米国のイーストマン・コダック社がコダクロームの製造を年内で終了することを発表した。
私は30年ほど前に、このポジフィルムの存在を知ったのだが、当時はまだデジカメなどはもちろんなく、フィルムカメラもオートフォーカス機すらまだ発売されていない頃だった。
オートフォーカスどころか自動露出のカメラもまだ出始めたばかりで、写真に「腕」が要求された。
そんな状況の中で、プロやハイアマチュアの多くが好んで使ったのがこのコダクロームだった。
感度の種類が少なかったり、現像方式が他のと違って仕上がりに日数が掛かったり、価格も割高だったりしたけど、独特の色合いが好まれたんだね。人気のフィルムだった。
私は一度も使ったことはなかった。それは、ある程度の撮影技術がなければ使ってはいけない「特別なフィルム」みたいな敷居の高さを自分自身で感じていたからだ。
一方で明らかにヘタクソな連中が、まるでコダクロームさえ使えば傑作が何枚も撮れるかのように、どこからか仕入れてきた薄っぺらなウンチクと共に使っていた時代でもあった。
でも、そんな事も含めて、写真という文化がまだまだ大切にされていた良い時代だったんだなあと改めて思う。
その象徴でもあったコダクローム。日本での販売は2年ほど前に既に終了していたが、今回の完全な製造終了のニュースを受けて、なんだか寂しい思いをした一日だった。
私は30年ほど前に、このポジフィルムの存在を知ったのだが、当時はまだデジカメなどはもちろんなく、フィルムカメラもオートフォーカス機すらまだ発売されていない頃だった。
オートフォーカスどころか自動露出のカメラもまだ出始めたばかりで、写真に「腕」が要求された。
そんな状況の中で、プロやハイアマチュアの多くが好んで使ったのがこのコダクロームだった。
感度の種類が少なかったり、現像方式が他のと違って仕上がりに日数が掛かったり、価格も割高だったりしたけど、独特の色合いが好まれたんだね。人気のフィルムだった。
私は一度も使ったことはなかった。それは、ある程度の撮影技術がなければ使ってはいけない「特別なフィルム」みたいな敷居の高さを自分自身で感じていたからだ。
一方で明らかにヘタクソな連中が、まるでコダクロームさえ使えば傑作が何枚も撮れるかのように、どこからか仕入れてきた薄っぺらなウンチクと共に使っていた時代でもあった。
でも、そんな事も含めて、写真という文化がまだまだ大切にされていた良い時代だったんだなあと改めて思う。
その象徴でもあったコダクローム。日本での販売は2年ほど前に既に終了していたが、今回の完全な製造終了のニュースを受けて、なんだか寂しい思いをした一日だった。