熊本地震支援ボランティア
活動半年の振り返り その1 いざ熊本へ
*今回の目的は二つ。
一つは避難所の生活支援。
もう一つは「お茶わんプロジェクト」のパートナー(連携先)と集積基地探し。
第1便は、4月21日の夜のフェリーに軽四バンで六甲アイランド港から乗船しました。
船は「さんふらわぁ」西大分港に翌22日早朝着です。
高速道は止まっていましたので、大分から城島高原を経て湯布院へ。
湯布院から「やまなみハイウエイ」を阿蘇山に向けて走りました。
あと少しで阿蘇市へ抜ける所で通行止め。
カーナビも無く道路地図を広げて「ウーム…」う回路が解からない。
行けるところまで行こうと、少し緊張気味に進むと、あちこちで土砂崩れ。
何んとかすり抜けて車を進め、峠を越えて下れば阿蘇市宮部の国道57号線
という所で、巨大な落石。どうしたものかと岩とニラメッコ。
すると前方より軽四トラックが登ってきた。
どうやら下の集落の住民の様だ。
「あんた、上の道は大丈夫か?」
「はぁ~、何とかここまで来ました」
「下の道は、大丈夫ですか?」
「わしも、ここまで何とか来たところや」
*何とかつながっている*
「すみません。神戸から走って来たので道が解かりません。下まで連れて行ってください」
「まぁ、わしと同じ軽四だから通れるやろう。付いておいで」
「すんませ~ん」
*落石を避けながら何んとか下まで下りられました。礼を言って別れる。
*国道に出ようとすると、通行止めの大きな看板。
*隙間を通り抜けて国道に出ようとする私を、バリケードを張っている自衛隊員が、不思議な顔で私を見ていた。
*私も何か悪い事をしたような気もしたが、「住民です」という顔で何気なく通り過ぎました。
*しばらく走ってから、「無茶な事をした。かなり危険な状態の中を走っていた」と反省した。
*一つ間違えば、新聞ネタになり「ひまわりおじさん阿蘇に逝く」なんて見出しが出たのだろう。
*前日の豪雨で落ちた岩の様だ。色々考えたら「お茶わんプロジェクト」どころの話では無く、恐ろしくなった。