ひまわりの夢企画

神戸 ひまわりおじさんのブログ

東北ひまわりの旅 11

2015年08月30日 | ひまわりの夢企画

東北ひまわりの旅 11

陸前高田市

写真1

高田の一本松に語りかけるように咲くひまわりです。

ただし、2012年の夏の写真です。

 

写真2

これが、今夏の一本松です。横にベルトコンベアの支柱が見えます。

工事現場に囲まれながら、見物客が見えます。

 

写真3

現実は、こんな風景です。遠方に一本松が見えます。

松を見学するためには、この写真を写した所から歩きます。

いったい町をどう復興しようとしているのでしょうか?

 

写真4

看板に、この高さまで埋め立てると言っているのが読み取れます。

14,1mと言えば、神戸のポートアイランドが水深15mの海上を

埋め立てたと、聞いています。地上に新しい島を作っているようです。

 

写真6

その工事現場をバックに「動く七夕」と言われるお祭りが行われ

ていました。ちょうど8月7日、月遅れの七夕の日です。

少し複雑な思いでシャッターを押していました。

 写真7

埋立地に咲くひまわりたち

写真7

高田の一本松を遠望したところです。

これからどう造成するのか見当がつきません。


東北ひまわりの旅 10

2015年08月29日 | ひまわりの夢企画

東北ひまわりの旅 10

気仙沼港周辺

気仙沼港を見下ろすように建つ気仙沼プラザホテル。

この山の上のホテルからからの震災時の映像を度々見ました。

手前左が「お魚いちば」。

写真1

 

写真2

おさかな市場は、観光客向けの魚市場です。

この建物は津波で完全に浸かりましたが、早期に復興しました。

どこかのテレビ局が撮影していました。

 

 

写真3

店内の魚をご覧ください。まずは自慢のカツオです。

 

写真4

ホヤ。海のパイナップルと呼ばれています。神戸では見られません。

 

写真5

マンボウっていう魚をご存知ですか?

あまり市場に出回りません。まずは、漁師さんが自家消費していまいます。

これは、マンボウの腸です。湯通しして酢みそで食べます。貴重品です。

焼き肉の上ミノのような食感です。

詳しいでしょ。実はひまわりおじさんの大好物です。神戸ではありません。

 


東北ひまわりの旅 9

2015年08月27日 | ひまわりの夢企画

東北ひまわりの旅 9

気仙沼市階上町岩井崎

岩井崎には潮吹き岩があり、相撲取り「雷電」の像があります。

震災後の間もない頃、岩井崎に向かいました。

そこで待ち構えていたのは、観光気分なんて吹き飛ぶ光景でした。

気仙沼向洋高校が大津波で4階まで被害を受けていました。

写真1

これは今回撮影した写真です。学校手前の地福寺から写しました。

屋根に柱だけ残されていたお寺が、きれいに改修されていました。

 

写真2

学校をアップすると、4階部分が津波で破壊されたままです。

校舎は廃校となりました。

写真3

実はこの学校は水産高校でして、ここの関係者に知人がいました。

震災ボランティアに感謝して、ここの生徒が作ったサンマの缶詰を

頂きました。「最後の缶詰です」と。もちろん被災前に実習で作られたもので、

もう4年にらめっこをしています。

何かもったいなくて、食べる事が出来ないのです。

写真4

 

写真6

国道に戻り、気仙沼市街地に入ると、お蕎麦屋さんの店先に、

ひまわりを見つけてホットしました。


東北ひまわりの旅 8

2015年08月25日 | ひまわりの夢企画

東北ひまわりの旅 8

気仙沼市

国道45号沿いに、本吉町から大谷町に入りました。

写真1

大谷町野々上、45号線沿いに咲くひまわり。

 

写真2

大谷中学グランドの仮設住宅に咲いたひまわりです。

 

写真3

大谷海岸でBTR(列車バス?)に出会いました。

 

写真4

これがBTRの踏切。線路を道路にした専用バス道と一般道の交差点。

 

写真5

津波の被害にあい新築された大谷海岸、はまなす海洋館です。

ひまわりおじさんお勧めの、おいしい料理の食べられるホテルです。

 

写真6

その海洋館の前に気仙沼線が走っていました。

ここのトンネルから先は、被害が大きく、BTRは国道を走っています。

錆びついた線路は悲しいですね。

 

*耳に聞こえて来た話です。

被災前は大谷駅を起点に商売をしてた人がたくさんいました。

誰もが、駅が再開業されるならその近くに家を建てたいと思っています。

駅は海岸の近くに作られるのか、危険だから高台に作られるのか、

住民は、じっとその動向を伺っていました。

そんな気持ちを逆なでるように、JRは、廃線を発表したのです。

日頃から赤字路線であったから、と言ってしまえばそこまでですが、

関係者は、そんな事はない。必ず線路は復活すると願っているのです。

願いと夢と現実がどんどん乖離しながら、仮設で暮らして4年が過ぎました。

「ふうてんの寅さん」のような、ひまわりおじさんには、聞く耳はあり、事実を

受け止める事は出来ますが、名案がありません。

よい言葉が思い浮かびません。 なんとも遣る瀬無い話です。

ひまわりおじさんの旅は続きます。


東北ひまわりの旅 7

2015年08月24日 | ひまわりの夢企画

東北ひまわりの旅 7

気仙沼市本吉町小泉地区

写真1

小泉中学校グランドにある仮設住宅とひまわりです。

みんなで作った「ネットアートのひまわり」も風に揺れています。

 

写真2

小泉中学校の北側の駐車場付近には今もこの看板があります。

震災直後の3月22日からひまわりおじさんは避難所となった体育館

での生活支援ボランティアを仮設ができるまで長期間続けてきました。

 

写真3

震災の翌年2012年8月に写した写真です。

小泉川(津谷川)を渡る気仙沼線も流されていました。

 

写真4

小泉小学校の東側空き地には新しく津波の教えという石碑が、

建てられました。

 

写真5

石碑の横には新しい公民館も完成していました。

 

写真6

石碑付近の高台から見渡した街並みです。街並みといえ家はありません。

旧陸前小泉付近の気仙沼線は欠けたままで、国道45線が下を走り、

新しい小泉大橋が見えます。

見て欲しいのは、左上方に写る巨大なビニールハウスです。

ここには、瓦礫の焼却炉が建てられていましたが、役割が終わり、

新産業としてトマト栽培の巨大な温室が作られているそうです。

被災地もどんどん変化しています。

 

写真7

小泉地区住民の集団移転のための造成地です。5月ごろから建設が

始まりました。写真は平屋の長屋風の復興住宅です。

鍵の引き渡しがまじかで、9月から引っ越しが始まるようです。

もう震災から4年半の月日が流れています。

小泉の皆さん、新年は新しい住宅で暮らせそうです。

小泉中仮設に住む、斎藤さんに案内していただきました。本当に良かったです。