Graffiti Decorations

私の人生は、キャンパスいっぱいに描かれ続けている。
生まれてからずっと、らくがきのように。

モテる女の特徴。

2006-02-17 00:56:09 | hinaism
男のことを書いたので、女のほうも。

「こういう女はモテる」とかいう定義は最近色んな本で書いてあるし、ここでは書きません。

ここでは共通点について考えてみます。

まず、これはあるな、って思ったのが、

たいていのモテ呼吸を知ってる女は、「男心」をわかっている。

というか、男のような発想や考え方をしている。

さらに、まぁ色んな本で
「私って、本当は男で、女の皮を着ているだけなんじゃないかって思うの」
とか自分でのたまっている。


ここで、男の人に聞いてみたい。
一日だけ女と入れ替われたら、どういうことする?

「男を悩殺するようなファッションをして街を歩いて、視線を集めてみたい」
とか
「カワイイ、や女の子ってことで許される範囲の罪(いたずら)をする」
とか
「女の武器を使いこなしてみたい」
とか、こういう意見を持つ人はいないだろうか?

そうそう、心は男だからどういうことすればいけるか知ってるもんね。

多分、モテる女はそういうことを考えて日々行動していると思います。

やっぱ経験からわかるのかな、これこれこういうことをすればいいって。
多分女より男の方が単純な気がするので(すみません)、男がどういうことをすれば喜ぶとか判ってるんだと思う。

私はわかりませんけど。
(てか、誰か教えてください)


逆に、今女だけど、男に一日なったところで
女を落として遊びまくるとか、そんなんできんもん。

女心なんて、理論的に説明しようなんて考えてたら一生が終わる。
複雑すぎてわからない。
それに気分屋で、自分勝手で、ワガママ。
こんな女心につき合わせて男性諸君申し訳ない↓↓くらいに、めんどっちいもんだと思っている。


モテる男は、前回の記事にあるように色気、もとい「男気」さえあれば女の子は好きになってくるはず。
ぶっちゃけ、男は「1に押し」「2に押し」34がなくて「5に押し」の世界。
(6くらいにルックス、顔とか)
そういうもんで女は男らしさを感じて惚れてしまうので、とりあえず「押し」さえうまくいけば女の子は落とせると思う。

ってことで、
モテる女は「男心」を知ってて、
モテる男は「女心の複雑さ」を知りつつ、強い「男気」を持っている
ってことで今回の日記は締めます。

どういう男に惚れるか

2006-02-16 00:19:43 | hinaism
だいぶ間があきましたが、
最近また色々と思うことが出てきたので、ちょこちょこ更新してみます。

まぁもうすぐハタチになるかくらいの(あと12日!)小娘が言うことだから
「はぁ~?何言ってんだこいつ」
って思うかもしれないけど・・・。

最近色々と友達の話やらなんやら聞いてて思ったこと。

どういう男の人がタイプか?

って質問に、まぁ人によって色々と答えがある。

「誠実な人」
これけっこー多いよね。

「男らしい人」
オトコラシイの定義はようわからんけど、よくリードしてくれるとかぐいぐい引っ張ってくれるとかいうのをだいたいこの言葉で代用。

「優しい人」
これまたビミョーなラインだけど、要はやさしくされると女の子ってコロっていっちゃうってことなんですよ。

「何か夢中になれるものがある」
スポーツでも趣味でも、コレ!!っていうハマリ物やこだわり物がある人は、人間として魅力的。


とか、まぁこんな感じなわけで。

でも・・・なんか、これを恋人選びの条件にしちゃっても、
付き合い始めはうまくいっても、
飽きが早く来るとか
別れ際には恋愛感情をもてないだとか
修羅場なんてもんがきたらモメルこと果てしない


でも、まぁ大好きな人と恋愛ができたんならそれはそれでヨシ。
っていうか、問題が起きずにずっと続けば、結婚もありうる。
むしろ「誠実さ」「男らしさ」「優しさ」がそろってたらいい旦那さんなるし!!



でも、実際結婚相手とかなんとかじゃなく、
リアルにどういう人がモテるか?って考えると、
上記の3つは当てはまらないような気がしてきた。

私とまったく同じ考えの人はそうたくさんもいないとおもうけど、同じ人も少なくないと思う。


モテる要因、それはやっぱり
「色気がある」
につきるんじゃないかと。

色気って、女の人の「いろっぽーい」とか「やらしー」とかのじゃなくて、
男の「男気」のような
異性をひきつけるような「フェロモン」みたいな
そんな感じ。

そしてその「色気」の定義っていうか、目に見えないものだしどういうもんで与えられるかってのを考えてみる。と、

ある一つの答えにたどり着いた。



今までしてきた恋愛の数が多い。
これに尽きる。



今大学ではだいたいが同い年だし、経験的にもそんな変わらないような人が多いから(ことに●州大はまじめ学生ばっか)、早熟な人がモテる。

これ、モテる人はとことんモテて、モテない人はまったくモテないの法則。

学校で見ててそのスパイラル、感じます。

早熟ってか、まぁその恋愛の質にもよるだろうけど、
脱チェリーが早かった人はどうも恋愛に関してもウワテのようだし、
自分の考えも持ってるからいい女、ダメ女を見分ける力もある、と思う。


あと女の子は年上を好むけど、これは
「頼りになる~」とか
「同年代は考え方がガキっぽすぎて無理」
とかいろいろ言うけど、
結局は年の差からなる経験数の多さと、
それに伴う「色気」が原因なわけで、
それが「男のフェロモン」になっちゃってるんだろう、と思う。


というのはうすうす感じてはいたんだけど、先日ある女の人のブログで、
「遊び終わった人の、落ち着いた感じの色気、たまらん」
っていう箇所を見て、やっとこの自論を確信。

そうそう、一度モテまくって遊びまくったことがある人って、すっごい落ち着いてるのに色気あるんだよね。。

たしかに、「何で私はこんなかるっそーな人に惹かれるんだろう」とか「うわ絶対私男見る目ない」とか思ってた時期があって、なんで好きなんだとか自己嫌悪気味で考えてたこともあった。

でもやっぱりこれって色気なんやな。

顔もよく性格もよくまったく問題ナシな男の人でも、なぜか惹かれない・・・。
っていう人は、昔あまりいい恋愛をしてない。
またはしてても、それによって得られたものがない。
それか単に恋愛経験が(少)ない。


だと、思います。

ここで重要なのは、「遊び終わった」ってこと!!
現役で遊んでたらそれこそチャラ男ですよ。
・・・。


この辺で、「いやいや誠実さは大切だって!!」って思う女の子もいるやろうし
「カル男の何がいいんだ!?」って思う男性方もオウゼイいらっしゃると思う。

でも、見ちゃったんよ。。。

結婚するまでたった一人の女の人を純粋に愛し続けて、
結婚してからもしばらくはすこぶる愛妻家な良き夫だった人が、
普通の人は人生に3度来る?とかいうモテ期で、あっさりと愛人をつくり離婚しちゃったってケース。

これ、意外に多い。

特に、それまで浮気したことない!って男の人。
結婚して、死ぬまでずぅぅ~っと一人の女の人を愛し続けるっていう責任を負うと、急に若い子の方が良く見えたり、もっと男として人生を楽しまなきゃとか思っちゃうようで。

あと結婚の話とは別だけど、誰もが誠実だと疑わなかった人が、付き合った彼女を本気で愛そうと決意していたにもかかわらず、その人と行き詰ったときあっさりと他の女に乗り換えるっていうパターンも、多い。
てかこれよく相談される。
女友達に、「付き合ったときはすごくまじめだったし、信じてたのに」って泣きながら言われると、その男を憎たらしく思う反面、おいこまれちゃうと男はやっぱ男だよなって思ってしまう。


まじで、一度は男も、遊ぶっていうか自分の身の程を知った上で、色々と恋愛経験してみるべきだと思う。
遊べと推奨してるわけじゃないけど、どうやら、モテる男はそういう過去がありそう、みたいな。

てかまぁ単に女の子慣れしてるかどうかってのがまず重要なのかも。

この遊ぶっていうのも、浮気系じゃなくて、単に合コンしまくったとかその友達ツテで知り合い増やして、長くは続かなかったけど付き合った数が異常に多いとかその辺。
誰かを傷つけて得る経験より、自分が傷ついた経験を持ってる人は、さらに色気がある。


先日そういう男性にお会いしました。
同じ大学で学年なのに、よくもまぁ高校時代遊びまくったなぁみたいな人。
勉強は勉強、女は女って感じでどっちも充実してたみたいな。

やっぱ学校でも目立つし、一味違う色気があるな、と思った。


価値観(?)の違い

2006-01-01 01:20:54 | LOVE
彼と私の感覚の違い。

それはお金に対して。

彼はあるぶんどんどん使ってしまう人で、
私はどちらかといえば貯めるほう。

彼はバイトで月10万以上稼いでるくせに、ついこの間も年末の出費がかさんで金欠って言ってた。
私は3ヶ月も前にバイトをやめたのに、まだ貯金が30万ほどのこっている。

稼ぐばっかりで遊ぶ暇がないと思って、バイトをやめた。

でも私も使うときは使う。
電化製品好きの私はipodとかDVD&HDDレコーダーとか
あと洋服を買うときはカードだから
気づいたら1ヶ月1万くらい軽く飛んでるときもある。

彼は計画性がない。

そこが、私が不満に感じるとこのひとつ。。

でも、その感覚のおかげで
私も貴重な経験をさせてもらっている。

多分半年で30万くらいデートやらプレゼントやらで私に使わせてしまった。
とてもありがたいと思う。
いいのかな~って変にこそばゆく感じつつ
感謝している。

でも、やっぱりこの感覚って彼の将来がちょっと怖い・・・


同様な違いを、まったく別のジャンルで最近気づいた。


時間について。


彼は「時間」をある分だけどんどん使う。
それに対し私は貯めるほう。

どういうことかというと、
たとえば私の場合
翌日までに何かしておかなければいけないことがある日
それが終わっていなかったら
その日、誰か友達から誘いがあっても
断る。

それに対し彼は
どんっどん予定を入れる。

なんとかなるさ的な、
ギリギリ人生を歩んでいる。

やっぱり私としては、
そういう「計画性のなさ」に
イラつくことが多い。

この前なんて
ずっと体調が悪かったくせに
休めないバイトならともかく
遊びの予定を入れて
悪化して
レポートが終わらない~とかって私に泣きついてきた。

せっかくバイトも学校もない日で
しっかり休んでるかと思ってたら
遊びにいってたなんて
(しかもギャンブル)
てめぇの体調が悪いなんて知ったこっちゃねぇええ!!!

っと、見捨てた。

夜遅くまで遊びほうけて、
毎日朝1限からあるのにほぼ毎日休んだりなんて日常茶飯事

ついにぶちきれた私はとにかく怒った。

最近はそれで迷惑を被ることはないけど
あいかわらず1限には来ないし
もう直らないのかなって
あきらめてもいる。


だけど、私の「貯める」ばっかりの時間も
考え方によっては正しいわけじゃないだろう。

例に挙げた「友達の誘いを断る」
というのを、彼はほとんどしない。
とにかく友達想いだ。

私もその「誘い」に乗って
自分が持つ「時間」を精一杯使うっていうのをしてみれば
もっと人生が濃くなるかもしれない。

思い返せば
学校の試験期間中にバイト入れてたときの方が
休みとってたときより計画的に勉強できたりした気がする

そして、彼と付き合い始めて
忙しい生活の中で
たくさんの楽しみや幸せをもらえた。

自分ひとりじゃこうはいかなかっただろう。

大学に来たがらないのも、
きっと今のが志望学部ではなかったことが関係している。

高校までは無遅刻無欠席だったという彼は
医学部だけを考えて生きてきてたから
今は将来が見えないっていつも不安がる。

なんだかんだ言ってしっかり単位を取っている彼は、
そういう生き方で培ってきた
「やればできる」的な意識で
この大学生活を乗り切るつもりなのだろう


だから私はもう彼にこういう面での口出しはやめた。
自分の価値観を押し付けているような気がして
バカバカしくなった。

別に私が心配しなくたって
なんとかやっていけるんだろうな。




・・・・その前に自分の単位の心配しろってね。

前回の「つきあってるってこと」に続き

2005-12-22 01:03:52 | LOVE
前のブログで、とにかく付き合っているのなら「できるだけ長い時間会いたい」という結論を前面におしていた私ですが、

ちょっと前に読んだエッセイで、なんともタイムリーな記事を発見!!
一度読んでしまった本だったけど久々になんとなく読み返して、ビックリ!
そして今だから実感してわかるってこともいくつかみつけた。

やっぱエッセイはイイ・・・!!
小説もいいけど、とにかくその人の考えがつまりにつまりまくってます。

このGrafitti~でひそかに紹介している私のセオリーを文学的にして、考えを百倍濃いものにして、頭の良さ5割増しくらいにした文が読みたい人、ぜひ江國香織さんの「泣く大人」をオススメします。
ちょっと189ページを見てみてくだされ。


いつも一緒にいてくれることが無理でも、いつもいつも一緒だと思わせることは可能なのに。

まったくそうだ。

ほんとに。

今日のこと

2005-11-28 00:42:32 | 出来事
今日の朝は、雷がひどかった。
完全夜型の私がなぜか早起き。

というのも、今朝の目覚めの場所はいつもの家ではない。


私は昨日から家族と親戚で地元山奥の温泉旅館に泊まりに来ていた。

うちの家族と、母の弟家族の計8人。
本当は夏に家族旅行しようと計画していたのに、みんなのスケジュールがあわずこんな季節になってしまった。

大学の夏休みでも冬休みでもない中途半端なこの時期、
久々に地元へ帰省。

母の弟家族とは、母方の祖父母が生きていた頃は毎週会っていたのに
ここ3年間で2人とも亡くなってしまって
これまた久々の再会。

ちっこいイトコ2人(3歳と4歳)も一緒で、なかなか楽しい1泊2日だった。



昨日は旅の疲れもあり、早くに寝てしまった私は5時前に目が覚めた。
6時から朝の入浴が始まるため、しばらく仮眠してから2回も温泉に入った。
疲れがとれるような、癒されているような気分になるために。

疲れた、というほど疲れてはないが、その日はなんだかヘンな気分だった。



母の左目が見えなくなったと知ったのは1週間ほど前。

私がショックだったのは、その事実もだが何より
それがわかった時点ですぐに私に連絡してくれなかったことだ。

見えなくなってきたのは今年の8月。
3ヶ月も私は何も知らなかった。

「心配かけたくなかった」というのは母の口癖

時間がたった方が
余計悲しみも不安も心配も増大するのに



前もそうだった。

大好きな母方のおばあちゃんが
ただの肺炎じゃなくて
癌だったことも
余命3ヶ月だったことも

あと1週間もつかわからない、という時点で知らされた。

私はその頃受験を控えていた。

知ったのも偶然で、父と母の会話をたまたま聞いてしまったときだ


頭が真っ白になって、ただただ布団の中で泣いた。


ばあちゃんは頭がよくて、何でもできてかっこいい人だった。

ばあちゃんは厳しくて
毎週会いに行っても「勉強しているか」「授業でも率先して発表してるか」
ってしか言わないから
勉強嫌いな私は
成長するにつればあちゃんに反抗するようになった

昔はかなりのばあちゃんっこだったことも忘れて
本当は大好きだったのに


ばあちゃんが死んで
私はひたすら勉強して
ビックリするくらい成績が伸び
1年前は到底届かないと思っていた進学校に上位で入学した。

共に住む人がいなくなると急に弱くなるのが男の人だ。
じーちゃんは亭主関白を絵に描いたような人で
共働きだったにもかかわらず家事も子育ても
すべてばあちゃんにさせてた
そんなじーちゃんは突然弱って
ボケて
病気して
後を追うように3年後に死んだ。


またもや私の受験期で
病院まで距離もあるためまともにお見舞いにも行けず


結局、私の後悔だけが残る




そんな連続の親の死を乗り越えた母は
前よりも増して強くなって
いつも笑顔で私たちに接して

いた、のに



またかよ!!!



想像がつくかもしれないが
私は母に感謝と尊敬で頭が上がらないにもかかわらず
この素直になれない性格が
いつも母への態度をカタいものにさせる



もうイヤだ!!
後悔は残したくない。

私の姿が母の目に映るかぎり
とにかく孝行するんだ。

と、思って挑んだ今回の旅行も、なんだか妙に明るい母に
テンションの低い私は何も出来なくて

2日間自己嫌悪のまま過ごした。


チェックアウト後、弟家族と別れ
家に帰り同居している父方のばあちゃんを連れて
ランチを食べに行った。

そのランチの店では、偶然中学時代の級友が働いていて、
「ああ、もう社会人なんだ」
とか当たり前のことを考えながら
偶然の再会であせりつつ

その子にあいさつもせずに、その店をでた。
あっちも私に気づかないように接していたから
やっぱお互い気まずいのは気分が悪い

それから、私は翌日も通常通り1限から授業のため
家族との時間も満足にとらないまま
さっさと地元を旅立つ




駅に着き、バイト帰りの彼氏に会いに行った。
あっちも会いたがってくれてたし
このまま一人でマンションに帰ると眠れなさそうだったから
会って、
私の来年用の手帳買いについてきてもらって
喫茶店でお茶しながら話して
その後彼の強い要望でカラオケ行った。

相変わらず彼は新しいアルバムのミスチル曲のタイトルを並べる
対抗するかのように私は中高時代に歌っていた昔の曲を歌う


会計のとき、後ろに並んでいたのが
1年と半年片思いしていた先輩だったことに気づいたのは
振りむいて出ようとしたときだ。

会話全部聞かれていただろうな


今日は色々ありすぎて
頭がパンクしそうで
何も考えたくなくて

家に帰り、着替えて顔洗って
録画していたドラマを一気に2本見た



それからしばらくして彼から電話があった

「今日8万買った!!」

私と別れた後、家に帰ると言ったのに
スロット行ってたのか。

彼は最近絶好調らしく
先週は10万買ってて
2人おそろいのブランド品の時計を買ってくれた。

合計8万強を、ぽんっと現金で払った。
ギャンブル金とはいえ彼に全部払わせるのもなんだか気持ち悪くて
後で1万を渡した。

「今回のはバイク買うための貯金にまわすよ」

今も手元にある時計を見るたび
私の中のアンチギャンブルのポリシーが揺らぐ

いや、揺らいではいない。

嫌いなことにかわりはない。けど、
その恩恵を受けてしまっていることと
「もうしないで」といいながら
するなら勝つことを期待している自分に気づいた瞬間が
イヤでイヤで
悔しくて情けなくて


今夜も眠れない。

まぁいつも寝つきは悪いけど。


いろいろ考えちゃうのは
コンポから流れてくる曲が
ミスチルだからかな

つきあってるってこと

2005-11-24 02:02:53 | LOVE
よく、

「会うのは週に2~3回でいい」

とか、

「自分の時間を大切にしたいから、しょっちゅう会いたいっていってくるのはウザイ」

って人がいる。



よく思うけど、そういう人ってホントに相手のこと好きなのかなぁ。


私はやっぱりできるだけたくさん同じ時間を過ごしていたいし、会えるなら時間を割いてでも会いに行くし、来て欲しい。





大学生の恋愛って、人生においても一番
時間的余裕があるし
適度に親離れできてる時期だし
どっぷり「恋愛」に浸れる時期だと思うんだけど

社会人の恋愛みたいに
いっぱい制限かけちゃってる人、結構いるんだよね。



もちろん、私は相手に依存しまくって
「会いたい会いたい」言ってるわけじゃない
私は私だし、やることあるし、
別に相手の重荷になろうなんて思ってないし、なりたくもない

でも、ふとしたときに、一日が終わりかけてるころとか、
となりにいてくれるだけでいいから会いたいって思う。


これって普通だよね?

だって好きな人だよ!

世界で一番愛している人なのに

そばに居て欲しいって思うのは当然やん!


まぁ同棲とはまた別なんだけど。
確かに同棲は距離を一気に縮めちゃうから、それなりの覚悟が必要だし。



でも・・・私の周りの女の子はみんな冷めすぎじゃないかなぁ。

特に自立思考が高い女の人って、恋愛に没頭するのをすごくみっともないって思ってる気がする。

まぁ確かに男に依存しまくっている女って
女からみても男からみても
情けないって思ってしまうけど

でも、「男には負けない」って
意地はって仕事バリバリして
男に媚びるのを死ぬほど嫌って
自分に対してストイックで
限界までフェミニズムを追求してる女の人って

ちょっと、女として生まれてきたのに損だよ。
だから「負け犬」とかなっちゃうんだよ。



私は男に甘えたいときは甘えるし、
自分の出番じゃないって思う場面は男を立てる。
自分の能力を過剰に思うこともないから
わからないところは素直に聞く。


んで、やっぱりさびしくてさびしくて仕方ないときは
オトコが恋しくなるもんだよ。




「あえなくてもぜんっぜんヘーキ」
って言ってるNがうらやましーっっ

さびしいよぅ

Graffiti Decorationsというタイトル

2005-11-20 02:19:09 | このブログについて
とある私が好きな外国アーティストの
とある曲の
歌い始めの歌詞から、2単語ほど。

パクリました。




これを選んだ理由は
とりあえずこの曲(アーティスト)が好きだったっていうのがまずある。


そして、最も主な理由は、
とある質問の答えを深く考えてみたことに由来する。




死ぬ前に自分の人生を思いおこしたとき
それはどういうものであらわせるか?




誰か他の知らない人に自分の人生を知ってもらうなんて
歴史の教科書に載るくらいしかないかもしれないけど

一つの形として後世に残すとしたら。
何かに例えて誰かに伝えるとしたら。

たとえば、

自分が主人公となりはらはらドキドキのストーリーを展開する
「1本の映画」

音楽が好きな人は、1曲の中にそれぞれのメロディーやリフを入れ込み、
体中で感じられるような人生を音楽に託す
「1曲(または1章)」

スポーツが好きな人は、中盤ひやひやさせられるシーンがありつつも最後の結果まで真剣勝負って感じで
「一つの試合」

またはそのまま思うがままをありのままにつづれる
「小説」


こうやって自分の人生をひとつの芸術作品のようなものとして残すとしたら、皆さんはどのようなものを考えるだろうか。


ところで一つ目の映画の話だが、これはたしか某映画のヒロインが言っていた。

危険にさらされ、自分の生活の不幸さを嘆き
「人の一生がひとつの映画になっているとしたら
私の映画はスリリングなサスペンス映画だわ」
と言う。
そして、愛する人の胸の中で
「ポルノ映画に主演したい」
と言って初めての夜を・・・

(コレ見たときなんて気の利いた言葉遊びかと感激・・・!
こんなセリフをロマンチックな場でさらっと言ったヒロインはステキ



話はそれたが、

とにかくそんな感じの「作品」、


私の場合はというと、

多分間違いなく
「一枚の絵」であると思う。

絵は、見る人によって、または同じ人でもそのときの気分や見方によって
一枚の絵から受け取れる情報がまったく異なる。

音のない表現の世界は多少さびしいものがあるが、
それでも私は「絵」が好きだ。

生きている間色んな音楽に囲まれていたからこそ、
死んだ後、自分の人生を誰か第三者に伝えようと思ったとき
あえて「音」という概念をはずす。

でもその絵の中には私の一生がぎゅっとつまっているのだ。

何度も重ね塗りをしているかもしれない。
下に書いていた絵を塗りつぶすこともおかまいなし。

日々生きている私はひたすらキャンパスに向き合っている。


そんな感じ。

ゲイジュツ作品とは程遠いかもしれないが、
それでも
「hina」という画伯の描く人生は
日々進化して、完成に近づいている。

たとえ子供の落書きのようなめちゃくちゃな絵でも



それが「あたし」で

生きている証。








Graffiti Decorations

ラクガキだらけの人生。

偶然

2005-11-17 23:31:45 | hinaism
このブログを読んでくれている人が

私に対するイメージをどういう風に持ってくれているかはわからないが

私は結構
「運命」
というものを信じる。

ちょとした偶然が重なると
「これって・・・運命!!」
と、すぐ感動する。

実は私もそういうロマンチックなことを信じたりする女の子なのだよ
(信じられないとか言うなぁ!!)

とくに人間関係。

つまり「友達」や「恋愛」においては
私が今までであった人はほぼ「偶然」からはじまり
「偶然」でお互いを知り
「偶然」で仲を深めた。

高校時代も、その友達とはしょっぱなから気が合い、
1週間でお互いに「親友」と認めた。

もちろん「お友達」というのは広く浅くできるのだが

自分をさらけ出せたり深い話をしたりできる
いわゆる「親友」をどう手に入れるかというのは
そのときの直感や雰囲気による影響が大きい。

私の例を挙げればキリがないが、そのような
「一気に距離が縮まり、信頼できる人だと思える」
というような人に出会うことは
だれにでも一度は経験があるのではないか。


今の彼とも「偶然」の要素が重なることが多く
付き合うことを決めたのも
「この人とは何か縁があるはず」
と思わずにいられなかったからである。





最初に述べた「私は運命を信じる」ということだが

念のため言っておくが、それは
「運命」に受身で、それを受け入れていることとは違う。

ここは間違ってはいけない。


得られた「偶然」は決して「必然」だったとはいえない。

まったく予想も出来なかった時点で
「偶然」である。

会うべきしてあった出会い(つまり必然)からなる運命というわけでなくて
というかそれは宿命のようなもので

そのときの私の行動からたまたま生まれた出会い(つまり偶然)が運命を作る。

「運命」は自分で作るもので、自分で探し、見つけるもの。

だから

どの道を通るかも
何両目の電車に乗るかも
その時どういう格好をしているかも
どのような気持ちなのかも

すべて自分しだいで

そういう「運命」なら、
自分で勝手に信じて
勝手に乗っかってみよう、と
私は思っている。

経験

2005-11-12 00:49:54 | hinaism
人間を形作るもので一番重要な要素は経験だと思う。

そんなの当たり前だ
と言われるかもしれないが、


私はつくづくそう思わずにはいられない。


知識や人の経験話で世の中わかった気になっている奴より
体当たりで何にでもぶつかってきた人が

人間らしい人間だと思う


過去につらい思い出がある人。
何か大きな挫折を経験した人。
絶えられない失恋をした人。


そのような人が私はうらやましい。
こんなことを言うとイヤミだといわれるかもしれないが



そのような人は、私に過去を語るとき

どこか悲しそうでさびしそうな目をしながらも

それを乗り越えた自信が伝わってくる

私はその瞬間が大好きだ。


私は
だいたいそのようなときに
初めてその人がどのような人なのかわかった気がして

この人と出会えてよかったと思うのだ。


もちろんただ話して笑って瞬間を過ごすだけでも
一人の寂しさが嫌いな私は
十分「隣に友人がいること」に
幸せを感じるのだが


この人と出会って、今言葉を交わして、
一人の人生を垣間見た、と思うと


一期一会

これに尽きる。




という私も

昔は自分より年が上でも

「こいつ、バカじゃん?」

と思わせる大人を見下していた

年下の私の方が頭いいんじゃない
少なくとも私がアンタの年になったとき
絶対私の方がいい大人だ

って、その人の言うことには耳を貸さず

要するに「生意気な子供」だった。



それでも、少し広いところに出て

もっとたくさんの人に会って話をしていると

頭をたたかれたような気がした


人はなんだかんだいって
年功序列だ

経験がモノをいう。

たった1歳違いでも
1年という月日は長い。

この1年の間、その人は私より多くの経験をしているのだ。

その人と比べて1年間引きこもりをしてまったく社会を知らない時間をすごしたようなものだ

もちろん時間を有効に使えている人間ばかりではないだろう。

年上でも、理解できないようなことをする人だっている。


それでも、自分より多くの経験をした人を甘く見てはいけない

その人が1日に2時間でも頭を働かせていたとしたら

やはり、1歳違いでも一ヶ月分人間として多く成長している


そのようなことを、今年はじめたバイトで考えるようになった

それまで見下していた大人たちが

とても頼りになる「人生の先輩」だと思えたのだ。

教科書も机上の理論も

「人の経験談」にはかなわない


たとえその人にとっては忘れたい過去でも
私にとってはその人を形作る重要な要素だと思える。

こういうのは本人よりも周りが気づくものなのかもしれない

つらい状況にある人に
「これを乗り越えればまた一段と成長できるよ」
と言っても慰めにもならないだろうが

外から見ているとまったくその通りだと思った


そして、そのような過去を持っている人が
私はうらやましくてたまらない。


高校までスポーツを極めて全国レベルまでいったのに
腰を悪くしてスポーツをあきらめるしかなかったとか
つらい失恋をしてもう恋をしないとまで思ったとか
父と死別し家柄上再婚を余儀なくされて
新しく来た義父の暴力がひどくて家を出て戸籍も変えたとか
小さいころから親戚からのいじめに耐えてきたとか
自分の本職を探すためノイローゼ気味になるくらい
就活と自分探しをしたとか


私には何が語れるだろう?と
さびしくなるくらいに
今その人は輝いている

結局私は19年間の過去しか持ってなくて

それでも人よりはいろいろと物事を考えて生きてきたほうだと思ってたし
昔は、年齢プラス1~2歳くらい普通に通用するだろうと思っていた

自分がちっぽけに見える瞬間ってそんなもんかな



だから私は言いたい。

今、どん底にいると思っている人、

その経験は君だけのもので

君だけが語れるストーリーであって

誰もがうらやむ人生であることを忘れるな


そこからどう生きるかはまたその人の人生である


日本人であること

2005-11-06 06:34:55 | hinaism
私は、いつも人と話すときに相手の目を見る。

相手が話しているときも

自分が話すときも



多分相手からすれば
視線をこそばゆく感じるくらい

たまに不快にさせてしまっているんじゃないかと心配になって

それから一度も顔を合わせないようにしてしゃべったりすることもあるけれど


やっぱり私は目を合わせてしゃべらないと気がすまない



昔は正反対で
むしろ俯いたり違う方向を見て話すことが普通だったけど






今日も私は目を合わせてスティーブンと話した。








大学に入って初めての夏。

私は、かねてからずっとあこがれていた「語学留学・ホームステイ」を実行に移すべく

意気込んで成田を発った



はずだったが、出発当初はこれでもかってほどのホームシックで

なにせ一人暮らしにも慣れたようで慣れてない時期で

一年遅らせればよかった

今年はゆっくり家族と過ごしたかったと行きの飛行機で何度も後悔した。



というのはさておき、

私は生まれて初めて海外の空気を吸い
初めて「ガイジン」に囲まれ
英語づけの日々を送った。

と、
ここまで読んだ人は
それが「目を合わせて話す」という話に
繋がっているとうのは容易に想像がつくだろうが


とにかく、私は初めてのカルチャーショックと同時に
英語以外のことをたくさん学んだ。

というか、日本にいたときの方が「英語の勉強」をもっとしていた。

現地で学んだものは
語学よりも

その国の文化と
それと比較して初めて浮かび上がる
日本の文化だった。


それについてはまた別に書こうと思うが、

ここで私が言いたいのは

コミュニケーションは、言葉だけでは不十分であること。

目をあわせず
顔すら合わせず

相手に何が伝わるか?

私はかつて
「日本でははっきりというのでなくあいまいさを残す方が美徳がある」
「言葉を発しなくても相手が汲み取ってくれる」
「日本人には相手の心を読もうとする力がある」
と対抗したことがあったが

でもそんなこと日本の文化をまったく知らないホストファミリーには伝わらなかった

だから私は豪に入れば豪に従えのとおり
その国の文化で相手に合わせるしかなかった

まぁ今思えばそれが当然だが


で、夏休みを使ったほんの少しの間の留学だったが

私は出来る限りアメリカの文化に触れ
精一杯満喫して日本に帰ってきた

日本に戻ってきてしばらく
私は英語がイヤになった

英語、英語って、
そんなに英語は大事か?


私は今まで勉強を頑張った方だと思うが、
そんなの何一つ関係なかった

要は相手の文化と最善のコミュニケーションのとり方さえわかればいいのだ。

目を合わせず何を話してもにこにこして「イエス」しか言わない日本人は
「キモい」以外のなにものでもなかった。


そして日本に戻った私には
何か聞かれることがあれば
必ず正直な自分の意思を伝えることと
会話をするとき目を合わせるクセが残った




ところで今日スティーブンと話したのは
まさしく「コミュニケーション」のことで

インターネットは「コミュニケーションの道具」なんかじゃない

ネットで繰り広げられるのは
結局は犯罪とエロい世界とバカ話だけだということ。


やはり、パソコンの画面では人間としての「交流」は生み出せないのか。



でもこの匿名性とあいまい性が

今の日本人にぴったりで

電車の話も小悪魔の話も生まれていったわけだし

私はなんとなく否定も肯定もせず今日もまたPCに向かっているわけだけれど。