東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

勝部先生の旧知の方逢いに行く。

2020年01月04日 15時24分50秒 | 日記

勝部先生の旧知の方。

それは戦時中海軍の航空隊で台南におられた時、部隊の副指令が宿泊施設として

使っていた、サトウキビ畑、精糖工場工場などを土木、建設する会社の日本人の社長の屋敷で

中尉だった勝部先生も良く招かれてお邪魔した家で、

社長が亡くなった後奥さんが社長になって切り盛りしていた会社だったそうで、

先生の事もとてよく面倒を見てくれ、

「明日、高雄に行く事になったから。」と挨拶に行くと

今高雄へ行ったら命が亡くなるから、行かなくてもいい様に軍に言ってあげる。

と言って、軍の命令を取り下げてくれた。

あの時、高雄に行っていたら本当に命は無かった。私の命を恩人だと言っておられました。

終戦で家族が這う這うの体で日本に引き揚げて来て大阪に住まわれていたのですが

その中の一人の娘さんが結婚をされてご主人の転勤で福井に来られる事になったそうです。

福井での知り合いは台湾から引き揚げて来られた、台北の知事をしておられた方と、

九十九橋の南詰にあった大森書店さんは台南で学校の校長先生をしておられた方の

2人だけだったと言われておられました。

ご主人は福井では有名なプラスティックスの会社に勤めておられ、

亡くなられた時には、社葬をして頂いた方でした。

 

その後勝部先生から福井に知り合いがいる、と言われ息子さが大阪に勤めておられたので

平成元年から私も訪ねて行かせてもらう様になり、庭の手入れや冬の玄関の雪かきなど

手伝いさせて頂いたりしていました。

その後4.5年してから、年に一回先生が福井へ訪ねて来られて、

私と朝倉氏遺跡など名所巡りなどをするのを、私の妻と旧知の方も誘って

温泉泊りの旅行に変えました。

白峰の山和荘、芦原温泉、高巣荘、水仙荘、などに行って次の日は観光巡りなど

楽しい思いをさせていただきました。

先生がお体が悪くなられる前の年旧知の方をお宅までお迎えに行ったのですが

熱が出たからと息子さん夫婦が行くなと言われご一緒する事が出来ませんでした。

その時先生は「もう会えんな」と寂しそうに言われました。

 

その事が引っかかっていてそれ以降は旧知の方の家には行かなくなりました。

年賀状だけは毎年だしていましたので、今日は久しぶりに訪ねてみました。

勝部先生と父は同じイノシシ年の3月生まれ生きておられれば96歳。

旧知の方は年上と聞いていましたのでお年をうかがうと98歳と言われました。

杖を突いておられましたが、話し方もしっかりされておられ安心しました。

 私に逢えた事を喜んで頂く事が出来ましたが、

もっと早くからお伺いしておけばよかった、

頑なに拒んでいた事を申し訳なくも思いました。

 

 

 

 

 

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