ひまわりおじさんは5年前から婚活のイベントを主催しています。
今回は特別にブログ読者の皆様とご知り合いの方にご案内です。
実は、兵庫県のこうのとり大使という婚活のお節介おじさんをしています。
時々、自身で企画開催もしています。
チラシをアップします。
参加ご希望の方は、そのままコピーして、必要事項を記入の上お申し込みください。
開催は10月2日。締め切りは9月25日です。
もちろんですが、独身男女、45歳までです。
申し込みまっていま~す。よろしく。
ひまわりおじさんは5年前から婚活のイベントを主催しています。
今回は特別にブログ読者の皆様とご知り合いの方にご案内です。
実は、兵庫県のこうのとり大使という婚活のお節介おじさんをしています。
時々、自身で企画開催もしています。
チラシをアップします。
参加ご希望の方は、そのままコピーして、必要事項を記入の上お申し込みください。
開催は10月2日。締め切りは9月25日です。
もちろんですが、独身男女、45歳までです。
申し込みまっていま~す。よろしく。
今日、9月15日、所用で丹波市山南町まで行きました。
久しぶりに西脇市にある「大橋ラーメン」を食べました。
大盛はありますか? 「ジャンボラーメンになります。」
それどのくらいの量ですか? 「2杯分です。」
かなり昔、30年ぐらい前に時々食べていましたが、30年たつと
西脇の大橋近くからかなり奥へ移転していましたがいまだに西脇大橋ラ-メンの看板を守っていました。
あとは写真をご覧ください。
写真1 店のメニューはこれだけです。
写真2 登場したジャンボラーメン。1,5倍ぐらいのどんぶりに2人前入っています。
写真3 濃厚で少し甘みを感じる、しょうゆ味。いわゆる昔の味です。
芸能人も来ているぞとばかりに、サインや写真が貼ってありました。
写真4 それより壁のカレンダーに、よい言葉輪見つけて思わずパチリ。
どこかの信用金庫の配ったようでした。
この言葉にひまわりおじさんも、思わず納得し店を出ました。
*特にグルメ記事を書く気はありませんが、ラーメンの話が続いてしまいました。
所用で横浜へ。ついでなので以前から寄ってみたいと思っていた
ラーメン博物館を訪ねました。
以下はご報告写真です。
写真1 入り口です。
写真2 地下1階から地下2階の吹き抜けを見下ろした写真です。センターでボールを操る
パフォーマンスをしていました。
ふと、昭和の若かりし頃の自分の姿が重なります。
写真3
写真4 この風景確かどこかで見たよな~。
写真5
写真6
写真7 何んと懐かしいプロレス中継をアナログテレビがやっていました。
色々とみて、感心しながら昭和に思いを馳せました。
そこで1件の店に腰を落ち着かせ、念願のラーメンを注文しました。
なかなか美味しかったのですが、最後にショックを受けました。
写真8 最後にかみ切れない物が口に残ったのです。
もし私の推測が正しければ、焼き豚を作る時に巻き付けていたタコ糸のようなものです。
人気店だったので、事を荒立てても可哀想と思い、席を立つときそっと店員さんに注意を
促しておきました。
みなさんならどうしましたか?
そんな事はとにかく、面白い場所でしたよ。
カクレミノってご存知ですか?(震災には何ら関係のない話です)
隠れ蓑といえば、いまでいう雨合羽の藁で編んだものです。
蓑を着たら身を隠せるから「隠れ蓑」
昔の透明人間的な発想でいましたが、そういう名の植物が存在することを
初めて知りました。
神戸市内の、、、とある病院の外壁に植えられていました。
写真を3枚アップします。
なんでこの植物が「カクレミノ」と呼ばれるのかご一緒に考えましょう。
写真1
写真2
写真3
ひまわりおじさんの震災5周年 その18
第33回 東北行き (平成28年8月22日~24日)
8月24日、宮城県のお話です。
2泊3日の旅の帰り道です。
被災地を巡る旅で、案内役となるとどうしても、被災当時の姿がありのままに残っている場所を
見せてあげたくなります。いざとなると意外に少ないものです。
例えば陸前高田の1本松にしても、人工的な模造品と知っていると、足が遠のきます。
阪神大震災でも、人と防災未来センターのような震災後に建てられたミュージアムや、石碑などがあっても、
そのまま残されているのは、メリケンパークの崩れた岸壁位しか頭に浮かびません。
その時は、もう2度と見たくない建物や地形、風景でも、10年20年と経つと、教訓として残しとけば良かったと、
思えることはよくあります。
石巻市の旧大川小学校もその一つです。
壊す。残す。そんな議論が繰り返され、今は残す方向にある様です。
何度となく、同行者を案内してきましたが、行くたびに言葉を失います。
でもそれは、教訓をありのままに伝える教科書のようなものでもあります。
2016年8月24日の大川小学校の姿を紹介します。
写真1 中央の倒された渡り廊下が、津波の威力を今も伝えています。
写真2 校舎です。
写真3 卒業記念に残された壁画です。
右端は宮沢賢治の銀河鉄道の夜でしょうか?
写真4 作り直された北上大橋です。ここに向かって沢山の子供たちが避難したそうです。
この橋自体が、津波で流されるなんて想像できなかったのでしょう。
右手には壊れた土手を再構築する工事が行われています。
左の背の高い草はひまわりです。山のの麓に植えられ、蕾を持っていました。
きっと今頃は、黄色い大輪が優しく咲いていてくれることでしょう。
写真5 この後、仙台市立六郷中学校に立ち寄り、鈴蘭台中学校の生徒さんが生徒会交流をしました。
神戸市北区の中学校から贈られた義援金で校舎の上のエールを書いた看板を設置したそうです。
*こうして2泊3日の東北の旅は終わりました。
熊本では、未だ仮設が全部建っていませんが、5年半経つ東北では、未だ仮設が解消されていない事を
再確認させられた旅でもありました。
何んと、ひまわりおじさんにとっては、33回目の東北行きでした。