鹿児島県の北東部、曽於市末吉町の中心近くに地頭仮屋の門が残っている
風格を感じるが保存状態はあまりよくないようだ
地頭仮屋は現在の末吉中学校にあり、地頭仮屋門は何度か移転を繰り返してきたようだ
付近の町並み
鹿児島県の北東部、曽於市末吉町の中心近くに地頭仮屋の門が残っている
風格を感じるが保存状態はあまりよくないようだ
地頭仮屋は現在の末吉中学校にあり、地頭仮屋門は何度か移転を繰り返してきたようだ
付近の町並み
都城市庄内から国道269号を抜けて曽於市末吉に向かう途中、武家門が目に留まった
今町にある楠見家の武家門。今から約260年前の1746年に作られたと推定
国道拡張工事に伴い現在の地に移築され、大正14年に藁葺きから瓦葺に葺き替えられ現在に至る
案内板
腕木門。屋根を支える構造が脇から見える
こちらの土蔵も江戸時代の建物
財部麓のつづき。財部郷の麓の風景
梅が開花していた
古い石垣とイヌマキの木
竹の生垣
麓地区に古い鍛冶屋があった。
薩摩藩の郷士の副業に鍛冶があった。藩政時代から続いているのかも知れない
財部麓に入る最初に目に留まった石垣と屋敷跡
財部の帰りに道の駅「きらら館」に寄る
名物「きららラーメン」。最後まで飲み干せるスープが自慢。1杯500円。
2月25日に財部町に出かけた。財部町は鹿児島の県境に位置し宮崎県の都城市と接する
竜虎城跡。別名財部城
現在は城山公園
竜虎城は都城12外城の一つ。島津氏の家臣(といっても都城8万石の大名)である伊集院忠真が島津本家に反旗を翻したとき(庄内の乱)、忠真の居城である都城とともに島津本家側と戦った。徳川家康の仲介で和議が成立したが、都城の忠真はその後本家により暗殺され、伊集院一族も皆ことごとく粛清された。島津氏支配の凄さを物語る。
竜虎城跡から望む財部郷の麓の風景
城址から下った馬場に残る武家門。屋敷は取り壊されてない
地頭仮屋跡。現在の財部小学校
麓地区内に残る馬乗馬場跡。郷士達がここで乗馬の訓練をしていた