「人間は、見たいと思う現実しか見ない」。古代ローマ帝国の初代皇帝、ユリウス・カエサルはこう語った。多くの人々は「見たくない」現実に目をつぶる。古今東西変わらぬ人間の性だろう。
震災前、東京電力や規制官庁は、福島第1原発を巨大津波が襲うという可能性を一顧だにしなかった。結果、防潮堤など対策を怠り、あの事故を招いた。
だが福島の事故を忘れてはならないように、エネルギー不足のリスクもまた、忘れてはならない。
事故後、全国の原発が次々と停止したことで、日本の発電は火力頼みとなった。その結果、電気料金は震災前に比べて家庭向けで2割、企業向けは3割も上昇した。
それでも、発電できているだけましかもしれない。
昭和16年、米国などによる対日石油輸出の全面禁止が実行された。日本は石油を求めて南方に進出し、先の大戦の原因の一つとなった。戦後の昭和48年に起きた第1次石油危機は、社会・経済を大混乱に陥らせた。
わが国の石油備蓄は、危機を教訓に増やしたとはいえ、国家・民間合わせて190日分程度しかない。中東危機が再燃し、日本に原油が届かなくなる事態を想起し、備えることは欠かせない。
原子力は確かに危険をはらむ。だが、日本は残念ながら、原子力にある程度頼らざるを得ないほど資源小国なのだ。事故を教訓に、原発とどう向き合い、より安全に利用していくか。その一つの解答が、新たな規制基準を満たした原発の再稼働だろう。
エネルギー危機発生時に急遽(きゅうきょ)、原発を稼働しようとすれば、規制基準に沿った安全確認がおろそかになる。それこそ福島の教訓を無視することにつながらないか。
今、多くのメディアは原発停止が招く「エネルギー危機」を見ようとしていない。全国の火力発電所は、満足な補修も受けられないままフル稼働する状態が4年間続き、いつトラブルが起きてもおかしくない。
危機の可能性に目をつぶり、代替案もなく「脱原発」という空気に浸るのは、思考停止だというほかない。
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