だっふぁ~姫の呟き☆彡

おーびー・バンカー・あるがままw

四国に行って来ました③

2012年05月26日 | お出掛け&写真
いよいよ今回の旅の最終日となりました

この日の朝一番の行先は ρ( ̄∇ ̄o) コレ

室戸岬



綺麗な朝焼けと、羽のようにも見える雲が印象的でした

暫くは朝日を堪能し、岬周辺を巡りました

御厨人窟(みくろど)

約1200年前の平安時代、青年時代の大師が悟りを開いたといわれる洞窟で、
内には五所神社と呼ばれる社があります。
“空海”と名前をつけたのも、ここから見える空と海に感銘を受けたからと言われています。




天狗岩



天狗岩と名のついた岩は何度か旅先で見ましたがこんなにハッキリと顔に見えるのも珍しいです

ただ・・ここのは天狗というより  に見えるのは私だけ??


室戸岬にある展望台からの景色です

岩の部分には遊歩道も設けられているので時間的にゆとりがあるのであれば

奇岩と呼ばれる岩を見て回るのも楽しいかもしれません



↑ 写真の右下に小さく写っているのは 中岡新太郎 の銅像です

室戸岬灯台



恋人の聖地にも認定されている景観の良い場所でした


24番札所 最御崎寺(ほつみさきじ)



↑ 駐車場から灯台まで行く途中にありました

せっかく四国に来ているのだから一か所くらいは札所の記念写真を・・・とパチリ

道の駅 キラメッセ室戸

絶好のホエールウォッチングスポットとして有名な室戸岬ならではですね



室戸岬からはひたすら西に進み九州に戻ることとなります



岩崎弥太郎像と生家

幕末の激動の中を駈け抜け、武士から実業家に転身し三菱の創始者ですね





次に訪れるのは高知で最後の場所となります



高知城

国指定重要文化財の高知城は
日本で唯一本丸の建築群が現存する、江戸時代の姿を今に伝える城郭である。


追手門

石垣の上に渡櫓を載せた櫓門です。
門前は枡形になっており、防御時には石垣上の狭間堀や門上から攻撃できるようになっています。




石樋

雨が多いため、石垣から飛び出した石樋で排水していたそうです



山之内一豊の妻 千代



毎度のことですが人がいないタイミングを見計らってパチリ





天守閣

外観四重(内部3層6階)高さ18.5mの望楼型天守で
創建当初の様式を踏襲して1749年に再建された。
大入母屋とその上の唐破風、黒漆で塗られた高欄が特徴的で
1階北東角には現存するものとしては全国唯一の忍び返しもある。




今回の旅で訪れたお城は4つ

ここが敷地の広さといい、天守閣の規模といい、一番のお気に入りとなりました



さらに西に移動して愛媛県に再突入して向かった先は ↓

宇和島城

現在、堀は全て埋められ、三之丸をはじめ総郭部分約28万平方メートルは失われてしまいましたが、
本丸・二之丸などの郭を含む約10万平方メートルの城山は、国史跡(昭和12年)に、
現存12天守の1つに数えられる天守は国重要文化財(昭和9年)、
そして南側登城口城門の上り立ち門は市指定文化財(昭和38年)に指定されています。


案内板を見ると天守閣までの道が二手に分かれていたので

勾配は急ですが距離の短い道を選択w

井戸丸跡



何故か・・・この道を選択する人は・・・σ州- -*州以外にはいなかったみたい

三の門跡



汗だくになって漸く到着です

天守閣

宇和島伊達家2代宗利が寛文6年(1666)頃に再建、
3重3階総塗籠式(そうぬりごめしき)、層塔型(そうとうがた)の天守です。
 各階の装飾性の高い破風(はふ)や懸魚(げぎょ)などから太平の世を象徴するものとして評されるとともに、
小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られ、非常に格式を重んじた造りとなっています。
 万延元年(1860)、昭和35年(1960)に大修理を受けていますが、昔の姿を今もなお伝えています。




ここでも人が姿を消すのを暫く待ってパチリ

写真も撮った事だし、来た道とは違う道を戻っていたつもりのσ州- -*州ですが

途中で道を間違えたらしく全く違う場所に出てしまいました

il||li _| ̄|○il||li ナンテコッタイ

まさか登城口が2つあったとは・・・・

ここはターリンは車で待機していたので

私はお城の周囲を半周して駐車場に戻る羽目になってしまいました



佐田岬(さだみさき)

佐田岬(さだみさき)は、佐田岬半島先端にある、四国最西端の岬。
九州の佐賀関半島と向かい合い、豊後水道の最も狭い部分である豊予海峡(速吸瀬戸)を形づくる。
愛媛県西宇和郡伊方町(旧・三崎町)に属する。瀬戸内海国立公園の一部ともなっている。


灯台を見に行く以上、駐車場から多少歩くのは覚悟していますが・・・・

↓ この案内板を見て



180mの見間違いだろうと確認したら・・・間違いなく1800mって書いてる

ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε=ε= ヒイィィィ!!!!( ̄⊥ ̄ノ)ノ

と言っても此処まで来てスルーすることなんて出来ません

ここでもターリンは車で待機してσ州- -*州だけが灯台へ向かう事に・・・

。。。。(( T_T)トボトボ

山道をひたすら上り下りしてやっと見えて来ました

佐田岬灯台



時刻も5時を過ぎているのと雲が出てきたせいで少し暗くなってきました

隣の大島です ↓

この海の向こうは山口県ですが・・・見えないねw



灯台からの帰り道、椿山にある展望台からの景色です ↓

海の向こうに見える陸地は、大分県です

肉眼では別府湾も確認出来ました



これで四国の旅も最後となりました

旅の最後にまさか往復3600mも山道を歩くことになるとは思いもしませんでしたが

行って良かったと思える場所でした

次にまたこの辺りに来る機会があれば天気の良い日に来てみたいと思います


佐田岬から約30分ほどで移動して辿り着いたのは 三崎港 です

私たちを九州に連れて帰ってくれるフェリーが佐賀関から到着するところです



三崎港と佐賀関を繋ぐフェリーは一日に16便運航されています

1時間10分で佐賀関に着くのですが

佐賀関から我が家までは更にで3時間半ほどかかります

結局今回も日付変更線を越えての帰宅となりました


ターリンは約1700kmもの運転・・・本当にご苦労さまでした

また・・・何処か連れてってね

ヾ( , , *ヾ)ヨロシクオ願イシマス...




今回の旅では船を利用する事の楽しさを再確認しました^^

四国と九州を繋ぐ航路は他に3つあるのですが

いつか別のルートで四国を訪れてみたいものです


四国に行って来ました②

2012年05月25日 | お出掛け&写真
一夜明けて・・・

私たちのいる場所は 四国の最南端 です

足摺岬

天狗の鼻

展望台から灯台を見ようと思ったら左手にあったのがρ( ̄∇ ̄o) コレ
現地の案内板によると、天狗の鼻からの灯台がイイらしいので急いで移動です



天狗の鼻から海を眺めると・・・なに?(*・_・*)
妙な岩があると思ったら岩の上に釣り人がいましたww



そして・・これが足摺岬の灯台方面

前日とは違って天気に恵まれてスッキリとした景色が堪能できました



此処まで来たら・・やっぱり灯台の真下まで行かなきゃ!!
って事でまたまた大急ぎで向かいます



万次郎と仲間達の群像

ジョン万次郎資料館前の広場にありました
万次郎が仲間たちと無人島で漂流生活を過ごした時を表しているそうです



竜串(たつくし)海岸

竜串海岸は、臥竜山と呼ばれる山に沿ってあり、古くはここを龍串と呼んでいた。
(山そのもが、竜が臥しているように見える事で「たつふし」から「たつくし」になったという説や、
その竜を細長い岩で串刺しにしたように見えることからなどの説があります。)
竜串海岸は3000~8000年前の砂岩からなる浸食台地で怪岩奇岩の景勝地として有名です。
特に丸みを帯びた岩が何本もまっすぐに伸びる大竹小竹は代表的な景観。
他にも蛙の千匹連れや千畳敷、しぼり幕などの名所が数多くあります。




大竹小竹



蛙の千匹連れ



海岸の岩の上を40分ほど歩いて浜に戻る道は・・・こんな感じ↓



結構狭くて、つかまるところもなくてビビったww


次に向かったのは高知と言えばこの川でしょう~~~

四万十川です

沈下橋

四万十川の沈下橋とは、増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のことです

↓は四万十川最下流で最長の沈下橋。もっとも観光客になじみのある沈下橋です。



四万十市内には他に8つの沈下橋があるそうです



ちょうど人が歩いて渡っている場面に遭遇しました ↓




四万十川の次は山に向かうのですが・・・途中で立ち寄ったのが ↓

維新の門

幕末の英雄、坂本龍馬は、文久2年3月24日に高知を出奔し、翌25日に梼原に到着しました。
その夜、梼原の勤王の志士である那須俊平、信吾父子の家に宿泊、
26日に俊平、信吾の道案内により、盟友澤村惣之丞とともに、偉業を夢見て脱藩しました。
梼原町からも吉村虎太郎、中平龍之助、前田繋馬が国境を越え、維新動乱の渦中に身を投じました。
また、自らの家財を費やしてこれらの志士を援助する掛橋和泉がいました。
龍馬脱藩から6年後、明治維新が起こり、近代国家が誕生しましたが、
その時すでにこの8人の志士たちは、志半ばにして不遇な最後を遂げていました。
志士たちの足跡が残るこの梼原町に、8志士の群像を建て「維新の門」と名付け、
彼らの功績と勇姿を永遠に伝えていくものです




ちょっと普通の銅像とは違う迫力を感じる作品でした

四国カルスト

高知県と愛媛県の境界線のような場所にあります

四国カルストは、日本三大カルスト(四国カルスト、山口県の秋吉台、福岡県の平尾台)のひとつで
標高1,485メートルの天狗森を最高峰に東西25キロメートルにわたり広がっています。




秋吉台・平尾台は私には馴染みのあるカルスト台地ですが

それぞれ別の趣があってとても好きな場所です

中でも此処はカルスト台地と風車が一緒に見られるとは



ちょっと残念なのは放牧しているせいか道路から高原に入る事が出来ません



これで日本の三大カルストは制覇です


自然を堪能し次に向かったのは・・・海です

ここも高知に来たなら外せない場所

桂浜公園

くじら日時計

(アナレンマ式円環型日時)  
この日時計は日時計の中でも、もっとも立体的な構造をもつタイプのものです。
そして、「アナレンマ」と呼ばれるひょうたん形をした投影体を使っているのが特徴です。
このことによって、一般的な日時計で行わなければならない
時刻の補正をする必要がありません。
 ただアナレンマの影が、一定の幅をもって投影されますので、
時期によってこの影を読む位置が変わってきます。




日時計の後ろの建物は坂本竜馬記念館です

5時で閉園のため中に入る事は出来ませんでした・・・

坂本龍馬像



像の高さは5.3m、台座を含めると13.5mで桂浜の小高い丘の上からはるか太平洋の彼方を見つめています

ここで「日本の夜明け」を見たい・・・と思っていたのですが

実際に目にしたのは夕暮れの太平洋でした

((*≧m≦)ププッ



この海の向こうにある陸地はオーストラリアなんですね・・・



これで四国2日目も終わりました

再び宿を探しつつ3日目の為の移動を開始する私たちでした



・・・・・つづく・・・・・



四国に行って来ました①

2012年05月23日 | お出掛け&写真

先週の木曜日から有休を取って久しぶりに遠出をしました

前記事で書いたように木曜日の朝5時には広島県呉市に到着

野呂山の兜岩展望台から夜明け前の瀬戸内海をパチリ



何やらフェリーらしきものも見えていますd(=^‥^=)b ネ!

少し白んできたけれど・・・(*-゛-)ウーン・・

天気がイマイチで折角の景色が霞んでしまっています

↓は鉢巻山の展望台からの瀬戸内海の景色です



ちょっとアップにしてみると橋が2つ見えました



此処からは しまなみ海道 を使い島を幾つか徘徊して四国へ向かいます

本当は途中の景勝地に立ち寄って瀬戸内海の絶景を楽しむ予定でしたが

生憎の曇り空のため・・・今回は景色は断念することに・・・

※しまなみ海道(西瀬戸自動車道)※
西瀬戸自動車道(にしせとじどうしゃどう)は、本州四国連絡道路の尾道・今治ルートを成す道路である。
広島県尾道市の尾道福山自動車道(国道2号松永道路)西瀬戸尾道ICを起点とし、
向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島などを経て愛媛県今治市の今治ICに至る、
延長59.4kmの高規格幹線道路(国道317号の自動車専用道路)である。


因島大橋

瀬戸内海の布刈(めかり)瀬戸に架かる吊り橋で
布刈瀬戸は主要航路になっているため、車面は満潮時の海面より50mの高さをとってあり
そこから9m下を歩車道が通るしまなみ海道唯一の2階建構造でもある






移動している途中で見つけた灯台・・・名前は・・・知らない



因島水軍城

この水軍城は昭和58年12月1日に築城された、全国でただ一つの水軍城です。
南北朝時代から室町・戦国時代にかけてこの地で活躍した村上水軍の歴史・資料を豊富に展示しています。




木が成長しすぎていて下からだと何も見えません・・・((*≧m≦)ププッ



実は木曜日は休館日とのことで中を見学する事はできませんでした



多々羅大橋

当初は吊り橋の予定であったが、架橋技術の進歩と景観に配慮した斜張橋へと設計が変更された。
そのため、鳴き龍現象と呼ばれる特殊な現象がおきることでも有名である。
これは「多々羅鳴き龍」といわれ、塔の下の歩道で手を叩くと日光東照宮の鳴き龍のように
音が何回にも渡って反響する。これは塔の形状からくる現象である。




折角の綺麗な橋なのに・・・こんなに霞んでいては感動も霞んでしまいます

やはり・・春は景勝地での写真は期待出来ないのかも・・・

大山衹(おおやまずみ)神社

瀬戸内海のなかでも特に景勝の地である芸予海峡の中央に位置して、
大小の島々に囲まれた国立公園大三島に、日本最古の原始社叢の楠群に覆われた境内に鎮座している。




天然記念物 能因法師 雨乞の楠

日本最古の楠(樹齢3,000年)で後冷泉天皇の御代(900年前)伊予国守藤原範国(のりくに)は
能因法師を使者として祈雨の為参拝させた




天然記念物 乎知命(おちのみこと)御手植の楠

御島(大三島)に祖神大山積大神を祭った乎知命の御手植楠(樹齢2600年)と伝えられ
古来御神木として崇められている




来島海峡大橋

愛媛県今治市、瀬戸内海の来島海峡を跨いで大島と四国を結ぶ長大橋で、
来島海峡第一大橋、来島海峡第二大橋、来島海峡第三大橋の総称。
3つの長大橋梁により構成された世界初の3連吊り橋であり、全長は4105m。

中央が西瀬戸自動車道(しまなみ海道)で北側に自転車歩行者道、南側にバイク道を併設しています




展望台から見た来島海峡大橋です



このロータリーはインターではありませんw

歩行者と自転車の為の専用道路です



ここからは遂に四国へ上陸です

最後に四国を訪れたのはゴルフで高松に行って以来・・5~6年前の事

旅行で訪れるのは30年ぶりくらいかもwww

今治城

今治城は慶長9年(1604)9月、藤堂高虎によって築城されました。
城域は8町16間四方、三重の堀には海水を導入した海岸平城でした。
現在は本丸、二ノ丸、内堀と石垣等を残しています。天守閣は昭和55年10月に再建されたものです。




夜間はライトアップされるそうで・・・そっちも見てみたかったな



松山城

松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、
賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の1人、加藤嘉明が築いた四国最大のお城です。
門櫓・塀を多数備え、狭間や石落とし、高石垣などを巧みに配し、
攻守の機能に優れた日本一の連立式天守を構えた平山城を言われております。
松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつ、
江戸時代以前に建造された天守を有する城郭の一つです。


リフトを降りて少し歩くと見えて来ました









帰りはリフトを使わず歩いて降りて二の丸庭園を上からチェック!





道後温泉本館

道後温泉のシンボル、道後温泉本館は、明治27年に建築された三層楼のどっしりしたもので、
近代的なホテルや商店街の中にあってひときわ風格ある姿を誇っています。


流石に人気のスポットで人がいない写真を撮るのは不可能



振鷺閣(しんろかく)

最上階には「日本の音風景100選」に選定され刻太鼓が吊るされ
午前6時、正午、午後6時に打ち鳴らされます




伊佐爾波(いさにわ)神社

松山藩、松平3代藩主定長が江戸城で行われた流鏑馬の
大願成就のお礼に建立したと言われています。
本殿は、宇佐・石清水両八幡とともに日本に3つしかない八幡造りで
国の重要文化財に指定されています




これで初日の観光は終わりとなりました

あとは宿を探しつつ2日目のための移動となります


・・・・・つづく・・・・・