Graffiti Decorations

私の人生は、キャンパスいっぱいに描かれ続けている。
生まれてからずっと、らくがきのように。

ストレスとの付き合い方

2006-10-21 21:55:05 | hinaism
ストレスって、多かれ少なかれ誰にでもあるもので

多すぎてもダメだけど
それがないと逆にダメになると思う。

つらいこと重なったりしたら

誰だって現実から逃げたくなって
時にはまわりに当り散らしたりもするかもしれない。

でも、すぐ表に出して
すぐ切り替えれるのならヨシ。

一定までためこむけど
リミット達したらキレちゃう人

一度は我慢しようとしてると捉えると、まぁいい。
キレるまでほっといた周りも周りだし
周辺の人間含めて、改善してったらいい。

一番困るのが

自分で自分のストレスを発散させる方法を知らん奴。

「周りに弱み見せるのが嫌」ってのはわかるけど
一人になったら異様に落ち込んで
どんどん沈んでって
危ない状況になっちゃう人を何回か見た。

最初、私はこういう人はよっぽど周りの人間に恵まれてなかったのか、
とにかくストレスを受ける生活を毎日送ってたのかしらと考えてたけど

でもちがくね?

って最近思ってきて。


結局、人生80年とすれば
つらいとか悲しいとかそういう悩みは
80年も生きてれば限りなくあるだろう。

でもそういうのいちいち反応して凹んでを繰り返してたら
ココロもともかく身体的にも健康になれなさそう。

だから、自分にストレスがたまったとき
それをうまく発散させて
「また明日から頑張ろう」
って自分をコントロールする方法を身につけるのも
大人のマナーだと思う。

20越えた大人に
「私・・・リストカットしたことあるの」
っていきなり言われたりしたら

びっくりするってば!!

聞いたこっちが後引いてずーっと気になったりするし。


ストレス解消法は一人ひとり違って

スポーツに打ち込むとか
おいしいもの一杯食べるとかの
それを忘れるくらい何か夢中とか幸せを感じるものに触れる派もいれば

後からごちゃごちゃした感情が残ることを嫌って
その場その場で自分の感情を表に出すとか(TPOを考えること前提)

がぁーって泣くとか
カラオケでガンガン歌うとか

色々あるやん?

そしてラクになった後、

今後いかにしてそのストレスを受けないで生きていくか考える。


友達関係で悩むなら
一度その友達から離れてみればいい。

一人になるのが嫌なら
嫌でも誰かと一緒にいなきゃいけない状況を作るとか。
例えば、アフター5にバイトとか習い事とか、
休日は図書館行くor街に出るとか

そして変化したところから改めて自分を見て
戻ろうって思うなら戻って
変えたままにするならそれで

自分の人生自分で切り開かなきゃやろ!

自分で考えられる改善策を挙げきって
この中からどの方法を選ぶかで困り果てたとき
初めて誰かに相談して、

自分でできる範囲を全てやって
本当にどうしようもなくなったとき
初めて誰かに助けを請うんやない?


子どもの間は、難しいだろうし、
親にどんどん甘えるべき。

でも成人したら、自分を守るのは自分!!!
とお金。


子どもが親にも相談できずに自殺って
その原因はいじめだとか学校だとか他にあるにしろ

私は子どもに少なくとも「相談できない」って思わせていた
またはそういう状況を作っていた

実の親に問題があると思うよ。

「子どもを育てる」って
親が「自分がいなくてもこの子は一人で生きていける」
って思えるところまで成長させること。

甘やかすとは別。


だと私は思うんやけど。



話はそれたけど

ストレスは、ためずにちゃんと発散させなきゃダメ。
これは医学的にもいえるはず。

そんで、「だってこういう状況だから・・・」
って、周りのせいにしない。

人のせいにする人って
いくつになっても自分で解決策をみつけきれない。

自分がやれるだけのことをやってみてから
初めて「困った」って泣きつきにおいで。

その時は真剣に受け止めるし、その人の力になりたい。


と、私は思うんやけど。



でも、よぉぉぉーく考えてみたら
リストカットしたことあるって事実を人に話すことで
ストレス発散って方法もあるのか。

切る前に発散させようね。

人と向き合うということ

2006-04-11 02:04:25 | hinaism
人間関係をうまくやっていける人を、私は一番尊敬する。

たった一度きりの人生の中で
人とかかわっていくことは、すばらしいことであると同時に、
難しい。

恋愛も、人間関係の中の一部である。
恋愛上手な人は友達も多いし、恋愛下手な人は友達が少ない気がする。

恋愛に自信がない人は、まずは自分の力でどこまで友好関係を広げられるか試して欲しい。
そして友達のなり方、付き合い方を客観的に見る。

広く浅く友達を作る人は、恋愛も淡白なものが多いし
友達からよく頼りにされる人は、恋愛相手からも依存されがちで
色々と魅力ある人は、異性からもモテるだろうし
人間性を好かれる人は、異性から心底愛されることが多いと思う。




そしてなぜか、恋愛がうまく言ってるときは友情で悩んだり、
友達関係で苦労してないときは恋愛がご無沙汰だったりする。

どちらも行き詰ると、生きていけないくらい落ち込む。


これらがうまくいってるときは他にもいっぱい娯楽があったはずなのに、
人間関係でうまくいかないことがあると、何も楽しくなくなるから怖い。

やっぱり、人間関係は難しい。


自分がこの世からいなくなるときに、どれだけの人が自分を惜しんでくれるのか

表面上悲しんでくれはするかもしれないけど、

実際どういう気持ちなのか、
生きていたときはどれほど必要とされてたのかを

疑わなくていいよう、人間関係は常に真剣に築いていく方がいい。


人を信頼しきれなかったり、付き合い方を踏み違えている人をみると、
その人の人生が惜しまれてならない。

人を見下したり、周りがすべて敵というような接し方は
見苦しいし、悲しい。

人は一人では生きていけないというけど、
まったくその通りであり、
どんなに裏切られても、どんなに傷ついても
死ぬまで「人と向き合う」ことは忘れずに生きていって欲しい。

人生は損得勘定じゃない。

人に与えたものは、自分の生き様として永遠に残る。

血液型って凄い!

2006-04-09 09:45:03 | hinaism
血液型にこだわる人って、私はずっと苦手だった。

まず、人間が4種類で区別されるわけないし、

なにより●型だから●●だよね~って言われるたび



んなわけあるかいっっ!!!!!


ってつっこんでた(心の中で)。

そんな一般論でくくらないで欲しい。
十人十色だぞと。

ここであえて私の血液型は公表しませんが。




それに、こんな血液型にこだわるんって日本と韓国くらい?

まず、映画まで作った韓国はさすがにやりすぎだと思った。(『B型の彼氏』とか)

世界では、自分の血液型すらたいていの人が知らないらしいね。

輸血するとき以外、はっきり言って必要ないし。


だから初対面のガイジンに「何型?」って聞くと、

「オレの血を狙ってる!!??」と、不信感もたれることうけあいです。


私は一回それで失敗した。

英語のネイティブの先生の授業のとき、ペアになった相手と自分の共通点を英語で述べるっていうワークで、

「私と彼女は同じ血液型です」

って、かるーい気持ちで発表。

相当怪訝な顔をされました。


はぁ~。
血が足りない人とか思われたかしら。。。



ところで、なんで今更この話題かというと、
最近、血液型で分けて考えるということにも、利点があるなと思えてきたから。

別に血液型じゃなくてもいいんだけど

ただ「区別する基準」の中の一つとして
一番わかりやすくて便利なものだなぁと。


だいたい日本って90パーセント以上が日本人っていう単一民族国家な上、
周りを海に囲まれてるから他の民族の侵入も少なく
グローバル化してるとはいっても基本的に閉鎖的な国だと思う。

アジアでも、一つの国にいろんな民族や宗教があるし
アメリカは言うまでもなく移民大国だし
北欧は国と国が隣り合い、目の色や髪の色とか見た目にもはっきりわかる個性がその住人にある。

日本人って、ほぼ仏教(むしろ宗教に無関心だったりする人が多いか)で、
見た目にも、今でこそカラーリングが一般的であるとはいえ
だいたいダークカラーの髪と瞳に、オークル色の肌。

とりあえず基本的人権の尊重のため、家紋とかとかいう時代も終わ(ったことになってる)り、

日本人って、見た目にも中身にもみんな一様。

貧富の差も、他国よりマシでしょ。

こんな時代。


でも、これだと
誰かと性格が合わないとか衝突があったときに、

「これはお互いの文化が違うんだ。別に両方悪いわけじゃない。
これは相手の文化として受けとめ、この衝突をプラスに変えよう」

とかいう、よく国際結婚がうまくいく理由の一つである
『文化の違いとして認識する』
っていう行為が、非常にしにくい。



みんな同じで、みんな平等で、みんなわかりあえなきゃならないっていうような
協調性を重んじる国家になってる




って思って、あぁ~だから血液型で区別すると便利なんだって納得。


『この人は●型だから合わなくて仕方ない。
自分と同じような感性、考え方を求めるなんて失礼だ』

って考えて、人間関係がスムーズに行くきっかけとして血液型を考えると

ものすごく便利。






たとえば具体的に言うと

実際海外に住んでたら「日本人だから○○よね」って差別フツーに受ける。

でもこの差別という名の区別をなくしちゃったら
地球に何百とある国や文化を尊重するということに反する。

むしろ日本人ならではの長所短所を相手がわかってくれれば
自分も相手の文化を全部受け入れたりすることなく
対等な関係が結べるはず。


ワタシ日本人ですが何か?

くらいに開き直って、日本人である文化をしっかり持って異文化と交流することが、現地で過ごす一番適切な方法のはず。

こうすることで現地での生活がうまくいく。


これと比べれば、
「日本人」として外国人に位置づけされるよりも、
同じ日本人に「●型」として認識される方がよっぽどラクで便利だと思う。

同じ血液型だからめっちゃ合う☆っていうラクなのにのっかってるんじゃなくて、
自分と違う血液型の人に興味を持つことができれば、
そこでその人と接して、
もし衝突があったとしてもそこであきらめず、自分の考えをいい、相手の考えも聞き話し合うことで一つの文化交流が生まれてくる。


と、ここまで考えて、

血液型って凄い!!!




だから異様なほどの血液型ブームが日本や韓国で巻き起こったんだ!
きっとみんなこういう「区別の基準」を求めていたときだった。
と思いました。


なんかほんっとどうでもいいことだけど
ずっと気になってたことに関して
自分で考えて納得できたっていうこの過程で私は満足。

これからは血液型にこだわる人を毛嫌いするのをやめます。
むしろ、合わないといわれる血液型の人と、もっともっと交流したい。

そりゃー合わないといわれる人たちとは合いにくいかもしれないけど、
世界はグローバル化が進む今、
同じ血液型でかたまったり、相性が合うと言われる人たちと一緒にいてばっかりの人生は、つまらないと思う。

敢えて難関コースに挑戦するのも、悪くないと。
お互いの文化をお互いにさらけ出して、そこで認め合えれば新しい人間関係が築けると思います。

引き算の美学

2006-02-18 11:05:58 | hinaism
って、言葉が私は好き。

とあるアーティストがインタビューで使ってたんだけど、
まぁ意味としてはSimple is the bestってのに似てる。

子供のころは色んなものに興味を持って、色んなものに挑戦することで自分の視野を広く、人生を濃くできる。
小さい頃から、「私はこれ」みたいに、
決め付けて自分の方向性を狭めちゃだめ。
食べ物の好き嫌いもだめ。

でも、大人になったら、引き算の美学というものを考えてみる。
ある程度自分で自分という人間がわかってきたら、
必要ないと思うことを取り払って、本当に好きなものや
大切だと思うことに絞っていく。
それは子供のころと違って、引いていくことが
本人を美しくさせる。
どういう人間なのかをよりはっきりあらわすようになる。
逆にまだ色々なものに手を出して、はっきりと自己をもててない方が
見苦しいし、かっこ悪い。

自己紹介で、好きな食べ物、嫌いな食べ物に迷うようじゃダメ。

何か食べようと店に入って、メニュー表を見ながら
あれこれと時間をかけて悩むようじゃ
一刻を争うビジネスなんかに乗り遅れてしまう。

「私はコレ」
「俺はコレ」
みたいな、本人独自のこだわりを持っている人はとてもカッコイイ。

好き嫌いやワガママとは違う。
成長の過程で、いらないと判断し捨てるという選択が、
とてもかっこいい。

私はそういう人が大好きだ。

モテる女の特徴。

2006-02-17 00:56:09 | hinaism
男のことを書いたので、女のほうも。

「こういう女はモテる」とかいう定義は最近色んな本で書いてあるし、ここでは書きません。

ここでは共通点について考えてみます。

まず、これはあるな、って思ったのが、

たいていのモテ呼吸を知ってる女は、「男心」をわかっている。

というか、男のような発想や考え方をしている。

さらに、まぁ色んな本で
「私って、本当は男で、女の皮を着ているだけなんじゃないかって思うの」
とか自分でのたまっている。


ここで、男の人に聞いてみたい。
一日だけ女と入れ替われたら、どういうことする?

「男を悩殺するようなファッションをして街を歩いて、視線を集めてみたい」
とか
「カワイイ、や女の子ってことで許される範囲の罪(いたずら)をする」
とか
「女の武器を使いこなしてみたい」
とか、こういう意見を持つ人はいないだろうか?

そうそう、心は男だからどういうことすればいけるか知ってるもんね。

多分、モテる女はそういうことを考えて日々行動していると思います。

やっぱ経験からわかるのかな、これこれこういうことをすればいいって。
多分女より男の方が単純な気がするので(すみません)、男がどういうことをすれば喜ぶとか判ってるんだと思う。

私はわかりませんけど。
(てか、誰か教えてください)


逆に、今女だけど、男に一日なったところで
女を落として遊びまくるとか、そんなんできんもん。

女心なんて、理論的に説明しようなんて考えてたら一生が終わる。
複雑すぎてわからない。
それに気分屋で、自分勝手で、ワガママ。
こんな女心につき合わせて男性諸君申し訳ない↓↓くらいに、めんどっちいもんだと思っている。


モテる男は、前回の記事にあるように色気、もとい「男気」さえあれば女の子は好きになってくるはず。
ぶっちゃけ、男は「1に押し」「2に押し」34がなくて「5に押し」の世界。
(6くらいにルックス、顔とか)
そういうもんで女は男らしさを感じて惚れてしまうので、とりあえず「押し」さえうまくいけば女の子は落とせると思う。

ってことで、
モテる女は「男心」を知ってて、
モテる男は「女心の複雑さ」を知りつつ、強い「男気」を持っている
ってことで今回の日記は締めます。

どういう男に惚れるか

2006-02-16 00:19:43 | hinaism
だいぶ間があきましたが、
最近また色々と思うことが出てきたので、ちょこちょこ更新してみます。

まぁもうすぐハタチになるかくらいの(あと12日!)小娘が言うことだから
「はぁ~?何言ってんだこいつ」
って思うかもしれないけど・・・。

最近色々と友達の話やらなんやら聞いてて思ったこと。

どういう男の人がタイプか?

って質問に、まぁ人によって色々と答えがある。

「誠実な人」
これけっこー多いよね。

「男らしい人」
オトコラシイの定義はようわからんけど、よくリードしてくれるとかぐいぐい引っ張ってくれるとかいうのをだいたいこの言葉で代用。

「優しい人」
これまたビミョーなラインだけど、要はやさしくされると女の子ってコロっていっちゃうってことなんですよ。

「何か夢中になれるものがある」
スポーツでも趣味でも、コレ!!っていうハマリ物やこだわり物がある人は、人間として魅力的。


とか、まぁこんな感じなわけで。

でも・・・なんか、これを恋人選びの条件にしちゃっても、
付き合い始めはうまくいっても、
飽きが早く来るとか
別れ際には恋愛感情をもてないだとか
修羅場なんてもんがきたらモメルこと果てしない


でも、まぁ大好きな人と恋愛ができたんならそれはそれでヨシ。
っていうか、問題が起きずにずっと続けば、結婚もありうる。
むしろ「誠実さ」「男らしさ」「優しさ」がそろってたらいい旦那さんなるし!!



でも、実際結婚相手とかなんとかじゃなく、
リアルにどういう人がモテるか?って考えると、
上記の3つは当てはまらないような気がしてきた。

私とまったく同じ考えの人はそうたくさんもいないとおもうけど、同じ人も少なくないと思う。


モテる要因、それはやっぱり
「色気がある」
につきるんじゃないかと。

色気って、女の人の「いろっぽーい」とか「やらしー」とかのじゃなくて、
男の「男気」のような
異性をひきつけるような「フェロモン」みたいな
そんな感じ。

そしてその「色気」の定義っていうか、目に見えないものだしどういうもんで与えられるかってのを考えてみる。と、

ある一つの答えにたどり着いた。



今までしてきた恋愛の数が多い。
これに尽きる。



今大学ではだいたいが同い年だし、経験的にもそんな変わらないような人が多いから(ことに●州大はまじめ学生ばっか)、早熟な人がモテる。

これ、モテる人はとことんモテて、モテない人はまったくモテないの法則。

学校で見ててそのスパイラル、感じます。

早熟ってか、まぁその恋愛の質にもよるだろうけど、
脱チェリーが早かった人はどうも恋愛に関してもウワテのようだし、
自分の考えも持ってるからいい女、ダメ女を見分ける力もある、と思う。


あと女の子は年上を好むけど、これは
「頼りになる~」とか
「同年代は考え方がガキっぽすぎて無理」
とかいろいろ言うけど、
結局は年の差からなる経験数の多さと、
それに伴う「色気」が原因なわけで、
それが「男のフェロモン」になっちゃってるんだろう、と思う。


というのはうすうす感じてはいたんだけど、先日ある女の人のブログで、
「遊び終わった人の、落ち着いた感じの色気、たまらん」
っていう箇所を見て、やっとこの自論を確信。

そうそう、一度モテまくって遊びまくったことがある人って、すっごい落ち着いてるのに色気あるんだよね。。

たしかに、「何で私はこんなかるっそーな人に惹かれるんだろう」とか「うわ絶対私男見る目ない」とか思ってた時期があって、なんで好きなんだとか自己嫌悪気味で考えてたこともあった。

でもやっぱりこれって色気なんやな。

顔もよく性格もよくまったく問題ナシな男の人でも、なぜか惹かれない・・・。
っていう人は、昔あまりいい恋愛をしてない。
またはしてても、それによって得られたものがない。
それか単に恋愛経験が(少)ない。


だと、思います。

ここで重要なのは、「遊び終わった」ってこと!!
現役で遊んでたらそれこそチャラ男ですよ。
・・・。


この辺で、「いやいや誠実さは大切だって!!」って思う女の子もいるやろうし
「カル男の何がいいんだ!?」って思う男性方もオウゼイいらっしゃると思う。

でも、見ちゃったんよ。。。

結婚するまでたった一人の女の人を純粋に愛し続けて、
結婚してからもしばらくはすこぶる愛妻家な良き夫だった人が、
普通の人は人生に3度来る?とかいうモテ期で、あっさりと愛人をつくり離婚しちゃったってケース。

これ、意外に多い。

特に、それまで浮気したことない!って男の人。
結婚して、死ぬまでずぅぅ~っと一人の女の人を愛し続けるっていう責任を負うと、急に若い子の方が良く見えたり、もっと男として人生を楽しまなきゃとか思っちゃうようで。

あと結婚の話とは別だけど、誰もが誠実だと疑わなかった人が、付き合った彼女を本気で愛そうと決意していたにもかかわらず、その人と行き詰ったときあっさりと他の女に乗り換えるっていうパターンも、多い。
てかこれよく相談される。
女友達に、「付き合ったときはすごくまじめだったし、信じてたのに」って泣きながら言われると、その男を憎たらしく思う反面、おいこまれちゃうと男はやっぱ男だよなって思ってしまう。


まじで、一度は男も、遊ぶっていうか自分の身の程を知った上で、色々と恋愛経験してみるべきだと思う。
遊べと推奨してるわけじゃないけど、どうやら、モテる男はそういう過去がありそう、みたいな。

てかまぁ単に女の子慣れしてるかどうかってのがまず重要なのかも。

この遊ぶっていうのも、浮気系じゃなくて、単に合コンしまくったとかその友達ツテで知り合い増やして、長くは続かなかったけど付き合った数が異常に多いとかその辺。
誰かを傷つけて得る経験より、自分が傷ついた経験を持ってる人は、さらに色気がある。


先日そういう男性にお会いしました。
同じ大学で学年なのに、よくもまぁ高校時代遊びまくったなぁみたいな人。
勉強は勉強、女は女って感じでどっちも充実してたみたいな。

やっぱ学校でも目立つし、一味違う色気があるな、と思った。


偶然

2005-11-17 23:31:45 | hinaism
このブログを読んでくれている人が

私に対するイメージをどういう風に持ってくれているかはわからないが

私は結構
「運命」
というものを信じる。

ちょとした偶然が重なると
「これって・・・運命!!」
と、すぐ感動する。

実は私もそういうロマンチックなことを信じたりする女の子なのだよ
(信じられないとか言うなぁ!!)

とくに人間関係。

つまり「友達」や「恋愛」においては
私が今までであった人はほぼ「偶然」からはじまり
「偶然」でお互いを知り
「偶然」で仲を深めた。

高校時代も、その友達とはしょっぱなから気が合い、
1週間でお互いに「親友」と認めた。

もちろん「お友達」というのは広く浅くできるのだが

自分をさらけ出せたり深い話をしたりできる
いわゆる「親友」をどう手に入れるかというのは
そのときの直感や雰囲気による影響が大きい。

私の例を挙げればキリがないが、そのような
「一気に距離が縮まり、信頼できる人だと思える」
というような人に出会うことは
だれにでも一度は経験があるのではないか。


今の彼とも「偶然」の要素が重なることが多く
付き合うことを決めたのも
「この人とは何か縁があるはず」
と思わずにいられなかったからである。





最初に述べた「私は運命を信じる」ということだが

念のため言っておくが、それは
「運命」に受身で、それを受け入れていることとは違う。

ここは間違ってはいけない。


得られた「偶然」は決して「必然」だったとはいえない。

まったく予想も出来なかった時点で
「偶然」である。

会うべきしてあった出会い(つまり必然)からなる運命というわけでなくて
というかそれは宿命のようなもので

そのときの私の行動からたまたま生まれた出会い(つまり偶然)が運命を作る。

「運命」は自分で作るもので、自分で探し、見つけるもの。

だから

どの道を通るかも
何両目の電車に乗るかも
その時どういう格好をしているかも
どのような気持ちなのかも

すべて自分しだいで

そういう「運命」なら、
自分で勝手に信じて
勝手に乗っかってみよう、と
私は思っている。

経験

2005-11-12 00:49:54 | hinaism
人間を形作るもので一番重要な要素は経験だと思う。

そんなの当たり前だ
と言われるかもしれないが、


私はつくづくそう思わずにはいられない。


知識や人の経験話で世の中わかった気になっている奴より
体当たりで何にでもぶつかってきた人が

人間らしい人間だと思う


過去につらい思い出がある人。
何か大きな挫折を経験した人。
絶えられない失恋をした人。


そのような人が私はうらやましい。
こんなことを言うとイヤミだといわれるかもしれないが



そのような人は、私に過去を語るとき

どこか悲しそうでさびしそうな目をしながらも

それを乗り越えた自信が伝わってくる

私はその瞬間が大好きだ。


私は
だいたいそのようなときに
初めてその人がどのような人なのかわかった気がして

この人と出会えてよかったと思うのだ。


もちろんただ話して笑って瞬間を過ごすだけでも
一人の寂しさが嫌いな私は
十分「隣に友人がいること」に
幸せを感じるのだが


この人と出会って、今言葉を交わして、
一人の人生を垣間見た、と思うと


一期一会

これに尽きる。




という私も

昔は自分より年が上でも

「こいつ、バカじゃん?」

と思わせる大人を見下していた

年下の私の方が頭いいんじゃない
少なくとも私がアンタの年になったとき
絶対私の方がいい大人だ

って、その人の言うことには耳を貸さず

要するに「生意気な子供」だった。



それでも、少し広いところに出て

もっとたくさんの人に会って話をしていると

頭をたたかれたような気がした


人はなんだかんだいって
年功序列だ

経験がモノをいう。

たった1歳違いでも
1年という月日は長い。

この1年の間、その人は私より多くの経験をしているのだ。

その人と比べて1年間引きこもりをしてまったく社会を知らない時間をすごしたようなものだ

もちろん時間を有効に使えている人間ばかりではないだろう。

年上でも、理解できないようなことをする人だっている。


それでも、自分より多くの経験をした人を甘く見てはいけない

その人が1日に2時間でも頭を働かせていたとしたら

やはり、1歳違いでも一ヶ月分人間として多く成長している


そのようなことを、今年はじめたバイトで考えるようになった

それまで見下していた大人たちが

とても頼りになる「人生の先輩」だと思えたのだ。

教科書も机上の理論も

「人の経験談」にはかなわない


たとえその人にとっては忘れたい過去でも
私にとってはその人を形作る重要な要素だと思える。

こういうのは本人よりも周りが気づくものなのかもしれない

つらい状況にある人に
「これを乗り越えればまた一段と成長できるよ」
と言っても慰めにもならないだろうが

外から見ているとまったくその通りだと思った


そして、そのような過去を持っている人が
私はうらやましくてたまらない。


高校までスポーツを極めて全国レベルまでいったのに
腰を悪くしてスポーツをあきらめるしかなかったとか
つらい失恋をしてもう恋をしないとまで思ったとか
父と死別し家柄上再婚を余儀なくされて
新しく来た義父の暴力がひどくて家を出て戸籍も変えたとか
小さいころから親戚からのいじめに耐えてきたとか
自分の本職を探すためノイローゼ気味になるくらい
就活と自分探しをしたとか


私には何が語れるだろう?と
さびしくなるくらいに
今その人は輝いている

結局私は19年間の過去しか持ってなくて

それでも人よりはいろいろと物事を考えて生きてきたほうだと思ってたし
昔は、年齢プラス1~2歳くらい普通に通用するだろうと思っていた

自分がちっぽけに見える瞬間ってそんなもんかな



だから私は言いたい。

今、どん底にいると思っている人、

その経験は君だけのもので

君だけが語れるストーリーであって

誰もがうらやむ人生であることを忘れるな


そこからどう生きるかはまたその人の人生である


日本人であること

2005-11-06 06:34:55 | hinaism
私は、いつも人と話すときに相手の目を見る。

相手が話しているときも

自分が話すときも



多分相手からすれば
視線をこそばゆく感じるくらい

たまに不快にさせてしまっているんじゃないかと心配になって

それから一度も顔を合わせないようにしてしゃべったりすることもあるけれど


やっぱり私は目を合わせてしゃべらないと気がすまない



昔は正反対で
むしろ俯いたり違う方向を見て話すことが普通だったけど






今日も私は目を合わせてスティーブンと話した。








大学に入って初めての夏。

私は、かねてからずっとあこがれていた「語学留学・ホームステイ」を実行に移すべく

意気込んで成田を発った



はずだったが、出発当初はこれでもかってほどのホームシックで

なにせ一人暮らしにも慣れたようで慣れてない時期で

一年遅らせればよかった

今年はゆっくり家族と過ごしたかったと行きの飛行機で何度も後悔した。



というのはさておき、

私は生まれて初めて海外の空気を吸い
初めて「ガイジン」に囲まれ
英語づけの日々を送った。

と、
ここまで読んだ人は
それが「目を合わせて話す」という話に
繋がっているとうのは容易に想像がつくだろうが


とにかく、私は初めてのカルチャーショックと同時に
英語以外のことをたくさん学んだ。

というか、日本にいたときの方が「英語の勉強」をもっとしていた。

現地で学んだものは
語学よりも

その国の文化と
それと比較して初めて浮かび上がる
日本の文化だった。


それについてはまた別に書こうと思うが、

ここで私が言いたいのは

コミュニケーションは、言葉だけでは不十分であること。

目をあわせず
顔すら合わせず

相手に何が伝わるか?

私はかつて
「日本でははっきりというのでなくあいまいさを残す方が美徳がある」
「言葉を発しなくても相手が汲み取ってくれる」
「日本人には相手の心を読もうとする力がある」
と対抗したことがあったが

でもそんなこと日本の文化をまったく知らないホストファミリーには伝わらなかった

だから私は豪に入れば豪に従えのとおり
その国の文化で相手に合わせるしかなかった

まぁ今思えばそれが当然だが


で、夏休みを使ったほんの少しの間の留学だったが

私は出来る限りアメリカの文化に触れ
精一杯満喫して日本に帰ってきた

日本に戻ってきてしばらく
私は英語がイヤになった

英語、英語って、
そんなに英語は大事か?


私は今まで勉強を頑張った方だと思うが、
そんなの何一つ関係なかった

要は相手の文化と最善のコミュニケーションのとり方さえわかればいいのだ。

目を合わせず何を話してもにこにこして「イエス」しか言わない日本人は
「キモい」以外のなにものでもなかった。


そして日本に戻った私には
何か聞かれることがあれば
必ず正直な自分の意思を伝えることと
会話をするとき目を合わせるクセが残った




ところで今日スティーブンと話したのは
まさしく「コミュニケーション」のことで

インターネットは「コミュニケーションの道具」なんかじゃない

ネットで繰り広げられるのは
結局は犯罪とエロい世界とバカ話だけだということ。


やはり、パソコンの画面では人間としての「交流」は生み出せないのか。



でもこの匿名性とあいまい性が

今の日本人にぴったりで

電車の話も小悪魔の話も生まれていったわけだし

私はなんとなく否定も肯定もせず今日もまたPCに向かっているわけだけれど。

だれかのいとしいひと

2005-11-06 05:38:08 | hinaism
まるで、自分が小説の主人公になったように。

頭の中で、自分を取り巻いている環境を冷静に文章にしている自分がいる。


本を読んだ後の私はいつもそうだ。

そしてそんな私が私は嫌いだ。


どんなに感動しても、どれだけ悲しくても、淡々とした活字で頭の中に自分の気持ちが表されようとするから、

それでもって私には文才がないから陳腐な表現しか使えなくて、

まるで声の聞こえないモノクロ映画を見てるような気分になって


とりあえず音楽を聴こうと思ってコンポに手を伸ばす





今日読んだのは、めったに読まないラブストーリー。

でも単純な愛の話ではない。

だれかのいとしいひとの話。

角田光代の本は、ほっとするようではらはらドキドキが止まらない。




もう一度念を押しておくが私は文学少女ってもんじゃない。

本なんて年に数冊くらいしか読まない。

この「だれかのいとしいひと」も、友達の家から借りてきたもので

いつものように作者名を挙げて「この人知ってる?」
と言う友達をいつものように流して

すっかり忘れた頃にその子の家に久々にお邪魔して

なんとなく手にとって読み始めてそのまま借りてきた。




何不自由なく過ごしている人も

恋人がいない人も

失恋に苦しむ人も

ラブラブ幸せな人も


一度手にとって読んでほしいと思った。



まぁ、そんな事をこのブログで書いても
ほとんどの人がスルーしてしまうと思うけど
実際私だったら読まないだろうし



まぁ、とりあえず読んで思うところがあったのでこうやってブログを書いているわけだけど


やっぱり、恋愛って
人それぞれの形があって

おもしろい!




私の思う恋愛観も

多分私にしかないものだろうし

他の人からしたら理解できないものだろうし

いつかものすごく否定されたりするんじゃないかって
いつもひやひやしながらブログ書いてたけれど


それでもやっぱり、私の考えてることも

ひとつの小説のように

だれかに共有されるか、

たんなる音のない映画になってしまうかわからないけど


かたちとして残し続けようって思った。