血液型にこだわる人って、私はずっと苦手だった。
まず、人間が4種類で区別されるわけないし、
なにより●型だから●●だよね~って言われるたび
んなわけあるかいっっ!!!!!
ってつっこんでた(心の中で)。
そんな一般論でくくらないで欲しい。
十人十色だぞと。
ここであえて私の血液型は公表しませんが。
それに、こんな血液型にこだわるんって日本と韓国くらい?
まず、映画まで作った韓国はさすがにやりすぎだと思った。(『B型の彼氏』とか)
世界では、自分の血液型すらたいていの人が知らないらしいね。
輸血するとき以外、はっきり言って必要ないし。
だから初対面のガイジンに「何型?」って聞くと、
「オレの血を狙ってる!!??」と、不信感もたれることうけあいです。
私は一回それで失敗した。
英語のネイティブの先生の授業のとき、ペアになった相手と自分の共通点を英語で述べるっていうワークで、
「私と彼女は同じ血液型です」
って、かるーい気持ちで発表。
相当怪訝な顔をされました。
はぁ~。
血が足りない人とか思われたかしら。。。
ところで、なんで今更この話題かというと、
最近、血液型で分けて考えるということにも、利点があるなと思えてきたから。
別に血液型じゃなくてもいいんだけど
ただ「区別する基準」の中の一つとして
一番わかりやすくて便利なものだなぁと。
だいたい日本って90パーセント以上が日本人っていう単一民族国家な上、
周りを海に囲まれてるから他の民族の侵入も少なく
グローバル化してるとはいっても基本的に閉鎖的な国だと思う。
アジアでも、一つの国にいろんな民族や宗教があるし
アメリカは言うまでもなく移民大国だし
北欧は国と国が隣り合い、目の色や髪の色とか見た目にもはっきりわかる個性がその住人にある。
日本人って、ほぼ仏教(むしろ宗教に無関心だったりする人が多いか)で、
見た目にも、今でこそカラーリングが一般的であるとはいえ
だいたいダークカラーの髪と瞳に、オークル色の肌。
とりあえず基本的人権の尊重のため、家紋とかとかいう時代も終わ(ったことになってる)り、
日本人って、見た目にも中身にもみんな一様。
貧富の差も、他国よりマシでしょ。
こんな時代。
でも、これだと
誰かと性格が合わないとか衝突があったときに、
「これはお互いの文化が違うんだ。別に両方悪いわけじゃない。
これは相手の文化として受けとめ、この衝突をプラスに変えよう」
とかいう、よく国際結婚がうまくいく理由の一つである
『文化の違いとして認識する』
っていう行為が、非常にしにくい。
みんな同じで、みんな平等で、みんなわかりあえなきゃならないっていうような
協調性を重んじる国家になってる
って思って、あぁ~だから血液型で区別すると便利なんだって納得。
『この人は●型だから合わなくて仕方ない。
自分と同じような感性、考え方を求めるなんて失礼だ』
って考えて、人間関係がスムーズに行くきっかけとして血液型を考えると
ものすごく便利。
たとえば具体的に言うと
実際海外に住んでたら「日本人だから○○よね」って差別フツーに受ける。
でもこの差別という名の区別をなくしちゃったら
地球に何百とある国や文化を尊重するということに反する。
むしろ日本人ならではの長所短所を相手がわかってくれれば
自分も相手の文化を全部受け入れたりすることなく
対等な関係が結べるはず。
ワタシ日本人ですが何か?
くらいに開き直って、日本人である文化をしっかり持って異文化と交流することが、現地で過ごす一番適切な方法のはず。
こうすることで現地での生活がうまくいく。
これと比べれば、
「日本人」として外国人に位置づけされるよりも、
同じ日本人に「●型」として認識される方がよっぽどラクで便利だと思う。
同じ血液型だからめっちゃ合う☆っていうラクなのにのっかってるんじゃなくて、
自分と違う血液型の人に興味を持つことができれば、
そこでその人と接して、
もし衝突があったとしてもそこであきらめず、自分の考えをいい、相手の考えも聞き話し合うことで一つの文化交流が生まれてくる。
と、ここまで考えて、
血液型って凄い!!!
だから異様なほどの血液型ブームが日本や韓国で巻き起こったんだ!
きっとみんなこういう「区別の基準」を求めていたときだった。
と思いました。
なんかほんっとどうでもいいことだけど
ずっと気になってたことに関して
自分で考えて納得できたっていうこの過程で私は満足。
これからは血液型にこだわる人を毛嫌いするのをやめます。
むしろ、合わないといわれる血液型の人と、もっともっと交流したい。
そりゃー合わないといわれる人たちとは合いにくいかもしれないけど、
世界はグローバル化が進む今、
同じ血液型でかたまったり、相性が合うと言われる人たちと一緒にいてばっかりの人生は、つまらないと思う。
敢えて難関コースに挑戦するのも、悪くないと。
お互いの文化をお互いにさらけ出して、そこで認め合えれば新しい人間関係が築けると思います。
まず、人間が4種類で区別されるわけないし、
なにより●型だから●●だよね~って言われるたび
んなわけあるかいっっ!!!!!
ってつっこんでた(心の中で)。
そんな一般論でくくらないで欲しい。
十人十色だぞと。
ここであえて私の血液型は公表しませんが。
それに、こんな血液型にこだわるんって日本と韓国くらい?
まず、映画まで作った韓国はさすがにやりすぎだと思った。(『B型の彼氏』とか)
世界では、自分の血液型すらたいていの人が知らないらしいね。
輸血するとき以外、はっきり言って必要ないし。
だから初対面のガイジンに「何型?」って聞くと、
「オレの血を狙ってる!!??」と、不信感もたれることうけあいです。
私は一回それで失敗した。
英語のネイティブの先生の授業のとき、ペアになった相手と自分の共通点を英語で述べるっていうワークで、
「私と彼女は同じ血液型です」
って、かるーい気持ちで発表。
相当怪訝な顔をされました。
はぁ~。
血が足りない人とか思われたかしら。。。
ところで、なんで今更この話題かというと、
最近、血液型で分けて考えるということにも、利点があるなと思えてきたから。
別に血液型じゃなくてもいいんだけど
ただ「区別する基準」の中の一つとして
一番わかりやすくて便利なものだなぁと。
だいたい日本って90パーセント以上が日本人っていう単一民族国家な上、
周りを海に囲まれてるから他の民族の侵入も少なく
グローバル化してるとはいっても基本的に閉鎖的な国だと思う。
アジアでも、一つの国にいろんな民族や宗教があるし
アメリカは言うまでもなく移民大国だし
北欧は国と国が隣り合い、目の色や髪の色とか見た目にもはっきりわかる個性がその住人にある。
日本人って、ほぼ仏教(むしろ宗教に無関心だったりする人が多いか)で、
見た目にも、今でこそカラーリングが一般的であるとはいえ
だいたいダークカラーの髪と瞳に、オークル色の肌。
とりあえず基本的人権の尊重のため、家紋とかとかいう時代も終わ(ったことになってる)り、
日本人って、見た目にも中身にもみんな一様。
貧富の差も、他国よりマシでしょ。
こんな時代。
でも、これだと
誰かと性格が合わないとか衝突があったときに、
「これはお互いの文化が違うんだ。別に両方悪いわけじゃない。
これは相手の文化として受けとめ、この衝突をプラスに変えよう」
とかいう、よく国際結婚がうまくいく理由の一つである
『文化の違いとして認識する』
っていう行為が、非常にしにくい。
みんな同じで、みんな平等で、みんなわかりあえなきゃならないっていうような
協調性を重んじる国家になってる
って思って、あぁ~だから血液型で区別すると便利なんだって納得。
『この人は●型だから合わなくて仕方ない。
自分と同じような感性、考え方を求めるなんて失礼だ』
って考えて、人間関係がスムーズに行くきっかけとして血液型を考えると
ものすごく便利。
たとえば具体的に言うと
実際海外に住んでたら「日本人だから○○よね」って差別フツーに受ける。
でもこの差別という名の区別をなくしちゃったら
地球に何百とある国や文化を尊重するということに反する。
むしろ日本人ならではの長所短所を相手がわかってくれれば
自分も相手の文化を全部受け入れたりすることなく
対等な関係が結べるはず。
ワタシ日本人ですが何か?
くらいに開き直って、日本人である文化をしっかり持って異文化と交流することが、現地で過ごす一番適切な方法のはず。
こうすることで現地での生活がうまくいく。
これと比べれば、
「日本人」として外国人に位置づけされるよりも、
同じ日本人に「●型」として認識される方がよっぽどラクで便利だと思う。
同じ血液型だからめっちゃ合う☆っていうラクなのにのっかってるんじゃなくて、
自分と違う血液型の人に興味を持つことができれば、
そこでその人と接して、
もし衝突があったとしてもそこであきらめず、自分の考えをいい、相手の考えも聞き話し合うことで一つの文化交流が生まれてくる。
と、ここまで考えて、
血液型って凄い!!!
だから異様なほどの血液型ブームが日本や韓国で巻き起こったんだ!
きっとみんなこういう「区別の基準」を求めていたときだった。
と思いました。
なんかほんっとどうでもいいことだけど
ずっと気になってたことに関して
自分で考えて納得できたっていうこの過程で私は満足。
これからは血液型にこだわる人を毛嫌いするのをやめます。
むしろ、合わないといわれる血液型の人と、もっともっと交流したい。
そりゃー合わないといわれる人たちとは合いにくいかもしれないけど、
世界はグローバル化が進む今、
同じ血液型でかたまったり、相性が合うと言われる人たちと一緒にいてばっかりの人生は、つまらないと思う。
敢えて難関コースに挑戦するのも、悪くないと。
お互いの文化をお互いにさらけ出して、そこで認め合えれば新しい人間関係が築けると思います。