Graffiti Decorations

私の人生は、キャンパスいっぱいに描かれ続けている。
生まれてからずっと、らくがきのように。

人と向き合うということ

2006-04-11 02:04:25 | hinaism
人間関係をうまくやっていける人を、私は一番尊敬する。

たった一度きりの人生の中で
人とかかわっていくことは、すばらしいことであると同時に、
難しい。

恋愛も、人間関係の中の一部である。
恋愛上手な人は友達も多いし、恋愛下手な人は友達が少ない気がする。

恋愛に自信がない人は、まずは自分の力でどこまで友好関係を広げられるか試して欲しい。
そして友達のなり方、付き合い方を客観的に見る。

広く浅く友達を作る人は、恋愛も淡白なものが多いし
友達からよく頼りにされる人は、恋愛相手からも依存されがちで
色々と魅力ある人は、異性からもモテるだろうし
人間性を好かれる人は、異性から心底愛されることが多いと思う。




そしてなぜか、恋愛がうまく言ってるときは友情で悩んだり、
友達関係で苦労してないときは恋愛がご無沙汰だったりする。

どちらも行き詰ると、生きていけないくらい落ち込む。


これらがうまくいってるときは他にもいっぱい娯楽があったはずなのに、
人間関係でうまくいかないことがあると、何も楽しくなくなるから怖い。

やっぱり、人間関係は難しい。


自分がこの世からいなくなるときに、どれだけの人が自分を惜しんでくれるのか

表面上悲しんでくれはするかもしれないけど、

実際どういう気持ちなのか、
生きていたときはどれほど必要とされてたのかを

疑わなくていいよう、人間関係は常に真剣に築いていく方がいい。


人を信頼しきれなかったり、付き合い方を踏み違えている人をみると、
その人の人生が惜しまれてならない。

人を見下したり、周りがすべて敵というような接し方は
見苦しいし、悲しい。

人は一人では生きていけないというけど、
まったくその通りであり、
どんなに裏切られても、どんなに傷ついても
死ぬまで「人と向き合う」ことは忘れずに生きていって欲しい。

人生は損得勘定じゃない。

人に与えたものは、自分の生き様として永遠に残る。

血液型って凄い!

2006-04-09 09:45:03 | hinaism
血液型にこだわる人って、私はずっと苦手だった。

まず、人間が4種類で区別されるわけないし、

なにより●型だから●●だよね~って言われるたび



んなわけあるかいっっ!!!!!


ってつっこんでた(心の中で)。

そんな一般論でくくらないで欲しい。
十人十色だぞと。

ここであえて私の血液型は公表しませんが。




それに、こんな血液型にこだわるんって日本と韓国くらい?

まず、映画まで作った韓国はさすがにやりすぎだと思った。(『B型の彼氏』とか)

世界では、自分の血液型すらたいていの人が知らないらしいね。

輸血するとき以外、はっきり言って必要ないし。


だから初対面のガイジンに「何型?」って聞くと、

「オレの血を狙ってる!!??」と、不信感もたれることうけあいです。


私は一回それで失敗した。

英語のネイティブの先生の授業のとき、ペアになった相手と自分の共通点を英語で述べるっていうワークで、

「私と彼女は同じ血液型です」

って、かるーい気持ちで発表。

相当怪訝な顔をされました。


はぁ~。
血が足りない人とか思われたかしら。。。



ところで、なんで今更この話題かというと、
最近、血液型で分けて考えるということにも、利点があるなと思えてきたから。

別に血液型じゃなくてもいいんだけど

ただ「区別する基準」の中の一つとして
一番わかりやすくて便利なものだなぁと。


だいたい日本って90パーセント以上が日本人っていう単一民族国家な上、
周りを海に囲まれてるから他の民族の侵入も少なく
グローバル化してるとはいっても基本的に閉鎖的な国だと思う。

アジアでも、一つの国にいろんな民族や宗教があるし
アメリカは言うまでもなく移民大国だし
北欧は国と国が隣り合い、目の色や髪の色とか見た目にもはっきりわかる個性がその住人にある。

日本人って、ほぼ仏教(むしろ宗教に無関心だったりする人が多いか)で、
見た目にも、今でこそカラーリングが一般的であるとはいえ
だいたいダークカラーの髪と瞳に、オークル色の肌。

とりあえず基本的人権の尊重のため、家紋とかとかいう時代も終わ(ったことになってる)り、

日本人って、見た目にも中身にもみんな一様。

貧富の差も、他国よりマシでしょ。

こんな時代。


でも、これだと
誰かと性格が合わないとか衝突があったときに、

「これはお互いの文化が違うんだ。別に両方悪いわけじゃない。
これは相手の文化として受けとめ、この衝突をプラスに変えよう」

とかいう、よく国際結婚がうまくいく理由の一つである
『文化の違いとして認識する』
っていう行為が、非常にしにくい。



みんな同じで、みんな平等で、みんなわかりあえなきゃならないっていうような
協調性を重んじる国家になってる




って思って、あぁ~だから血液型で区別すると便利なんだって納得。


『この人は●型だから合わなくて仕方ない。
自分と同じような感性、考え方を求めるなんて失礼だ』

って考えて、人間関係がスムーズに行くきっかけとして血液型を考えると

ものすごく便利。






たとえば具体的に言うと

実際海外に住んでたら「日本人だから○○よね」って差別フツーに受ける。

でもこの差別という名の区別をなくしちゃったら
地球に何百とある国や文化を尊重するということに反する。

むしろ日本人ならではの長所短所を相手がわかってくれれば
自分も相手の文化を全部受け入れたりすることなく
対等な関係が結べるはず。


ワタシ日本人ですが何か?

くらいに開き直って、日本人である文化をしっかり持って異文化と交流することが、現地で過ごす一番適切な方法のはず。

こうすることで現地での生活がうまくいく。


これと比べれば、
「日本人」として外国人に位置づけされるよりも、
同じ日本人に「●型」として認識される方がよっぽどラクで便利だと思う。

同じ血液型だからめっちゃ合う☆っていうラクなのにのっかってるんじゃなくて、
自分と違う血液型の人に興味を持つことができれば、
そこでその人と接して、
もし衝突があったとしてもそこであきらめず、自分の考えをいい、相手の考えも聞き話し合うことで一つの文化交流が生まれてくる。


と、ここまで考えて、

血液型って凄い!!!




だから異様なほどの血液型ブームが日本や韓国で巻き起こったんだ!
きっとみんなこういう「区別の基準」を求めていたときだった。
と思いました。


なんかほんっとどうでもいいことだけど
ずっと気になってたことに関して
自分で考えて納得できたっていうこの過程で私は満足。

これからは血液型にこだわる人を毛嫌いするのをやめます。
むしろ、合わないといわれる血液型の人と、もっともっと交流したい。

そりゃー合わないといわれる人たちとは合いにくいかもしれないけど、
世界はグローバル化が進む今、
同じ血液型でかたまったり、相性が合うと言われる人たちと一緒にいてばっかりの人生は、つまらないと思う。

敢えて難関コースに挑戦するのも、悪くないと。
お互いの文化をお互いにさらけ出して、そこで認め合えれば新しい人間関係が築けると思います。