私は、いつも人と話すときに相手の目を見る。
相手が話しているときも
自分が話すときも
多分相手からすれば
視線をこそばゆく感じるくらい
たまに不快にさせてしまっているんじゃないかと心配になって
それから一度も顔を合わせないようにしてしゃべったりすることもあるけれど
やっぱり私は目を合わせてしゃべらないと気がすまない
昔は正反対で
むしろ俯いたり違う方向を見て話すことが普通だったけど
今日も私は目を合わせてスティーブンと話した。
大学に入って初めての夏。
私は、かねてからずっとあこがれていた「語学留学・ホームステイ」を実行に移すべく
意気込んで成田を発った
はずだったが、出発当初はこれでもかってほどのホームシックで
なにせ一人暮らしにも慣れたようで慣れてない時期で
一年遅らせればよかった
今年はゆっくり家族と過ごしたかったと行きの飛行機で何度も後悔した。
というのはさておき、
私は生まれて初めて海外の空気を吸い
初めて「ガイジン」に囲まれ
英語づけの日々を送った。
と、
ここまで読んだ人は
それが「目を合わせて話す」という話に
繋がっているとうのは容易に想像がつくだろうが
とにかく、私は初めてのカルチャーショックと同時に
英語以外のことをたくさん学んだ。
というか、日本にいたときの方が「英語の勉強」をもっとしていた。
現地で学んだものは
語学よりも
その国の文化と
それと比較して初めて浮かび上がる
日本の文化だった。
それについてはまた別に書こうと思うが、
ここで私が言いたいのは
コミュニケーションは、言葉だけでは不十分であること。
目をあわせず
顔すら合わせず
相手に何が伝わるか?
私はかつて
「日本でははっきりというのでなくあいまいさを残す方が美徳がある」
「言葉を発しなくても相手が汲み取ってくれる」
「日本人には相手の心を読もうとする力がある」
と対抗したことがあったが
でもそんなこと日本の文化をまったく知らないホストファミリーには伝わらなかった
だから私は豪に入れば豪に従えのとおり
その国の文化で相手に合わせるしかなかった
まぁ今思えばそれが当然だが
で、夏休みを使ったほんの少しの間の留学だったが
私は出来る限りアメリカの文化に触れ
精一杯満喫して日本に帰ってきた
日本に戻ってきてしばらく
私は英語がイヤになった
英語、英語って、
そんなに英語は大事か?
私は今まで勉強を頑張った方だと思うが、
そんなの何一つ関係なかった
要は相手の文化と最善のコミュニケーションのとり方さえわかればいいのだ。
目を合わせず何を話してもにこにこして「イエス」しか言わない日本人は
「キモい」以外のなにものでもなかった。
そして日本に戻った私には
何か聞かれることがあれば
必ず正直な自分の意思を伝えることと
会話をするとき目を合わせるクセが残った
ところで今日スティーブンと話したのは
まさしく「コミュニケーション」のことで
インターネットは「コミュニケーションの道具」なんかじゃない
ネットで繰り広げられるのは
結局は犯罪とエロい世界とバカ話だけだということ。
やはり、パソコンの画面では人間としての「交流」は生み出せないのか。
でもこの匿名性とあいまい性が
今の日本人にぴったりで
電車の話も小悪魔の話も生まれていったわけだし
私はなんとなく否定も肯定もせず今日もまたPCに向かっているわけだけれど。
相手が話しているときも
自分が話すときも
多分相手からすれば
視線をこそばゆく感じるくらい
たまに不快にさせてしまっているんじゃないかと心配になって
それから一度も顔を合わせないようにしてしゃべったりすることもあるけれど
やっぱり私は目を合わせてしゃべらないと気がすまない
昔は正反対で
むしろ俯いたり違う方向を見て話すことが普通だったけど
今日も私は目を合わせてスティーブンと話した。
大学に入って初めての夏。
私は、かねてからずっとあこがれていた「語学留学・ホームステイ」を実行に移すべく
意気込んで成田を発った
はずだったが、出発当初はこれでもかってほどのホームシックで
なにせ一人暮らしにも慣れたようで慣れてない時期で
一年遅らせればよかった
今年はゆっくり家族と過ごしたかったと行きの飛行機で何度も後悔した。
というのはさておき、
私は生まれて初めて海外の空気を吸い
初めて「ガイジン」に囲まれ
英語づけの日々を送った。
と、
ここまで読んだ人は
それが「目を合わせて話す」という話に
繋がっているとうのは容易に想像がつくだろうが
とにかく、私は初めてのカルチャーショックと同時に
英語以外のことをたくさん学んだ。
というか、日本にいたときの方が「英語の勉強」をもっとしていた。
現地で学んだものは
語学よりも
その国の文化と
それと比較して初めて浮かび上がる
日本の文化だった。
それについてはまた別に書こうと思うが、
ここで私が言いたいのは
コミュニケーションは、言葉だけでは不十分であること。
目をあわせず
顔すら合わせず
相手に何が伝わるか?
私はかつて
「日本でははっきりというのでなくあいまいさを残す方が美徳がある」
「言葉を発しなくても相手が汲み取ってくれる」
「日本人には相手の心を読もうとする力がある」
と対抗したことがあったが
でもそんなこと日本の文化をまったく知らないホストファミリーには伝わらなかった
だから私は豪に入れば豪に従えのとおり
その国の文化で相手に合わせるしかなかった
まぁ今思えばそれが当然だが
で、夏休みを使ったほんの少しの間の留学だったが
私は出来る限りアメリカの文化に触れ
精一杯満喫して日本に帰ってきた
日本に戻ってきてしばらく
私は英語がイヤになった
英語、英語って、
そんなに英語は大事か?
私は今まで勉強を頑張った方だと思うが、
そんなの何一つ関係なかった
要は相手の文化と最善のコミュニケーションのとり方さえわかればいいのだ。
目を合わせず何を話してもにこにこして「イエス」しか言わない日本人は
「キモい」以外のなにものでもなかった。
そして日本に戻った私には
何か聞かれることがあれば
必ず正直な自分の意思を伝えることと
会話をするとき目を合わせるクセが残った
ところで今日スティーブンと話したのは
まさしく「コミュニケーション」のことで
インターネットは「コミュニケーションの道具」なんかじゃない
ネットで繰り広げられるのは
結局は犯罪とエロい世界とバカ話だけだということ。
やはり、パソコンの画面では人間としての「交流」は生み出せないのか。
でもこの匿名性とあいまい性が
今の日本人にぴったりで
電車の話も小悪魔の話も生まれていったわけだし
私はなんとなく否定も肯定もせず今日もまたPCに向かっているわけだけれど。
私もちょこちょこ足跡を残しにいくので、これからよろしくです☆☆
俺は気長に行くことにします。運命の人がいるとしたらその人が現われるのを願って?
運命。。。まぁ、そういうものがあるかはわかりませんが、出会わなくても生きていけるわけで、大半の人がそんな「運命!!」と感動するような出会いをしているわけではないし、こういう人生かなっと割り切れればそれも運命ってことですよ。
うまくいえないですけど、過去の後悔より次のチャンスへの期待をつよくもって!!