Graffiti Decorations

私の人生は、キャンパスいっぱいに描かれ続けている。
生まれてからずっと、らくがきのように。

今日のこと

2005-11-28 00:42:32 | 出来事
今日の朝は、雷がひどかった。
完全夜型の私がなぜか早起き。

というのも、今朝の目覚めの場所はいつもの家ではない。


私は昨日から家族と親戚で地元山奥の温泉旅館に泊まりに来ていた。

うちの家族と、母の弟家族の計8人。
本当は夏に家族旅行しようと計画していたのに、みんなのスケジュールがあわずこんな季節になってしまった。

大学の夏休みでも冬休みでもない中途半端なこの時期、
久々に地元へ帰省。

母の弟家族とは、母方の祖父母が生きていた頃は毎週会っていたのに
ここ3年間で2人とも亡くなってしまって
これまた久々の再会。

ちっこいイトコ2人(3歳と4歳)も一緒で、なかなか楽しい1泊2日だった。



昨日は旅の疲れもあり、早くに寝てしまった私は5時前に目が覚めた。
6時から朝の入浴が始まるため、しばらく仮眠してから2回も温泉に入った。
疲れがとれるような、癒されているような気分になるために。

疲れた、というほど疲れてはないが、その日はなんだかヘンな気分だった。



母の左目が見えなくなったと知ったのは1週間ほど前。

私がショックだったのは、その事実もだが何より
それがわかった時点ですぐに私に連絡してくれなかったことだ。

見えなくなってきたのは今年の8月。
3ヶ月も私は何も知らなかった。

「心配かけたくなかった」というのは母の口癖

時間がたった方が
余計悲しみも不安も心配も増大するのに



前もそうだった。

大好きな母方のおばあちゃんが
ただの肺炎じゃなくて
癌だったことも
余命3ヶ月だったことも

あと1週間もつかわからない、という時点で知らされた。

私はその頃受験を控えていた。

知ったのも偶然で、父と母の会話をたまたま聞いてしまったときだ


頭が真っ白になって、ただただ布団の中で泣いた。


ばあちゃんは頭がよくて、何でもできてかっこいい人だった。

ばあちゃんは厳しくて
毎週会いに行っても「勉強しているか」「授業でも率先して発表してるか」
ってしか言わないから
勉強嫌いな私は
成長するにつればあちゃんに反抗するようになった

昔はかなりのばあちゃんっこだったことも忘れて
本当は大好きだったのに


ばあちゃんが死んで
私はひたすら勉強して
ビックリするくらい成績が伸び
1年前は到底届かないと思っていた進学校に上位で入学した。

共に住む人がいなくなると急に弱くなるのが男の人だ。
じーちゃんは亭主関白を絵に描いたような人で
共働きだったにもかかわらず家事も子育ても
すべてばあちゃんにさせてた
そんなじーちゃんは突然弱って
ボケて
病気して
後を追うように3年後に死んだ。


またもや私の受験期で
病院まで距離もあるためまともにお見舞いにも行けず


結局、私の後悔だけが残る




そんな連続の親の死を乗り越えた母は
前よりも増して強くなって
いつも笑顔で私たちに接して

いた、のに



またかよ!!!



想像がつくかもしれないが
私は母に感謝と尊敬で頭が上がらないにもかかわらず
この素直になれない性格が
いつも母への態度をカタいものにさせる



もうイヤだ!!
後悔は残したくない。

私の姿が母の目に映るかぎり
とにかく孝行するんだ。

と、思って挑んだ今回の旅行も、なんだか妙に明るい母に
テンションの低い私は何も出来なくて

2日間自己嫌悪のまま過ごした。


チェックアウト後、弟家族と別れ
家に帰り同居している父方のばあちゃんを連れて
ランチを食べに行った。

そのランチの店では、偶然中学時代の級友が働いていて、
「ああ、もう社会人なんだ」
とか当たり前のことを考えながら
偶然の再会であせりつつ

その子にあいさつもせずに、その店をでた。
あっちも私に気づかないように接していたから
やっぱお互い気まずいのは気分が悪い

それから、私は翌日も通常通り1限から授業のため
家族との時間も満足にとらないまま
さっさと地元を旅立つ




駅に着き、バイト帰りの彼氏に会いに行った。
あっちも会いたがってくれてたし
このまま一人でマンションに帰ると眠れなさそうだったから
会って、
私の来年用の手帳買いについてきてもらって
喫茶店でお茶しながら話して
その後彼の強い要望でカラオケ行った。

相変わらず彼は新しいアルバムのミスチル曲のタイトルを並べる
対抗するかのように私は中高時代に歌っていた昔の曲を歌う


会計のとき、後ろに並んでいたのが
1年と半年片思いしていた先輩だったことに気づいたのは
振りむいて出ようとしたときだ。

会話全部聞かれていただろうな


今日は色々ありすぎて
頭がパンクしそうで
何も考えたくなくて

家に帰り、着替えて顔洗って
録画していたドラマを一気に2本見た



それからしばらくして彼から電話があった

「今日8万買った!!」

私と別れた後、家に帰ると言ったのに
スロット行ってたのか。

彼は最近絶好調らしく
先週は10万買ってて
2人おそろいのブランド品の時計を買ってくれた。

合計8万強を、ぽんっと現金で払った。
ギャンブル金とはいえ彼に全部払わせるのもなんだか気持ち悪くて
後で1万を渡した。

「今回のはバイク買うための貯金にまわすよ」

今も手元にある時計を見るたび
私の中のアンチギャンブルのポリシーが揺らぐ

いや、揺らいではいない。

嫌いなことにかわりはない。けど、
その恩恵を受けてしまっていることと
「もうしないで」といいながら
するなら勝つことを期待している自分に気づいた瞬間が
イヤでイヤで
悔しくて情けなくて


今夜も眠れない。

まぁいつも寝つきは悪いけど。


いろいろ考えちゃうのは
コンポから流れてくる曲が
ミスチルだからかな

つきあってるってこと

2005-11-24 02:02:53 | LOVE
よく、

「会うのは週に2~3回でいい」

とか、

「自分の時間を大切にしたいから、しょっちゅう会いたいっていってくるのはウザイ」

って人がいる。



よく思うけど、そういう人ってホントに相手のこと好きなのかなぁ。


私はやっぱりできるだけたくさん同じ時間を過ごしていたいし、会えるなら時間を割いてでも会いに行くし、来て欲しい。





大学生の恋愛って、人生においても一番
時間的余裕があるし
適度に親離れできてる時期だし
どっぷり「恋愛」に浸れる時期だと思うんだけど

社会人の恋愛みたいに
いっぱい制限かけちゃってる人、結構いるんだよね。



もちろん、私は相手に依存しまくって
「会いたい会いたい」言ってるわけじゃない
私は私だし、やることあるし、
別に相手の重荷になろうなんて思ってないし、なりたくもない

でも、ふとしたときに、一日が終わりかけてるころとか、
となりにいてくれるだけでいいから会いたいって思う。


これって普通だよね?

だって好きな人だよ!

世界で一番愛している人なのに

そばに居て欲しいって思うのは当然やん!


まぁ同棲とはまた別なんだけど。
確かに同棲は距離を一気に縮めちゃうから、それなりの覚悟が必要だし。



でも・・・私の周りの女の子はみんな冷めすぎじゃないかなぁ。

特に自立思考が高い女の人って、恋愛に没頭するのをすごくみっともないって思ってる気がする。

まぁ確かに男に依存しまくっている女って
女からみても男からみても
情けないって思ってしまうけど

でも、「男には負けない」って
意地はって仕事バリバリして
男に媚びるのを死ぬほど嫌って
自分に対してストイックで
限界までフェミニズムを追求してる女の人って

ちょっと、女として生まれてきたのに損だよ。
だから「負け犬」とかなっちゃうんだよ。



私は男に甘えたいときは甘えるし、
自分の出番じゃないって思う場面は男を立てる。
自分の能力を過剰に思うこともないから
わからないところは素直に聞く。


んで、やっぱりさびしくてさびしくて仕方ないときは
オトコが恋しくなるもんだよ。




「あえなくてもぜんっぜんヘーキ」
って言ってるNがうらやましーっっ

さびしいよぅ

Graffiti Decorationsというタイトル

2005-11-20 02:19:09 | このブログについて
とある私が好きな外国アーティストの
とある曲の
歌い始めの歌詞から、2単語ほど。

パクリました。




これを選んだ理由は
とりあえずこの曲(アーティスト)が好きだったっていうのがまずある。


そして、最も主な理由は、
とある質問の答えを深く考えてみたことに由来する。




死ぬ前に自分の人生を思いおこしたとき
それはどういうものであらわせるか?




誰か他の知らない人に自分の人生を知ってもらうなんて
歴史の教科書に載るくらいしかないかもしれないけど

一つの形として後世に残すとしたら。
何かに例えて誰かに伝えるとしたら。

たとえば、

自分が主人公となりはらはらドキドキのストーリーを展開する
「1本の映画」

音楽が好きな人は、1曲の中にそれぞれのメロディーやリフを入れ込み、
体中で感じられるような人生を音楽に託す
「1曲(または1章)」

スポーツが好きな人は、中盤ひやひやさせられるシーンがありつつも最後の結果まで真剣勝負って感じで
「一つの試合」

またはそのまま思うがままをありのままにつづれる
「小説」


こうやって自分の人生をひとつの芸術作品のようなものとして残すとしたら、皆さんはどのようなものを考えるだろうか。


ところで一つ目の映画の話だが、これはたしか某映画のヒロインが言っていた。

危険にさらされ、自分の生活の不幸さを嘆き
「人の一生がひとつの映画になっているとしたら
私の映画はスリリングなサスペンス映画だわ」
と言う。
そして、愛する人の胸の中で
「ポルノ映画に主演したい」
と言って初めての夜を・・・

(コレ見たときなんて気の利いた言葉遊びかと感激・・・!
こんなセリフをロマンチックな場でさらっと言ったヒロインはステキ



話はそれたが、

とにかくそんな感じの「作品」、


私の場合はというと、

多分間違いなく
「一枚の絵」であると思う。

絵は、見る人によって、または同じ人でもそのときの気分や見方によって
一枚の絵から受け取れる情報がまったく異なる。

音のない表現の世界は多少さびしいものがあるが、
それでも私は「絵」が好きだ。

生きている間色んな音楽に囲まれていたからこそ、
死んだ後、自分の人生を誰か第三者に伝えようと思ったとき
あえて「音」という概念をはずす。

でもその絵の中には私の一生がぎゅっとつまっているのだ。

何度も重ね塗りをしているかもしれない。
下に書いていた絵を塗りつぶすこともおかまいなし。

日々生きている私はひたすらキャンパスに向き合っている。


そんな感じ。

ゲイジュツ作品とは程遠いかもしれないが、
それでも
「hina」という画伯の描く人生は
日々進化して、完成に近づいている。

たとえ子供の落書きのようなめちゃくちゃな絵でも



それが「あたし」で

生きている証。








Graffiti Decorations

ラクガキだらけの人生。

偶然

2005-11-17 23:31:45 | hinaism
このブログを読んでくれている人が

私に対するイメージをどういう風に持ってくれているかはわからないが

私は結構
「運命」
というものを信じる。

ちょとした偶然が重なると
「これって・・・運命!!」
と、すぐ感動する。

実は私もそういうロマンチックなことを信じたりする女の子なのだよ
(信じられないとか言うなぁ!!)

とくに人間関係。

つまり「友達」や「恋愛」においては
私が今までであった人はほぼ「偶然」からはじまり
「偶然」でお互いを知り
「偶然」で仲を深めた。

高校時代も、その友達とはしょっぱなから気が合い、
1週間でお互いに「親友」と認めた。

もちろん「お友達」というのは広く浅くできるのだが

自分をさらけ出せたり深い話をしたりできる
いわゆる「親友」をどう手に入れるかというのは
そのときの直感や雰囲気による影響が大きい。

私の例を挙げればキリがないが、そのような
「一気に距離が縮まり、信頼できる人だと思える」
というような人に出会うことは
だれにでも一度は経験があるのではないか。


今の彼とも「偶然」の要素が重なることが多く
付き合うことを決めたのも
「この人とは何か縁があるはず」
と思わずにいられなかったからである。





最初に述べた「私は運命を信じる」ということだが

念のため言っておくが、それは
「運命」に受身で、それを受け入れていることとは違う。

ここは間違ってはいけない。


得られた「偶然」は決して「必然」だったとはいえない。

まったく予想も出来なかった時点で
「偶然」である。

会うべきしてあった出会い(つまり必然)からなる運命というわけでなくて
というかそれは宿命のようなもので

そのときの私の行動からたまたま生まれた出会い(つまり偶然)が運命を作る。

「運命」は自分で作るもので、自分で探し、見つけるもの。

だから

どの道を通るかも
何両目の電車に乗るかも
その時どういう格好をしているかも
どのような気持ちなのかも

すべて自分しだいで

そういう「運命」なら、
自分で勝手に信じて
勝手に乗っかってみよう、と
私は思っている。

経験

2005-11-12 00:49:54 | hinaism
人間を形作るもので一番重要な要素は経験だと思う。

そんなの当たり前だ
と言われるかもしれないが、


私はつくづくそう思わずにはいられない。


知識や人の経験話で世の中わかった気になっている奴より
体当たりで何にでもぶつかってきた人が

人間らしい人間だと思う


過去につらい思い出がある人。
何か大きな挫折を経験した人。
絶えられない失恋をした人。


そのような人が私はうらやましい。
こんなことを言うとイヤミだといわれるかもしれないが



そのような人は、私に過去を語るとき

どこか悲しそうでさびしそうな目をしながらも

それを乗り越えた自信が伝わってくる

私はその瞬間が大好きだ。


私は
だいたいそのようなときに
初めてその人がどのような人なのかわかった気がして

この人と出会えてよかったと思うのだ。


もちろんただ話して笑って瞬間を過ごすだけでも
一人の寂しさが嫌いな私は
十分「隣に友人がいること」に
幸せを感じるのだが


この人と出会って、今言葉を交わして、
一人の人生を垣間見た、と思うと


一期一会

これに尽きる。




という私も

昔は自分より年が上でも

「こいつ、バカじゃん?」

と思わせる大人を見下していた

年下の私の方が頭いいんじゃない
少なくとも私がアンタの年になったとき
絶対私の方がいい大人だ

って、その人の言うことには耳を貸さず

要するに「生意気な子供」だった。



それでも、少し広いところに出て

もっとたくさんの人に会って話をしていると

頭をたたかれたような気がした


人はなんだかんだいって
年功序列だ

経験がモノをいう。

たった1歳違いでも
1年という月日は長い。

この1年の間、その人は私より多くの経験をしているのだ。

その人と比べて1年間引きこもりをしてまったく社会を知らない時間をすごしたようなものだ

もちろん時間を有効に使えている人間ばかりではないだろう。

年上でも、理解できないようなことをする人だっている。


それでも、自分より多くの経験をした人を甘く見てはいけない

その人が1日に2時間でも頭を働かせていたとしたら

やはり、1歳違いでも一ヶ月分人間として多く成長している


そのようなことを、今年はじめたバイトで考えるようになった

それまで見下していた大人たちが

とても頼りになる「人生の先輩」だと思えたのだ。

教科書も机上の理論も

「人の経験談」にはかなわない


たとえその人にとっては忘れたい過去でも
私にとってはその人を形作る重要な要素だと思える。

こういうのは本人よりも周りが気づくものなのかもしれない

つらい状況にある人に
「これを乗り越えればまた一段と成長できるよ」
と言っても慰めにもならないだろうが

外から見ているとまったくその通りだと思った


そして、そのような過去を持っている人が
私はうらやましくてたまらない。


高校までスポーツを極めて全国レベルまでいったのに
腰を悪くしてスポーツをあきらめるしかなかったとか
つらい失恋をしてもう恋をしないとまで思ったとか
父と死別し家柄上再婚を余儀なくされて
新しく来た義父の暴力がひどくて家を出て戸籍も変えたとか
小さいころから親戚からのいじめに耐えてきたとか
自分の本職を探すためノイローゼ気味になるくらい
就活と自分探しをしたとか


私には何が語れるだろう?と
さびしくなるくらいに
今その人は輝いている

結局私は19年間の過去しか持ってなくて

それでも人よりはいろいろと物事を考えて生きてきたほうだと思ってたし
昔は、年齢プラス1~2歳くらい普通に通用するだろうと思っていた

自分がちっぽけに見える瞬間ってそんなもんかな



だから私は言いたい。

今、どん底にいると思っている人、

その経験は君だけのもので

君だけが語れるストーリーであって

誰もがうらやむ人生であることを忘れるな


そこからどう生きるかはまたその人の人生である


日本人であること

2005-11-06 06:34:55 | hinaism
私は、いつも人と話すときに相手の目を見る。

相手が話しているときも

自分が話すときも



多分相手からすれば
視線をこそばゆく感じるくらい

たまに不快にさせてしまっているんじゃないかと心配になって

それから一度も顔を合わせないようにしてしゃべったりすることもあるけれど


やっぱり私は目を合わせてしゃべらないと気がすまない



昔は正反対で
むしろ俯いたり違う方向を見て話すことが普通だったけど






今日も私は目を合わせてスティーブンと話した。








大学に入って初めての夏。

私は、かねてからずっとあこがれていた「語学留学・ホームステイ」を実行に移すべく

意気込んで成田を発った



はずだったが、出発当初はこれでもかってほどのホームシックで

なにせ一人暮らしにも慣れたようで慣れてない時期で

一年遅らせればよかった

今年はゆっくり家族と過ごしたかったと行きの飛行機で何度も後悔した。



というのはさておき、

私は生まれて初めて海外の空気を吸い
初めて「ガイジン」に囲まれ
英語づけの日々を送った。

と、
ここまで読んだ人は
それが「目を合わせて話す」という話に
繋がっているとうのは容易に想像がつくだろうが


とにかく、私は初めてのカルチャーショックと同時に
英語以外のことをたくさん学んだ。

というか、日本にいたときの方が「英語の勉強」をもっとしていた。

現地で学んだものは
語学よりも

その国の文化と
それと比較して初めて浮かび上がる
日本の文化だった。


それについてはまた別に書こうと思うが、

ここで私が言いたいのは

コミュニケーションは、言葉だけでは不十分であること。

目をあわせず
顔すら合わせず

相手に何が伝わるか?

私はかつて
「日本でははっきりというのでなくあいまいさを残す方が美徳がある」
「言葉を発しなくても相手が汲み取ってくれる」
「日本人には相手の心を読もうとする力がある」
と対抗したことがあったが

でもそんなこと日本の文化をまったく知らないホストファミリーには伝わらなかった

だから私は豪に入れば豪に従えのとおり
その国の文化で相手に合わせるしかなかった

まぁ今思えばそれが当然だが


で、夏休みを使ったほんの少しの間の留学だったが

私は出来る限りアメリカの文化に触れ
精一杯満喫して日本に帰ってきた

日本に戻ってきてしばらく
私は英語がイヤになった

英語、英語って、
そんなに英語は大事か?


私は今まで勉強を頑張った方だと思うが、
そんなの何一つ関係なかった

要は相手の文化と最善のコミュニケーションのとり方さえわかればいいのだ。

目を合わせず何を話してもにこにこして「イエス」しか言わない日本人は
「キモい」以外のなにものでもなかった。


そして日本に戻った私には
何か聞かれることがあれば
必ず正直な自分の意思を伝えることと
会話をするとき目を合わせるクセが残った




ところで今日スティーブンと話したのは
まさしく「コミュニケーション」のことで

インターネットは「コミュニケーションの道具」なんかじゃない

ネットで繰り広げられるのは
結局は犯罪とエロい世界とバカ話だけだということ。


やはり、パソコンの画面では人間としての「交流」は生み出せないのか。



でもこの匿名性とあいまい性が

今の日本人にぴったりで

電車の話も小悪魔の話も生まれていったわけだし

私はなんとなく否定も肯定もせず今日もまたPCに向かっているわけだけれど。

だれかのいとしいひと

2005-11-06 05:38:08 | hinaism
まるで、自分が小説の主人公になったように。

頭の中で、自分を取り巻いている環境を冷静に文章にしている自分がいる。


本を読んだ後の私はいつもそうだ。

そしてそんな私が私は嫌いだ。


どんなに感動しても、どれだけ悲しくても、淡々とした活字で頭の中に自分の気持ちが表されようとするから、

それでもって私には文才がないから陳腐な表現しか使えなくて、

まるで声の聞こえないモノクロ映画を見てるような気分になって


とりあえず音楽を聴こうと思ってコンポに手を伸ばす





今日読んだのは、めったに読まないラブストーリー。

でも単純な愛の話ではない。

だれかのいとしいひとの話。

角田光代の本は、ほっとするようではらはらドキドキが止まらない。




もう一度念を押しておくが私は文学少女ってもんじゃない。

本なんて年に数冊くらいしか読まない。

この「だれかのいとしいひと」も、友達の家から借りてきたもので

いつものように作者名を挙げて「この人知ってる?」
と言う友達をいつものように流して

すっかり忘れた頃にその子の家に久々にお邪魔して

なんとなく手にとって読み始めてそのまま借りてきた。




何不自由なく過ごしている人も

恋人がいない人も

失恋に苦しむ人も

ラブラブ幸せな人も


一度手にとって読んでほしいと思った。



まぁ、そんな事をこのブログで書いても
ほとんどの人がスルーしてしまうと思うけど
実際私だったら読まないだろうし



まぁ、とりあえず読んで思うところがあったのでこうやってブログを書いているわけだけど


やっぱり、恋愛って
人それぞれの形があって

おもしろい!




私の思う恋愛観も

多分私にしかないものだろうし

他の人からしたら理解できないものだろうし

いつかものすごく否定されたりするんじゃないかって
いつもひやひやしながらブログ書いてたけれど


それでもやっぱり、私の考えてることも

ひとつの小説のように

だれかに共有されるか、

たんなる音のない映画になってしまうかわからないけど


かたちとして残し続けようって思った。

男女の友情

2005-11-02 00:31:38 | hinaism
よく、「男と女に友情は存在しない」と言う人がいる。

男と女では、同性同士のような友人関係は築けない。


確かに、親友といえるほどの信頼を寄せれるような関係は

異性となると

愛情とほぼ変わらない。


私も、基本的に男女の友情は信じていない、という立場にいる。

でもそれはそういう話になったときにそういうくらいで、基本的にこの意見は人前で言わない。



どうしてかというと、まず言うまでもなくこの議題は難しい。

過去に苦い経験をした人や、普通に恋愛してきた人なら
「友情関係なんてありえない」
って一般的に思うのだろうけど

私の周りにもよくいるが、小さい頃から少人数の町に住み少人数で育ち学生生活をおくって来た友達はみな「絶対存在する」と言い張るからだ。

私はその子達との友情にこんなくだらない(?)話で亀裂なんかつけたくないので、女の子だけで話すときや、あまり親しくない段階で話すときはみんなの流れに合わせる。

あと、ここだけの話だが、
「男女の友情ってありじゃない?」か、
「そんなこと考えたことない・・」
っていってる方が、いろいろなケースでごまかしがきくし、世の中渡って行き易い。


話を戻すが、この「男女の友情」説は私も散々考えた。

これについて私の結論から先に言うと、概念はないが言葉は存在する、である。



むずかしく話すと私も混乱してくるので、簡潔にまとめると


そういう友情みたいなモンは存在しないけど、
「友達」としか言いようがない関係はある。


である。

まず、そもそも「友情」という感情を異性に持つこと自体、相手に対して失礼だと思う。

すくなくとも私はすべての男の人をオトコとして見る。

そして「友情」でなく「愛情」で接する。

でも、男女の友情は信じないけど、
もしここで「友達」というものを否定したら、いろいろと面倒になってくる。


つきあっているわけじゃないけど、お互いにお互いのことを信頼してる。
彼氏彼女いるけど、でもそれとは別で仲良くしている。
お互いを異性としてみてないわけじゃなくて、むしろたま~にときめいたりもしてしまうけど、でも「好き」ってレベルまではいかない。


これって、他の人に説明するとき「友達」って言うしかないやん。


でも「ただの友達」って言うほど信頼が薄いわけじゃないから
「親友」って呼んじゃったり。


他の例で言えば、私が彼氏以外の男と親しくしてて、軽く「親友だもん」って流そうとすれば

「男女に親友なんてあるわけないやろ!!相手は何か下心あるんじゃねーの?」

と返ってくるだろう。でもそれに対しては

「そーかもね。」

って言うしかない。

とりあえずどっちがどう思ってようと、私とその男の人との図式は「親友」という言葉以外で表せないからだ。

関係もっちゃってたら「浮気相手」とか、結婚してれば「不倫」とかってなるかもしれないが、
でも関係を持つことが友情においてのタブーでなければ、もはやとるにたらないことなわけで。

うまくいえないけど、この「友達」とか「親友」って言葉を使うときは、その当人がどう思っているかというのは考慮されない、ってこと。

だからまぁぶっちゃけお互いに好きでも、「親友」って言葉でくくっちゃうことができる。
お互いに「恋人」という関係だと認める前ならね。


つまり、「ごめん、友達としか思えないんだ」
みたいなセリフ言うときに使う「友達」っていう言葉は、他に代用できるものがない。

言葉としての「友達」は、どんなに排除しようとしてもムリだと思うのだ。



でもやっぱり『男女の友情』っていう概念はないと思う。

てか、ウソ臭い。

オトコとオンナなら結局惹かれあっちゃうし、お互いに一緒にいる時間が長ければ好きになるなって方が難しい。

ていうか、ビミョーな社会モラルとか規則とかのために、

生まれ持った本能を制御したり否定したりするのって、くだらない。


まずは異性と友達として仲良くなりたいからって、
「俺ら、恋愛感情いっさいなしの関係ね!」
なんて最初に決めてから仲良くしたり深い話をするようにしたりって
まぁ、いいたいことはわかるしやりたいこともわかるけど
なんか、、別にどうでもいいというか。。

全寮制の学校とか、男女交際禁止だったり。

あれ、思春期に一番大事なこと学べないよね。
学業にうつつをぬかして、恋愛がおろそかになる。




とりあえず、男女友情説は、否定。
でも、私は「友達」という言葉を頻繁に使う。


それだけ。