鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 根占麓 02

2008-02-03 | 麓-南大隅・種子

神山小学校の近くの通り沿いに武家門が残っていた

ここの屋敷は地元の子供達の教室として利用されているようだ

武家門の両側に壁や石垣などは見られないが、昔はあったのだろう

 

八島太郎生誕の碑のある旧家

 

神山小学校付近の風景

 

 



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3 コメント

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Unknown (satsumakko)
2008-02-04 19:57:05
大隅在住さん、こんばんわ。

satsumakkoです。

写真の武家門は小振りながらも一通り立派な屋根?(正面と左右前後に瓦が乗っている部分を何というか判りません)が備わっているようですが、

両袖がもがれたみたいでちょっと可哀相な感じを受けます。

創建当初はやはり左右に立派な石垣や生垣が拡がっていたのでしょうか。
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Unknown (大隅在住)
2008-02-05 12:07:37
 私見です
いい門です。
全景が見えませんので、断定は避けますが
一般論としては門の横には生垣もしくは竹垣があったと思います。敷地と道路の段差も少ないし多分学習塾様のものを経営されているので 自転車等の入り口を設けられたのでは。門の下部に 敷居上もものがあるので 不便だったかも。門の入り口下部に敷居状の横木があるので 戦後に作られたものの可能性は低いと思います。

 石垣は有無はその敷地と道路の高低差により設けられる事が多いようで必ずあるとは限りませんね。
ただ 入り口に階段、階段様にすると 人は権威を
感ずるものだそうですので土止めから発達したと断定は出来ません。
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Re:Unknown (satsumakko)
2008-02-05 21:45:58
大隅在住さん こんばんわ。

丁寧な解説を頂き有難うございました。

なるほど生垣や竹垣ですか。見事だったでしょうね。確かに中央の門は人しか通れませんし、後から自転車や自動車の入口を門の左右に設けたのかも知れませんね。道路との高低差がほとんどないことがかえって幸いだったのかも。

写真の門は手前に階段がないので、確かに権威は感じなさそうですね。だれでも気軽にはいれそうな気がします。
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