民家の窓ガラスや瓦が散乱して酷い有様でしたよ。そこが輪島市鳳至町…後で知ったのですが最高震度6強を記録した観測点の1つ、それとお亡くなりになった方がお住まいだった所なのですね。私はそこから100m足らずしか離れていない所に居たわけですよ! ちなみに昨日泊まった旅館も鳳至町の海岸端(w;

まぁ、街はちょっとしたパニック状態でした。そりゃね、海際なのに
『津波警報発令』だからね。
それでも、『阿鼻叫喚』って程ではなく『避難訓練』的な、「ちょっと込み合ってるけど無茶しない」雰囲気なのは土地柄なのか。「鄙びた田舎町」だと思ってましたけど、それがすごく好感。とても良い街だなって思いました。
運良く、連絡の付かなかったツレとも合流できましたし、この後予定消化(土産物&観光)しようにも店が「営業どころじゃない!」って状態だったので、帰る事にしました。(輪島塗をお土産に買っていく予定だったのに…)

でも『能登道路』へ向かったら封鎖通行止め。一般道で戻って行くと。
輪島市門前町は更に酷い有様でした。電柱は傾いてる。地盤は割れ放題落ち放題。そして…家屋倒壊と。私が見ただけでも10件ほどありました。ココは震源から更に近く20kmほどの距離、観測点でないので記録には出て来ませんが、恐らく他のどこよりも揺れが激しかったはず。
手を貸したい衝動もありましたが、倒壊を免れた近所の方々も手が出せなくて呆然としてる状況で、一般の観光客にはどうにもしようのないのが歯痒かったです。

道の駅『赤神』でやっと休憩、ほっとしたのも束の間、トイレは断水。そういえば市街でもあちこち『水道管破裂』してましたし。
ってそれでもちょっと一息だったのですが、休憩中「ドン!!」と下から突き上げるような余震。まだ被災地の真っ只中に居るのを実感しました。
それと…大きな地震自体ももちろん怖いのですが、
それ以上に余震が怖い!! 事を知りました。
繰り返す余震が、最初の1発で緩んでいた地盤を更に脆くしていくんですね。観光地で被災した自分たちなどは、単に『経験』でしかありませんが、そこに住んでいる人の『恐怖』や『苦労』を思うに、地震の恐ろしさはただごとではないのですね。


R249号線沿いに帰って行くのですが、志賀町に入って深谷地区の山間部。道路が完全に落ちてます! 路肩決壊どころじゃないです。ちょうど拡張工事をした箇所らしく山側に迂回するスペースがあったので大事には至りませんでしたが、気をつけないと身動きが取れなくなっていました。しかしさすが、落ちたのは新しく作った方で、昔ながらの部分は地盤がしっかりしていたのが、往古から人が通ってきた道がどんなに利に適っているかを強く感じました。

あとは…所々通行止めだったりとかはありましたがほぼ順調。渋滞にもほとんど遭いません。
…が、そこにこれまでと違った恐怖の難関。
『原発』!!
志賀原発は数年前に臨界事故を起こしてますしね。一定以上の震度の場合運転停止するはずですが、それでも気が気じゃありません。わざわざちょっと遠回り気味に迂回(気休め)してったり(w;
(※当日は2基とも点検中で、運転休止してたそうです)


能登道路 柳田ICから通行止めが解除される(柳田IC以北で火災だったとか)ので、一気に南下しました。この辺まで来ると、周囲の雰囲気も「地震なんて他人事」的で(w; 唯一の場違いは、被災地に向かっていく緊急車両の群れ。警察、消防、自衛隊の県外応援部隊が100台近く被災地に向かっていくのでした。惨状を見てきただけに頼もしく感じましたね。しかし、その時点で1300過ぎ、発生から3時間近く経っていますが…(w; きっと日曜日だけに、非番に非常召集掛けたのだろうなと、ミリオタのツレと話しつつ、能登半島を離れたのでした。


帰宅は21:00
短いけど長い1日でした。


余談:

こんな状況になって、「今日の占いは最悪だろうな」と思ってたのですが…
むしろ良いのです、どれを見ても!!

確かに、大きな地震に遭ったとはいえ、身体被害は『爪が割れた』だけでしたし。その時も、丈夫な美術館の中でしたし、他の観覧者との衝突もなく。
帰りも、被災渋滞に巻き込まれる事も無く。(巻き込まれたら正当な理由で明日休めると思ってたのに…チッ!!)
お土産が買えなかったのが一番悪かった事かな?(w
でも、美術館でも全部観れなかったとはいえ一番のお目当てはじっくり観る事ができたし、不満はないです。
そういう意味じゃ、避けられない事以外に関しては『運が良かった』と言えるのかな???