熊本地震支援ボランティア
活動半年の振り返り その2 いざ熊本へ
*今回の目的は二つ。
一つは避難所の生活支援。
もう一つは「お茶わんプロジェクト」のパートナー(連携先)と集積基地探し。
かなり遡った4月22日の話です。
やっとの思いで、阿蘇市宮地で阿蘇の外周道路57号線に出ました。
右折して少し走ると、阿蘇神社が倒壊していました。車を止める所もなく写真も取れずに通過。
すこし走り、地図を広げてUターン。57号から265号に入り高森町を目指す。
高森町から325号線に入り南阿蘇村に入る。宮地から丁度阿蘇山の反対側に回った事になります。
本来ならここを進み57号線に合流して熊本に抜けるつもりでしたが、阿蘇大橋が落ち、行き止まり。
久木野から28号線の俵山トンネルを抜けようとしましたが、トンネルの前に「崩壊のため通行止め」看板。
しばらくいい加減な九州道の地図を頼りに右往左往。
蕎麦屋の看板に、ここはまず腹ごしらえをと、車を止め玄関に向かうと暖簾(のれん)が無い。
「地震被害のため当分の間休業」の小さな紙にがっくり。
ぼぉ~と、あちこち素肌を出した阿蘇山を眺めていると、目の前を災害支援と書かれた自衛隊のトラックが
隊列を組んで、山の方に向かうのが見えた。
「これや!」黙々と追従すると何度も曲がりながら阿蘇の外輪山を登り出した。
後で分かった事だが、これが南阿蘇村と益城町、西原村をつなぐ唯一の抜け道39号線「グリーンロード」でした。
その後、自衛隊の隊列から離され、何処をどう曲がったのか西原村の看板に出合いました。
4月22日の西原村役場です。
西原村のボランティアセンター。立ち上げの前日の様です。
西原村立西原中学校の校庭です。雨上がりで校庭は、ぐちゃぐちゃ。
西原村から遠望すると大きく崩れた阿蘇の悲しい姿が見えました。
西原村から何処をどう曲がったのか記憶が薄れましたが、何とか被害が大きいと聞いていた益城町にたどり着きました。
この先は次回のアップで。