人生を道にたとえる言葉は多い。
唄の歌詞にも多い。
一歩一歩歩いていく
振り返らずまっすぐ前を見て進め
たまに立ち止まってみても
道はずっと続いている
話は飛ぶが、私たちは3次元の世界に生きている。
縦の広がりと、横の広がりと、上(下)の空間。
そこには時間軸はない。
時間を表すものは
目で見たり手で触れたりできない空間である。
4次元空間というものがあるなら
時間軸も考慮されようが
私たちは3次元に生きているわけで、
この世界で時間軸を比喩しようというのがそもそもムリな話で
空間での前・後ろで時間の過去・未来を表そうとすると
どうしても矛盾に達する。
前を見て歩くのだとしたら
未来が見えることになる。
未来は未知の世界で、何があるかなんて知りようがない。
目をつぶって手探りで歩くのだとしたら
危険すぎるし
何よりそんな真っ暗な世界なんてイヤだ
私はこのことを小さい頃からずっと考えていて、
きれいごとで気休めのような詩とか励歌とか
冷めた目で見ていた
それでも人は形にならないものを形にしようとしたり
存在しないものを信じたり
なくしたものを別のもので置き換えたり
難しいことをわかりやすくたとえようとする。
そこで、私も考えてみた。
人生とは、どのようにたとえられるか。
私が考えた中で一番しっくりきたのは
人生とは、「後ろ歩きで進む」である。
後退しているように聞こえるかもしれないが、結果的にそれは前(未来)である。
未来は見ることはできないが、目は開いている。
明るい世界も、暗い世界も見ることができる。
過去にあったことは、記憶として見える位置にあったり、見えなくなって忘れてしまったりする。
今までの経験が目に見えるため、それをを活かしよりよい方向にも進むことができる。
そして、死を迎える瞬間も、
人は気づかないのである。
ジェットコースターを後ろ向きにすすむように
いつになるかわからず
今、と覚悟を決めることはできず
病気だったり、確実に死期を感じ取ることが出来ない限り、死とは突然のものである。
ここまで考えて、私はやはり
人生の面白さと怖さを意識するのである。
唄の歌詞にも多い。
一歩一歩歩いていく
振り返らずまっすぐ前を見て進め
たまに立ち止まってみても
道はずっと続いている
話は飛ぶが、私たちは3次元の世界に生きている。
縦の広がりと、横の広がりと、上(下)の空間。
そこには時間軸はない。
時間を表すものは
目で見たり手で触れたりできない空間である。
4次元空間というものがあるなら
時間軸も考慮されようが
私たちは3次元に生きているわけで、
この世界で時間軸を比喩しようというのがそもそもムリな話で
空間での前・後ろで時間の過去・未来を表そうとすると
どうしても矛盾に達する。
前を見て歩くのだとしたら
未来が見えることになる。
未来は未知の世界で、何があるかなんて知りようがない。
目をつぶって手探りで歩くのだとしたら
危険すぎるし
何よりそんな真っ暗な世界なんてイヤだ
私はこのことを小さい頃からずっと考えていて、
きれいごとで気休めのような詩とか励歌とか
冷めた目で見ていた
それでも人は形にならないものを形にしようとしたり
存在しないものを信じたり
なくしたものを別のもので置き換えたり
難しいことをわかりやすくたとえようとする。
そこで、私も考えてみた。
人生とは、どのようにたとえられるか。
私が考えた中で一番しっくりきたのは
人生とは、「後ろ歩きで進む」である。
後退しているように聞こえるかもしれないが、結果的にそれは前(未来)である。
未来は見ることはできないが、目は開いている。
明るい世界も、暗い世界も見ることができる。
過去にあったことは、記憶として見える位置にあったり、見えなくなって忘れてしまったりする。
今までの経験が目に見えるため、それをを活かしよりよい方向にも進むことができる。
そして、死を迎える瞬間も、
人は気づかないのである。
ジェットコースターを後ろ向きにすすむように
いつになるかわからず
今、と覚悟を決めることはできず
病気だったり、確実に死期を感じ取ることが出来ない限り、死とは突然のものである。
ここまで考えて、私はやはり
人生の面白さと怖さを意識するのである。