祝、MBC学園創立50周年記念

2012年05月15日 | 日記
 本日5月15日は私がお世話になっている鹿児島市内にあるカルチャーセンターの草分け、MBC学園が創立されて50周年を迎える日だそうである。
手元に当時の第1号学園だよりがあるが当時は「南日本芸術学園」と称していたらしい。650名の受講生がいたという。
 
 主旨は、当時のパンフレットによると、
「鹿児島は地理的関係上中央の文化の浸透が鈍く近代人としての深い教養を身につける期間にとぼしいので、市民の日常生活を豊かにするために一般教養を幅広くし、なお芸術の鑑賞眼を高めることを目的として」開講したとある。
まさに、鹿児島に於ける成人情操教育の場、第一号であった訳である。
ちなみに名誉学園長は佐土原島津家の久子女史。しかも今日がご命日だとか・・・

 予々考えていたこと、例えば「薩摩琵琶」。
なぜ鹿児島県の宝である県無形文化財指定をうけているにも関わらず、大学やこういった文化芸術コースで取り扱わないのであろう。
しかし、昭和51年まではこの学園にはれっきとした薩摩琵琶のコースがあったのである。
 
 時代は変わり、今、さまざまな生涯学習システムが立ち上がっては消えていく中で、、いまだに鹿児島の大学教育の中には「文化財継承者教育コース」的なものが設けられていないのははなはだ残念な事である。(東京の音楽系大学にはいくつか薩摩琵琶のコースがあるらしい)
が、私はここの学園が続く限り、薩摩琵琶とできれば天吹のコースを設けて、後継者が育っていただける一助をになうべくご奉仕していきたいと思っている。

いずれにしても、50年も前に立ち上げた先人達の意志を、今日改めて学び直し、その志が今日まで続いてきたという事に敬意を表したい。
お祝いの気持ちを込めて、さらに肝に銘じておきたいと思った。


久しぶりに大阪

2012年05月15日 | 日記
久々に大阪の実業界の方々からお声がけを頂き、西郷さんの末裔の隆文先生とともに、大阪へ。
「指導者のあり方を明治維新に学ぶ」というテーマで、西郷隆盛の事を西郷さんが講演し、後を承けて
シンポジウムでパネルディスカッションに加わらせていただきました。
楽器を持たない、しかも数人で舞台上でディスカッションするというのはかなり緊張しました。
僕の願いは、天下の台所たる大阪が元気を出してもらわなければ日本の経済の復興には拍車がかからない
との思いから、いかに皆さんに元気を出してもらうかという事に集中しました。
みんながんばってやー!

久しぶりの曲水の宴

2012年04月09日 | 音楽
ながらく更新をしなかった。
昨年の3月以来、何もかもが空虚なものに感じた、否、今思えばそう思う。
実際は、当時、そんな事を感ずる余裕すら自分にはなかった。
焦り、絶望、葛藤、期待......その繰り返しだった。
自分自身の何もかもがすべて浮ついていたと思う。そして今なお.....

薩摩琵琶歌「迷悟もどき」の歌詞が浮かぶ。
「我智、我慢、我力、我心を捨ててみよ」

そんな中で、間が2年空いたが久しぶりに仙巌園曲水の宴が開催された。
陽気に恵まれ、以前と同じようにその庭では、顔見知りのスタッフが集まり、
参宴者も数人知人がいた。
薩摩琵琶の「蓬莱山」を弾奏した。
日々深刻化する被災地の問題、原発問題や国際情勢、来週起こりうる北朝鮮のミサイル問題
などがすべて良き方向に流れてくれるようにとの思いで弾奏した。

薩摩琵琶歌「蓬莱山」は、中国の理想郷をモチーフにし、中国の聖帝堯舜の好治を例えて
天下太平を願う歌である。
そして国歌「君が代」の原曲である。
「天長地久と国も豊かに治まりて、弓は袋に、剣は箱に収めおく」
「諌鼓苔深うして鳥もなかなか、驚くようぞなかりける」

弾奏途中で鶯が鳴き始めたのが分かった。
なんだか楽しくなって、ちょこっとだけ寄り道して鶯を歌わせてやろうか、などと
いう気になり、時間は押していたが間奏の手数をやや長めに弾いてやった。

こんな気分は久しぶりだった。

真夏の香港公演

2011年07月12日 | 音楽
久しぶりの香港である。
中国返還前の15年ほど前の香港と、今回の香港の姿は大きく変わっていた。
まず、空港からして別のところに出来ていた。
覚悟はしていたが、夏の香港は暑すぎる。
鹿児島の焦げるような暑さとは異なり、サウナのように湿度の高い暑さ!
正しく、背広なんかを着ている場合ではなかった。
ザ・ペニンシュラだけは返還前の姿を保っているかのようであったが、やはりかつての英国人達の姿はなく、
チャイニーズと日本人だらけ。英語が通じにくくなっていることに驚いた。

琵琶は、中国では珍しいものではないのだが、撥の大きさと撥で胴を打つことに驚いていた。
迫力があるというご批評を賜った。

ほとんど暑すぎて、ホテルから一歩も出られないくらいだったが、何かないかと探していたら、太極拳の講座を見つけた。
これは面白そうだと、ホテルのフィットネスセンターへリザーブしたら、なんと其処に来られたインストラクターは香港一の
太極拳老師、呉偉民老師またの名を、Mr.William NGという高齢の背の低い老師であった。年は80才をこしているのではなかろうか。
一時間のエクササイズでみっちり鍛えられた。最後に老師の太極拳のスタイルを請うと、楊式太極拳だと教えてくれた。
なにか、日本で見なれた太極拳とは異なり、要所要所で目にも留まらぬ素早い動作と蹴り上げる足を手で打つ「パンッ!」という音に
凄みを感じた。
剣や扇を使った演舞も披露していただいたが、果たして自顕流で対峙した場合、どう攻めるか躊躇する動きであった。
まだまだ未熟な己を恥じた。



喪失

2011年06月24日 | 音楽
あらゆる物事への思考、意欲が停滞した感じがする。
ここ2ヶ月の間、己自身の葛藤に苛まれながら自主企画で初発表会と、独演会をがむしゃらにこなした。
しかし今もまだ、何も出来ない自分に対する歯痒さと、空虚さの間を交錯しながら漂っている感じだ。
とにかく自分の考える道を進んで地道に暮らしていこう。今は身の丈以上のことなど出来るタマではないのだから。
地道に、一歩一歩、時には後退しながら、しかし前へ進もう。
先祖達に生かされている己の選択肢に「死」という言葉は一切存在しないのだから。